カテゴリー「スポーツ」の記事

2016年5月 3日 (火)

ベネズエラ映画上映とお話し

ベネズエラ映画上映とお話し
―ベネズエラの音楽の奇跡―
「奏でよ、そして闘え」
*世界的に有名なベネズエラの児童青少年オーケストラシステム(エル・システマ)のドキュメントタリー。
ベネズエラとキューバ研究家新藤通弘先生も現地のお話しをしてくださいます。
日時・・5月11日(水)午前9時半~
会場・・三鷹市市民協働センター2階
三鷹市下連雀4−17−23
TEL : 0422−46−0048
中央線三鷹駅より徒歩約15分
小田急バス
②番のりば 国際基督教大学・調布駅北口(鷹51)・武蔵小金井駅・大沢・大沢十字路・竜源寺行き
③番のりば 深大寺・神代植物公園前行き
⑦番のりば 仙川・晃華学園東・杏林大学病院・新川団地中央行き
いずれも八幡前下車 徒歩3分
お話・・新藤通弘先生
主催・・アジア・アフリカ・ラテンアメリカ(AALA)連帯委員会三鷹支部
連絡先・・後藤0422-43-5730

―詳細、添付の文書をご参照ください―
どなたでも参加できます。
観覧料は、ベネズエラ大使館のご厚意により無料です。

「16.05.11 システマチラシ.pdf」をダウンロード

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2014年2月10日 (月)

キューバ、カリブ海プロ野球シリーズで最下位

キューバ、カリブ海プロ野球シリーズで最下位

2月1日からベネズエラのマルガリータ島で第56回カリブ海プロ野球シリーズが、キューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、メキシコ、ベネズエラの5チームが参加して開催されました。今回は、キューバが54年ぶりにカリブシリーズに復帰し、キューバチームの試合ぶりが注目されました。キューバ国内ではむろんのこと、キューバチームの優勝が大方の予測でした。

続きはPDFをお読みください。
「14.02.11 キューバカリブ海シリーズで最下位.pdf」をダウンロード

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2012年12月16日 (日)

第3回ワールド・ベースボール・クラシックをキューバはどう戦うか

第3回ワールド・ベースボール・クラシックをキューバはどう戦うか。

去る11月16日と18日、第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に向けて、キューバ代表と日本代表の強化親善試合が、ヤフー・ドームと札幌ドームで行われました。結果は、周知の通り、日本チームが、第1試合は2対0で、第2試合も3対1で連勝しました。日本にとっては、山本新監督のもとでの幸先良いスタートでした。しかし、現在、国際野球連盟(IBAF)ランキング第1位のキューバにとっては、屈辱の連敗だったかもしれません。ちなみに、IBAFランキングによれば、加盟72国中、2位は米国、3位日本、4位韓国となっています。

続きは、添付のPDFをお読みください。
「12.12.16 第3回WBCをキューバはどう戦うか.pdf」をダウンロード

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2011年1月20日 (木)

キューバ人にとっての音楽と野球

キューバ人にとっての音楽と野球
ラファエル・ラム (森口舞訳)
2010年11月28日(日)

 キューバ人の国技、野球への熱狂は、1世紀以上前にも遡り、音楽とポピュラーソングの中にも表されてきた。野球を扱った曲も沢山あれば、歌手やミュージシャンだった野球選手、また野球ファンのミュージシャンや歌手も多くいた。ハバナ・チームのダッグアウトでユニフォームを着たベニ・モレの写真もある。
 ポピュラー音楽の人気歌手、レグラ出身のロベルト・ファス(1914-1966)は、ハバナ湾の対岸にあるレグラ地区の住民の名前で呼ばれているチーム「レグラーノス」の試合を毎試合見に行ったものである。
 
 野球がテーマの音楽をいくつか思い出してみよう。ブラボ兄弟とカジノ・バンドの「カルロタと野球に」、セプテト・ナショナルの「野球は、嫌い」、チャポティンとスターたちの「マリア、ボールを投げて」、リカルド・レイバと南カリブの「野球を教えて」、オルケスタ・アラゴンのキューバ出身の大リーガー、アモロスを歌った、「アモロス、セラ・コミオ」などがある。
 オルケスタ・アラゴンが、ラファエル・バカリャオとO・ペレスの次のソンを広めたことを多くの人が記憶している。「私と遊びたいなら、野球にはまらなければダメだ。うまく打たないなら、いいプレーではない。ボールは飛んでいく。ボールは飛んでいく。ボールは飛んでいく」。
 エンリケ・ホリン(1926-1987)が率いるオーケスタ・アメリカには、レパートリーの一つにこのような歌がある。「ミニョソが本気で打ったなら、ボールはチャチャチャで踊る」ペドロ・チャベスが入ったコンガのバージョンでは、「ペドリートが本気で打ったなら、ボールはチャチャチャで踊る」。
 一方、ロス・バンバンは、ペドリート・カルボ(1942-)が歌う野球をテーマにした歌で、こういう良く知られたリフレインがある。「野球については議論したくない。議論したくない。だれが打つか興味はない。議論したくない」。
 古い歌の思い出だが、シルビオ・ロドリゲス(1946-)が生まれた村のサン・アントニオ・デ・ロス・バニョス出身のライムンド・バレンスエラ(1848-1905)のオーケストラも、野球の試合の歌をいくつか作曲した。バレンスエラは、作家ホセ・レサマ・リマ(1910-1976)の詩の中で高く称賛されている。
 
 フェリックス・フリオ・アルフォンソの資料に拠って、野球選手でもあったミュージシャンについて、何人かを挙げてみよう。エドゥアルド・モラレス“鮫”(ソン・カトルセ)、アスカレーロス・チームとラス・ビジャス・チームの選手、ロランド・マシーアス、ダンソン歌手のロベルト・ゴンサレス・エチェバリアがいる。
 オリエンテ・チームで伝説となったマヌエル・アラルコンは、東部バヤモ市の歌手だった。トリオ・マタモロスは、スポーツ記者のエラディオ・セカーデス(1904-1976)が、考えをめぐらしているときに演奏をした。「ボールよ、どこにでも、どんな風にでも、好きなように。ボールよ、どこに飛んで行こうが、入りこもうが、好きなように」。
 
 全国シリーズの最終決戦の多くは、その当時人気のあった音楽のテーマと関係している。1986年、ピナル・デル・リオとの試合でハバナ・チームのマルケッティが、決勝場外ホームランを打った時、ロス・ラティーノスの曲、ラ・ベレンヘナが流行っていた。
 1997年のシリーズでは、ハバナのインドゥストリアレス・チームは、「どうして噂以上でないといけないのか。上になって、上になって」というフレーズの繰り返しに応援されながら勝利した。20世紀末の大ヒット曲だった。
1998年にはキューバ・サルサのドリーム・チーム(チーム・クーバ)がラテンアメリカ・スタジアムに集まり、超満員の中で野球の試合をした。インドゥストリアレス・チームの野球選手と現代キューバ音楽の野球選手が一堂に会した重大なイベントであった。
 
 キューバのスポーツ選手で、好記録を達成したもの、メダルを受賞したもの、好成績を残したものは、トレーニングを受けたり、オリンピックで競技に参加したりするとき、ロス・バンバン、チャランガ・アバネラ、NGラ・バンダ、アダルベルトと彼のソンなどを荷物の中に入れてもっていく、ということも言っておこう。
多くの野球試合では、野球や、その時の流行のテーマを扱ったレフレインを観客がコーラスしながら行われる。実況中継のアナウンサー、ボビー・サラマンカは、試合を描写するのに、音楽とサトウキビの収穫の表現を使う。アンディ・バルガスも、野球の実況中継で同じようなことを行っている。

 ソン歌手達のリフレインやコーラスには、野球、女性、音楽に関係のある言い回しが使われる。要するに、野球と音楽の結合は、この二つがなぜキューバだけでなく、米州諸国の人々にとって最も重要な二つの文化的表現であるかという理由を説明している。
試合を始めるにあたってマヌエル・アラルコンは、「トロチャへの道を閉ざしてココジェの踊りの準備をしろ」と告げた。インドゥストリアレスが勝った時には、「インドゥストリアレスがココジェの踊りを黙らせた」と、観客は繰り返して歓呼したのである。


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2010年8月12日 (木)

キューバ野球、自国のユニフォームへの誇り、母国・故郷の人びとのために頑張る

あるジャーナリストに、キューバ野球について心温まる話を寄せていただいた。これもキューバ社会の一環である。

自国のユニフォームへの誇り、母国・故郷の人びとのために頑張るキューバ野球

 8月7日、大学野球の世界大会決勝戦で、キューバ代表が米国代表を延長戦の末、4対3でくだし、堂々と優勝した。米国には将来大リーグ・ヤンキースのドラフト一位指名されそうな投手までいたが、四つに組んで戦い、圧倒的な打撃力で勝った。言い古されたことだが、「人口たった1100万人のスポーツ大国」には、改めて驚かされた。

 経済的に苦しいなかで、これだけのレベルを維持している「秘密」は何か。

 米国では、大リーグに行けば年俸何百万ドル。優秀な大学生選手はさぞや厚遇されていることだろう。

 私は、神宮球場に通い詰めて、キューバの選手団長、選手たちに接する機会があった。球場横で、日本人ファンにサインを求められるとサクまで歩み寄ってきて、どんどん書く。人なつこい笑顔。各国選手団で一番あいきょうを振りまいて、フレンドリーだったのが彼らだった。

 野球が骨の髄まで好きで、しかし、日本のスポ根モノ(それはそれでいいところはあるのだと思うが・・・)のような悲壮感はなく、底抜けに明るい。ありとあらゆるベクトルが前向きなのである。

 キューバに帰ったら、もしかしたらスパルタ式の鍛錬が待っているのかもしれないが、「秘密」はやはり彼らの人間性のすばらしさ、そして彼らのコミュニティーの持つ生命力ではないかと思う。彼らの家族思い、コミュニティーの団結力の強靱さは有名だ。

 やっぱりスポーツは札束だけではない。自国のユニフォームへの誇り、母国・故郷の人びとのために頑張るといったことが大きいのだ。

 小耳にはさんだ話だが、彼らがハバナ空港を出発するとき、押し寄せてきた一族郎党と、一時の別れを惜しんで抱擁するのに忙しく、飛行機に乗り遅れそうになった選手が複数いたそうだ。

 米国との決勝戦、どういうわけか、キューバでは急きょナマ中継されたときく。早朝の時間帯だったが、きっと驚異的な視聴率だったに違いない。

 7月31日の予選リーグで、野球強国・韓国には18-0(5回コールド)で圧勝。

 決勝トーナメントの初戦では、野球の発展途上国・スリランカと対戦。7回コールドで14-0。

 スリランカ打線は手も足も出ず、完全試合(参考記録)。しかし、特筆すべきは、キューバ打線が1本も本塁打を打たなかったことだ。発展途上のスリランカの学生たちがケガをしないように、フルスイングをしなかったのではと推察する次第。

 こんな人間味あふれる彼らの参加するスポーツ大会や試合が、これからもたびたび日本であればいいのに、と願っている。(匿名希望)

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2010年8月 3日 (火)

キューバのサッカー、発展に必要なもの

キューバのサッカー、発展に必要なもの
ダビッド・E・ブラゲッテ
Cubanow, Julio 30, 2010
(前田恵理子訳)

南アフリカでブブゼラが鳴り止んだ。スペインが世界チャンピオンになった。今でもハバナ市のラウトン地区の公園で、9才のカルリートは、アルゼンチンのリオネル・メッシのTシャツを着て、サーカーのフェイントをしてみたり、左足でにわか仕立てのゴールに向かってボールを蹴ったりしている。

サッカー熱は、キューバでも冷めやらず、国技である野球は、最も世界で人気のあるスポーツのサッカーから、国民的娯楽の栄光を奪い返せないままでいるのだ。

「いつかは、ユリエスキ・グリエル(有名なキューバ人野球選手)のようになりたいけど、まだ僕はメッシ(バルセロナ・クラブチームのスター)にハマってるんだよ」とカルリートは言う。彼は、ハバナで最も交通量があるランパ通りの角にあるヤラ映画館で、父親と一緒にワールドカップの決勝戦を生中継で、しかも大型スクリーンで観戦したことを興奮して語る。

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これは、キューバでは初めての経験で、ハバナの映画館で、デジタル画像と高品質音響技術を利用できたからであると、キューバ映画芸術産業庁(ICAIC)の副会長であるロベルト・スミスは述べた。確かに「サッカーの大きな魅力のひとつは、共有する感動」であり、大型スクリーンで可能な放送の技術的諸条件によって、最高の放映ができたのであると、スミス副会長は語る。

キューバ人は、他のスポーツ競技においてオリンピックや世界大会のチャンピオンであることに誇りをもっているので、サッカーでの不十分水準と結果には不満を表す。

「われわれはスポーツの遺伝子とDNA をもっているのに、ワールドカップに出場できないのはなぜか、私は理解できない」と大学でスポーツ学を専攻した47才のアダルベルト・ラミレスと疑問を述べる。大変奇妙なことは、現在、われわれがギネスブックでボールの支配、接触、操作でいろいろな記録を持っていることだと、アダベルトは指摘する。

その点では、エリック・エルナンデスが際立っている。彼は、最近、ハバナのホテルで、座ったままでワールドカップ公式試合球のジャブラニを3時間3分14秒間リフティングし続けるという世界記録を打ち立てたのだ。この新記録とともに、43歳のエルナンデスは、全身での19時間10分のボール・リフティングと、7時間17分ボールをリフティングしながら42キロマラソンを走るという別の記録ももっている。

キューバ人は、1938年フランスにおけるワールドカップに参加したのが唯一の参加だと覚えている。キューバは、その選抜試合に招待チームとして参加し、初戦はルーマニアと3対3で引分け、次は2対1で勝ったが、準々決勝でスウェーデンに8対0で敗れた。

「群衆の熱狂」というサッカーの健全な理念から、熱狂的なファンの狂熱だけが残った。というのは、過去のリーグとクラブは、選手の売買に何百万ドルも動かす強大な営利追求の企業に転換したからである。4年ごとに世界が狂ってしまうようだ。サッカーを話し、サッカーで休息し、サッカーを夢見るのだ。

国際サッカー連盟(FIFA)には、2億4000万人の選手が登録し、150万の連盟加入チームに所属し、約3000万の人々がFIFAに関係して働いている。合計で2億7000万人が積極的にFIFAに関係し、これは世界人口の4%にあたる。サッカー・ファイナンス年間報告書のために実施された調査によると、サッカーは5500億ドルの国内総生産で、世界経済で第17位を占めている。

こうした圧倒的な趨勢の下で、インテル・ミラノは、キューバでのインター・キャンプ計画を通して子供たちのサッカー人気を盛り上げようとした。25カ国においてこのインテル・ミラノによって行われた支援活動によって、この計画は、4月にハバナに到着し、数日間240名の子供及び80名のコーチらとともに実施された。

それに関して、キューバ・サッカー協会副会長のビクトル・アラゴンが、大事な点は、「われわれの指導者が、サッカーの素晴らしい側面を5~7才の子供たちに見せることが重要だと気付いたことだ。サッカーが好きになって成長した時、習い始め、その後試合をするためにトレーニングを受ける。段階を追って前進しなければならないのだ」と述べた。

著名なサッカー監督であるアルゼンチン人のセサル・ルイス・メノッティは、2005年10月にキューバを訪問した際、「キューバ人コーチの能力を向上させ、理論と実践の授業を行い、コーチの疑問に答えるためのクリニックを開く。なぜなら、キューバ人コーチは、サッカーの国際試合を十分経験していないからである」と述べた。

メノッティは、1978年にワールドタイトルをアルゼンチンにもたらした監督であり、競争力のあるチームを作り出すことは、下から上に向かって始める作業であると意見を述べた。

「野球の国で、サッカーの社会的発展を達成しなければならない。サッカーが若者をひきつける文化的事実となるためには、子供の頃から始めることが必要不可欠である。しかしはっきりしていることは、キューバには並外れた育成の可能性があることである。ナショナルチームの代表選手だけではなく、各種の代表選手となる感動を育てなければならない」と伝説の監督は指摘している。

メノッティは、キューバ人選手には、もっと高いレベルでプレーする可能性を引き出すことを求めた。なぜなら試合こそは、サッカー選手にピッチで権威をもって成長することを助けるものであるからである。

「キューバのサッカーが、国際的に大きな成果を収めることは、キューバのサッカーに大きな衝撃を与えるであろう」とメノッティは言った。

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2009年8月23日 (日)

第48回(2008―09)キューバ国内野球リーグ大会を振り返って

今年3月の第2回ワールド・ベースボール・クラシックでは、キューバチームは、チームの新旧交代時期にもあたり、第6位に終わりましたが、国際野球連盟(IBAF)の世界ランキングでは、依然第1位にランクされています。今年7月には、若手の速球派のチャップマン投手が米国に亡命するなど、経済困難な中でいろいろな問題も抱えています。しかし、野球は、キューバの国技で、もっとも人気あるスポーツです。1,100万人すべてが監督だといわれています。今シーズンを振り返って、カルロス・イグレシアスさんに報告していただきます。

第48回(2008―09)キューバ国内野球リーグ大会を振り返って
カルロス・イグレシアス (翻訳:浦野保範)

第48回全国野球シリーズの最終戦で「ラ・アバナ」チームは、投手陣の素晴らしい活躍で、ビジャ・クララ・チームを4対1で破り、球団創設37年目にして初の栄冠に輝いた。

ラ・アバナは、首都ハバナの西300kmにあるライバル球団サンタ・クララのホームグラウンド「アウグスト・セサル・サンディーノ」球場で、新チャンピオンとなった。その勝利は格別の味がしたに違いない。栄冠は、ハバナの投手陣全員の力で勝ちえたものだ。その中でもレギュラーシーズン後に5勝し、最終戦でも勝ち投手となった22歳のミゲル・アルフレド・ゴンサーレスの働きが際立っている。

詳細は添付の記事をお読みください。
「09.08.14 09年キューバ野球全国シリーズ .pdf」をダウンロード

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