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2011年10月16日 (日)

「参加型社会主義」に関連しての雑考

「参加型社会主義」に関連しての雑考
岡部 廣治
ある友好組織の文書で、キューバ「独自の参加型社会主義」について語られていることを知りました。しかしながら、「参加型社会主義」は魅力的な新語ですが、社会科学の用語としても、友好運動をすすめる観点からも、下記の理由から不適切と考えます。

まだ、世界に社会主義社会は現実に存在していませんが、科学的社会主義の考え方からすれば、本来、社会主義社会、すなわち経済的社会構成体としての社会主義においては、社会の全成員が、社会のすべての面での決定と、その実現過程へ平等かつ自由に、積極的に参加するのです。「自由の王国」(マルクス)においては、「自然との物質代謝を合理的に規制し、自分たちの共同の管理[全成員の参加]のもとにおく」のです。そういう科学的社会主義の創始者たちが述べている社会主義に「参加型」と「非参加型」と二つの「型」を区別することはできません。したがって、「参加型社会主義」というのは、同語反復(トートロジー)となりかねません。

私の知る限り、現在、当のキューバでも「参加型社会主義」については語られていません。少なくとも、キューバ共産党第6回大会決議のなかにも、また、キューバ共産党機関紙『グランマ』の大会についての記事のなかにも、「参加型社会主義」という語は見あたりません。大会で議論の対象とはならなかったのです。「参加型社会主義」という語は、「参加型民主主義」とならんで、魅力的な「新語」ですが、それだけに、悪用の危険もはらんでいます。たしかに、たとえば、スターリン時代のソ連や東欧諸国の社会を「社会主義」と言うならば、「参加型社会主義」という語を用いたくなります。しかし、あのソ連にみられたような社会は社会主義とは無縁のものでした。そうなると、「参加型社会主義」は、どういう社会主義に対抗する概念でしょうか。キューバで社会主義社会の建設をめざしている人びとのあいだで、「参加型社会主義」という語は使われていませんし、使われたこともありません。キューバ共産党も、この点では、理論的混乱は犯していないようです。

それにもかかわらず、二つの型を峻別して、キューバの目標とする社会を、その文書が「(キューバ)がキューバ独自の全員参加型の社会主義に向って歩みを速めることを心から期待する」と述べているように、「キューバ独自の全員参加型社会主義」と規定しては、キューバ共産党、キューバ政府自身も言っていないことを一方的に相手に期待することになり、筋違いのキューバの「美化」=「賛美」に陥ることになりはしないでしょうか。社会主義への過渡期にあるキューバをすでに「社会主義」国であるとして、「参加型社会主義」と規定することは、もちろん誤りですが、社会主義への過渡期にある社会=国は、どこであれ、市民参加を深化=強化することを不可欠な課題とするべきですし、また、しています。キューバだけが特別ではありません。そうしなければ、社会主義社会を建設できないからです。

以上のようなキューバ「特殊」論は、「有機農業のモデル」国であるとか「キューバ人の底抜けの明るさ」とか、キューバを「美化」=「賛美」する傾向と、深い関係を持つように思われます。チェ・ゲバラを「100%すばらしかった」とするのも、この一連の傾向の一環と言えましょう。チェの風貌・情熱はきわめて魅力ですが、それだけに、内政干渉(「国境を越える革命」論)、『主観主義』的、「冒険主義」的傾向などの否定的側面を正確に批判することを忘れてはなりません。

キューバ当局側の言い分を鵜呑みにすることなく、あるいは事実は存在しないのに自分たちの願望を投影して相手を描くことなく、事実・真実を(キューバの「短所」・「弱点」も含めて)、日本国民に知ってもらうようにして、はじめて、キューバ国民が社会主義への道をすすむのに真に寄与することができると思われます。また、日本での革新的変革を考える人びとに、正確な世界の現状の認識を提供することによって、今後の日本の変革の過程に大いに寄与することとなりましょう。もちろん、「独裁制」とか「非民主主義」とか「テロ支援国家」とかいう、キューバに対する誹謗=中傷には、断固として、反駁する必要があります。その反駁のためにも、「キューバ、よいとこ」式の「仲良しクラブ」的感覚では、太刀打ちできないのではないでしょうか。

さて、本題に戻りますが、でも、キューバには、この「参加型社会主義」という語を使いたくなる誘惑にかられる社会状況がないとは言えません。1959年1月以降、少なくとも1961年4月の「社会主義革命宣言」以降のキューバ社会は、社会主義社会建設をめざす過渡期の社会です。つまり、まだ、経済的社会構成体としての社会主義が確立されているのではありません。それゆえ、国民の社会参加は十分に実現されていません。それで、参加を深化・強化することが必要だという認識から、それを重要な課題としています。社会主義社会をめざす過程で、国民の参加を格段にすすめよう、国民が大いに参加して社会主義社会への道筋を着実に歩もうとしています。その後国民の社会参加として、地方・国会議会制度、選挙制度、職場集会、地域住民集会などの制度化が図られていきました。それは、反バチスタ独裁政権闘争において武力闘争で勝利したキューバ革命が、多数者革命として、革命を一段と推し進める過程でもありました。

キューバ共産党第6回大会での討議文書『経済社会政策路線』案を国民的討議に付するにあたり共産党機関紙『グランマ』(2010年12月1日付)に掲載された「主張」には、「決定するのは国民である」という表題が付されました。そこには、次のように書かれています。
「国の運命に参加することは、キューバ人一人ひとりの権利である。社会主義的民主主義のもっとも明確な行使であり、《革命》と、それと国民との融合とを、もっともはっきりと明快に表現するものでもある」。
また、「参加」の問題と関連すると思われるのですが、共産党内の問題について、大会で開催が決定された党全国会議招集の文書の中に、討議され、改革されるべき議題の一つとして、次のように記されています。
「党内民主主義の強化、党の活動をますますダイナミックにすること。そのために、自発性を発揮させ、官僚主義的な方式・態度、すなわち、拙速、形式主義、虚偽の全会一致、御都合主義に対決を挑むこと」。
つまり、ここでは、キューバ共産党内にも、民主主義の問題で不十分な点があるという現実を率直に指摘しているのです。

党大会で、『路線』案は、大会への「報告」によると、16万3079の集会で、延べ891万3838名が参加して、討議され、それを含めて大会で議論されました。一人が平均3回の会議に重複して参加した(党内討議、職場討議、居住地域討議)とすれば、キューバ国民(未成年、乳幼児、討議に参加できない高齢者も含めて)の10人に3人が、討議に参加したことになります。そして、案の改正にあたり取り上げられた意見は40万件にのぼりました。結果、原案の291項目中197項目に修正が加えられ、16項目はまとめられ、36項目が付け加えられて、最終的には311項目にまとめられました。しかし、このことをもってしても、一面的にキューバにおいて「参加型民主主義」(この語も「非参加型民主主義」もしくは「議会制民主主義」の対語として使用すべきではないでしょう)が発揮されたと賛美することはできません。一社会的集団である共産党の『路線』案に、職場や地域住民の非党員も参加して、国の方針として討議するというのは、一党制からくる制限をいわば苦肉の策で解決を図るものともみられます。また、職場討論集会は、強制的参加という側面があり出席率が高いのは当然ですが、地域住民討論集会(革命防衛委員会の集会)では、出席率は50%以下が多く、しかも一般住民の発言は少なく、消極的なものであったといういろいろな報道や研究者の報告があり、討論参加者の人数でもって、単純に圧倒的多数の国民が参加しての民主的討議が行われたとも言えません。

それはともかく、こうして、国民大多数の参加を得て、国家機構や国営企業の余剰人員120万人の民間部門への移転、地方分権化、基礎食料品の配給制廃止、二重通貨制の廃止、国営遊休地耕作権の農業従事者への貸与、外資や海外渡航の規制緩和など、旧来の陋習(中央集権主義的、管理主義的な経済社会運営)の廃棄とともに、医療・教育の無料制、社会的弱者への援助の維持と改善を明示した「路線」が採択されたのです。

キューバ共産党の第6回大会については、「参加型社会主義」というような主観的な空語でなく、その内容を理解して、今後、キューバが国民全体の繁栄と世界平和に向けて、正しい進路をたどっていくのを見まもっていくことが必要でしょう。

(2011年10月16日記)

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