フィデル・カストロの驚くべき予見力
フィデル・カストロの驚くべき予見力
偉大なる革命指導者のフィデル・カストロ同志がなくなって4年が経過しようとしています。キューバ革命史を研究する私にとって、フィデル・カストロ同志の傑出した長期的洞察力を感じさせる歴史的な事件が2件あります。
一つは、1958年6月5日にシエラマエストラから、同志のセリア・サンチェスに宛てた次の手紙です。
「シエラマエストラ
58年6月5日
セリア:
マリオの家にロケット砲が打ち込まれるのを見たとき、アメリカ人に、彼らが行っていることに高い代償を払わせてやると私は誓った。この(バチスタとの)戦争が終わった時、私にとって、はるかに長期にわたる大きな戦争が始まるであろう。その戦争を、私は彼らに対して行うつもりだ。それが、私の真の運命となることが私にはわかっている。
フィデル」
この1958年6月5日という日は、5月25日シエラマエストラにバチスタ軍1万人が、戦車、装甲車、戦闘機までを動員してゲリラ部隊300名を壊滅させるために包囲して総攻撃をかけていた時期でした。カストロが率いる反乱軍が、この政府軍の総攻撃を撃退したのは、2カ月半後の8月7日のことでした。ゲバラの『革命戦争回想録』においても、この時期の戦闘のことは記されていますが、反乱軍の明確な勝利の見通しは述べられていない時期でした。この困難な時期に、戦闘の勝利の確信とともに、戦闘勝利後に、始まる真の戦い、アメリカとの主権を守る長期の戦いを見通しているのは、まさに驚異的です。
もう一つは、1989年の7月26日の記念演説において、次のように述べたことです。
「私たちは、これまで以上に現実主義者でなければならない。しかし、帝国主義者たちには、次のように言わなければならないし、また警告しなければならない。われわれの革命に関して、またわれわれの思想に関して、もし社会主義共同体が崩壊すれば、われわれの革命は耐えられないという幻想をもたないように、ということである。というのは、もし明日、あるいはいつの日か、ソ連において激しい内戦が起きたというニュースで目を覚ますことがあるかもしれないし、あるいはソ連が解体したというニュースで目を覚ますことがあるかもしれないからである。このことは、決して起きないように希望することであるが、そうした状況においてでさえ、キューバとキューバ革命は、引き続きたたかいを継続し、耐え続けるであろう。フィデル・カストロ」。
キューバ研究者として、また社会主義運動の研究者として、この1989年の時期にソ連社会が多くの困難を抱えていたことは知っていました。しかし、東欧の「社会主義」体制の崩壊が始まるのは1989年の下半期からであり、ベルリンの壁が崩壊するのは、89年の11月のことでした。ソ連が解体するのは、ソ連で91年8月にクーデター未遂事件が起こり、91年12月にソ連邦の解体が宣言された時でした。この2年前の時期に、ソ連が解体する可能性については、研究者仲間でだれも言っておりませんでした。正直に言って、このフィデル・カストロの発言を聞いた時、何をフィデルは言っているのだろうと思ったぐらいでした。しかし、歴史はフィデル・カストロの予見が正しかったことを証明したのです。
(キューバ研究者 新藤通弘)
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