カテゴリー「映画・テレビ」の記事

2012年6月25日 (月)

半世紀のキューバ映画監督紹介

半世紀のキューバ映画監督紹介

最近、キューバ映画への関心がますます深まって来ています。5月のセルバンテス協会でのキューバ映画名作上映週間は、キューバ映画ファンを満喫させるものでした。そこで、キューバ映画の鑑賞にお役に立てるように、キューバ映画半世紀の歴史の監督を紹介します。世代の分類は筆者によるものです。

第一世代:
トマス・グティエレス・アレア 1928-1996。愛称ティトンTitón
1966年 ある官僚の死(Muerte de un burócrata)
1968年 低開発の記憶(Memorias del Subdesarrollo)アレアの最高作品。
1988年 公園からの手紙(Cartas del Parque)
1993年 苺とチョコレート(Fresa y Chocolate)
1995年 グアンタナメーラ(Guantanamera)

フリオ・ガルシア・エスピノーサ 1926-
1955 El Mégano, エル・メガノ
1967 Aventuras de Juan Quin Quín, フアン・キン・キンの冒険
1994 Reina y Rey, レイナとレイ

アルフレド・ゲバラ 1931-、シナリオ・ライター
現在、新ラテンアメリカ映画国際フェスティバル委員長。

サンティアゴ・アルバレス 1919-98 記録映画作家。
Now, Hanoi, martes 13, LBJ


第二世代
パストル・ベガ・トルレス 1940-2005
1972 共和国万歳 ¡Viva la República! (LM. Doc.) 1972
1979 テレサの肖像 Retrato de Teresa (LM. Ficc.) 1979

ウンベルト・ソラス 1941-2008
1968 「ルシア」Lucía ( ficción) (160')」モスクワ映画祭金賞受賞
1986 「成功した男」Un hombre de éxito (ficción) (116´)
1991「光の世紀」El siglo de las luces (ficción) (120´)
2001「オチュンのための蜜」Miel para Oshún (ficción) (115´)
2005 「バリオ・クーバ」Barrio Cuba (ficción)

エンリケ・コリーナ・アルバレス(Enrique Colina Álvarez) 1941-
2003 ふたつのハリケーンの合間に Entre ciclones 2003

フアン・カルロス・タビオ 1943-
1983年 交換
1988年 プラフ
1992年 苺とチョコレート
1995年 グアンタナメラ
2000年 空席待ち
2008年 豊饒の角El Cuerno de Abundancia

フェルナンド・ペレス 1944-
1988「地下活動」、
1990 Hello Hemingway(ハロー・ヘミングゥエイ)
1994 マダガスカル
1999 La vida es silbar(楽しきかな人生)
2003 ハバナ組曲 Suite Habana
2010 ホセ・マルティ:カナリアの眼 Marti, El ojo del canario

ダニエル・ディアス・トーレス 1948-
1990 Alicia en el pueblo de Maravillas.(マラビージャス村のアリシア)
1997 Kleines Tropicana.(熱帯のクレイネ)
2000 Hacerse el sueco.(スエーデン人のふりをして)
2009 Lisanka (Ficc.) 2009

ヘラルド・チホーナ 1949-
1999 星空の下の天国"Un paraíso bajo las estrellas":
2004 まちがった完璧な愛 Perfecto Amor Equivocado (2004)


第三世代
ホルヘ・ルイス・サンチェス (Jorge Luis Sánchez) 1960-
1999年、ドキュメンタリー「オリシャ崇拝」を監督。
2006年、ベニ物語

フアン・カルロス・クレマータ・マルベルティ 1961-
2001「なんでもない」Nada. 最初の長編劇映画。 (LM. Ficc.).
2009 安物の賞El premio flaco (Ficc. 104’) 2009
2010 チャマコChamaco (Ficc. 92’) 2010

エルネスト・ダラーナス・セラーノErnesto Daranas Serrano 1961-
2009 壊れた神々 Los dioses rotos (Largometraje de Ficción)

アルトゥーロ・ソット 1967-
1997「エレベーターの愛」(Amor Vertical. 1997)

第四世代
レスター・ハムレット 1971年ハバナに生まれる。
2004 二人の三度の愛 Tres veces dos
2010 カサ・ビエハ

パーベル・ヒロウドPavel Giroud
2006 反抗期 La Edad de la Peseta, 2006

イアン・パドロン(Ian Padrón) 1976-
2008年「リーグの外で」Fuera de Liga
2011 ハバナステーション(Habanastation)

(2012年6月25日 岡知和)

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2012年6月 3日 (日)

映画監督レステルの思い出

映画監督レステルの思い出

先月の5月、セルバンテス文化センターが東京で開催したキューバ映画名作上映会で、作品「カサ・ビエハ(古きわが家)」が上映される機会に訪日した、レステル・ハムレット監督は、すがすがしい印象を残して帰国しました。

レステル・ハムレット監督は、1971年ハバナに生まれた、映画、演劇監督です。1991年国立芸術教育大学演劇監督専攻を卒業しました。その後、キューバの映画・テレビ国際学校で学びました。また、現在、キューバ芸術大学(ISA)の視覚コミュニケーション学部で学んでいます。レステルは、キューバ全国作家・芸術家同盟(UNEAC)会員でもあります。レステルは、自らがゲイであることを公言していますし、名作上映会での質疑応答では、キューバ社会でゲイの問題が、公然と議論されるようになったと説明しました。監督は、キューバの若者の間に流行っている大きなタトゥーを右腕に入れていますが、その柄は、キューバ国旗です。

Photo


作品としては、2004年に劇映画としての処女作、「二人の三度の愛」を制作し、モントリオール国際映画祭などの賞を受賞しました。その他、主要な作品としては、次のものがあります。
1991年 古い物語(演劇)
以後、演劇監督、ビデオ・クリップ作品多数
2004年 リラの物語(監督・脚本)
2006年 反抗期(編集)
2008年 彼、あなたがた、私達(監督・脚本)
2010年 カサ・ビエハ(長編劇映画、監督・脚本)
2011年 寓話(長編劇映画、監督・脚本)

受賞歴としては、2010年、第32回国際ラテンアメリカ新映画祭審査員賞、2010年、第32回国際ラテンアメリカ新映画祭大衆性最優秀賞など、かずかずの国内、国際賞を受賞しています。

キューバでは、2003からキューバ映画界の重鎮、「ルシア」、「成功した男」、「オチュンのための蜜」の監督、ウンベルト・ソラス監督(1941–2008)が、低制作費(低予算)で映画を制作する運動を提唱し、貧者の映画と題して、キューバの東部のオルギン県のヒバーラ市で、「ヒバーラ国際貧者映画祭」が開催されるようになりました。レスター・ハムレット監督は、本年の第10回ヒバーラ国際貧者映画祭の実行委員長を務めています。

作品の「カサ・ビエハ」は、キューバ社会の現実を見事に反映した思索的な佳作でしたが、映画には、キューバきっての大女優イサベル・サントスさんが、隣人フローラ役で出演しています。イサベルさんから、レステルの映画に出演したいとの申し出があり、レステルは、想像もしなかった大女優の出演、しかもわずか二つだけのシーンの出演に驚くと同時に心から感謝したとのことです。さすがにベテラン女優だけに、葬儀場での衣装の色は、彼女が指定し、見事に場面にマッチしたとレステルは語りました。

なお、レステルの好きな映画作品は、「フォレスト・ガンプ 一期一会」と「マジソン郡の橋」、好きな俳優は、「フェレスト・ガンプ」の主役のトム・ハンクス、日本映画では「七人の侍」と「羅生門」と言います。

監督は、お寿司が好きだということですので、お寿司を食べに誘いました。好物は、いくら、大トロ、かっぱ巻き。ハバナで寿司を作りたいとのことで、土産にはワサビとノリ、それに、巻きずし用すのこ(まきす)を買って帰りました。5月13日(日)には、はとバスで都内を案内しました。レステルは、浅草の浅草寺では、自ら線香を買って火をつけて、一心にお祈りしていました。特定の宗教の信者ではないが、宗教を信じています。
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レステルの一層の活躍を期待しています。

『しんぶん赤旗』に菅原啓さんの素晴らしいインタビュー記事が掲載されましたので、紹介します。添付のPDFをご覧ください。「12.05.29 Lester Hamlet entrevista.pdf」をダウンロード

(2012年6月3日 新藤通弘)

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2012年5月 7日 (月)

映画『ハバナステーション』鑑賞の栞

キューバ映画上映会:『ハバナステーション』
が、下記の通り上映されます。その際の鑑賞の栞をご案内します。

会場: セルバンテス文化センター東京
日程: 2012年5月12日土曜日, 18:15
マジートとカルロス、2人の子供の関係を通して、今のハバナが持つ社会的不平等を浮き彫りにする。ストーリーは、革命広場に程近い、貧しい架空の居住区ラ・ティンタを舞台に進む。カルロスの住むラ・ティンタに迷い込んだマジートは、自身の住む高級住宅地ミラマールとは異なるキューバを見出す。2人は5月1日を共に過ごすことで、お互いの現実と向き合うことになる。日本初上映。
言語:スペイン語(日本語字幕付)

入場料は無料です。要予約。

添付のPDFをご覧ください。

「12.05.10 ハバナステーション(Habanastation).pdf」をダウンロード

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2012年5月 2日 (水)

ヒバーラ国際貧者映画祭

ヒバーラ国際貧者映画祭

この数十年、映画製作は、ハリウッドを中心にますます大規模となり、総制作費が何十億円と宣伝され、興行収入もそれを上回る何十億円と報道されたりします。しかし、一方で、今年になって「スター・ウォーズ」や「インディ・ジョーンズ」シリーズなどの大作映画で知られるジョージ・ルーカス監督が大作映画の制作からの引退し、小規模の実験映画に挑戦したいという意向をもっていると報じられています。

大作制作の商業主義がまかり通ってしまうと、発展途上国や、良心的な独立プロの映画人は、映画製作が困難となります。市場至上主義の新自由主義グローバリゼーションが拡大するなかで、高制作費映画と低制作費映画の差が拡大し、途上国あるいは少数民族の民族的、文化的多様性が犠牲になる傾向が生み出されました。そして映画人や民族性の自立の必要性が叫ばれるようになりました。

キューバでも、90年代に入り、「非常時」における経済危機から、映画予算の獲得が難しくなり、ほとんどの場合、スペイン、フランス、メキシコなどとの合作映画が制作されるようになりました。しかし、資金協力を得ると、当然、投下資金の回収を確保するため、協力者の側から映画の内容に意見が出され、キューバ側の映画監督は、資金と制作の目的との板ばさみにあうことが少なくないといわれています。

一方、近年映画制作の過程では、デジタル撮影技術、ビデオ映写技術の発展で、技術革新がめざましく、そうした技術を適用すれば、映画制作プロセスが著しく短縮され、低制作費で良心的な映画制作(貧者の映画)が可能となってきました。そこで、2003年、キューバ映画界の重鎮、「ルシア」、「成功した男」、「オチュンのための蜜」の監督、ウンベルト・ソラス監督(1941–2008)が、低制作費(低予算)で映画を制作する運動を提唱し、貧者の映画と題して、キューバの東部のオルギン県のヒバーラ市で、「ヒバーラ国際貧者映画祭」が開催されるようになりました。

ソラス監督の提唱によれば、「貧しいとは、理念や芸術水準が貧しいという意味ではなく、制約された資金の中で制作する映画」という意味です。したがって、低制作費映画は、途上国や恵まれない組織で作成されるものとされています。しかし、制作された映画を上映するには、独占的な映画配給網にも挑戦する必要があります。ところが、デジタル映画や、ビデオ映画は、小さな映画室でも可能で、一般の映画館も含め様々な形の上映が行われています。

こうして低制作費映画は、収益も必要であるが、それよりも作品の制作に関心をもつ映画人が、制約なく自由に制作できることに、大きな魅力があるといわれています。今回来日する「カサ・ビエハ(古きわが家)」の監督、レスター・ハムレット監督(1971-)は、今年の第10回ヒバーラ国際貧者映画祭の実行委員長を務めている、新進気鋭の映画人です。今年の第10回映画祭では、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アジアの20カ国から113作品が参加しました。そのうち、劇映画は、38本(11カ国)、長編11本、短編27本、ドキュメンタリーは31本(長編16本、短編15本)、シナリオは、11本、ビデオ作品は30本でした。劇映画部門の最優秀作品賞は、アルゼンチンのマリア・ラウラ・カサベ監督の「ペロンの寓話」が獲得しました。筆者は、大型画面で迫力ある映画を鑑賞することを否定するものではありませんが、ヒバーラ国際貧者映画祭が、ますます発展するように願っています。

「カサ・ビエハ」は、セルバンテス文化センター東京が開催します「キューバ映画上映会5月10日―12日」の初日、5月10日に上映されます(要予約)。また、上映前にハムレット監督の挨拶もあります。筆者は、3月にハムレット監督と面談しましたが、中々の好印象を受けた礼儀正しい映画人でした。

(2012年5月2日 新藤通弘)
「12.05.10 Casa Vieja 鑑賞のしおり.pdf」をダウンロード

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2012年2月 1日 (水)

キューバ映画文献紹介

キューバ映画文献紹介

キューバ映画に対する関心も、近年一層高まっているようです。この50年の間に多くの傑作が生み出されましたが、キューバ映画を紹介する文献は少ないようです。以下に紹介します。研究の役に立てばと思います。

Cine Cubano: 30 Años en Revolución, Grafic Publicidad, La Habana, 1989. 1959年から1989年までの劇映画、記録映画のポスター、シノプシス、作品資料を掲載。カラー。

Mara Eulalia Douglas, La Tienda Negra: El cine en Cuba (1897-1990), Cinemateca de Cuba, La Habana, 1996. キューバ映画史。

Cuba Internacional, Marzo-Abril, No.305, 1997 に特集記事あり。

Nereida Herrán Bolaños, Carteles Cubanos de Cine, Distribuidora Nacional, ICAIC, La Habana, 2004. キューバ映画推進のポスター集。

Luciano Castillo, El Cine Cubano a Contraluz, Editorial Oriente, Santiago de Cuba, 2007. キューバ映画についてのエッセイ。

Marta Díaz y Joel del Río, Los Cien Caminos del Cine Cubano, Ediciones ICAIC, La Habana, 2010. 1906年から2008年までのキューバ映画史。重要な作品の詳細な解説もあり。

Jorge Luis Sánchez González, Romper La Tensión del Arco: Movimiento Cubano de Cine Documental, Ediciones ICAIC, 2010. キューバ記録映画史。


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2011年8月10日 (水)

映画『ハバナステーション』が大ヒット!

映画『ハバナステーション』が大ヒット!

今、キューバで、映画『ハバナステーション』(Habanastation)が大ヒット中だと伝えられています。作品は、最近にしては珍しく、海外の映画会社との合作でなく、キューバ文化省、キューバ・ラジオ・テレビ庁(ICRT)、キューバ映画芸術・産業庁(ICAIC)の共同制作で、イアン・パドロン監督の初作品の長編劇映画です。ジャンルは、キューバ映画得意の社会派コメディーです。

この映画は、7月の中旬に全国の300劇場で封切られて、わずか20日間で31万人以上が見たといわれています。また、つい1週間前、この映画は、米国の著名は記録映画作家マイケル・ムーアが主催する米国のミシガン州のトラバース市映画祭に参加し、最優秀作品賞を獲得しました。上映会では、観客は大変感動して、スタンディング・オーベーションで作品を称えたと報道されています。8月30日にはマイアミでの上映が予定されています。

一体、何がキューバにおいて、米国において感動を呼んでいるのでしょうか。私は、未見ですが、伝えられているところを紹介しましょう。

続きは、PDFでご覧ください。
「11.08.09 映画、ハバナステイションが大ヒット.pdf」をダウンロード

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2010年9月21日 (火)

キューバの人種問題についての歴史ドキュメンタリー「1912年、沈黙を破って」

キューバにおいて、人種差別問題は、1959年の革命戦争勝利後、法律的・政治的には基本的には一掃されたとされています。しかし、実際には社会生活のすみずみに、いろいろな形の残滓も見られます。最近、人種問題が、キューバでも議論されるようになっています。そうした社会背景の中で、グロリア・ロランド監督は、ドキュメンタリー映画「1912年、沈黙を破って」を制作し、このほどキューバ社会に問題を問いかけました。以下、その紹介記事を掲載します。

キューバの人種問題についての歴史ドキュメンタリー「1912年、沈黙を破って」
前田恵理子訳
Cubanow 16 de Agosto del 2010
ホルへ・スミス

グロリア・ロランドは、サンティアゴ・アルバレスやロヘリオ・パリと同じく本格的な映画を学んだ映画作家で、彼女の記録映画「1912年、沈黙を破って」は、大虐殺、そしてキューバの人種差別の起源と、現在も偏見が見られる中で、人種差別がなお存続していることを訴えている。

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映画の一部は、2003年にアフリカ系米国人の女性教授の学術研究のために行われたインタビューから触発されたが、主要な動機は、女学生からの「黒人はキューバに何をしたのか?」という質問から出たものである。
2012年には「黒人の戦争」や「12年の戦争」として知られる1912年の3000人にのぼる大虐殺から100周年を迎える。この大虐殺は、キューバの東部地方で、支配体制に反対する絶望的な行動として、最も虐げられていた階層の人びとによる武装蜂起の後に起きたものである。

「1912年、沈黙を破って」は、3部から構成され、お決まりの教訓主義へと逃げてはいない。というのは、キューバでは1886年に奴隷制度が廃止され、旧奴隷たちは、独立戦争での重要な役割を果たしたのにもかかわらず、その後、この1912年という日は、無視されていたからである。

ドキュメンタリーの第一部は、初めに報道関係に公開された。それは、ひとりの奴隷の孫の記憶から展開する。「僕のお婆ちゃんが、僕に話してくれた。僕のおじいちゃんは、黒人の戦争で殺された。全く、関わっていなかったのに。家から出るなと警告されたけど、おじいちゃんは決心して家を出たところ殺された・・・黒人だったからだ」。
映画は、それから、奴隷制度の段階、人種差別が本当に始まった時にまで遡る。エドゥアルド・トレス・クエバス教授によると、黒人の人身売買、商品としての人間と法的自由の欠如の世界である。

Gloriarolando2010


映画は、また、以下の黒人の反乱を描いている。それらは、ホセ・アントニオ・アポンテ(?-1812)が指導した1812年の最初の黒人の反乱、1843年の「はしごの反乱」(黒人は「はしご」につながれ鞭打ちの罰をうけたことから来る)、第一次独立戦争の「10年戦争」(1868-1878年)、独立運動の英雄で混血のアントニオ・マセオ(1845-1896)、キューバ解放軍の黒人の将軍バンデーラス・ベタンクール(1834-1906)、勇敢な独立運動の指導者、黒人のホセ・ギジェルモ・モンカダ(1838-1895)の英雄的役割、「小戦争(1879-1880」、「1995年の戦争」である。
次の題材の解明は、考慮するにふさわしい。それは、19世紀の黒人の最初の組織の結成である。その組織は、「黒人中央幹部団」という名前をもっており、そこには、さまざまな貴重な視覚による証言によって、黒い肌をした人たちが、流行の服を着ているのが見られる。

グロリア・ロランドは、写真、新聞のファクシミリ、雑誌、古い文書を駆使し、観客を当時の雰囲気の中に連れていく。

米国に半ば支配されたキューバ共和国(1902-)で起こったことの分析は、同様に、アメリカ人が、スペイン人よりももっとひどい人種差別主義者であり、黒人男女への偏見と不当行為がより激しくなったことを見事に示している。

他方、この映画は、マルティン・モルア・デルガード(1857-1910。黒人独立党に反対)とファン・グアルベルト・ゴメス(1854-1933。独立後自由党員となる)など、諸政党に参加した黒人の指導者たちやその他の指導者たちと、ムラートと貧しい黒人たちとの分裂も描いている。

解放軍の将校のペドロ・イボネー(?-1912、エステノスと運動する)とエバリスト・エステノス(?-19121,黒人独立組織指導者)は、貧しい黒人の怒りを組織した。二人は、米国の2度目の干渉の際、1908年に黒人独立党を創設し、人種による政治的差別を禁じる憲法修正(まさしくマルティン・モルア・デルガードによって作成されたもの)に反対したのである。

これが1912年の戦争の起源で、この時でもって、人種差別のテーマが未解決であるというグロリア・ロランドの第一部が終了するのである。

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2010年8月30日 (月)

フアン・カルロス・タビオ、映画監督を引退宣言!?

フアン・カルロス・タビオ、映画監督を引退宣言!?

社会派風刺喜劇映画の名匠、ファン・カルロス・タビオ監督が、もう映画を監督しなくなるかも・・・
(前田恵理子訳)
ホルへ・スミス    Cubanow 16 de agosto del 2010

キューバの著名なファン・カルロス・タビオ監督が、キューバ・ナウ誌との独占インタビューで、今後は映画を監督しないと述べた。タビオ監督は、トマス・グティエレス・アレアとの共同監督作品、「苺とチョコレート」でアカデミー賞候補作品に指名された名匠だ。

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「これ以上監督はしない。なぜなら、監督することにあきたし、実際、本当のところ、カメラの後ろに立つことが一度も好きだったわけではなかったからだ」と、ハバナの自宅の近所を犬と散歩しながら、記者に語った。

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「しかし、映画を辞めるわけではない。脚本に専念するつもりだ」と、彼は、付け加えた。

タビオ監督が、4年前に映画「豊穣の角」というタイトルの企画を発表して以来、記者は、この素晴らしい監督と話したことがなかった。

自分の頭のなかに企画があるのだと、その時、タビオ監督は、そのニュースを発表するよう記者にすすめ、制作会社と資金が現れるといいなと口元に笑みを浮かべて付け加えた。

「豊穣の角」は制作され、ホルへ・ペルゴリーア、ブラディミール・クルス、ミルタ・イバーラという、あの傑作「苺とチョコレート」の3人の優れた主役が出演した。そして、ハバナ映画祭で劇映画部門第3位と最優秀脚本賞を受賞しただけでなく、2008年コロンビアでの第49回カルタヘナ国際映画祭の審査員特別賞を受賞したのである。1008_el_cuerno_de_la_abundancia


さらに、この映画は、アルゼンチンの第24回マール・デル・プラタ国際映画祭でアストル・ピアソラ銀賞、出演者と観客に対する審査員特別賞を、また2009年ペルーでの第13回リマ・フェスティバル:ラテンアメリカ映画の集いにおいての観客賞を受賞した。

評論家たちは、この映画に賞賛を惜しまず、さらにはガルシア・マルケスの小説『100年の孤独』の「マコンド」村やスペインのルイス・ガルシア・ベルランガ監督の喜劇映画の傑作「ようこそ、マーシャルさん」との類似性を評価するものもいた。

グティエレス・アレア監督との共同作品映画「グアンタナメラ」の監督でもある俊才、タビオ監督が引退するというニュースに、記者は愕然とした。しかし、メキシコのポール・ルデュック監督(ジョン・リードの『反乱するメキシコ』を1970年に映画化)が、1993年に「ダラー・マンボ」を監督後、同じような発言をしたが、2006年に「集金人」でカムバックしたことを考えて、記者は、自分を慰めた。

ファン・カルロス・タビオ(1943年ハバナ生まれ)の映画技術は、面白さとユーモアが特徴である。

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彼の「空席待ち」(本邦公開タイトル:バスを待ちながら)は、スペインの年間最優秀作品賞「ゴヤ賞」にノミネートされ、また、コロンビアのカルタヘナ国際映画祭では、俳優ホルヘ・ペルゴリアに演技賞が与えられた。「苺とチョコレート」は、1995年ニューヨークで映画記者協会による最優秀外国映画賞を受賞した。

タビオは、トマス・グティエレス・アレアの忠実な協力者であるが、最初の単独作品は、長編劇映画「交換」であった。この映画は、素晴らしい女優イサベル・サントスを世に送りだした。彼女は、最近亡くなった俳優・監督のデニス・ホッパーから(「理由なき反抗」、「ジャイアンツ」、「イージーライダー」)からブラジルで、直々に演技賞を受けとったのである。

タビオ監督は、劇映画「プラフ」では、神秘的な女優、デイシ・グラナードスに輝かしい演技歴のなかでも最も素晴らしい演技をさせた。「豊穣の角」は、「空席待ち」に勝るとも劣らない魅力的な掛け合い喜劇作品となった。

もし、「空席待ち」が人々の善意を賛美していたとすれば、「豊穣の角」は悪い人びとを描いたのである。
(終わり)

以下、ご参考までに、訳者が作成した資料を掲載します。
フアン・カルロス・タビオ
1943年ハバナ市生まれ。
1961年ICAIC(キューバ芸術・映画産業公社)で制作助手として活動を開始。
1963年最初のドキュメンタリー「危険」を制作、その後30本以上のいろいろな映画で共同脚本家として活動。
1983年劇映画「交換」を監督。
1988年劇映画「プラフ」を監督。
1989年-1990年キューバの国際映画・TV学校などで脚本・監督部門の教授を務める。また国際的にも、メキシコ、コスタリカ、パナマなどで脚本、監督、ドラマトゥルギーでワークショップを開催。
1993年「苺とチョコレート」をトマス・グティエレス・アレアと共同監督
1994年「象と自転車」を監督。
1995年「グアンタナメラ」をトマス・グティエレス・アレアと共同監督
1999年「空席待ち」、を監督。「ティトン」トマス・グティエレス・アレアに捧げる
2003年「たとえ遠くにいても」(Aunque estés lejos)コメディーを監督
2005年「風車」(Molino de viento)短編劇映画、主演:ホルヘ・ペルゴリア
2008年「豊饒の角」、長編劇映画コメディーを監督。

主要受賞歴
1970年ドキュメンタリー「バガソ」1970年キューバ映画最優秀作品
1973年ドキュメンタリー「ミリアム・マケバ」最優秀映画批評家賞
1984年劇映画「交換」、第6回ラテンアメリカ新映画祭第3位受賞
1988年「プラフ」、第10回ラテンアメリカ新映画祭最優秀脚本賞受賞
1992年「苺とチョコレート」、第14回ラテンアメリカ新映画祭最優秀脚本賞受賞
1994年「苺とチョコレート」、ベルリン映画祭で、特別審査員賞受賞
1995年「苺とチョコレート」、アカデミー賞、外国映画部門でノミネートされる
1995年「グアンタナメラ」、第18回ラテンアメリカ新映画祭で第2位受賞
2000年「空席待ち」、キューバ作家・芸術家同盟(UNEAC)映画コンクールで最優秀監督賞受賞

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2010年8月17日 (火)

キューバ映画祭、米国ミシガン州で開催

キューバ映画祭、米国ミシガン州で開催
ラシエル・デル・トロ
Cubanow, 10 de agosto de 2010
(前田恵理子訳)

キューバ映画関係者の代表団が米国を訪問、米国人ドキュメンタリー監督であるマイケル・ムーアが設立したトラヴァース・シティー映画祭に参加した。

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第6回映画祭開会式では、マイケル・ムーア自身が、観客にキューバ映画の上映会に出席することを勧め、キューバの女優のミルタ・イバーラとイアン・パドロン監督を紹介し、その作品に感謝して彼らにトラヴァース市の鍵を渡した。映画祭に参加したもう一人のキューバ人監督は、著名なファン・カルロス・クレマータ監督で、イライダ・マルベルティとの共同監督の長編劇映画「ビーバ・クーバ!(キューバ万歳)」(劇映画、2006年)が映画祭で上映される予定である。

また、その他の上映予定のキューバ映画は、ファン・カルロス・タビオの「豊穣の角」(劇映画、2008年)、イアン・パドロンの「最強野球チーム」(長編記録映画、2008年)とトマス・グティエレス・アレアとファン・カルロス・タビオの「苺とチョコレート」(劇映画、1993年)である。さらに、キューバ代表団のメンバー全員が、「われわれはキューバで生活している」と題されたパネルディスカッションに参加し、映画も製作される予定である。

マイケル・ムーア監督は、彼の出身地でもあるミシガン州北部の観光地、トラヴァースでこの映画祭を開催した。なぜなら、そこは彼が、大手映画会社に対抗して、彼の活動を開始した場所だったからである。この映画祭の特徴は、7月末と8月初めに開催され、屋外での無料上映も含まれていることである。

オープンエアで上映される映画のほかに、有料で市内各地のホールで国内外の映画が上映される。それは、映画祭の15万ドル近い費用を、入場券収入とさまざまな個人の寄付でまかなうためである。ムーアは、政治映画の達人であるが、この映画祭は政治的性格を持たず、本質的に芸術・文化の振興に尽くすものだと述べている。

(訳者補注)
「ビーバ・クーバ!(原題キューバ万歳)」(邦題「ビバ・キューバ!」)
長編劇映画、2005年、80分、言語:スペイン語
監督:フアン・カルロス・クレマータ、イライダ・マルベルティ
撮影:アレハンドロ・ペレス・ゴメス
音楽:アマウリ・ラミレス、スリム・ペシン
日本では、2008年9月第5回スペイン・ラテンアメリカ映画祭で上映、劇場未公開)
出演者:マルー・タラウ(マルー)、ホルへ・ミロ(ホルヒート)、ラリサ・ベガ(マルーの母親)、ルイサ・マリア・ヒメネス(ホルヒートの母親)。

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あらすじ:女の子のマルーと男の子のホルヒートは、一生の友情を誓い合った幼友達。しかし、それぞれの家は政治信条が違い、仲たがいしている。マルーの祖母が亡くなって、母親がキューバ国外へ移住することを決めた時に、マルーとホルヒートは、キューバ各地を自分たちの愛にとっての希望を探して、旅に出ることになる。
クレマータ監督は、以下のように強調している。「この作品の第一の意図は、親が他国に移住するというようなとても重要な決断をする時には、子供の意見を十分に考慮して、考えるよう、親たちに呼びかけていることである。『ビーバ・クーバ!』は、そこから生まれ、この映画は、子供にだけではなく家族全体に捧げられている。このためにすべての年齢向けの映画として考えてほしい」。

「豊穣の角」
劇映画、2008年、107分(本邦未公開)、言語:スペイン語
監督:ファン・カルロス・タビオ
撮影:ハンス・ブルマン
音楽:ルシオ・ゴドイ
出演者:ホルへ・ペルゴリーア、ラウラ・デ・ラ・ウス、エンリケ・モリーナ、ミルタ・イバーラ、ブラディミール・クルス

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あらすじ:ヤラゲイというキューバの架空の小さな村でのお話。ある日、カスティニェイラス一族の家族は、莫大な遺産相続の知らせを受けた。それは18世紀に英国の銀行に修道女が預金していたというもの。この知らせ以来、一族と村中の生活が一変。とりわけベルナルディートと妻のマルティーカは、すっかり落ち着きを失った。一族のみんな、遺産請求の手続きに専念しなければならず、また中には、見境なく借金をする者もいる。遺産を受け取るまでのさまざまな障害をのりきるドタバタコメディー。果たして、お宝を手にすることは・・。

「最強野球チーム」
長編記録映画、2008年、68分(本邦未公開)、言語:スペイン語
監督:イアン・パドロン
撮影:エルネスト・グラナード
出演者:レイ・ビセンテ・アングラーダ、ラサロ・ヴァルガス、アグスティン・マルケティ、ヘルマン・メサ、ハビエル・メンデス、オルランド・エルナンデス(エル・ドゥーケ)、アローチャ

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あらすじ:キューバの国技は、野球である。米国のヤンキースやスペインのレアル・マドリードのように、キューバ野球の象徴的なチーム、ハバナをフランチャイズとするインドゥストリアレスを扱ったドキュメンタリー。このチームは、全国優勝の10回の記録を持ち、熱狂的なファンが多い。その45年の歴史が、初めてキューバの国内外に住む選手やファンにより語られている。
生活すること、野球をすることの困難、例えば、ブロマイドや宣伝ポスター、野球雑誌がないことや、鼻ひげ、口ひげ、長髪、ネックレスや腕輪などの禁止という厳格な規律なども議論されている。そして、選手がプロとしてプレーするために国外へ出て行くという現実も率直に隠すことなく記録されている。
この作品は、この5年間のキューバ映画の中で最も議論を呼び、問題提起をし、批判もされた作品のひとつで、映画館では上映されていないが、作品のコピーがハバナ市内で人から人へと回されている、人気の衝撃ドキュメンタリーである。

「苺とチョコレート」(劇映画、1993年)は、本邦でも公開されましたので、割愛します。

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2009年10月16日 (金)

キューバ映画の50年 (2)

キューバ映画の50年(2)を掲載します。今後、本邦未公開の映画の紹介を、随時行います。
「09.10.10 キューバ映画と講演のつどい (2).pdf」をダウンロード

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