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2011年9月

2011年9月29日 (木)

米玖、丁々発止の非難合戦?

米玖、丁々発止の非難合戦?

9月28日、オバマ米国大統領が、ヒスパニック系ジャーナリスト(MSNラテン、AOLラテン、Huff-Postラテン、Yahooスペイン)とのラウンド・テーブル懇談で、ラテンアメリカについて言及しました。その中で、キューバに関して次のように述べました。

「キューバ国民は、これまで50年にわたって、自由を享受してこなかった。現在、世界のどこでも民主化運動が見られる。ラテンアメリカ全体で、民主主義が、以前の権威主義体制から生まれたのである。キューバにも同じことが起きる時が来たのだ。

われわれは、もしキューバ政府が自らの国を開放するように踏み出し、人権を尊重し、自国民が自らの運命を決定するのを許すならば、キューバとの新しい関係を開くというサインをキューバに送っている。

われわれは、家族送金を緩和し、家族訪問を緩和したし、教育目的の渡航も緩和した。われわれは、三つの修正を行い、われわれは、柔軟であり、冷戦思考に固執していないとのサインを送った。他方で、われわれは、キューバ政府から、サインが帰ってくるのを見なければならない。それは、政治犯の釈放、国民の基本的人権の容認である。しかし、少なくとも、禁輸措置(経済封鎖)を解除することができるようなキューバ国内の変化を示す精神はまったく看取されない。

来年度何が起きるか、私には分からないが、キューバに何が起きるのか注視している。もし、われわれが、積極的な動きを見るなら、積極的な方法で応えよう。私が大統領である限り、キューバ政府が自国民に自由を与えるという真摯な意図が見え始めれば、われわれのキューバ政策を変更する用意がある。

自由と経済改革を分離するのは大変難しい。もし国民が政府を通じてでなければ食べる方法がないならば、政府は、国民に対して非常に厳格な統制を持つようになり、国民は、どんな手段で自らの意見を表明するすると罰されてしまう。それは、われわれが禁輸措置を解除する条件は、彼らが完全な市場制度をもつことであるということではない。というのは、明らかに、われわれは、自由な民主主義が欠けている多くの国々と、貿易と交流を行っているからである。

しかし、基本は、労働し、仕事を変え、教育を受け、ビジネスを始めるという国民の人権の承認である。つまり、いくつかの自由の要因には、どのように経済制度が働いているのかということが含まれる。現在、キューバにおいていかなるそうしたものも見られない。

明らかに、もし政治囚が釈放され、国民が意見を表明し、政府に請願することができるのが見て取れれば、もしこれらの重要な前進が見て取れれば、われわれは注意を払い、疑いもなくキューバ政策を再検討するであろう」。

一見、もっともそうな論理ですが、そもそも1962年に米国政府が、キューバに経済封鎖を敷いたのは、キューバの革命体制を一方的に認められないとしたからでした。しかし、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、日本などの「自由世界」の国々でさえ、キューバとの貿易を継続し、米国の経済封鎖に同調することはありませんでした。

1990年代にはいると、1992年よりキューバ政府は、米国のキューバ禁輸措置の解除を国連に訴え、毎年国連総会では討議され、決議されています。1992年には、賛成59カ国(33%)、反対3カ国、棄権71カ国、欠席46カ国だったものが、2010年には、賛成187カ国(97%)、反対2カ国、棄権3カ国、欠席0カ国となりました。この投票動向の変化に、世界の流れと、考え方は明白に示されています。米国の禁輸措置政策は、もはや時代錯誤となっているのです。

米国の禁輸措置は、米国が世界でも稀な価値観で一方的に設置したものです。その措置を解除するに当たって、被害者に何らかの譲歩を要求するのは、筋が通らないことです。米国が、キューバにもし何らかの変化を要求するならば、まずは、何らの条件も付けずに禁輸措置を解除し、普通の立場に立ち、自由、対等、平等、互恵、相互尊重、内部問題不干渉の原則に基づいて、自由に自らの意見を展開すれば良いことです。同じことは、キューバ側にも言えることです。

9月21日のオバマ大統領の国連演説を、フィデル・カストロ前国会議長は、最近の25日・26日の『省察』、「チャベス、エボ、オバマ」で、「わけのわからないおしゃべりを誰が理解するであろうか。信じがたい論理の矛盾と混同を出席者に披歴しただけだ。彼の演説は、空虚で、道徳的権威に欠け、意味不明である」と酷評しました。

一方、9月26日、キューバのブルーノ・ロドリゲス外相は、国連総会演説で、パレスチナ加盟問題、リビア空爆問題で、厳しく米国を批判しつつも、最後に、「キューバ政府は、米国との関係正常化が前進することに関心がある。二国間の諸問題、つまり、人道的問題、麻薬輸送・反テロ取り締まりでの協力協定の締結、人身売買、自然災害、環境保護、メキシコ湾における石油汚染の問題の解決に向かって対話を開始するよう提案する」と述べました。フィデルの発言とは異なった、現実的で建設的な論調のブルーノ外相の発言に、むしろキューバ政府側の真意があるとの見方をする研究者もいます。

そのあと、このオバマ発言です。双方が丁々発止の批判を行っていますが、お互いに背を向けての非難合戦ではありません。前を向き合っての姿勢です。これまでの歴史が示しているように、このようなとき、水面下では意外に冷静に両国が話しあっているものです。
(2011年9月29日 新藤通弘)

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2011年9月27日 (火)

ボリビア新憲法(2009年)、邦訳される

ボリビア新憲法(2009年)、邦訳される

かつて、筆者は、ボリビアやエクアドルにおける新しい憲法の制定について、こう書いたことがあります。

「(3)持続可能な発展のあり方と新憲法
 こうした生活の在り方、共同体内での公正な分配のあり方は、ボリビアやエクアドルの先住民共同体に歴史的に見られるものである。ボリビアでは、「スマ・カマニャ」、エクアドルでは「スマク・カウサイ」(ともに、「安らかな生活をおくる」という意味)ことが重要であると考えられている。この考えは、両国の新憲法に組み込まれている。
ボリビアの憲法(2009)は、前文で、次のように述べている。
『国は、すべての人々の間の尊重と平等を基礎として、社会的生産物の分配における調和と平等を原則として、安らかに生きることを追求することを優先して、経済、社会、法律、政治、文化の複数主義を尊重する』
さらに、第8章、『安らかに生きる』では、次のように先住民の言葉を入れて規定している。
『国は、複数社会の倫理的・道徳的原則として、アマ・キヤ(怠けるな)、アマ・ユヤ(偽るな)、アマ・スワ(盗むな)、スマ・カマニャ(善良に生きる)という原則を定め、推進する』。
エクアドルの憲法(2008)も、前文で、次のように述べている。
『自然と母なる大地(パチャママ)を祝福して・・・』
さらに、第2篇:「安らかに生きる権利」の第14条でこのように規定している。
『住民は、健康的で環境的に均衡がとれた環境の中で生活する権利を認められ、環境の持続性と安らかに生きる(スマク・カウサイ)ことが保障される』。
憲法第71条は、母なる大地(パチャママ)に関して、次のように述べている。
『自然あるいはパチャママは、再生され、命を生み出すものであり、その存在は統合的なものとして尊重されるべきである』。
 このように、母なる大地(パチャママ)を大切にして、『安らかに生きながら』、相互に助け合って、公正な分配を行い、新しい社会の建設を目指そうとしているのである」。

こうした新鮮で、重要なボリビアの憲法を日本語で読みたいと思った人びとが、少なからずいたことと思います。そうした中、私の知人でもある、碩学の憲法学者、吉田稔、姫路独協大学教授が、ボリビアの憲法をスペイン語から翻訳しました。姫路独協大学、「ボリビア多民族憲法(2009)―解説都翻訳―、吉田稔訳」『姫路法学』第51号(2011年)です。全文411条に及ぶ膨大な文章ですが、ほぼ全文を翻訳されました。ご苦労様でした。また、いろいろな研究者に代わり、お礼を申し上げます。

吉田さんは、今後も、エクアドルの新憲法(2008年)、ベネズエラ新憲法(1999年、2009年修正)を翻訳したいとのことです。一層のご研究の発展を期待しています。

吉田さんは、ボリビア憲法の特色は、次の点にあると述べています。
① 社会権に加えて、新しい権利といわれる環境権、アクセス権、障害者の権利、消費者の権利を詳細に規定している。
② 統治について、立法、行政、司法、選挙の4権分立を採用している。
③ 多民族国であるので、多民族立法議会のような多様な民族を反映する各機関が設置されている。
④ 民族問題の解決方向を多民族国の憲法規範として示している。
⑤ 地球環境権について基本を示している。
⑥ 国連憲章をはじめとする国際規範を尊重し、民族自決、自立、平和国家を追求する。

それでは、ボリビア憲法はどのようなものであるか、そのさわりの部分、前文を拙訳でご紹介しましょう。

ボリビア多民族国憲法

前文

太古の時代、山がそそり立ち、川が流れ始め、湖が造られた。わがアマゾン(amazonia)、 わが狩猟の地(chaco)、わが高原、わが平原、渓谷は、緑と花でおおわれた。われらは、 異なった顔をもつ神聖な母なる大地に居住し、その時からすべてのことに通じる複数性と人間と文化の多様性を理解した。我々は、そのようにしてわが諸国民を形成し、忌まわしい植民地時代までは、我々が苦しむ人種差別をまったく知らなかった。

多民族からなるボリビア人民(pueblo)は、長い歴史をもっており、過去のいろいろなたたかい、インディヘナの反植民地の反乱、独立、解放を求める人民のたたかい、インディヘナ、社会の人びと、労働組合のいろいろな行進、水戦争とガス戦争、土地と領土を求めるたたかいに鼓舞され、また、わが殉教者を思い起こし、新しい国を建設する。

すべての人の間の尊重と平等を基礎とし、主権・尊厳・補完・連帯・調和と社会的生産物の分配・再分配の公平の原理を有する国、そこでは安らかに生きる(vivir bien)ことを追求すること; この土地の住民の経済、社会、司法、政治ならびに文化の複数主義を尊重すること; すべての人びとが水、労働、教育、医療、住宅の取得を共有すること、が優先する。

我々は、過去の植民地国家、共和制国家、新自由主義国家を廃棄する。

我々は、多民族・共同体的で社会的な統一法治国家を集団的に建設するという歴史的課題に挑む。その国は、民主的で、生産的で、平和を享受し、平和を追求し、総合的な発展と諸民族の自由な自決権を推進するボリビアという国に向かって前進する諸目的を統合し、関連させる国である。

我々、女と男は、憲法制定会議を経て、人民の始原的権力により、国の統一と一体性を守る義務を宣言する。

わが諸民族の命令を遂行し、わが母なる大地(Pachamama)の強靱さと神への感謝をもって、我々はボリビアを再建する。

この新たな歴史を可能とした、憲法制定及び解放の事業の殉教者に名誉と栄光あれ。


なお、本ブログで、ボリビアに関する記事は、以下をご参照ください。
2010年2月17日付、前田恵理子「気候変動と母なる大地の権利に関する世界諸国民会議」の開催」
2010年11月27日付、新藤通弘「比較、『社会主義』をめざす国々―中南米におけるエコ型社会主義の探求―」
2011年8月31日付、新藤通弘「ラテンアメリカにおける新しい社会主義運動の現況と特質」
2011年9月9日付、「優れた通史、クライン著『ボリビアの歴史』」

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2011年9月25日 (日)

中南米における変革の進展

中南米における変革の進展
――ベネズエラ、ボリビア、エクアドル、ニカラグア――
岡部廣治

はじめに
2007年10月現在、中南米に住む5億5000万人のうち2億8000万人、2人に1人が、米国の覇権主義・新自由主義に抗して民族主権擁護と民主化を推進する政権の下に生活している。30年近く前の1980年には、ラテンアメリカ人の2人に一人が軍政・独裁制下に苦しめられており、革新政府のもとで生活していたのは、24人に1人しかいなかった。最近数年間の中南米における変革の速度と広がりは明瞭である。
1999年2月2日にベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が就任するまで、革新の旗を掲げる勢力が政権についていたのは、キューバ一国だけだった。キューバは、1959年1月1日の革命勝利以来、幾多の困難を克服しつつも、中南米で唯一、民族主権・民主主義を強化・深化し続けてきていたのである。
もちろん、一時的には、孤高の状態から抜け出すかにみえることもあった。
1968年のペルーとパナマ、70年のボリビアの革新軍事政権の出現。しかし、それぞれ、75年のベラスコ将軍の病気退陣、80年のトリホス将軍の航空機事故死(米CIAの陰謀)、71年の反動的軍部によるクーデターによって、革新の動きは中絶させられた。
69年に民主選挙で樹立されたチリ人民連合政権は、73年9月11日のピノチェトの反動クーデター(世界貿易センターへの航空機突入というテロとともに記憶されるべき米政府に助けられた「国家テロ」)によって、栄光の「1000日」を終えた。

続きは添付のPDFをご覧ください。


「08.02 中南米における変革の進展.pdf」をダウンロード

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2011年9月16日 (金)

キューバで、マグニチュード4.5の地震

キューバで、マグニチュード4.5の地震

15日現地時間の午前4時43分(日本時間15日午後6時43分)、キューバ南東部で地震が起きました。地震規模は、日本の東日本大震災、その後の相次ぐ余震からすれば、大きなものではありませんが、地震がさほど多くないキューバ人にとっては、驚きだったことでしょう、早速世界にニュースが流れました。本ブログは、キューバのニュースを逐一報道するものではありませんが、日本の最近の事情から、心配の人びとも少なくないでしょうから、簡単に、実情を紹介します。

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「キューバ市民防災全国本部」の発表によれば、キューバ全国地震サービス局網は、15日午前4時43分、揺れを感じる地震を記録しました。震源地は、グランマ県のクルス岬南東59キロのカリブ海で、震源の深さは15キロ、地震の大きさはマグニチュード4.5でした。津波は生じませんでした。キューバでは、今年に入って8番目の有感地震でした。クルス岬、ニケーロ、バヤモ地域には被害がなかったということです。なお、米国地質調査所によれば、地震の大きさはマグニチュード6、震源の深さは10キロと報告されていますが、いずれも被害はなかったと報道しています。

(2011年9月16日 新藤通弘)

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2011年9月15日 (木)

米国の仕掛けた土俵には上がらない?キューバ政府

米国の仕掛けた土俵には上がらない?キューバ政府

(1)14日、キューバ政府は、昨年末時点で、米国の対キューバ経済封鎖による累積被害が、1962年以来1,040億ドル(時価評価額で9,750億ドル)に達することを公表しました。昨年は、累積損害は1,001億ドル(時価評価額7,513億ドル)でした。この1年のドルの対金相場の下落により、時価計算では、30%増大したことになります。報告書を発表した、アベラルド・モレーノ外務次官は、過日のオバマ発言をもじって、「オバマ大統領の対キューバ措置は、経済封鎖政策を継続しており、渡航や送金制限の緩和、キューバへのチャーター便の許可で別な形を示そうとしてきたが、極めて不十分で、まったく限定的なものである」と批判しました。米国の経済封鎖政策の可否は、例年通り、国連総会の討議に付される予定です。このニュースは、国内の各紙、テレビでも報道されました。

(2)また、国内では報道されていませんが、国際報道によると、14日、ホセフィーナ・ビダル・フェレイロ外務省北米局長が、オバマ発言で批判された、キューバで騒乱幇助罪で15年の刑期で服役中のアラン・グロスの問題について説明を行いました。

一方、それに先立ち、リチャードソン元ニューメキシコ州知事(クリントン政権の国連大使)は、ハバナ市のホテル・ナショナルで記者会見を行い、「グロス契約者と会えず、またキューバ政府とグロスの件で討議もできず、大変失望して帰国する」と述べました。さらに、同氏は、「私の結論は、恐らくキューバ政府は、米国との関係を改善したくないと決定したということである。グロス問題を討議するために自分をキューバに招待したのは、キューバ政府であるが、キューバ到着直後に、グロスには会えない、彼を一緒に帰国させることはできないと述べた」と強調しました。さらに、同氏は、「オバマ大統領は、キューバとの関係改善を図ろうとしたが、キューバ政府がそれに耳を貸さず、単にグロス氏の件を討議する機会も与えないようでは、それは大変難しいであろう」と述べました。

ビダル局長は、リチャードソン元ニューメキシコ州知事(クリントン政権の国連大使)が、グロス受刑者と面談できずに帰国したことについて、記者会見で、次のように述べました。
1. リチャードソンのキューバ訪問は、まったく私的な個人的なものであった。
2. グロス受刑者との面談、釈放問題は前もって申請されていなかった。
3. さらに、元州知事は、グロスを「キューバ政府の人質」と位置づけた。
4. グロスと会わずにはキューバから出国しないと公的に述べたことは、キューバ政府にとって不愉快であった。キューバは、主権国家であり、いかなる脅迫や圧力、大国主義的態度にも屈しない。
5. キューバ政府は、これまでキューバを訪問した米国人に人道的立場から私的で、非公開で、尊重した形で受け入れてきた。

リチャードソン元州知事の訪問目的が、双方の間で事前に明確に合意されていたかどうかは、双方の見解が分かれているようですが、「グロスに会わずには出国せず」と公に啖呵を切った形なった元州知事の張り切り過ぎが見られるようにも思われます。

モレーノ外務次官の記者会見でも、ビダル外務省北米局長の記者会見でも、オバマ大統領の発言の一番の中心点、経済改革への干渉的発言問題は、まったく触れられませんでした。モレーノ外務次官の記者会見では、質問は、経済封鎖問題に限ることと、最初に釘が刺されたとのことです。キューバとしては、米国から仕掛けられた、土俵に上るつもりはないということでしょうか。さて、米玖関係は、今後どう展開していくでしょうか。

(2011年9月15日 新藤通弘)

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2011年9月14日 (水)

オバマ発言に対して沈黙を守るキューバ政府

オバマ発言に対して沈黙を守るキューバ政府

ところで、昨日の記事で、ラテンアメリカには直接関係ない内容なので、記しませんでしたが、オバマ大統領は、パレスチナの国連加盟申請には断固反対すると述べています。理由は、「問題がぼやけるだけで真の解決にはならない」からだ、ということです。ここでも、明らかに米国は、世界の少数意見でしょう。

さて、オバマの記者会見は、キューバではどのように報道され、キューバ政府はどのように対応したでしょうか。米玖関係は、常に大変複雑でその深層にたどりつくのは、なかなか困難なところがあります。米玖関係は、表面では丁々発止と非難合戦を行っている一方、水面下では外交ルートで、話し合いが行われていることが少なくありません。従って、予断を入れずに、事実関係のみを追ってみましょう。米玖関係を考える、格好の機会かもしれません。

オバマ大統領の発言は、国際通信社がこぞって重要視し、報道しましたが、キューバでは、13日は、キューバ共産党の機関紙『グランマ』でも、青年共産同盟機関紙『フベントゥ・レベルデ』でも、キューバ政府系通信社『アイン』、『プレンサ・ラティーナ』でも、国営テレビ放送『クーバビシオン』でも、外務省のHPでも、軌を一にして、まったく報道していません。ただ一部分、オバマ政権が、旅行制限、家族送金緩和政策を継続すると述べたと、『プレンサ・ラティーナ』の記事を引用して報道しているだけです。これは、キューバ側にとっても都合のいいことですから、当然でしょう。つまり、キューバ国民は、オバマの記者会見の内容をこのことを除いては、まったく知らないということです。実に見事な統制ともいえますが、報道の自由、あるいは多様性は?と首をかしげる人もいるでしょう。

統制の理由は、キューバ政府がオバマ演説を慎重に分析して、対応を考えているとも、オバマ大統領の内政干渉的な、いわば挑発的な発言に、軽々しく乗らないということもあるかもしれません。さて、事態は、どう発展するでしょうか。

(2011年9月14日 新藤通弘)

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チェンジが必要なオバマ大統領のキューバ認識

チェンジが必要なオバマ大統領のキューバ認識

オバマ米大統領が、相変わらずのキューバ認識を示しました。各種の報道を総合すると、12日にワシントン在住のスペイン語圏の記者との記者会見の席上で、大統領は、次のように述べました。

「キューバ政府は、企業がより自由に活動するように、経済統制をより少なくしたいと述べていた。しかし、その経済政策を変えることに積極的であったという証拠は見られない。キューバが進めている社会主義システムは、時代錯誤である。この6カ月間に中東で見てきた巨大な変化について考えてみると、世界の権威主義的な共産主義国は、もはやほとんど存在しなくなっている。ところが、この小さな島のキューバは、60年代に後戻りしているのである。キューバの政策は、明らかに機能しておらず、生活水準は、著しく改善されているどころか、実際は悪化している。

世界がより開放されているときに、キューバの人びとの自由は、引き続き制限されている。明らかに共産主義の島の政府にとって、チェンジの時期が来たのだ。しかし、現在まで、この機会を利用して、変革を行っているかという点で、われわれが気に入るような証拠を見てはいない。

さらに、キューバ政府は、政治囚を釈放することに、また、彼らに考えを表明する機会を与えることに余り熱心ではない。

われわれが行った、キューバへの渡航制限と家族送金制限を緩和する措置は、引き続き正しいものであり、キューバ国内に一層の市民的自由を拡大するものと考える。

(キューバでスパイ容疑により逮捕され、収監中の)米国人のアラン・グロスへの判決は、証拠や法治国家に基づかないものであり、逮捕者の健康に関する人道的問題もある。グロスは釈放されなければならない。グロスを釈放することをキューバが拒否していることは、キューバ政府が推進している米国への接近政策に影響を及ぼすものとなるだろう。(現在キューバを訪問している)リチャードソン(元ニューメキシコ州知事)は、キューバで、『人道的使命で民間人の資格』で活動しているが、政府を代表するものではないとはいえ、リチャードソンが、どんな形であれグロスの釈放を勝ち取ることを支援する」。

こうした、キューバの内政に関するオバマ大統領の表現は、米国の対キューバ政策が、相変わらず、現実を見ない誤ったものです。オバマ大統領は、米国の内政面で新自由主義政策の弊害に苦しむ社会の状況を、問題が新自由主義政策から来たものであるという認識はないものの、一応は困難を把握し、「チェンジ」を唱えて、政権につきました。また、外交面でも、世界が米国の一極支配から多極世界に変わってきていることを認識して、08年4月の第5回米州サミットでは、「私がここにいることは、長い時間がかかったが、米国は変わった(チェンジした)ということを示しているのである。それは、容易ではなかったが、変わったのだ。われわれは、われわれの関係に上下のない対等のパートナー関係を追求しなければならない」と述べた。

オバマ政権は外交面で、若干の前進もありましたが、オバマ大統領流にいえば、「対等なパートナーシップの構築に熱心ではない」ようです。また私達がのぞむようなチェンジが内政面でも外交面でもあったという証拠は見られません。

オバマ大統領は、キューバ問題の専門家でもありませんので、国務省のキューバ担当者からレクチャーを受けての発言でしょうが、それにしても国務省の対キューバ認識は、ブッシュ政権の時代と余り変わりません。それは、今年8月に発表された、「世界テロリスト報告2010年」にも見られます。同報告では、「メキシコやコロンビアで麻薬テロに対して積極的な努力が払われている」と積極的に評価する一方、キューバを、イラン、スーダン、シリアとともにテロ支援国家と規定しています。このリストがいいかげんなことは、適否は別として、北朝鮮との政治交渉の中で、北朝鮮をリストから除外した方法にも見られます。

キューバは、このテロ支援国家に1982年のレーガン政府以来、指定されています。本年度の報告では、次のように述べています。
「キューバは、2010年でもテロとテロリズムに財政支援を継続している。しかしFARC(コロンビア革命軍)との関係、またバスク祖国と自由(ETA)との接触についてのメディアの報告の証拠はない。3月、キューバ政府はスペイン警察にキューバ国内でETAの調査することを許可した。キューバは、引き続き、米国の世界における反テロ活動を批判している」。

そうであれば、証拠がないのに、どこから、キューバがテロ支援国家と規定できるのでしょうか。すでに、1996年のキューバに関する報告では、「米国政府は、もはやキューバが積極的にはラテンアメリカアメリカや世界のその他の部分での武装闘争を支持していないことを確認しています」(H. Michael Erisman, Cuba's Foreign Relations in a Post-Soviet World, University Press of Florida, Miami, 2000. 270, p.170)。オバマ大統領流にいえば、国務省の認識は「時代錯誤であり、80年代に後戻りしている」ということになるでしょうか。

オバマ大統領は、08年4月の第5回米州サミットでは、「対等のパートナー関係は、相互尊重、共通の利益、共通の価値観に基づいた約束である」と、正しく述べています。しかし、今回の発言は、利益や、価値観は違っても、とても「相互尊重」に基づいたものとはいえません。利益や価値観は違っても、「相互尊重」があれば、双方で平和が追求できるものです。

現在、キューバでは、少しずつながら、経済改革が進められています。経済活動の自由度、市場開放度は、米国の基準が模範的であるというものでもありません。各国にはそれぞれ固有の歴史的な条件があります。民主的な課題については、米国が主張する民主主義の形態が模範的、唯一であるいうものでもありません。むしろ、米国の干渉政策そのものが、キューバ国内の人権などに制限をもたらしている歴史的事実を見なければなりません。また、今回の発言は、大統領選で第4番目の大票田であるフロリダ州のキューバ系米国人対策の発言であるかもしれません。しかし、米国は、先ずは干渉政策をやめて、キューバの民主化の努力を黙って見るのがあるべき米国の態度でしょうか。

経済改革の速度、範囲、深さ、方法は、キューバ国内の歴史的、現実的条件にもとづいて、キューバ国民が自主的に決定することで、いかなる他国も指図することではありません。

(2011年9月13日 新藤通弘)

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2011年9月11日 (日)

民主主義の国、米国の汚い策謀、ウイキリークスが暴露

民主主義の国、米国の汚い策謀、ウィキリークスが暴露

「民主主義を標榜する」米国政府が、キューバ国内の反体制勢力に、とりわけ白い揃いの衣装でグラジオラスを掲げてデモを行う女性達、「白い貴婦人たち」に物心両面で支援を与えていることは、周知のことでした。本ブログでも、次のように、二回指摘したことがあります。

ファリーニャスなどの反体制活動家、「白い貴婦人たち」にハバナにある米国利益代表部を通じて、経済的・物質的支援、政治的扇動が行われていることは米玖両政府が認めているところであり・・・(オッペンハイマーとたわごと―2010年4月9日)

続きは添付のPDFをご覧ください。
「11.09.11 民主主義の国、米国の汚い策謀.pdf」をダウンロード

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2011年9月 9日 (金)

優れた通史、クライン著『ボリビアの歴史』

優れた通史、クライン著『ボリビアの歴史』

最近は、一人で通史を執筆する歴史家が少なくなってきていますが、一人の歴史家による通史は、その歴史家独自の一貫した史観と叙述で、興味深いものです。その意味で、このほど翻訳された、ハーバート・S・クライン『ボリビアの歴史』星野靖子訳(創土社、2011年)は、ラテンアメリカ各国史の中でも卓越した出来栄えとなっています。

ボリビア、エクアドル、ペルーのアンデス3カ国では、人種構成も似通っており、かつてのインカ帝国の末裔の人びとが暮らしている地域でもあり、また近年革新政権が誕生しています。それぞれの革新政権が、先住民の共同体の理念や慣習を大事にして、独自の社会主義観を提起しています。そうした政策の歴史的背景を調べたくなります。

そこで、現在の革新政権誕生の歴史をたどって見たいのですが、エクアドル、ペルーとも、古代アンデスから、21世紀のエボの登場の現在にいたるまでの通史が、日本語ではありません。その意味でこの『ボリビアの歴史』は、大変役にたつものです。エクアドルについては、巣里順平さんの『エクアドル』(東洋書店、2005年)、ペルーについては、遅野井茂雄さんの『現代ペルーとフジモリ政権』(アジア経済研究所、1995年)などの良い本がありますが、前者は歴史ではなく、後者は近々の現代しか扱っていません。

筆者は、ラパスで、この本のスペイン語版(原文は英語)、Herbert S. Klein, Historia de Bolivia, Librería Editorial “G.U.M.”, La Paz, 2008を手に入れ、バランスの取れた客観的な筆致、古代アンデス時代の最新の考古学に基づいた記述、植民地社会構造の詳細な分析、豊富な資料の駆使に感嘆したものでした。クラインは、米国のコロンビア大学の名誉教授で、1950年代後半からボリビア研究に携わり、1982年に本書の初版が出版され、これまで4度改訂されたものです。

ボリビアで出版されたボリビア人の手になる通史は、日本語には翻訳されていませんが、Manuel Vargas, Historia de Bolivia, Asociación Infantil Boliviana, La Paz, 2007([『ボリビア史』、130頁の薄手のもの)と、José de Mesa, Teresa Gisbert y Carlos D. Mesa Gisbert, Historia de Boliva, Séptima edición, Editorial Gisbert, La Paz, 2008.(『ボリビア史』、739頁の大部のもの)があります。両方とも叙述は、割合、客観的です。

この3冊の本で、恐らく多くの皆さんが興味を持っているテーマ、ゲバラのボリビアでのゲリラ活動がどう述べられているか、参考までに紹介しまししょう。

ハーバート・S・クライン『ボリビアの歴史』星野靖子訳(創土社、2011年)。翻訳は、スペイン語版により、一部翻訳を変更しました。

「ゲバラの抗争 バリエントス政権時代には、主に都市部の知識層を基盤としていた多くの小規模ゲリラ組織が生まれ、それぞれが活動を始めていた。だが最大の武装蜂起は、それら国内の舞台とはまったくかけ離れて、外国からもたらされた。1966年、アルゼンチン・キューバ人の革命家エルネスト・ゲバラ(チェ・ゲバラ)がボリビアに到着し、ゲバラはサンタクルス県に作戦基地を設けた。明らかに、彼は、ボリビアにおいてよりも、いずれはアルゼンチンやブラジルにおいてゲリラ活動の本部を組織する考えだった。ボリビア共産党とは接触を持ったものの、鉱山労働者組織と接触する考えはまったく持っていなかった。このことは、当時、鉱山労働者の作戦拠点が政府軍により占領されており、暴力や紛争が毎日のように生じていたからであった。「チェ」は、むしろ孤立した地を選び、自らの小さな一隊を訓練し、新たな革命を起こすための準備を整えようとしたようである。
しかし、ボリビア入りから一年後の1967年3月、野営地ニャンカウアス農場で、彼のゲリラ・グループは、ボリビア軍と最初の衝突を起こした。バリエントスと陸軍司令官であるオバンド将軍は、米国からの強力な支援を受け、ゲリラ運動を鎮圧した。4月には「チェ」に同行したフランス人ジャーナリスト、レジス・ドブレが捕らえられ、10月には最後のゲリラたちが殺されたり、逃亡したりし、「チェ」は処刑された。こうしてバリエントスは、左翼の武装反対闘争を切り抜け、農民や中流階級の間に広範な人気と支持を維持した。1969年4月に航空機事故で死亡したが、国を全面的に支配していたことは、ほぼ疑いない」。

マヌエル・バルガス『ボリビア史』
「1967年、わが国の南東部(ニャンカウアスとバージェ・グランデ県の間)で、ゲリラ闘争が発生した。エルネスト・チェ・ゲバラが指導した。彼は、アルゼンチンで生まれ、1959年にはフィデル・カストロとともにキューバ革命を指導したゲリラ戦士である。この武装闘争には、ボリビア人は、ほんの少数しか参加しておらず、農民の支持を得ようとした。彼は、少しずつ組織を拡大し、わが国とラテンアメリカを全面的に変革するために戦おうとした。つまり、ボリビアを社会主義国とするように考えたのである。しかし、こうした考えは、その地域の農民には魅力を引かなかった。農民は、山岳地帯であれ、寒冷の山間地であれ、小さな農地に孤立して住んでいた。ゲバラは、わが国東部の大農園がある地域のケチュア族やアイマラ族に利益をもたらした農業改革を知らなかった。こうした事情から、農民は、チェの計画を支持しなかったのである。
 ボリビア軍は、米国の軍事顧問の支援を得て、ゲリラを討伐した。1967年10月8日、チェ・ゲバラを逮捕し、翌日殺害した」。

ホセ・デ・メサ他『ボリビア史』
「チェのゲリラ戦争
1966年11月4日のエルネスト・ゲバラのラパス到着から1967年10月9日の彼の死までの間、武装ゲリラ運動が展開された。1967年3月ボリビア軍と最初の衝突が生じた。
チェの基本的な考えは、権力の奪取よりも、大陸的な広がりをめざした拠点(フォコ)の樹立であった。それは、帝国主義に対する一種の新たなベトナムであった。キューバの経験から(農村ゲリラの)フォコ・モデルに従うものであった。ボリビア共産党は支援を撤回し、党の支援を得られなかった。また、その戦いの中で、ボリビア人の農民の参加も得られなかった。わが国の左翼は、若干の例外を除いてこのゲリラ戦を支持しなかった。アルゼンチン・キューバ人指導者は、ボリビアが1952年急進的な農業改革を行い、その主要な受益者が農民であることを忘れていた。もう一つの要素は、彼が、ケチュア語を知らなかったことである。この言葉は、彼が戦いの間に行動した地域のほとんどの農民が話していた言葉である。・・・ゲリラ隊全員で、52名で、そのうち8名はゲバラによれば非戦闘員であった。ボリビア人が29名、キューバ人が16名、残り7名はいろいろな国の出身であった」。

3冊とも、力点の違い、指摘した問題の違いはありますが、いずれも、問題の本質をついており、一般に認められている内容でしょうか。いずれの本も、ゲバラ達(当時のキューバ政府指導部も含めて)の行動は、外国からの介入(ボリビアの民族自決権の侵害)、革命の輸出(キューバからボリビアへ、またボリビアから周辺国へ)、ボリビアの歴史、国内事情の無理解、農民を始めとする大多数のボリビア人の非協力という深刻な問題をはらんでいたことを指摘しています。

ついでに、述べておきますと、前にも紹介した苫米地英人さんは、その著『もう一歩先の世界へ』(徳間書店、2011年)で、「日本にゲバラ主義を、世界に革命を!」と述べて、ゲバラ主義で世界の変革をと、今頃には珍しく檄を飛ばしています。苫米地さんは、ゲバラ主義は、「①帝国主義から中南米の人びとを解放するという高い理想と、②その高い理想の直接的実行で社会を変えること」とのことです。もっとも、苫米地さんも、「さすがに現代はマシンガンや刀などの武器を持って乗り込んでいく時代ではありません」と述べて、いわば時代錯誤的な武装闘争論は否定しています。

しかし、民族自決権の尊重の問題は、介入の手段が武力か、平和的手段かにあるのではありません。たとえ、本や、新聞や、DVD、インターネットであっても、ある国が、自らの変革の方針を絶対視して、他国に押し付け、その国で宣伝などの活動をすることが問題なのです。武力による押し付けは、武装闘争の条件がない場合、二重の誤りとなり、最悪なものになります。ある国々が、その国の指導者の思想を日本国民の中に広めようとしたことで、私たちは、60年代、70年代に苦い経験をもっています。ある国の変革は、どのようなことがあっても、その国の国民が担う課題です。

今から130年前の1882年、エンゲルスは、社会主義社会に到達するのは、それぞれの国独自の道があることを述べつつ、次のように、どのような優れた考えであれ、他の国に介入することは間違いであることを厳しく指摘しました。
「ひとつだけ、確実なことは、次のことです。勝利した労働者階級は、ほかの民族にたいして、いかなる恵みであれ、それを強制するならば、それによって自分自身の勝利を傷つけてしまうでしょう」(「カール・カウツキーへの手紙」マルクス・エンゲルス全集35巻、一部訳を変更)。
このことは、60年代のゲバラの行動、キューバの政策にもいえることでしょう。

(2011年9月9日 新藤通弘)

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2011年9月 3日 (土)

キューバの医療最新事情

キューバの医療最新事情

キューバの医療制度について、日本でも大きな関心がもたれています。そして、有機農業と同じように、美化や賛美が目立ちます。「世界が医療大国キューバ医療を手本にする」(吉田太郎『世界がキューバ医療を手本にするわけ』)、「世界でも最先端の医療体制を有しており、国民はその恩恵を十二分に受けている」(苫米地『もう一歩の世界へ』)、「世界をリードする医療と国際貢献、小さな国の大きな奇跡。ソ連崩壊の後、国民が食糧難で栄養が極端に不足したとき、医療面で万全な取り組みで、餓死者がでなかった*」(吉田紗由里『小さな国の大きな奇跡』)などなど、枚挙にいとまがありません。有機農業と似たパターンですが、医療の場合、これまでの実績があります。

続きは、添付のPDFを参照ください。
「11.09.01 キューバの最新医療事情.pdf」をダウンロード

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