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2011年1月

2011年1月28日 (金)

キューバ語辞書(改定版)

キューバ語辞書

キューバをしばしば訪問する人が増えており、またキューバの風俗・習慣に関心を持っている人も増えているようです。しかし、キューバでも俗語が沢山使われており、その中に入ると分からなくなります。また、読んでいる本や、文献の中に、キューバ語が出てくると理解できない場合があります。一般の辞書を引いてももちろん出てきません。そこで、キューバ語をもっと知りたい人のために、下記に辞書を紹介しましょう。

ところで、あなたのキューバ語の理解度は?下記の5問でどれだけわかりますか。5問ともキューバ語では初級でしょうか。

El es un barco. Me quedé esperando toda la noche.
La temba de que me hablaste se conserva bien.
Antonio, te presento a mi jeva.
Nos pasó un caballito y nos puso una multa.
Yo no te eché pa’lante, fuiste tú mismo.

Fernando Ortiz, Nuevo Catauro de Cubanismos, Editorial de Cinencias Sociales, La Habana, 1974. キューバ語の古典的な辞書。

Antonia Ma. Trista y Sergio Valdes, El Consonantismo en el Habla Popular de La Habana, Editorial de Cinencias Sociales, La Habana, 1978. ハバナ語の発音の特徴を解説。

J. Vitelio Ruíz Hernández/Eoína Miyares Bermúdez, El Consonantismo en Cuba, Editorial de Cinencias Sociales, La Habana, 1984. キューバ語の発音の特徴を詳述。

Esteban Pichardo, Diccionario Provincial Casi Razonado de vozes y frases cubanas, Editorial de Ciencias Sociales, La Habana, 1985. キューバの各県独特の言葉を集めた辞書。1836年に初版が発行されて以来、数度の改訂新版が発行された名著の決定版。

Leonardo Depestre Catony, Consideraciones acerca del vocabulario cubano,
Ediciones Sociales, La Habana, 1985. キューバ語の俗語について、豊富に事例を列記し、かつその由来を説明。

Carlos Paz Pérez, Diccionario cubano de términos populares y vulgares, Editorial de Ciencias Sociales, La Habana, 1994. キューバ語の俗語辞典の決定版。

Argelio Santiesteban, El Habla Popular Cubana de Hoy, Editorial de Ciencias Sociales, La Habana, 1997. キューバの現代語の辞書。

Gisela Cárdenas Molina, Antonia María Tristá Pérez y rfeinhold Werner, Diccionario del Español de Cuba, Gredos, Madrid, 2000. スペインで発行されたキューバ語の辞書。

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2011年1月24日 (月)

米国の対キューバ経済制限政策の強化と緩和

米国の対キューバ経済制限政策の強化と緩和

1月14日、オバマ政権は、対キューバ経済制限措置の緩和を発表した。これは、2009年4月にオバマ政権が次のような制限緩和措置を取ったものに続くものである。
①キューバ系米国人の渡航の自由化、傍系親族まで許可(現行:直系親族を3年に1度2週間以内)、渡航の際、持ち込み手荷物の重量制限解除、持参金額を800ドルとする
②キューバ人親族への送金制限の撤廃(それまで直系親族に年間1200ドル、各回300ドル、年4回)。ただし、政府高官、共産党員幹部への送金は禁止。
③米国企業が、衛星TV、携帯電話のサービスを提供することを認める(現在まで実施されず)。

しかし、この09年4月の緩和政策は、ブッシュ政権が、2004年4月におこなった制限強化策を緩和するものであった。その主な強化策は次のようなものであった。
①キューバ国内の反政府勢力に資金を援助する。
②キューバ系米国市民のキューバへの渡航を制限する(3年に1度許可)、同渡航者のキューバでの滞在費使用許可枠を削減する。以前は1年に1回訪問許可。
③キューバ系米国市民のキューバ家族への送金制限を強化する(直接の家族のみ。送金許可額は一家族宛年間1200ドル、300ドル/3ヶ月は維持)。以前は、年間3000ドル送金許可。④ヘルムズ=バートン法第4篇を厳格に実施し、キューバに投資した外国人投資家の米国への入国ビザの発給を禁止する。

今回のオバマ政権の制限緩和策の内容は、
①キューバとの学術、文化、宗教関係の人的交流を増やす。これまでも許可されていたが、極めて限定的であった。
②すべての米国人が、3か月間に500ドル(年間2000ドル)までを、すべてのキューバ人に送金することを許可する。これまでは、親族間の送金のみが許可されていた。
③キューバへのチャーター機のすべての米国国際空港の使用を許可する。これまでは、マイアミ、ニューヨーク、ロスアンゼルスのみ。
というものである。

米国の対キューバ経済制限は、米国は、貿易「禁止」措置と呼び、キューバは、経済「封鎖」措置と呼んでいる。経済「制裁」は、米国の立場が上位で正しく、キューバが下位で間違っているというニュアンスがあり、使用すべきではない。米国の経済封鎖政策は、1962年2月ケネディ政権のもとで、キューバ経済を困難に陥れ、社会主義政権を崩壊させる目的で実施された。その後、1992年ブッシュ政権によりトリセリ法が制定され、強化され、さらに1996年クリントン政権により、ヘルムズ=バートン法が制定された。さらに、キューバ系米国人家族のキューバ訪問、家族送金、学術・文化交流などをめぐって(これらは議会の同意を必要としない)、時の米政権が、自らの都合で、キューバの社会主義政権に米国の政策に従わせるため、あたかもアメとムチの政策を使い分けるように、制限を強化したり、緩和したりしてきた。

今回のオバマ政権の政策は、すべて、米国の外交政策の思惑が絡んだものである。
①の人的交流は、米国の学術的、文化的影響をキューバ国民に与えることが目的である。
②の送金は、これまでは、キューバ系米国人が、親族に同額を送金することに限定されていた。折りから、経済改革の中で自営業の設立が勧められているキューバで、経済活動を行うことを支援し、親米企業家を作ろうという露骨な意図が見え隠れする。さらに、キューバ政府高官とキューバ共産幹部を除くすべてのキューバ人に送金することを許可することで、政府・共産党と一般市民の間に楔を打ち込もうというものである。
③の米国空港の使用は、①の交流でキューバ訪問者が急激に増えて、年間80万人以上にも達すると予測されることから、すべての国際空港にキューバ行きのチャーター便の使用を許可するという、米国の便宜に基づいたものである。キューバのチャーター便の米国の空港使用を認めるものではない。

この措置に対する米国内、キューバ国内での反応はどうであろうか。
共和党のロス=レティネン(キューバ系米国人、フロリダ州選出、対キューバ強行右派)米下院外交委員会委員長は、緩和政策は、圧政者からキューバ国民を解放することには役立たないと批判している。昨年の中間選挙後に下院外交委員会委員長に就任した彼女の対キューバ強硬策が、最初に敗れた点で意味のあることである。
一方、民主党のジョン・ケリー上院外交委員会委員長は、この措置に熱烈に賛成と述べている。
キューバ国内の反体制派は、一般に今回の措置に賛成している。
キューバ政府は、制限緩和は、米国国民の広範な意見を反映したものだが、経済封鎖そのものは触れず、またすべての米国市民の渡航の自由を許可せず、不十分なものと評価している。

もともと、対キューバ経済封鎖、経済制限措置は、米国が自分の都合で制定したものであるから、それを緩和することにより、キューバ側に「人権問題」などで、なんらかの譲歩を求めるのは筋違いである。米国が、世界中で進めている自由貿易協定、貿易・金融の自由化、また、WTOの原則からすれば、米国の対キューバ経済封鎖、経済制限措置は、まったく矛盾するものである。

そうしたことから、国連総会で毎年討議されている米国の経済封鎖解除決議は、180か国以上の圧倒的な支持を得ているのである。「10.10.26 経済封鎖解除国連決議全文.pdf」をダウンロード


(2011年1月24日 新藤通弘)

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2011年1月20日 (木)

キューバ人にとっての音楽と野球

キューバ人にとっての音楽と野球
ラファエル・ラム (森口舞訳)
2010年11月28日(日)

 キューバ人の国技、野球への熱狂は、1世紀以上前にも遡り、音楽とポピュラーソングの中にも表されてきた。野球を扱った曲も沢山あれば、歌手やミュージシャンだった野球選手、また野球ファンのミュージシャンや歌手も多くいた。ハバナ・チームのダッグアウトでユニフォームを着たベニ・モレの写真もある。
 ポピュラー音楽の人気歌手、レグラ出身のロベルト・ファス(1914-1966)は、ハバナ湾の対岸にあるレグラ地区の住民の名前で呼ばれているチーム「レグラーノス」の試合を毎試合見に行ったものである。
 
 野球がテーマの音楽をいくつか思い出してみよう。ブラボ兄弟とカジノ・バンドの「カルロタと野球に」、セプテト・ナショナルの「野球は、嫌い」、チャポティンとスターたちの「マリア、ボールを投げて」、リカルド・レイバと南カリブの「野球を教えて」、オルケスタ・アラゴンのキューバ出身の大リーガー、アモロスを歌った、「アモロス、セラ・コミオ」などがある。
 オルケスタ・アラゴンが、ラファエル・バカリャオとO・ペレスの次のソンを広めたことを多くの人が記憶している。「私と遊びたいなら、野球にはまらなければダメだ。うまく打たないなら、いいプレーではない。ボールは飛んでいく。ボールは飛んでいく。ボールは飛んでいく」。
 エンリケ・ホリン(1926-1987)が率いるオーケスタ・アメリカには、レパートリーの一つにこのような歌がある。「ミニョソが本気で打ったなら、ボールはチャチャチャで踊る」ペドロ・チャベスが入ったコンガのバージョンでは、「ペドリートが本気で打ったなら、ボールはチャチャチャで踊る」。
 一方、ロス・バンバンは、ペドリート・カルボ(1942-)が歌う野球をテーマにした歌で、こういう良く知られたリフレインがある。「野球については議論したくない。議論したくない。だれが打つか興味はない。議論したくない」。
 古い歌の思い出だが、シルビオ・ロドリゲス(1946-)が生まれた村のサン・アントニオ・デ・ロス・バニョス出身のライムンド・バレンスエラ(1848-1905)のオーケストラも、野球の試合の歌をいくつか作曲した。バレンスエラは、作家ホセ・レサマ・リマ(1910-1976)の詩の中で高く称賛されている。
 
 フェリックス・フリオ・アルフォンソの資料に拠って、野球選手でもあったミュージシャンについて、何人かを挙げてみよう。エドゥアルド・モラレス“鮫”(ソン・カトルセ)、アスカレーロス・チームとラス・ビジャス・チームの選手、ロランド・マシーアス、ダンソン歌手のロベルト・ゴンサレス・エチェバリアがいる。
 オリエンテ・チームで伝説となったマヌエル・アラルコンは、東部バヤモ市の歌手だった。トリオ・マタモロスは、スポーツ記者のエラディオ・セカーデス(1904-1976)が、考えをめぐらしているときに演奏をした。「ボールよ、どこにでも、どんな風にでも、好きなように。ボールよ、どこに飛んで行こうが、入りこもうが、好きなように」。
 
 全国シリーズの最終決戦の多くは、その当時人気のあった音楽のテーマと関係している。1986年、ピナル・デル・リオとの試合でハバナ・チームのマルケッティが、決勝場外ホームランを打った時、ロス・ラティーノスの曲、ラ・ベレンヘナが流行っていた。
 1997年のシリーズでは、ハバナのインドゥストリアレス・チームは、「どうして噂以上でないといけないのか。上になって、上になって」というフレーズの繰り返しに応援されながら勝利した。20世紀末の大ヒット曲だった。
1998年にはキューバ・サルサのドリーム・チーム(チーム・クーバ)がラテンアメリカ・スタジアムに集まり、超満員の中で野球の試合をした。インドゥストリアレス・チームの野球選手と現代キューバ音楽の野球選手が一堂に会した重大なイベントであった。
 
 キューバのスポーツ選手で、好記録を達成したもの、メダルを受賞したもの、好成績を残したものは、トレーニングを受けたり、オリンピックで競技に参加したりするとき、ロス・バンバン、チャランガ・アバネラ、NGラ・バンダ、アダルベルトと彼のソンなどを荷物の中に入れてもっていく、ということも言っておこう。
多くの野球試合では、野球や、その時の流行のテーマを扱ったレフレインを観客がコーラスしながら行われる。実況中継のアナウンサー、ボビー・サラマンカは、試合を描写するのに、音楽とサトウキビの収穫の表現を使う。アンディ・バルガスも、野球の実況中継で同じようなことを行っている。

 ソン歌手達のリフレインやコーラスには、野球、女性、音楽に関係のある言い回しが使われる。要するに、野球と音楽の結合は、この二つがなぜキューバだけでなく、米州諸国の人々にとって最も重要な二つの文化的表現であるかという理由を説明している。
試合を始めるにあたってマヌエル・アラルコンは、「トロチャへの道を閉ざしてココジェの踊りの準備をしろ」と告げた。インドゥストリアレスが勝った時には、「インドゥストリアレスがココジェの踊りを黙らせた」と、観客は繰り返して歓呼したのである。


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2011年1月16日 (日)

尖閣諸島問題をどう考えるか

尖閣諸島の領有をめぐる問題が、昨年9月以来、日中間の重大な外交問題となっています。どう考えたらよいのでしょうか。領土問題は、どのような問題であれ、まずは歴史の過程を客観的に検討する必要があります。そして、その結果に基づいて、あくまで話し合いで解決することが大道です。

以下、友人の弁護士の毛利正道さんが、各種の資料を渉猟して、「出発点としての尖閣諸島領有問題」という題で、力作を発表されています。問題の解決方法については、私は若干異なる見解をもっていますが、問題点を深く考えるには格好の史料となっていますので、ここに紹介します。

「尖閣諸島領有問題をいかに解決すべきか」
2011年1月8日毛利正道

尖閣諸島は日本の領土

1 日本政府は、1884年頃から尖閣諸島の島で海産物業を営んでいた古賀氏からの借用願を契機に、10年かけた測量・調査のうえ、1895年に無人の尖閣諸島を日本の領土とする旨の閣議決定をして、翌年から30年の期限で古賀氏に無償貸与、同氏とその相続人は(大正島を除く)4島で諸施設を建てて最大200名を従事させて「古賀村」を形成し、1916年頃まで約20年間(若しくは1940年頃まで45年間)海産物採取販売事業を展開してきた。
位置図:別紙 図1・図2

2 自国の領土以外の土地を原始取得する方法として国際法上認められている「先占」は、
①他国の領土になっていない土地について
②領有する意思を示すこと(相手国に対して示すことは要件でない)と、
③実効的な占有が必要を要件とするが、

① については、1895年の時点ですでに中国の領土になっていたということが証明されているとは言えないと思われる。それどころか、すでに1884年頃から日本の古賀氏が私人の立場で尖閣諸島で海産物業を営んでいたこと(前記1885年9月6日の清国の新聞によると、中国側もこのことをある程度把握していたと思われる)に対し、日本政府が古賀氏に30年間貸与を決めた下記1896年まで10年間以上にわたり(むろん、その後においても)清国側からクレームが付けられた形跡がない。すでに清国の領土になっていたというなら、当然あるべきであろうものが。

② については、遅くとも1896年9月に、日本政府として古賀氏に30年間無償貸与した時点で、領有意思を公表したとみることが適切である(1895年1月の閣議決定については、公表されていないだが、それでもこの要件を満たすと言えるのかも知れない)。

③ については、古賀氏に貸与していない大正島(1896年4月に沖縄県知事によって日本に編入されてはいる)についてはともかく、貸与した4島については、十分要件を満たしている。個人では国土を領有できないから、この古賀氏への貸与とその事業継続で、日本国としての実効支配と言える。

以下、続きは別添添付書類をご参照ください。
「11.01.08 毛利 尖閣問題.pdf」をダウンロード

あるいは下記のサイトをご参照ください。
http://mouri-m.mo-blog.jp/blog/2011/01/post_0cf5.html


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2011年1月14日 (金)

講演会 新しい経済モデルに挑むキューバ

下記に講演会のご案内をいたします。

―『資本論』セミナー・海外交流の基礎―

新しい経済モデルに挑むキューバ
―科学的社会主義の古典を参照しながら、その内容を検証する―
■ 講師:中南米研究家新藤通弘さん 
■ コメンテータ:首都大学東京宮川彰教授
■ 2月11日(祝金)2時半~5時
   2時間のレクチャーと30分のQ&A
■ 場所:秋葉原ダイビル 12階 JR秋葉原駅電気街出口徒歩1分
■ 資料代 500円   
■ 主催 :首都大学東京宮川研究室
   :東京学習会議『資本論』委員会

〒113-0034 東京都文京区湯島2-4-4 全労連会館5階 
TEL:03-5842-5646 Eメール:gakusyuu@livedoor.com
Fax申込:03-5842-5647

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2011年1月 8日 (土)

社会主義への過渡期の国々、知られざるキューバ、―進もうとする道―」

昨年、12月25日、首都大学東京宮川研究室・東京学習会議『資本論』委員会主催で開催された新藤通弘氏の講演会、「社会主義への過渡期の国々、知られざるキューバ、―進もうとする道―」のレジュメをご紹介します。
「10.12.25 知られざるキューバ、社会主義への過渡期の国々.pdf」をダウンロード

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2011年1月 4日 (火)

中南米におけるエコ型社会主義の探求

比較、「社会主義」をめざす国々―中南米におけるエコ型社会主義の探求―
新藤通弘
 

皆様のお手元にあるレジュメのタイトルは、比較社会主義とありますが、間違いで、比較、『社会主義』と直してください。「比較社会主義」という社会主義があるわけではありませんので。中南米のエコ型社会主義、これは主催者が付けられたものですが、本当はエコロジカル社会主義としたほうがいいかもしれません。しかし、エコのほうが本当にエコ節約となりますから、エコロジカル社会主義でなくて、エコ社会主義と、2つの文字でそのまま採用しました。
 かつて、歴史学者の犬丸義一さんから「新藤さんは経済学者ですか、専門は」と聞かれました。もちろん「そのような経済学を研究するような能力はありません。歴史学です」と答えました。私は歴史学現代史専門ですが、犬丸先生からしたら歴史学者としてはレベルが低いなと思われて、経済学者と思って聞かれたのかもしれません。宮川先生から見ると経済学を分かっていないなと言われるかもしれません。いずれにしても、どちらもあまり分かってはいないかもしれません。

社会主義はどう考えられているか
今日は、だいたい21世紀の社会主義というものを中南米で、とくにベネズエラ、ボリビア、エクアドルの3カ国で、どういう形で追求しているかという話ができればと思っています。その前に社会主義というものを一体どういうようにいろいろな人が見ているのか、というのを簡単に紹介しておきましょう。ここでは、単純に社会主義国であり、現実に合わず崩壊したという一般によくある考え方は省略します。

(続きは、添付のPDFをご覧ください)「10.11.27 エコ社会主義への模索.pdf」をダウンロード

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2011年1月 2日 (日)

ラウル・カストロ議長の第7期第6回国会閉会演説

ラウル・カストロ議長の第7期第6回国会閉会演説

ラウルがいうように「経済改革列車は、ついに発車した」。ぎりぎりの時点で、といっても良いかもしれない。その改革のスタイルには、理想主義に陥らず、実践的に問題と取り組み、指導においては信賞必罰というラウル色が色濃く出ている。ラウルの12月の国会において、ラウルの考えがはっきりと見られるところを紹介しよう。

 来年は通常貿易の支払いの遅れを完全に解消する。また、累積債務のリスケも前進した。合意したリスケは期日通り支払うことを再確認する。
 2011年は、新たな中期計画、5カ年計画の最初の年で、構造的な変革とキューバ経済モデルの概念の変革を導入する。
 計画と予算面では、未達成や、赤字を記録するという歴史を繰り返してはならない。計画や予算は、神聖なものである。できなかった場合、言い訳や不正確な報告、意識的であれ、無意識的であれ、ウソをついてはならない。
 幹部は、部下からの不正確は報告を検証せずに、無意識にウソに陥ってはならない。そうした幹部は、だれであれ、その職責を一時的でなく決定的に失うことになるであろう。聖書の十戒が8番目、9番目でいうように「盗んではならない」、「隣人に関して偽証してはならない」。あるいは、インカ文明でいわれているように、「ウソをつくな、盗むな、怠ける」という言葉を思い出そう。
 率直で真摯な議論を異なった意見も含めて民主的に行い、経済が機能して、キューバで社会主義が維持され、後戻りしないように、戦略的な変革を緊急に導入する必要がある。
 場所と時と方法において、適切に表明された反対意見は、見せかけの、日和見主義に基づいた偽りの満場一致よりもはるかに望ましい。いろいろな意見があればあるほど問題を分析でき、より適切な解決策に近づくことができるものである。
 近年述べてきたように、思いつきや、焦りでこうした大きな、複雑な、相互が絡み合った問題に取り組んではならない。
 教条主義や非現実的な理念に拘泥する議論は、大きな心理的は障害となるので、それらを次第に克服する必要がある。
 党は、指導し、管理するが、いかなる上部の水準からも、あるいは指示する人がだれであっても、政府の活動に干渉してはならない。
 多くのキューバ人は、社会主義を、無料制度、補助金制度、表面的平等主義、配給制度と混同している。
 かつてベトナム戦争の最中、ベトナムに、キューバはコーヒーの栽培方法を教えた。今ベトナムは、世界で第二位のコーヒーの輸出国となっている。あるベトナム政府の高官がキューバ人に言った。われわれに栽培を教えたキューバが、どうしてベトナムからコーヒーを輸入するのか。そのキューバ人は、きっと「アメリカの経済封鎖があるからだ」と答えたであろう。
 マルクス・レーニン主義の古典からいっても、これまでの別の国々の社会主義建設の実践的経験からいっても、経済面での新しい社会の建設は、未知の行程である。
 計画と非自由市場、生産手段の所有の集中を許さない経済が、キューバ経済の特徴であり、過去のようには悪例を模倣せず、資本主義の積極的な経験も含めて他国の経験を参考にしつつ、キューバ固有の条件に従って社会主義を建設しなければならない。
 マルクス・レーニン主義の古典、とりわけレーニンは、新しい社会の建設の特徴として、全国民を代表して、基本的な生産手段の所有を維持すると規定した。われわれは、この原則を極限化し、ほとんどすべての経済活動を国家所有とした。
 農業において様々な生産形態を推進し、農業生産力の増大に対するいろいろな障害を除去し、食料の輸入用の外貨を節約するために農業生産者がその犠牲的な労働に対して正当で合理的な収入を得るようにしなければならない。
 経済の効率の向上、資源の節約、重要でない経費の削減、輸出の増大、国民の間の経済意識の涵養が必要である。今やわれわれはすべてエコノミストでなければならない。
 もし、われわれが革命を救いたいなら、われわれが、ここで同意したことを履行しなければならない。大会のあと、これまでの多くの場合のように、文書が引き出しの中にしまわれ眠ってしまうようなことがあってはならない。誤りを矯正して、危機の淵から脱出するか、あるいは沈没するかである。
 われわれが分析した問題、批判した誤りは再びおこしてはならない。革命の生命をもて遊んではならない。
 各自の弱点を隠すための秘密主義は、良くない。誤りは、真摯に分析されるならば、それを克服し再び起こさない経験と教訓になる。
 人間は、同じ障害に二度ぶつかる唯一の動物であるといわれるが、キューバでは二度以上ぶつかる。ドミニカ人のマキシモ・ゴメスがいったように、「キューバ人は行きつかないとすれば、通り越してしまう」のだ。
 ホルヘ・ルイス・シエラ・クルス運輸相、閣僚評議会副議長、ヤディーラ・ガルシア・ベラ基幹産業相、ペドロ・サエス・モンテホハバナ市党委員会第一書記は、政府、党の重要な地位を占めていたが、党政治局は、閣僚、中央委員会、国会の地位を解任した。三人とも誤りを認め、正しい行動を取ったので党籍は維持され、それぞれにふさわしい職場に配置された。これが、党と政府の幹部政策であることを知ってほしい。
 革命の元勲世代の寿命は残り少ないので、革命の方向性を示しておきたい。
 50年にわたる社会主義の建設の中でわれわれが犯した誤りは、われわれが直さなければならない。

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2011年1月 1日 (土)

2010年キューバ10大ニュース

2010年キューバ10大ニュース

①経済改革列車発車する
4月、ラウル議長は、キューバ共産主義青年同盟(UJC)第9回大会で、官庁・国営企業で100万人余の労働者が、過剰となっており、このことが生産性を低くしており、政府の財政赤字の原因の一環となっていると指摘、この問題の解決を提案した。ラウルは、7月から非公開で改革案を準備し、8月には100万人の過剰労働者の再配置の方法と2011年末までのロードマップを明らかにした。9月には失業保険、社会保障の特別措置が発表され、10月には最大の受け皿となる自営業種が178種に拡大され、累進個人所得税、自営業者の新たな納税制度も制定された。過剰雇用問題を皮切りに、協同組合などの多様な生産制度を推進し、生産を増大し、賃金の購買力を回復し、配給制度などの表面的な平等主義を廃止するとともに、二重通貨を克服してキューバ国内通貨のみとするという、キューバ社会・経済全体の改革となるものである。戦略的変革の全体構想は、11月キューバ共産党第6回大会討議文書「経済・社会政策路線案」として発表された。

ラウルは、「改革の列車がついに発車した」と述べたが、4月の基礎行政区議員選挙に示されたように、国民の政府への信頼が揺らいできていた。ラウル自身が「誤りを矯正して、危機の淵から脱出するか、あるいは沈没するかである」と述べたように、遅まきながらのぎりぎりの改革の実行であった。

②経済、回復軌道へ
昨年度から輸入の削減(-1%、09年-37.5%)と輸出の増大(+28.7%,09年-21.8%)、観光収入の増大(5.5%)に努力が払われる中で、今年度のGDP経済成長は、政府発表の速報予想値で2.1%(国連ラテンアメリカ経済委員会では1.9%,09年1.4%)のプラス成長となった。インフレ率は1.4%、財政赤字は、GDPの3.4%(09年4.8%)を示した。政府部門の収入が1.9%減少し、政府支出は、3.5%削減された。外貨ショップの売上は、11.2%減少し、国民生活は依然として厳しいものがある。特に農業生産の中で、食料の中心である、豚肉、卵、米、根菜類、野菜、豆類、柑橘類などの12品目が目標を下回った(-2.4%)。建設も住宅が32,748戸にしか過ぎず、マイナス10%を記録した。砂糖生産も、国際価格が上昇しているにもかかわらず目標を195,000トン割り、110万トンであった。
しかし、輸入の大幅な削減と輸出の増大により、国際収支は改善しつつあり、2008年より遅延していた通常の対外支払いも、遅延を回復しつつあり、来年度には遅延分をすべて支払う見通しとなっている。2011年のGDP成長目標は3.1%と定められた。

③フィデル、公的場面に再登場
フィデルは、6月1日、省察「帝国と戦争」を執筆して以降、朝鮮半島の緊張とイランの核開発をめぐり、世界核戦争が緊迫しているとの独自の見解を「省察」で立て続けに発表し、7月8日、8月8日、9月7日、9月9日、9月15日、9月20日を世界核戦争が勃発する日と5度にわたり予言したが、すべて外れた結果となった。フィデルは、7月7日には全国科学調査センターCENICを訪問し、その写真が公表された。06年7月以来、公衆の前に初めて姿を現したのであった。それ以降、いろいろな知識人と会ったり、屋外で学生を相手に演説を行うようになっている。しかし、国内問題には言及せず、国際問題にしぼって自論を展開している。

④所有と経営の分離進む
今年になって、タクシー運転手、美容院・理髪店勤務員、小型バス運転手に対して、固定賃金制を止め、タクシー、営業施設・器具、バスを貸与して、一定の賃貸料を取り、残りの収入はすべて使用者のものとなるという改革が行われている。また、08年7月からは、国有地の未利用地部分を希望者に期限付きの耕作権を与え、農業の増産を図る政策も取られている。
これらは、中国やベトナムで行われている所有と経営の分離であり、一種の請負制である。しかし、キューバ政府は、1992年からの経済改革において、外資の導入を除いては、分配面での改革に限り、国が所有の枠から踏み出すことはしていない。これは、60年代からの米国との対決の中で総動員体制が敷かれ、農業を除きほぼ全面的に国有化が行われた結果である。キューバ政府は、それを2002年に1992年憲法の政治、社会、経済制度に関しては修正不可と定めて、国家所有を絶対化した。しかし、ラウルは、12月の国会の演説で、「われわれは、(国家所有)を極限化し、ほとんどすべての経済活動を国家所有とした」と問題点を指摘している。
現在進められている、労働力の再配置政策では、国営企業を必要最小限にとどめ、国の所有権は維持したまま、国のサービス業の施設、製造業の施設を協同組合に改編するように考えられている。

⑤農業不振継続、未使用地の使用権供与で増産を図る
キューバ農業は、本年度上半期、12%生産が減少し、自由市場での農産物の供給が目に見えて減少した。5月15・16日に開催された第10回キューバ小農協会(ANAP)大会で、食料の増産が真剣に議論された。食料自給率が40%で、年間16-20億ドル程度も(輸入の20%程度)輸入しなければならず、外貨事情がひっ迫しているキューバにとって、食料の増産は焦眉の急である。農産物増産の切り札として、08年に制定された政令第259号による土地の使用権が、これまで1,007,112ヘクタール、111,137人に付与された。しかし、利用されているのは、現在46%に過ぎない。不振からの脱却は、農業制度そのものに存在する諸問題を解決しなければならない。そのため、農業資材の生産者への直接販売、国の買い付け方法、買付価格の検討、農産物栽培の自由、国に引き渡したあとの残りの農産物の自由販売などが検討されている。今年の砂糖収穫は、1905年以来最悪であり、その原因は「砂糖工業省および製糖企業グループの管理と要求指導の不足」にあるとして、ラウルの長年の盟友であるウリセス・ロサーレス・デル・トロ閣僚評議会副議長も、農業相を解任された。ラウルの人事は私的感情に流されない厳しいものである。

⑥経済封鎖19年連続勝利
10月26日、第65回国連総会で、「米国の対キューバ経済・通商・金融禁輸措置を解除する必要性」が、賛成187カ国、反対2国(米国、イスラエル)、棄権3カ国(マーシャル諸島、ミクロネシア、パラオ)という圧倒的大差で採択された。昨年賛成のパラオが棄権にまわり、国連加盟国192カ国の97.4%が賛成した。
米国の不当な「対キューバ経済封鎖」政策は、国連憲章、国際法、民族自決権、内部問題不干渉、国内政策の域外適用、自由貿易に反するものとして、19年連続して国際社会の圧倒的な意見で解除が要求されたのである。
キューバ政府は、1962年からの48年にのぼる経済封鎖により累積損害は1,001億ドル(時価評価額7,513億ドル)に達し、経済発展の大きな障害になっていると報告している。
米国の経済封鎖政策の中でも、米国農産物の対キューバ輸出は、昨年度6億7500万ドルに達し、米国は、キューバにとって第5位の輸入相手国となっている。また、米国人、米国在住の里帰りキューバ人のキューバ訪問は、2009年40万人に上っている。
オバマ政権は、昨年4月にキューバ系米国市民の家族訪問、家族送金、通信サービスの提供など、封鎖条件を一部緩和したが、予想されていたその次の緩和策、米国人一般のキューバ訪問を許可していない。

⑦政治囚52名釈放へ
7月7日、キューバ政府は、反体制派52人の釈放を決定した。発表によれば、ラウル国家評議会議長、ミゲル・アンヘル・モラティーノ、スペイン外相、ハイメ・オルテガ、ハバナ・カトリック教会枢機卿の3者会談で合意されたものである。
この52名の反体制派は、2003年3月18日以降、米国からの干渉に呼応した容疑で、逮捕された政治囚72名のうち、未だ収監されている人びとであった。判決の理由は、法律第88号「国家の独立及びキューバ経済擁護法」及び法律第62号「キューバ共和国刑法」に照らして、外国勢力からの反政府活動資金の受領罪、外国勢力との反政府活動共謀罪であり、5年から27年の禁固刑を受けた。23名は、すでに健康上の理由で釈放されていた。
確かに、75名の逮捕者は、すべて在ハバナの米国利益代表部との関係、資金援助の関係を認めており、無実の罪の冤罪ではないが、起訴、量刑などについてキューバ政府の過剰な反応という側面もなくはなく、内外で少なからずの批判も呼び起こしていた。
ラウル政権にとっては、現在、困難に陥っている経済を立て直すことが第一の課題である。中でも外貨不足は、極めて厳しい状況にある。EU諸国からの借款、米国のキューバ観光訪問の解除、外国投資の拡大は、外交関係の原則を守りながらも、非民主主義的と批判されている国内の課題を解決して、柔軟な対応で実現したいものである。また、国内で経済改革を進めるには、安定した秩序が必要である。こうした内外の事情が、超法規的な措置を取ってまでも、52名を釈放した背景であった。年末までに41名が釈放され、11名が未釈放となっている。

⑧党大会に向かって国民の討議進む
11月8日、キューバ・ベネズエラ総合協力協定10周年記念の集会で、2011年4月後半に第6回党大会を開催することが発表された。党大会は、党規約によれば、中央委員会総会により招集されるが、党政治局によって招集された。97年の第5回大会から14年ぶりの党大会である。翌日、キューバ共産党第6回党大会の討議文書が発表された。12月の国会で、ラウルは、党大会が、来年度の4月16日~19日の間に開催されると発表した。現在、国民の間でも「とにもかくにも、ついにことは始まったのだ」が合言葉となっている。「経済・社会政策路線案」は、全部で32ページに及び、12章に分けられ291項目の政策が提起されている。
11月には、各省の幹部、経済学者の間で草案は討議され、12月1日から来年の2月末まで職場と居住区の革命防衛委員会で討議されている。キューバ共産党の入党手続きは、一党制の制約に対処するため、職場の模範労働者選出総会で推薦されることになっているので、党大会文書も一般大衆の中で討論されるのである。
なお、党大会に次ぐ重要な会議である党全国会議は、2011年の党大会後に開催される予定であるが、この会議では党活動の方法やあり方が検討され、修正される予定である。そこでは、憲法第5条にある、キューバ共産党は、キューバ国民の中の組織された前衛、社会と国家の最高指導勢力という規定も問題とされるであろう。この規定は、国民政党としての党の活動を制約しているとラウルは指摘している。

⑨米玖関係、駆け引き続く
米玖関係は、今年も微妙な駆け引きが続いた。2月にはハバナで移民問題について協議が行われた。米国側は、クレイグ・ケリー国務省西半球問題担当副次官補が出席し、協議に強い関心があることを示した。会議は当初、「生産的で大変実践的」と米国側は評価していたが、米国代表団が、滞在中にエリサルド・サンチェスをはじめとする反体制派と会議をもったことついてキューバ側が強硬に抗議し、決裂した。
6月には、ワシントンで移民問題の討議が行われた。今度は、「相互尊重の雰囲気で話しあわれ、不法移民の取り締まり方法で、重要な成果があった」と発表された。次回会議を年末にキューバで開くことで合意しているが、結局12月には開催されなかった。
キューバは、米国の経済封鎖が敷かれているものの、毎年食料を5億~7億ドル米国から輸入している。また、米国からの里帰りキューバ人も数10万人に達し、経済的にはいよいよ関係が深まっている。米国の石油業界は、メキシコ湾でのキューバの海底油田の開発に大きな関心をもっているといわれる。
しかし、8月米国務省は、キューバをコロンビア革命軍(FARC)などを支援しているテロ支援国家と引き続き規定した。また、米国政府は、キューバの「民主化」の程度が不十分だとしている。
キューバには、2009年12月より、米政府の開発政策社(DAI)のキューバ担当請負社員アラン・グロスがスパイ容疑で逮捕、拘留されている。一方米国には、1998年より、ヘラルド・エルナンデスほか4名がスパイ容疑で逮捕され、長期に拘留されている。キューバは、2008年よりキューバ国内の政治囚とマイアミで収監中の5人の交換を提案していたが、昨年からはグロスと5名の交換を提案している。この交換交渉は、今年半ばかなりの進展があったようであるが、11月の米国の中間選挙における民主党の敗北もあり、合意には至っていない。

⑩友好国、ALBA諸国との関係緊密になる
今年度、キューバは、ロシア、中国、北朝鮮、イランなどの友好国との貿易関係、政治同盟関係が深めた。
ロシアとは、軍事的な関係が再び深まり、ロシア企業がキューバの石油開発に参加した。
中国は、軍事的協力を再確認するとともに、貿易が30%余延び、年間20億ドル以上となっている。12月には、遅延していた貿易支払いの10年延期と新たなクレジットの供与で合意した。北朝鮮とは、フィデルは、天安艦事件では北朝鮮は関与していないとする一方、北朝鮮の核兵器の保有を抑止力として是認した。ヨンピョン島砲撃事件でも、北朝鮮の立場を支持している。
イランとは貿易が前年度比倍増するとともに、6億ドル余のクレジットを供与された。
一方、米州諸国ボリーバル同盟(ALBA)諸国、とりわけベネズエラとの関係が一層深まっている。ベネズエラとは、11月新たに10年間の総合協力協定を結んだ。そこでは、日量5万3000バレルの石油がキューバに供給されることが確認された。ALBAは、ホンジュラスが脱退し、ベネズエラ、キューバ、ボリビア、ニカラグア、ドミニカ、エクアドル、サンビセンテ・グラナディーン、アンティグア・バーブーダの8カ国となっている。貿易決済通貨として、スクレ(SUCRE地域通貨統一システム)が設定され、使用されるようになった。さらに特許技術、文化交流にも協力が広まっている。
特筆しておかなければならないことは、ハイチ大地震に際してのキューバの医療協力である。1月12日に大地震が勃発すると、即座にハイチ在住のキューバ人医療関係者344人が救援活動にあたった。その他の国々の医師団は2カ月後にはほとんど帰国したが、キューバは医師を増派し続け、現在1200人の医療関係者が医療サービスを提供しており、コレラ患者の40%の治療を行っている。

(2010年12月31日 新藤通弘)

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