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2011年3月

2011年3月29日 (火)

キューバでのチャリティ・コンサート

キューバでのチャリティ・コンサート

在キューバ日本大使の西林万寿夫さんが、ハバナ市で、3月8日、バイオリン・コンサートを行いました。ハバナの旧市街にあるサン・フェリーペ・ネリ礼拝堂でキューバ盲人協会へのチャリティ・コンサートです。

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会場一杯の200人程度の外交団、キューバ人市民が西林大使のバイオリンと大使夫人の喜久子さんのデュエット、西林さんとハバナ室内アンサンブル「ハバナのソリストたち」とのバイオリン協奏曲を熱心に聴き入りました。

プロ級の水準といってもよい、西林さんの演奏と、ハバナ室内アンサンブルの熱演に聴衆より、称賛と連帯の長い拍手が送られました。

おそらくは、日本人外交官として、初めてのチャリティ・コンサートで、各国代表団は交換ペソで、キューバ人聴衆者は、国内ペソでそれぞれ寄付を行いました。

キューバ人盲人協会(ANCI)は、1975年に設立され、全国169の基礎行政区すべてに支部があり、現在、会員数は、3万人余です。ラテンアメリカ盲人連合(ULAC)、世界盲人連合にも加盟し、スペイン、ノルウェー、スウェーデンなどの盲人協会と交流があります。点字の雑誌「ファロ(灯台)」が、4カ月に一度、点字小冊子「ANCI」が4カ月に一度、印刷雑誌「ファロ」も発行されています。また、点字による古典小説シリーズも発行されています。

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キューバの視覚障害者は、全盲者も弱視者もできるだけ社会生活に参加することを基本としています。文化レクレーション、学習、生産活動にも参加しています。生産面では、繊維産業で、装飾衣料、ロープ、造花などを工場で作っています。

キューバ人盲人協会(ANCI)は、キューバ政府の社会保障政策のもとで庇護されているとはいえ、発展途上国であるうえ、近年の政府財政が困難な中で、少なからずの問題も抱えています。

こうした困難を抱える社会の中で、国や、社会体制の立場を超えて社会的弱者の支援政策に協力することは、爽やかな印象を与えるものでした。また、キューバにおいて、近年急速に一部の富裕層が出現して、格差が拡大しています。こうしたとき、キューバ社会の特色であった市民の連帯意識を改めて考える意味でも、国と市民、それぞれが、経済改革の中で社会保障に新たにどう関わったら良いかを考える意味でも、良い機会であったかも知れません。

2011年3月29日 新藤通弘

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2011年3月26日 (土)

オリジナル、それともコピーが欲しいの?

オリジナル、それともコピーが欲しいの?

昨年3月キューバを訪問した際、キューバ映画芸術産業庁(ICAIC)直営のビデオ売店に立ち寄った。最近のキューバ映画のビデオを買いたいというと、若い女性の店員は、
「オリジナル?それともコピー?」
と聞いてくる。
「値段はいくらなの?」
と聞くと、
「オリジナルは、12CUC(交換ペソ)、コピーは5CUCです」
「じゃあ、コピーを買います」
「でも、コピーは、今ないわ。来週の火曜日になればあるから、その時に来てくれる」
火曜日に行くと、問題のDVDを出してくれた。代金を払っても、もちろん領収書はくれない。

今年も、3月、同じ店に行った。別の女性店員だったが、
「新しいビデオはないわ。ここにあるのは、古いものばかり」
「新しいものはどこで売ってるの?」
「街の通りで売ってるわ。ここを出て、左に行くと、CDをずらっと並べて売っているのが、3軒ばかりあるわよ。政府が、自営業を許可したので、そちらでみんな買うわ」
「でも、政府が許可したのは、営業権を許可したのであって、著作権を無視してコピーすることを許可したわけではないのでは?」
と、私、ひとくさり、解釈をのたまう。
「そういえばそうだけど、みんな気にはしてないわよ」

ICAICは、他国との合作ではあるが、多くの映画を貴重は経費を投じて映画を制作している。だれよりも著作権を擁護しなければならないのは、ICAICのはずだが・・・

実際、昨年10月から許可された自営業のライセンスで目立つのは、飲食業とCDショップである。ハバナの通りのいたるところで売られている。それだけはない。帰りのホセ・マルティ飛行場の免税店で、CDの多くが、なんとコピーであった。キューバも、中国や、他のラテンアメリカ諸国と同じく、著作権、特許、商標を尊重しない文化となってきている。個人的関心の高まりは、経済を活性化するものだが、キューバ経済の発展のための、一つのプロセスなのだろうか。

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2011年3月24日 (木)

なんとかつじつまが合ったであろうか?

なんとかつじつまが合ったであろうか?

フィデルの21日付の『省察』、「はいている靴がきつい」の中で述べられたキューバ共産党第一書記の辞任時期について、昨日、3月23日付の小生論評「つじつまが合わない?」で、疑問を提起しておいた。

フィデルは、22日付の『省察』「『対等な同盟』の真の意図」で、前言が不十分だったとして、次のように弁明している。

「私は、バラック・オバマの極めて重要な歴史的問題の『対等な同盟』に集中しており、来月、党大会が開催されることを思い出しもしなかった。・・・
私が、7月31日の声明を書いたとき、明らかに健康状態は、大変危険であった。
即座に私のすべての公的活動を停止し、住民に安全と安心を提供するためのいくつかの指示を出した。
私の職責のそれぞれを具体的に挙げて、辞任する必要はなかった。
私にとって最も重要な活動は、党第一書記の活動であった。思想と原則によって、革命の段階においてこの政治的職責は、最大の権限をもつものである。行使するその他の職責は、国家評議会・閣僚評議会議長であり、これは国会で選出される。両方の職責とも、後継者がいた。それは、家族的縁故から当然だと考えたことではなく、経験と長所から選んだものである。
最高司令官の地位は、戦い自身の中で得たものであり、私の個人的長所というよりも偶然の結果である。革命自身が、最後の段階で、すべての武力機関の司令権を議長に与えた。その機能は、私の判断では党第一書記に属すべきである。米国によってつくられた帝国のような余りにも強大な障害と対決しなければならない、キューバのような国においては、そうでなければならないと、私は理解している。
前回の党大会から14年が経過したが、この期間、ソ連及び社会主義陣営の消滅、非常時、私自身の病気が重なった。
健康が、次第に、一つ一つ回復していったとき、何らかの職責の辞任を明確に正式に表明するという考えや必要性は、頭に浮かばなかった。この期間、国会の代議員として選挙で選出される栄誉を受け入れた。肉体的に出席せずともよく、同じ考えを持つことができるからである」。

このフィデルの説明は、昨日の私のコメント通り、正式にはフィデルは、ラウルに「一時的に」党第一書記の権限を移譲したままであり、党第一書記を辞任したものではないことを、フィデル自身認めたものある。私のつじつま合わせが、間違っていなかったのである。

しかし、このフィデルの説明で、一国の指導者が、いかにアラブ問題が重大とはいえ、「一か月後の党大会の開催を思い出さなかった」というのは、驚きである。しかも、フィデルがいうように、キューバのような総動員体制にある国で、キューバ共産党第一書記の任務が最も重要であるなら、現在キューバ中を上げて、党大会の議論、経済改革の議論をしているおり、大会の開催を思い出さなかったというのは、いかがなものであろうか。

また、党第一書記の辞任を正式に表明することは、頭に浮かばなかったというのも、党内の民主的、集団的、組織的運営という意味からすれば、率直にいって驚きである。08年2月18日の国民へのメッセージでは、「国家評議会議長、閣僚評議会議長、最高司令官を辞任する」と文書で発表しているだけに、残りの党第一書記の問題を忘れていたとも思えない。

フィデルは、熟達した老練な政治家である。この間、党第一書記の辞任を正式に表明しなかった真の理由は、さまざまな解釈がありうるが、フィデル自身に聞くしかない。いずれにせよ、50年余にわたり、キューバ革命、社会変革、キューバの民族自決権の確立には多大な貢献をした人である。その心労は大変なものだったであろう。ご苦労様でしたと心から述べたい。

フィデルが、共産党第一書記の職責が最も重要だと考えたのには理由がある。キューバ共和国憲法では、第5条で「キューバ共産党は、キューバ国民の前衛組織であり、社会と国家の最高指導勢力である」と規定している。また、キューバ共産党規約では、第1章で「キューバ共産党は、社会の最高の指導勢力」と自己規定している。さらに、党規約の第57条では、「革命軍および内務省における党活動は、キューバ共産党第一書記によって指導される」と定められている。また、党内では、党規約の第1章で、「党組織は、党第一書記のフィデル・カストロ同志の指導と助言に基づいて行動する」と決められている。
とすれば、社会の最高指導勢力のキューバ共産党の第一書記は、キューバ社会の最高権力者となるからである。こうした特殊な総動員体制も、今後検討されていくであろう。

憲法第5条については、世界でも珍しい旧文となっており、その削除については、昨年12月の国会でラウルが示唆している。共産党が社会の最高指導勢力という規約上の規定も、それは国民が評価することであり、自己規定は意味をなさない。また、党規約第1章も、第一書記が代わると党規約を改正するという妙なことになるので、今後改正されるであろう。

なお、フィデルが言っている「前回の党大会から14年が経過したが、この期間、ソ連及び社会主義陣営の消滅、非常時、私自身の病気が重なった」というのは、正確ではない。ソ連の消滅は、1991年12月、いわゆる社会主義陣営の消滅は1989-90年、非常時は、1990年8月からである。その間、キューバ共産党は、1991年に第四回党大会を開催し、6年後の1997年に第五回党大会を開催している。「重なっている」と問題になるのは、1997年以降である。かつて、フィデルの文章は、明快で、論理が通っていた。しかし、最近の文章では、少なからずのほころびが見られる。残念なことである。


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2011年3月23日 (水)

つじつまが合わない?

つじつまが合わない?

フィデル・カストロ前国家評議会議長が、3月21日付の「省察」の中で、次のように書いている。
「2006年7月31日に病気になったとき、党第一書記を含めて、国と政治的職責のすべてを迷うことなく辞任した。すべての人々が、親切にも引き続きこうした形で私に肩書をつけていたけれども、同日の声明のあとも、1年余のあとに健康が一部回復した時も、決してこれらの職責に復帰しようとは考えなかった。
しかし、私は、引き続き、約束したように、考えをめぐらせ、呼吸することができる限り、思想の一兵士でありつづけるであろう」

しかし、事実はどうであったろうか。

06年7月31日の声明で、フィデルは、「一時的に、①党第一書記、②軍最高司令官、③国家評議会議長・閣僚評議会議長の権限をラウル・カストロに委譲する」とのべて、文面からすれば、この権限の委譲は一時的、臨時的なものであったことを示している。

その後、フィデルは、08年2月18日の国民へのメッセージで「国家評議会議長、閣僚評議会議長、最高司令官を辞任する」と発表した。しかし、この中には党第一書記の職責を辞任することは、含まれていなかった。

09年7月29日、キューバ共産党第7回中央委員会総会が開催されたとき、キューバ共産党機関紙『グランマ』では、ラウル・カストロ党第二書記が会議を主宰したと報道した。

昨年9月3日、フィデルは、ハバナ大学で演説を行ったが、それを報道したキューバ共産党機関紙『グランマ』には、「キューバ共産党中央委員会第一書記」と述べられている。その後、グランマ紙が、同記事を訂正してはいない。

また、11月9日、第6回党大会の開催が発表された際、規約によれば、党中央委員会が招集することになっているが、大会の招集を述べたのは、ラウル・カストロであり、その肩書は「党第二書記」とグランマ紙では紹介された。

さらに、11月17日、フィデルは、ハバナ大学学生連盟の副委員長が、「軍最高司令官であり、党第一書記のフィデルの考えに賛同する」と述べたとき、フィデルは「この青年達との集会に党第一書記としての資格で出席したのではない。病気になったので、当然行わなければならない権限の委譲を行ったのである」と述べて、党第一書記の地位を維持しているかどうかは明確にはしなかった。

キューバ共産党規約の第47条では、中央委員会総会は、党第一書記、第二書記を選出することになっている。とすれば、06年7月31日に党第一書記を辞任していたとするなら、08年4月の第6回中央委員会総会、あるいは09年7月の第7回中央委員会総会で党第一書記が選出されていたことであろう。いずれにせよ、4年半余にわたり、党第一書記が不在であったという、不正常なことになる。あるいは、もし、辞任しているのであれば、9月3日のグランマ紙の報道は誤りであり、さらに11月17日の学生との集会で、「党第一書記は辞任している」というべきであったであろう。

以上の事実を、つじつまが合うように解釈すれば、フィデルは、「一時的に」党第一書記の権限を党第二書記のラウルに委譲しているのである。

なお、キューバ共産党規約では、第1章で、「党組織は、党第一書記のフィデル・カストロ同志」の指導と助言に基づいて、行動する」と述べられている。4月の第6回党大会では、こうした規定も改正されるであろう。


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