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2012年7月 9日 (月)

キューバの地域統合政策

キューバの地域統合政策

1959年1月、バチスタ独裁政治に勝利したキューバ革命政府は、同年5月の第一次農業改革を皮切りに、国の経済の民主化と自立した国民経済の確立に踏み出したが、すぐさま、キューバに多大な投資をしていた米国資本の利益と衝突した。1961年4月キューバ革命政権が、革命が社会主義的性格をもつことを宣言すると、翌年1月、米国の主導でキューバは地域機構の米州機構(OAS)から除名され、地域で孤立させられた。さらに米国政府は、革命の息の根を止めるため、1962年から経済封鎖政策を実施した。

革命政権は、その禁輸措置と対決し、革命の存続を図るため、1964年には1970年から砂糖を1000万トン生産し大半をソ連・東欧圏に販売する計画を立て、ソ連・東欧圏との経済関係を次第に深めていった。そして1972年にはコメコン(経済相互援助会議)に加盟した。しかし、現実にはキューバにおける製糖産業は、1950年代には生産性が停滞し、魅力ある投資対象とはなっていなかった。脱砂糖モノカルチャーが、経済構造からは必要とされていたのである。

続きは、添付のPDFをお読みください。「12.07.09 キューバの地域統合政策.pdf」をダウンロード

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