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2011年9月 9日 (金)

優れた通史、クライン著『ボリビアの歴史』

優れた通史、クライン著『ボリビアの歴史』

最近は、一人で通史を執筆する歴史家が少なくなってきていますが、一人の歴史家による通史は、その歴史家独自の一貫した史観と叙述で、興味深いものです。その意味で、このほど翻訳された、ハーバート・S・クライン『ボリビアの歴史』星野靖子訳(創土社、2011年)は、ラテンアメリカ各国史の中でも卓越した出来栄えとなっています。

ボリビア、エクアドル、ペルーのアンデス3カ国では、人種構成も似通っており、かつてのインカ帝国の末裔の人びとが暮らしている地域でもあり、また近年革新政権が誕生しています。それぞれの革新政権が、先住民の共同体の理念や慣習を大事にして、独自の社会主義観を提起しています。そうした政策の歴史的背景を調べたくなります。

そこで、現在の革新政権誕生の歴史をたどって見たいのですが、エクアドル、ペルーとも、古代アンデスから、21世紀のエボの登場の現在にいたるまでの通史が、日本語ではありません。その意味でこの『ボリビアの歴史』は、大変役にたつものです。エクアドルについては、巣里順平さんの『エクアドル』(東洋書店、2005年)、ペルーについては、遅野井茂雄さんの『現代ペルーとフジモリ政権』(アジア経済研究所、1995年)などの良い本がありますが、前者は歴史ではなく、後者は近々の現代しか扱っていません。

筆者は、ラパスで、この本のスペイン語版(原文は英語)、Herbert S. Klein, Historia de Bolivia, Librería Editorial “G.U.M.”, La Paz, 2008を手に入れ、バランスの取れた客観的な筆致、古代アンデス時代の最新の考古学に基づいた記述、植民地社会構造の詳細な分析、豊富な資料の駆使に感嘆したものでした。クラインは、米国のコロンビア大学の名誉教授で、1950年代後半からボリビア研究に携わり、1982年に本書の初版が出版され、これまで4度改訂されたものです。

ボリビアで出版されたボリビア人の手になる通史は、日本語には翻訳されていませんが、Manuel Vargas, Historia de Bolivia, Asociación Infantil Boliviana, La Paz, 2007([『ボリビア史』、130頁の薄手のもの)と、José de Mesa, Teresa Gisbert y Carlos D. Mesa Gisbert, Historia de Boliva, Séptima edición, Editorial Gisbert, La Paz, 2008.(『ボリビア史』、739頁の大部のもの)があります。両方とも叙述は、割合、客観的です。

この3冊の本で、恐らく多くの皆さんが興味を持っているテーマ、ゲバラのボリビアでのゲリラ活動がどう述べられているか、参考までに紹介しまししょう。

ハーバート・S・クライン『ボリビアの歴史』星野靖子訳(創土社、2011年)。翻訳は、スペイン語版により、一部翻訳を変更しました。

「ゲバラの抗争 バリエントス政権時代には、主に都市部の知識層を基盤としていた多くの小規模ゲリラ組織が生まれ、それぞれが活動を始めていた。だが最大の武装蜂起は、それら国内の舞台とはまったくかけ離れて、外国からもたらされた。1966年、アルゼンチン・キューバ人の革命家エルネスト・ゲバラ(チェ・ゲバラ)がボリビアに到着し、ゲバラはサンタクルス県に作戦基地を設けた。明らかに、彼は、ボリビアにおいてよりも、いずれはアルゼンチンやブラジルにおいてゲリラ活動の本部を組織する考えだった。ボリビア共産党とは接触を持ったものの、鉱山労働者組織と接触する考えはまったく持っていなかった。このことは、当時、鉱山労働者の作戦拠点が政府軍により占領されており、暴力や紛争が毎日のように生じていたからであった。「チェ」は、むしろ孤立した地を選び、自らの小さな一隊を訓練し、新たな革命を起こすための準備を整えようとしたようである。
しかし、ボリビア入りから一年後の1967年3月、野営地ニャンカウアス農場で、彼のゲリラ・グループは、ボリビア軍と最初の衝突を起こした。バリエントスと陸軍司令官であるオバンド将軍は、米国からの強力な支援を受け、ゲリラ運動を鎮圧した。4月には「チェ」に同行したフランス人ジャーナリスト、レジス・ドブレが捕らえられ、10月には最後のゲリラたちが殺されたり、逃亡したりし、「チェ」は処刑された。こうしてバリエントスは、左翼の武装反対闘争を切り抜け、農民や中流階級の間に広範な人気と支持を維持した。1969年4月に航空機事故で死亡したが、国を全面的に支配していたことは、ほぼ疑いない」。

マヌエル・バルガス『ボリビア史』
「1967年、わが国の南東部(ニャンカウアスとバージェ・グランデ県の間)で、ゲリラ闘争が発生した。エルネスト・チェ・ゲバラが指導した。彼は、アルゼンチンで生まれ、1959年にはフィデル・カストロとともにキューバ革命を指導したゲリラ戦士である。この武装闘争には、ボリビア人は、ほんの少数しか参加しておらず、農民の支持を得ようとした。彼は、少しずつ組織を拡大し、わが国とラテンアメリカを全面的に変革するために戦おうとした。つまり、ボリビアを社会主義国とするように考えたのである。しかし、こうした考えは、その地域の農民には魅力を引かなかった。農民は、山岳地帯であれ、寒冷の山間地であれ、小さな農地に孤立して住んでいた。ゲバラは、わが国東部の大農園がある地域のケチュア族やアイマラ族に利益をもたらした農業改革を知らなかった。こうした事情から、農民は、チェの計画を支持しなかったのである。
 ボリビア軍は、米国の軍事顧問の支援を得て、ゲリラを討伐した。1967年10月8日、チェ・ゲバラを逮捕し、翌日殺害した」。

ホセ・デ・メサ他『ボリビア史』
「チェのゲリラ戦争
1966年11月4日のエルネスト・ゲバラのラパス到着から1967年10月9日の彼の死までの間、武装ゲリラ運動が展開された。1967年3月ボリビア軍と最初の衝突が生じた。
チェの基本的な考えは、権力の奪取よりも、大陸的な広がりをめざした拠点(フォコ)の樹立であった。それは、帝国主義に対する一種の新たなベトナムであった。キューバの経験から(農村ゲリラの)フォコ・モデルに従うものであった。ボリビア共産党は支援を撤回し、党の支援を得られなかった。また、その戦いの中で、ボリビア人の農民の参加も得られなかった。わが国の左翼は、若干の例外を除いてこのゲリラ戦を支持しなかった。アルゼンチン・キューバ人指導者は、ボリビアが1952年急進的な農業改革を行い、その主要な受益者が農民であることを忘れていた。もう一つの要素は、彼が、ケチュア語を知らなかったことである。この言葉は、彼が戦いの間に行動した地域のほとんどの農民が話していた言葉である。・・・ゲリラ隊全員で、52名で、そのうち8名はゲバラによれば非戦闘員であった。ボリビア人が29名、キューバ人が16名、残り7名はいろいろな国の出身であった」。

3冊とも、力点の違い、指摘した問題の違いはありますが、いずれも、問題の本質をついており、一般に認められている内容でしょうか。いずれの本も、ゲバラ達(当時のキューバ政府指導部も含めて)の行動は、外国からの介入(ボリビアの民族自決権の侵害)、革命の輸出(キューバからボリビアへ、またボリビアから周辺国へ)、ボリビアの歴史、国内事情の無理解、農民を始めとする大多数のボリビア人の非協力という深刻な問題をはらんでいたことを指摘しています。

ついでに、述べておきますと、前にも紹介した苫米地英人さんは、その著『もう一歩先の世界へ』(徳間書店、2011年)で、「日本にゲバラ主義を、世界に革命を!」と述べて、ゲバラ主義で世界の変革をと、今頃には珍しく檄を飛ばしています。苫米地さんは、ゲバラ主義は、「①帝国主義から中南米の人びとを解放するという高い理想と、②その高い理想の直接的実行で社会を変えること」とのことです。もっとも、苫米地さんも、「さすがに現代はマシンガンや刀などの武器を持って乗り込んでいく時代ではありません」と述べて、いわば時代錯誤的な武装闘争論は否定しています。

しかし、民族自決権の尊重の問題は、介入の手段が武力か、平和的手段かにあるのではありません。たとえ、本や、新聞や、DVD、インターネットであっても、ある国が、自らの変革の方針を絶対視して、他国に押し付け、その国で宣伝などの活動をすることが問題なのです。武力による押し付けは、武装闘争の条件がない場合、二重の誤りとなり、最悪なものになります。ある国々が、その国の指導者の思想を日本国民の中に広めようとしたことで、私たちは、60年代、70年代に苦い経験をもっています。ある国の変革は、どのようなことがあっても、その国の国民が担う課題です。

今から130年前の1882年、エンゲルスは、社会主義社会に到達するのは、それぞれの国独自の道があることを述べつつ、次のように、どのような優れた考えであれ、他の国に介入することは間違いであることを厳しく指摘しました。
「ひとつだけ、確実なことは、次のことです。勝利した労働者階級は、ほかの民族にたいして、いかなる恵みであれ、それを強制するならば、それによって自分自身の勝利を傷つけてしまうでしょう」(「カール・カウツキーへの手紙」マルクス・エンゲルス全集35巻、一部訳を変更)。
このことは、60年代のゲバラの行動、キューバの政策にもいえることでしょう。

(2011年9月9日 新藤通弘)

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