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2012年7月

2012年7月15日 (日)

キューバ農業、不振続く

キューバ農業、不振続く

最近発表されたキューバの2011年の統計によると、キューバ農業の不振が続いています。2011年、国内総生産(GDP)全体は、2.7%(前年度2.1%)の微増でしたが、農業・牧畜・林業部門は、2.0%(前年度3.5%)の成長でした。2011年度世界経済全体は、3.1%(前年度3.6%)、ラテンアメリカ全体は4.4%(前年度5.2%)でしたから、キューバ経済全体が低迷していると言えます。農業生産は、ラテンアメリカ全体では、2010年6.3%であり、2011年の資料は未だ発表さていませんが、同じような傾向と推察されます。

こうしたキューバの農業不振は、「有機農業で、200万人のハバナ市の野菜が自給できたり、1000万人のキューバ国民の食料が自給・自立できている」と信じている、有機農業信奉者の方々には、信じられないことでしょう。この信心は、①1990年代にソ連・東欧諸国の旧体制の崩壊により、貿易の85%をこれらの国々に負っていたキューバが、貿易依存度の高いことから、資材の供給が激減したという紛れもない事実に、②キューバ有機農業が全国的に展開されたという間違った認識が適用され、さらに③有機農業により農業生産が増大してほしいという願望が作用して、有機農業により農業が飛躍的に増産したという、架空の事実に基づくものです。

それでも、2011年の農業生産が2.0%伸びているではないか、と主張する人びともいるかと思います。しかし、栽培品目別にみると、事の深刻さが分かります。つまり、じゃがいもはマイナス13.5%、さつまいもはマイナス18.9%、里芋はマイナス3.9%、にんにくはマイナス22.8%、オレンジはマイナス31.1%、グレープフルーツはマイナス18.7%、マンゴはマイナス9.1%です。一方増産したのは、料理用バナナ20.4%、トマト16.2%、玉ねぎ28.5%、キャベツ21.2%、米24.6%、トウモロコシ9.1%です。肉類は、牛肉4.7%、豚肉2.3%、鳥肉5.3%、玉子は7.8%増産です。

野菜類の増産が目につきますが、毎日の食卓で、一般にキューバ人は、米、豆、玉子、豚肉、料理用バナナ、ジャガイモが主食で、野菜はあまり食べず、食べてももちろん副食の位置付です。米、トウモロコシ、豆、鳥肉は輸入しており、この程度の増産で輸入を止めることはできません。輸入分が減るだけで、国民への全体の供給量は、同じでしょう。食卓への供給が増えるものではありません。玉子、料理用バナナの増産も、食卓を豊かにする数量ではありません。

こうした現状から、農産物の自由市場での販売価格は、値下がりしていません。増産があった栽培品目も、もともと絶対供給量が少ないので、少々の増産では価格に影響しません。自由市場での販売価格は、月額450ペソ程度の平均賃金からするとかなり高いもので、国民の不満の対象となっています。例えば、それぞれキロ当たりで、豚肉(もも肉)80-90ペソ、トマト11ペソ、マランガ7ペソ、玉ねぎ7ペソ、ニンジン8ペソ、レモン20ペソです。また、1個当たり、アボガド5ペソ、レタス5ペソです(いずれも筆者調査)。配給食糧の不足分(15日分)を埋め合わせるためにこれらを自由市場で買うと、一月の賃金をはるかに上回ります。

一方、フィデル・カストロ前議長は、6月17日、このところの持論である、薬木のモリンガの全国的な栽培を、省察「栄養の供給と健康的な摂取」で訴えました。そこでは、「モリンガをキューバで大量に生産する条件ができている。モリンガは、さらに肉、玉子、牛乳、シルク繊維を作る無尽蔵の資源である」と述べています。その後、グランマ紙やフベントゥ・レベルデ紙にモリンガの効用を紹介する記事が数点紹介されていますが、幸いなことに全国的な栽培キャンペーンとはなっていません。キューバの食料問題は、特定の栽培品目の一大生産運動で解決する技術的な問題ではないからです。また、有機農業という特定の農業技術で解決できるものでもありません。

ちなみに、このモリンガの一大生産運動の提唱は、フィデルが本年6月9日から19日までに書いた「省察」の一連の新しいスタイル(5-6行の短文)で述べているものです。その一連の省察では、中国の鄧小平を「キューバを制裁しなければならないと根拠のない攻撃を行った」と批判し(6月14日、ラウルの中国訪問の3週間前)、東独の議長、エーリッヒ・ホーネッカーを「これまでに会った最も革命的な人物、今でも深い連帯の感情を抱いている」と称賛しています(6月17日)。これら一連の省察は、キューバ内外で、論理の飛躍、現時点でのテーマの必要性、意味不明などが指摘されています。フィデルの演説、記述は、従来、論理的で、時宜にかなったものであっただけに、妙な感じをいだかせるものです。

(2012年7月15日 新藤通弘)

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2012年7月14日 (土)

メキシコ、「完璧なる独裁制」に回帰か?

メキシコ、「完璧なる独裁制」に回帰か?

出典:Rebelión 2012/07/07、「Le Monde Diplomatique」紙より翻訳転載)

メキシコ大統領選で、制度的革命党(PRI、中道)の大統領候補が勝利した。左派の対立候補、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールが、大規模な不正―恐らくはそうであろうが―を告発しているが、それだけではPRIの権力への復帰を十分に説明することはできないであろう。麻薬取引が引き起こす暴力が争点となった今回の選挙戦の中で、一部のメキシコ社会は、PRIが、各麻薬カルテルと「交渉」するには、より良い立場にいる、と考えたようだ。これは、ジャン・フランソワ・ボワイエ氏がルモンド・ディプロマティーク紙7月版で述べたところである(「メキシコはカルテルに立ち向かう」,2012/07)。

7月1日(日) に行われたメキシコ大統領選挙で、テレビ映りの良いPRIのエンリケ・ペニャ・ニエト候補が38.1%の得票率で当選し、次点は民主革命党(PRD、左派)のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール候補で31.64%、3位は国民行動党(PAN、右派)のホセフィーナ・バスケス・モタ候補で25.4%、続いて新同盟党(PANAL、右派)のガブリエル・クアドリ候補2.3%であった(1)。しかし、この仮想の勝利は引き続き試練にさらされている。なぜならオブラドール候補が、集計結果は「不正」であるとし、票の再集計を要請したからである。ところで、これは、この30年間で初めてのことではない・・・

1988年7月6日午後5時14分、 大統領選の最初の集計では、PRDの創立者クアウテモック・カルデナス(2)が断然首位に立っており、59年間続いていたPRIの覇権が終わろうとしていた。しかしカルデナスは、与党の「強運」を持っていなかった。午後5時15分、有権者名簿の情報システムの「障害」により集計が受信されなくなった。障害が修復した時には、カルデナスの主要対立候補、カルロス・サリーナス・デ・ゴルタリ(PRI)が、驚くべき大差でカルデナスの上位に位置していた。サリーナスは、そのまま負けることはなかった。

PRI政権の歴史が続いたあと、前任者が次期大統領を直接指名して大統領が決まることはなくなったが、選挙が行われても、不正選挙になってしまった。しかし、いろいろな矛盾を抱えたこの政党の支配が脅かされることはなかった。ともかく、PRI支配は、2000年に史上初の「移行」が突然生じるまで続いた。ビセンテ・フォックス前コカ・コーラ社幹部が大統領選にPANより出馬し、当選したのだ。ペルーの知識人、マリオ・バルガス・ジョサが「完璧なる独裁制」と形容したPRI政権が、71年にわたる権力独占の後、終わったのである。

その時、寡頭制支配層の夢は、まったく失われるものではなかったが、6年後には事態が変わった。市民は、「貧しい人々を第一に考える」ことを公約にしたロペス・オブラドールを選ぶように思われ、寡頭制支配層を脅かした。そこで魔法の杖がまた一振りされた。大規模であからさまな不正(3)が、オブラドール候補の勝利を奪った。対立候補のフェリーペ・カルデロン(PAN)が、0.56%の僅差で勝者となったのである。

そして2012年7月が来た

選挙戦や投票の間に示された多くの不正行為(票の買収、職場での投票の強制、開票所での得票の水増し、無申告の選挙経費など)を問題にするまでもなく、7月1日投票日午後の集計の進展は、PRD党員に「またか」と疑念を湧かせるものだった。夜間、ペニャ・ニエトとオブラドールの得票差は3~4%程度で一定していた。「しかし夜明け前に、得票差が突然7ポイントに広がった。つまり、最後の瞬間にトップのPRI候補の票が跳ね上がったということだ。これは2006年、最終集計でオブラドールとカルデロンの票の動向が逆転した時と同じ現象だ(4)」と、評論家のラウラ・カールセンは語っている。

しかしペニャ・ニエトの勝利は、不正だけによるものではないようだ。というのは、今年の選挙では、主要候補二人の間に約3%の得票差(約250万票)があったからである。今回は、他のいろいろな要因が働いたことは間違いない。

一方で、オブラドールは、選挙中、彼が率いる連立が2006年の時より分裂していて、「再統一」を進めていた。選挙戦ではもはや、「貧しい人々を第一に」だけが最優先ではなく、国内の小規模経営者をも取り込もうとしていた。国内の小企業は独占企業に押しつぶされており、メキシコ公正取引庁によると、こうした独占企業が、メキシコの経済成長を毎年2.5%押し下げる原因となっている(5)。このメッセージは、有権者の基盤にも影響を与えたであろうか?  2012年において、特に最貧困層の間で、このメッセージが関心を持たれていたであろうか?

他方、メキシコ国民の主要な関心事は、引き続き組織犯罪の暴力だ。これは、ジャン・フランソワ・ボワイエ氏がルモンド・ディプロマティーク紙7月版で引用した調査にも表れている。カルデロン政権誕生以降、「麻薬戦争」は、苦い失敗に帰し、5万人以上の死者を出している。しかしボワイエ氏は、実際には暴力犯罪は、「2000年代初頭、政権がPANへ移行した結果、突然、爆発的に増えた」と説明している。「組織犯罪の共犯者であった政府高級官僚の大部分が、更迭された。(・・・)20年前から初めて、麻薬組織はたくさんの政治的関係者を相手にしなければならなくなった。これらの人びとは、様々な理由から、以前の約束に縛られているとは感じなかった。(・・・)ゲームのルールが変わったのだ。各麻薬カルテルは、新たな勢力範囲を支配するために対立した。そしてメキシコに『縄張り戦争』が発生した」。こうして暴力が深刻化する状況の中で、一部のメキシコ社会は、各麻薬カルテルと交渉し、合意する能力をもっていると考えられる政党を政権につける、という考えに傾いたのであろう。

2006年、オブラドールとその支持者達は、 オブラドールの勝利を認めさせるために、6週間メキシコ市中心部を占拠したが、不首尾に終わった。今年は、オブラドールには新しい支持者がある。選挙戦最中に生まれた学生運動「私は132番目(6)」だ。この運動は、PRI候補に対する各大手メディア―何よりも大手テレビ局テレビサ(視聴率約70%)―の支援を告発するものである。イギリスの日刊紙「ガーディアン」の調査(7)では、テレビサは、2006年にも「ロペス・オブラドールを打ち負かすためのメディア戦略を実行」したことがあったが、今回もペニャ・ニエトの「国民的な資質を宣伝する」ために、多額の資金を受け取ったことを暴露した。

街頭で数多くのデモを行った後、 学生たちは今、新たな課題を負っている。それは、PRIの勝利を無効にするために、大規模な不正の十分な証拠を集めることだ。彼らの声は届くだろうか? それとも、メキシコにまた「完璧なる独裁制」が戻るのか?

(1) 連邦選挙庁による約98.95%の開票結果による。残りの約2.4%は無効票と白票。
(2) 当時の左派の国民民主戦線の候補者
(3) Ignacio Ramonet Le Mexique fracturé,Le Monde diplomatique, agosto de 2006.
(4) De la dictadura perfecta a la democracia imperfecta,2 de julio de 2012, Programa de las Américas.
(5) Elisabeth Malkin y Simon Romero, World Leaders Meet in a Mexico Now Giving Brazil a Run for Its Money, New York Times, 17de junio de 2012.
(6) 文字どおりには、「私は132番目」。この名前はメキシコのイベロアメリカ大学で起こったペニャ・ニエトへの抗議活動から起こった。ペニャ・ニエトが、抗議する学生たちを「偽の学生」と呼んだことから、学生のうちの131人がビデオを撮影し、その中で学生証を提示した。このビデオは連帯の波を呼び起こし、共鳴した人々が「私は132番目のメンバーだ」と言ったことから付けられた名前である。
(7)Elisabeth Malkin y Simon Romero, World Leaders Meet in a Mexico Now Giving Brazil a Run for Its Money, New York Times, 17de junio de 2012.

訳者注:
オブラドール候補を擁立した革新運動連合(民主革命党、労働党、市民運動で構成)は、12日、選挙が違法であるとして、憲法第40条に基づき、連邦選挙庁を通じ、連邦司法権選挙裁判所に提訴しました。審査は9月頃までかかる見込みです。

(安井佐紀訳)

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2012年7月10日 (火)

学習会 中南米の変革の現状を知ろう

学習会
中南米の変革の現状を知ろう
―お話とラテン音楽で、中南米をひとめぐりー

今、中南米では、長い歴史的な米国の裏庭という呪縛から離れて、自主的な国づくり、地域づくりが進んでいます。いったいこの国の人たちは、何を考え、どのような生活をし、どのような未来を考えているのでしょうか。主要な12カ国をお話しと各国の音楽ビデオで訪問します。楽しい2時間の旅をどうぞ。

主催:㈱富士国際旅行社
要、予約:事前申し込みが必要です。
予約先:㈱富士国際旅行社、℡03-3357-3377
講師:新藤通弘
日時:2012年7月18日(水)18:00-20:00
場所:エデュカス東京(全国教育文化会館)地下会議室、東京都千代田区2番町12-1 
日本テレビの向い側、地学会館と電設健保会館の間を入る。℡03-5210-3511。
交通:JR・都営新宿線市ヶ谷駅下車徒歩7分、地下鉄有楽町線麹町駅下車2分
参加費:無料


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2012年7月 9日 (月)

キューバの地域統合政策

キューバの地域統合政策

1959年1月、バチスタ独裁政治に勝利したキューバ革命政府は、同年5月の第一次農業改革を皮切りに、国の経済の民主化と自立した国民経済の確立に踏み出したが、すぐさま、キューバに多大な投資をしていた米国資本の利益と衝突した。1961年4月キューバ革命政権が、革命が社会主義的性格をもつことを宣言すると、翌年1月、米国の主導でキューバは地域機構の米州機構(OAS)から除名され、地域で孤立させられた。さらに米国政府は、革命の息の根を止めるため、1962年から経済封鎖政策を実施した。

革命政権は、その禁輸措置と対決し、革命の存続を図るため、1964年には1970年から砂糖を1000万トン生産し大半をソ連・東欧圏に販売する計画を立て、ソ連・東欧圏との経済関係を次第に深めていった。そして1972年にはコメコン(経済相互援助会議)に加盟した。しかし、現実にはキューバにおける製糖産業は、1950年代には生産性が停滞し、魅力ある投資対象とはなっていなかった。脱砂糖モノカルチャーが、経済構造からは必要とされていたのである。

続きは、添付のPDFをお読みください。「12.07.09 キューバの地域統合政策.pdf」をダウンロード

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