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2011年3月23日 (水)

つじつまが合わない?

つじつまが合わない?

フィデル・カストロ前国家評議会議長が、3月21日付の「省察」の中で、次のように書いている。
「2006年7月31日に病気になったとき、党第一書記を含めて、国と政治的職責のすべてを迷うことなく辞任した。すべての人々が、親切にも引き続きこうした形で私に肩書をつけていたけれども、同日の声明のあとも、1年余のあとに健康が一部回復した時も、決してこれらの職責に復帰しようとは考えなかった。
しかし、私は、引き続き、約束したように、考えをめぐらせ、呼吸することができる限り、思想の一兵士でありつづけるであろう」

しかし、事実はどうであったろうか。

06年7月31日の声明で、フィデルは、「一時的に、①党第一書記、②軍最高司令官、③国家評議会議長・閣僚評議会議長の権限をラウル・カストロに委譲する」とのべて、文面からすれば、この権限の委譲は一時的、臨時的なものであったことを示している。

その後、フィデルは、08年2月18日の国民へのメッセージで「国家評議会議長、閣僚評議会議長、最高司令官を辞任する」と発表した。しかし、この中には党第一書記の職責を辞任することは、含まれていなかった。

09年7月29日、キューバ共産党第7回中央委員会総会が開催されたとき、キューバ共産党機関紙『グランマ』では、ラウル・カストロ党第二書記が会議を主宰したと報道した。

昨年9月3日、フィデルは、ハバナ大学で演説を行ったが、それを報道したキューバ共産党機関紙『グランマ』には、「キューバ共産党中央委員会第一書記」と述べられている。その後、グランマ紙が、同記事を訂正してはいない。

また、11月9日、第6回党大会の開催が発表された際、規約によれば、党中央委員会が招集することになっているが、大会の招集を述べたのは、ラウル・カストロであり、その肩書は「党第二書記」とグランマ紙では紹介された。

さらに、11月17日、フィデルは、ハバナ大学学生連盟の副委員長が、「軍最高司令官であり、党第一書記のフィデルの考えに賛同する」と述べたとき、フィデルは「この青年達との集会に党第一書記としての資格で出席したのではない。病気になったので、当然行わなければならない権限の委譲を行ったのである」と述べて、党第一書記の地位を維持しているかどうかは明確にはしなかった。

キューバ共産党規約の第47条では、中央委員会総会は、党第一書記、第二書記を選出することになっている。とすれば、06年7月31日に党第一書記を辞任していたとするなら、08年4月の第6回中央委員会総会、あるいは09年7月の第7回中央委員会総会で党第一書記が選出されていたことであろう。いずれにせよ、4年半余にわたり、党第一書記が不在であったという、不正常なことになる。あるいは、もし、辞任しているのであれば、9月3日のグランマ紙の報道は誤りであり、さらに11月17日の学生との集会で、「党第一書記は辞任している」というべきであったであろう。

以上の事実を、つじつまが合うように解釈すれば、フィデルは、「一時的に」党第一書記の権限を党第二書記のラウルに委譲しているのである。

なお、キューバ共産党規約では、第1章で、「党組織は、党第一書記のフィデル・カストロ同志」の指導と助言に基づいて、行動する」と述べられている。4月の第6回党大会では、こうした規定も改正されるであろう。


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