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2012年8月

2012年8月25日 (土)

「キューバにおける経済学教育の若干の課題」

エステバン・モラーレス
キューバ科学アカデミー会員、
「キューバにおける経済学教育の若干の課題」

キューバで、『従来の経済政策についての批判』という本が、3巻で出版されたことがある。イタリアのラ・サピエンサ大学教授、ルチアーノ・バサポーロ教授の本である。この本は、イタリアで出版された『経済実践の研究―資本主義の世界化についての批判的分析』にある基本的な有用な部分を含んでいる本である。このイタリア本には、スペインのホアキン・アリオサ、キューバのエステバン・モラーレス、ウーゴ・ポンス・ドゥワルテ、エフライン・エチェバリアが協力している。

続きは、添付のPDF日本語訳をお読みください。
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2012年8月16日 (木)

ラテンアメリカのファースト・フードは、何か?

ラテンアメリカのファースト・フードは、何か?

先日、ラテンアメリカ愛好家の人びと、4人が集まって、各国のファースト・フードの話しになりました。

メキシコに長く滞在した一人が、切り出しました。
「各国の物価水準を比較することで、どこの国にもあるマックのハンバーガーが引用されることがありますが、正確に生活の実態を示しているでしょうか?」
と疑問を出しました。

彼は、「イギリスの雑誌『ザ・エコノミスト』が7月26日号で、ベネズエラのビッグマックの価格は、世界で最も高く、7.92ドル、続いてノルウェーで7.06ドル、スイスで6.56ドル、ブラジルで4.94ドル、アルゼンチンで4.16ドル、米国が4.33ドル、メキシコで3ドル、ロシアで2.29ドルと報告している」が、どれだけの意味があるだろうかといいます。

続きは添付のPDFをお読みください。
「12.08.17 ラテンアメリカのファースト・フードは.pdf」をダウンロード

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2012年8月14日 (火)

ベネズエラの選挙情勢 無党派層について

ベネズエラの選挙情勢 無党派層について

前回のベネズエラの選挙情勢について、無党派層はどうなっているのかという質問を受けました。無党派層の動向を考慮しても、全体の結果は大きく変わりませんでしたので、複雑になることを避け、敢えて触れませんでしたが、より理解を深めるために、無党派層の動向を見てみましょう。

ベネズエラでは、1998年からの変革の過程で、国民の間に政治化が、それも左右への二極化が大きく進んでいるのが特徴です。したがって、日本や米国のように無党派層が、40~50%に達し、選挙の行方を大きく左右するのと違って、どの世論調査によっても無党派層は、15~20%程度です。なお、無党派層の傾向は、各社の世論調査によっても、本年になって特に変化は見られません。

続きは添付のPDFでお読みください。「12.08.16 ベネズエラの選挙情勢無党派層について.pdf」をダウンロード

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2012年8月13日 (月)

ベネズエラの選挙情勢をどうみるか

ベネズエラの選挙情勢をどうみるか

ある講演会の席上、「10月のベネズエラ大統領選挙で、チャベス大統領は、対立候補のカプリーレス候補に追い上げられており、世論調査の支持の差が縮まってきている。再選は危ないのではないか」という質問がありました。また、日本の外務省の専門調査員の報告書(6月15日時点)には、「野党勢力の団結とチャベスの健康不安により、勝敗の見通しを立てるのは非常に難しい。カプリーレスの地道なドブ板戦術が、チャベスの知名度、選挙資金、既存勢力の牙城を切り崩せるかが注目される」と述べています(ラテンアメリカ協会『ラテンアメリカ時報』2012年夏号)。実際、選挙の見通しは、どうなのでしょうか。とかく陥りやすいことですが、各種の世論調査を、主観的なバイアスにかけないで、客観的に見てみましょう。
続きは、添付のPDFをお読みください。
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2012年8月12日 (日)

広島の影の中で

広島の影の中で
ノーム・チョムスキー

8月6日、広島の原爆投下の記念日は、暗い省察の日とならなければならない。省察は、1945年のこの日の恐ろしい出来事についてだけでなく、そこで明らかになったことについても行われるべきである。つまり、人類が、その破壊能力を増大するための手段を執拗に追求して、ついに最後の限界に近づく方法を見つけるに至った、ということである。

今年のこの日の記念行事には、特別な意味がある。というのは、「人類史上最も危険な瞬間」から50周年記念まで、極めて近い時期に行われるからだ。この言葉は、歴史家で、ジョン・F・ケネディ政権の大統領補佐官であったアーサー・M・シュレジンジャー・ジュニアが、キューバのミサイル危機について言及した際の言葉である。

グラハム・アリソンが「フォーリン・アフェアーズ」最新号で書いているところでは、ケネディが命じた作戦は、「通常兵器による戦争だけでなく、核戦争の危険をも増大させることになると、彼自身わかっていたものである」。ケネディはその確率を、おそらく50%と考えていたが、アリソンは、この計算を現実的であると考えている。

ケネディは、高水準の核警戒態勢を宣言し、トルコ人(あるいはその他の国の)パイロットが乗り組んだ北大西洋条約機構(NATO)の飛行機数機に、離陸し、モスクワへ向かい、爆弾を投下することを許可した。

キューバにおけるミサイルの発見も驚くべきことであったが、それよりも、その6カ月前の緊張が高まっていた時期に、米国がほぼ確実に中国に狙いを定めて、同様のミサイルを、沖縄に秘密裏に配備したことに関わった人々は、もっと驚いたことだろう。

ケネディは、ニキータ・フルシチョフ閣僚会議議長を「核戦争の淵まで」連れていき、「ケネディは渕からのぞいたけれども、核戦争に落ち込む気はなかった」と、当時、国防総省の計画立案スタッフの上級職員であったデーヴィッド・バーチナル将軍が語っている。人は、いつもこのような正気をあてにすることはできないものである。

フルシチョフは、ケネディが提案した解決策を受け入れ、核戦争になる寸前であったこの危機を終結させた。この解決策の中でも最も大胆な点は、「危機が回避された後、6カ月を期限として、トルコにある米国のミサイルを撤去することを約束した秘密の譲歩」であると、アリソンは書いている。このミサイルは時代遅れのもので、殺傷能力が格段に高い潜水艦発射弾道ミサイル「ポラリス」が、それに取って代わりつつあったのである。

端的に言って、想像を絶するような破壊的な戦争という大きな危険を冒してまでも、米国の政策を強化する必要があると考えられた、ということだ。その政策とは、米国は世界中のどこにでも、中国あるいはソ連の国境に照準を当てて、核ミサイルを配備する一方的な権利を持つ、というものである。一方、そのソ連は、それまでソ連領域外ではミサイルを配備したことはなかった。もちろん、これについて、米国は正当化しようとしたが、検討に堪えるものではないと考える。

これに付随した政策は、キューバには、米国からの差し迫った侵攻と思われる行為に対して、防衛するためのミサイルを所有する権利はない、というものだった。ケネディのテロリズム計画のための政策、「マングース作戦」は、1962年のミサイル危機があった10月に、「公然とした破壊活動と共産主義体制の転覆」を、「最終的な成功のためには、米国の断固とした軍事介入が求められる」という認識の下に、準備していた。

キューバに対する各種のテロ作戦は、CIAの取るに足りないいたずらとして、常に評論家たちから無視されている。しかし被害者たちは、想像に難くないことだが、この件をまったく違った観点から見るものである。少なくとも彼らの言葉を、キース・ボレンダーの「反対側からの声―対キューバ・テロのオーラル・ヒストリー―」の中に聞くことができる。

1962年10月の事件は、ケネディの最良の時として、広く賞賛されている。アリソンはこの事件を、「どのように紛争の危険を回避し、大国間関係を処理し、対外政策一般について、適切な決定を下すかについての手引き」として示している。特にこのことは、現在のイランとの紛争や中国との紛争について言えることである。

1962年、惨禍は危険なまでに近くに来ていた。そしてそれ以降も、重大な危機は少なくなかった。1973年、アラブとイスラエルの戦争の最終段階で、ヘンリー・キッシンジャーは高レベルの核警戒態勢を発令した。インドとパキスタンは、核戦争に極めて近いところまで達していた。自動システムからの誤った情報によるミサイル発射の直前で、人間が関与して核攻撃を止める、という事例も数え切れないほどあった。8月6日には、考えなければならないことが山ほどあるのである。

アリソンは、他の多くの問題を結びつけて、イランの核問題は現在の最も深刻な危機であり、「米国の政策立案者たちにとっては、キューバのミサイル危機よりも、なお一層複雑な課題」であると考えている。それは、イスラエルによる爆撃の脅威があるためだ。

対イラン戦争はすでに進行の過程にあり、イラン人科学者たちの殺害や経済的な圧力が加えられていることなど、それらはすでに「宣戦布告なき戦争」の水準に達している。これが、イラン情勢の専門家であるギャリー・シックの見解である。

イランを対象とした高度なサイバー戦争は、米国が大いに誇りとしているものである。米国防総省はサイバー戦争を「戦争行為」と考えており、標的に通常の軍事力を行使して反撃することを認めている、と「ウォールストリートジャーナル」は報じている。ただし、よくある例外として、そのサイバー戦争を仕掛けたのが米国やその同盟国であれば、通常の軍事力で反撃はできない、ということである。

イランの脅威は、イスラエル軍の最高立案者の一人で、「イスラエル軍が輩出した、最も巧妙かつ著作の多い思想家の一人」であるギオラ・エイランド将軍によって明確に主張されてきた。

エイランド将軍が主張しているイランの脅威の中で、最も説得力があるのは、「イスラエル国境におけるどのような対決も、イランの核の傘の恐怖の下にある。従って、イスラエルは武力に訴えざるを得なくなるだろう」というものである。エイランドは国防総省や米国の情報機関と同意見であり、核の抑止力を、イランが与える最大の脅威と見なしている。

現在、イランに対する宣戦布告なき戦争が急激に拡大しており、それが、大規模な偶発戦争の脅威を増している。いくつかの危険は、先月示された。ペルシャ湾に配備されている米国の巨大な軍事力の一部である米艦船が、小型の漁船に発砲し、インド人乗組員1人が死亡、その他少なくとも3人が負傷した。重大な戦争を開始するためには、これ以上のことは必要ないのである。

恐ろしい結果を避けるための賢明な方法は、「中東に、大量破壊兵器とその発射に必要な全てのミサイルの配備を禁止する、非核兵器地帯を設立する目標、および、化学兵器を全般的に禁止する目的」を、追求することである。これは、1991年4月の国連安全保障理事会決議687の条文であり、その12年後、米国とイギリスがイラクを侵攻するために、薄弱な法的根拠を提供しようとして引き合いに出したものである。

この目標は、1974年以来、アラブとイランの目指すものであり、最近では、少なくとも公式上は、世界でほぼ満場一致の支持を得ている。このような条約を実現する方法について話し合うために、国際会議が12月に予定されている。

西側の大規模な公然たる支持がない限り、前進はあり得ない。こうした機会の重要性を理解しなければ、あの恐ろしい8月6日以来、世界を暗くしてきた死の影が、さらに一層長く存在することになるだろう。

出典:La Jornada 2012/08/05 英語版Ammon Newsも参照。
(訳 安井佐紀)

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2012年8月 3日 (金)

ある反体制派活動家の交通事故死

ある反体制派活動家の交通事故死

さる7月22日午後1時50分、キューバ東部のグランマ県のバヤモ市のラ・ガビーナで、交通事故により、反体制派のグループの一つ、キリスト教解放運動のリーダー、オスバルド・パヤー・サルディーニャス(60歳)とハロルド・セペーロ・エスカランテ(31歳)の2名が死亡、運転していたスペイン人のアンヘル・カロメーロ・バリオス(27歳)と同乗者のスウェーデン人のジェンス・アロン・モディグ(27歳)は、軽症を負い、バヤモの病院に収容され、治療を受けました。

続きは、添付のPDFをお読みください。
「12.08.03 反体制派活動家の交通事故死.pdf」をダウンロード

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