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2014年6月19日 (木)

どうしても書いておきたいこと

どうしても書いておきたいこと

3年前に篠田左多江先生(東京家政大学教授、当時)から、日系アメリカ人女性で、人種差別と戦い、貧しい人々との連帯に一生をささげたユリ・コチヤマさんの回想録をいただきました。そのコチヤマさんが、6月1日、カリフォルニア州で永眠されたことを、ニュースの短信で読みました。享年93歳でした。

ユリさんが、亡くなられたことを、共訳者の一人である篠田先生のフェイスブックでは触れられていないのは、マメにフェイスブックに素晴らしい文章や写真を載せられているのに、妙だなと思っていました。フェイスブックで万感の思いを簡単に語ることができないのかもしれません。

ユリさんは、1921年岩手県遠野出身の父、中原正一さんと福島県会津出身の母、沢口艶さんとの間にカリフォルニアのサンペドロで生まれました。コチヤマは生涯の伴侶の姓(ビル・コチヤマ=河内山)です。ユリさんは、1941年に日米が開戦したあと強制収容所に送られ、そこで人種差別などに目覚めていきます。戦後は、1960年ハーレムに引っ越し、社会活動を続ける中でマルコムXと親交を結び、1965年彼の暗殺の現場にいあわせ、彼の死を彼女の膝の中で看取ります。そしてその後、平和活動、社会活動に深く関与していきます。その功績により2005年全米で40人のノーベル平和賞候補にノミネートされたといいます。

ユリさんは、アメリカの不当な他国への干渉政策も批判し、90年代にキューバ、ペルーの国民に共感をもちます。ペルーの過激派勢力の「輝ける道(センデーロ・ルミノソ)」に支持を寄せたことは、同意できませんが、ペルーの貧困状態に憤りを感じていることからきているのは、彼女の純粋なヒューマンな精神がもたらしたものでしょう。

ユリさんの18歳の時の「私の22の信条」には、「神と同僚と祖国を信じること、あらゆる差別に反対であること、万人を愛すること、他人に便宜をはかること」などが、書いてあり、ユリさんの高潔な考えが示されています。そして、彼女の回顧録の最後は、「アジア系アメリカ人運動万歳、第三世界の団結万歳、インタナショナリズム万歳」と結ばれています。ユリさん、安らかにお眠りください。そして、篠田先生、この回顧録を何かの形で紹介してほしいと依頼されて、3年が経過しました。ご要望に少し答えることになったでしょうか。

ユリ・コチヤマ『ユリ・コチヤマ回顧録―日系アメリカ人女性、人種・差別・連帯を語り継ぐ―』篠田左多江・増田直子・森田幸夫訳(彩流社、2010年)

(2014年6月19日 新藤通弘)

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