再びベトナムの外交政策について
8月10日付で「ベトナムの外交政策をどう見たらよいのであろうか―米越、日越関係から見て」で、ベトナムの外交政策を論評しましたが、そこでは述べなかった重要な問題がありますので、再度ここで、新たな問題点を述べたいと思います。
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8月10日付で「ベトナムの外交政策をどう見たらよいのであろうか―米越、日越関係から見て」で、ベトナムの外交政策を論評しましたが、そこでは述べなかった重要な問題がありますので、再度ここで、新たな問題点を述べたいと思います。
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野蛮な米国のベネズエラ向け石油輸送タンカーの拿捕
■米政府、ベネズエラ向け石油輸送タンカー4隻を拿捕
8月15日、米政府が、公海を航行中のベネズエラ向け石油輸送タンカー4隻を拿捕しました。4隻のタンカーは、111万6,000バレル(約4億円)のガソリンをベネズエラに輸送するところでした。米国政府は、「友好国の協力を得て」拿捕し、その後イラン海軍がタンカーに乗り込みましたが、拿捕を止めることはできなかったと発表しました。拿捕し、押収されたガソリンは、米国のヒューストンに送られ、米国政府の管理下に置かれました。イラン政府は、拿捕されたタンカーの船主はイラン人でもなく、タンカーはイラン船籍でもなく、法的にはイランとは無関係であると、米国政府の無法な行為を批判しました。
続きは、PDFをお読みください。
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7月23日米国のポンペオ国務長官が、「共産主義中国と自由世界の未来」と題して、猛烈な反中国批判演説を行いました。この演説は、単に中国の習近平政権、中国共産党を批判するのではなく、「共産主義は、ほとんど常にウソをつくものだ」と、共産主義そのものを全否定するものでした。その演説の終わりで、司会者のヒュー・ヘウィットが、「あなたは、今日、ヨーロッパとはかなり簡単に腹を割って話ができると強調したが、台湾、ベトナム、日本、オーストラリアなどとも腹を割って話ができ、これらの国は米国を信頼するであろうか」と聞いたことに対し、ポンペオ国務長官は、「もちろん、もちろんだ」と答えました。ここで私の注目を引いたのは、ベトナムが、台湾、日本と同列に米国にとって信頼関係が置ける国として扱われていることです。
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フィデル・カストロの驚くべき予見力
偉大なる革命指導者のフィデル・カストロ同志がなくなって4年が経過しようとしています。キューバ革命史を研究する私にとって、フィデル・カストロ同志の傑出した長期的洞察力を感じさせる歴史的な事件が2件あります。
一つは、1958年6月5日にシエラマエストラから、同志のセリア・サンチェスに宛てた次の手紙です。
「シエラマエストラ
58年6月5日
セリア:
マリオの家にロケット砲が打ち込まれるのを見たとき、アメリカ人に、彼らが行っていることに高い代償を払わせてやると私は誓った。この(バチスタとの)戦争が終わった時、私にとって、はるかに長期にわたる大きな戦争が始まるであろう。その戦争を、私は彼らに対して行うつもりだ。それが、私の真の運命となることが私にはわかっている。
フィデル」
この1958年6月5日という日は、5月25日シエラマエストラにバチスタ軍1万人が、戦車、装甲車、戦闘機までを動員してゲリラ部隊300名を壊滅させるために包囲して総攻撃をかけていた時期でした。カストロが率いる反乱軍が、この政府軍の総攻撃を撃退したのは、2カ月半後の8月7日のことでした。ゲバラの『革命戦争回想録』においても、この時期の戦闘のことは記されていますが、反乱軍の明確な勝利の見通しは述べられていない時期でした。この困難な時期に、戦闘の勝利の確信とともに、戦闘勝利後に、始まる真の戦い、アメリカとの主権を守る長期の戦いを見通しているのは、まさに驚異的です。
もう一つは、1989年の7月26日の記念演説において、次のように述べたことです。
「私たちは、これまで以上に現実主義者でなければならない。しかし、帝国主義者たちには、次のように言わなければならないし、また警告しなければならない。われわれの革命に関して、またわれわれの思想に関して、もし社会主義共同体が崩壊すれば、われわれの革命は耐えられないという幻想をもたないように、ということである。というのは、もし明日、あるいはいつの日か、ソ連において激しい内戦が起きたというニュースで目を覚ますことがあるかもしれないし、あるいはソ連が解体したというニュースで目を覚ますことがあるかもしれないからである。このことは、決して起きないように希望することであるが、そうした状況においてでさえ、キューバとキューバ革命は、引き続きたたかいを継続し、耐え続けるであろう。フィデル・カストロ」。
キューバ研究者として、また社会主義運動の研究者として、この1989年の時期にソ連社会が多くの困難を抱えていたことは知っていました。しかし、東欧の「社会主義」体制の崩壊が始まるのは1989年の下半期からであり、ベルリンの壁が崩壊するのは、89年の11月のことでした。ソ連が解体するのは、ソ連で91年8月にクーデター未遂事件が起こり、91年12月にソ連邦の解体が宣言された時でした。この2年前の時期に、ソ連が解体する可能性については、研究者仲間でだれも言っておりませんでした。正直に言って、このフィデル・カストロの発言を聞いた時、何をフィデルは言っているのだろうと思ったぐらいでした。しかし、歴史はフィデル・カストロの予見が正しかったことを証明したのです。
(キューバ研究者 新藤通弘)
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12月の国会議員選挙を巡る報道をどう見たらよいのか
8月2日ベネズエラで、野党27党が、12月6日に予定されている国会議員選挙に不参加の共同声明を出した。日本のメディアでは、時事通信、共同通信、東京新聞、しんぶん「赤旗」が次のように報道した。朝日、毎日、読売、日経は報道しなかった。
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ベネズエラ危機、何が真実か?
はじめに
新型コロナ感染がラテンアメリカ各地でも確認され始めた本年3月8日、ハーバービジネス(扶桑社)は、このように報道した。
「医薬品もマスクもなく、医療も崩壊しているベネズエラ。新型コロナウイルスが感染拡大すれば国家危機は必至。2015年頃から保健衛生システムが機能しなくなっているベネズエラでは国民の間で悲劇をもたらすことは確実だ。入院すると8割が院内感染で別の病気を併発。7割の病院が水不足で週に1~2回給水を要する状態。国連が2月17日付けで発表したレポートによると、この4年間で医薬品を生産していた多国籍企業の半数がベネズエラから撤退し、医師や医療技師の25%が公立病院から私立病院に籍を移すか、あるいは外国に出て行ったそうだ」。続きはPDFをお読みください。
ダウンロード - 20.08.062020e38399e3838de382bae382a8e383a9e4bd95e3818ce79c9fe5ae9fe3818b.pdf
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