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2010年10月 7日 (木)

あばたもえくぼ?

あばたもえくぼ?

先日、キューバ人と結婚し、キューバに8年間在住しているAさんから、メールがあった。
「キューバは元気です♪♪♪
経済危機の影響を受けて、観光産業は伸び悩みですが、市民の生活は、少しずつですが改善しています。・・・
また、(9月3日、フィデルは)、病後初めて大衆の前でスピーチをしました。ハバナ大学の大階段で、学生たちへ、ですが、もちろんこれも、私は参加しました。ビデオにとりましたが、ちょっと遠かったですね」。
と、フィデルの熱烈な信奉者であるAさんは熱っぽく語っている。

Aさんは、軽く、「市民の生活は、少しずつですが改善しています」というが、キューバ政府・国際機関の発表資料、キューバ内外の研究者の論文、キューバ内外の新聞情報、キューバ人友人からの情報を連日分析している研究者としては、首をかしげる内容であった。キューバ経済は、外貨事情が困難を極め、生活必需品の輸入も不足しがちで、外貨ショップの品ぞろいも不十分、農業生産も不振が続き、土地の使用権の貸与による農業の振興も、市場に農産物が出回るまでには至っていない。市民生活は、相変わらず厳しいというのが、研究者としての私の認識である。「一体どの点でそういうことがいえるのだろうか。キューバで生活する人の、『経験者は語る』ということもあり、『さもありなん』という話を聞けば、少なからずの人びとがそれを鵜呑みにしかねない。善意のキューバ『ファン』には、一服の清涼剤のように待望のニュースとして受け取られるだろう。困ったものだな」と考えた。

筆者は、現在、キューバが、所有と経営の分離(タクシー、バス、美容院、理髪店)、農地の使用権の貸与(11万人に100万ヘクタール)、労働力の約4分の1に当たる100万人(来年3月までに50万人)の過剰労働者の配転(農地使用権の貸与、自営業の種類の拡大、生産協同組合の創設、サービス業協同組合の創設などを通じて)、そのための流通・市場改革、新たな金融制度、税制度などの歴史的な経済改革に取り組んでいることを重視している。しかし、未だこの取り組みは端緒に就いたばかりであり、その成果は現れていない。こうした安易な「市民生活が少しずつ改善されている」という表現を問題にするのは、現在のキューバの改革の現状から目をそらさせることになりかねないからである。

そこで、一応、念のために、同じように日本人で、キューバ人と結婚しキューバに20年近く在住しているBさんに、市民の生活状況を聞いてみた。私が、Aさんの発言を否定しても、熱烈なキューバ信奉者は、「住んでいる人の発言だよ、行ってもみないでいうなよ」と筋違いな発言が却ってくるのが、予想されるからだ。

Bさんは、いつものように冷静な筆致でこのように答えてきた。
「キューバの経済状況に関してですが、例えば、個人営業を許可された種目が増え、それに従い各省庁・国営企業より大量の解雇が続出し、個人営業や農業にて食べていくように・・・という政策が進められています。しかし、実際には、それにより経済状況が変化しつつある、という状況には、まだありません。
理由は、個人営業を許可された種目が、経済を(生産面で)動かすことに直接関与していくような種目ではなく、民宿や、レストラン、家電の整備など、非常に個人的なものに感じるからです。また、そのための資金の貸し付けも国は推奨しておりますが、レストランなどの食材などの仕入れは、国のコントロールのもとに行われ、より良いものをより安く仕入れる、という私たちの感覚からは、ほど遠い感じです。・・・
市民の実生活で、経済状況の上向きを感じておられるAさんが、羨ましいです。些細なことでしょうが、砂糖がありません。お米も大変です。玉ねぎが入手困難なので、得意のカレーライスも出来ないでいます。PCのバックアップの修理が、部品不足で出来ません。車の修理も、部品不足で出来ません。これらは以前からあったことですが、砂糖が入手しにくくなったのは、20年住んできて、初めてです。
私には、将来の生活の危機感はありますが、経済が上向いたという生活実感は、全くありません」。

ちなみに、Aさんはキューバでは仕事に従事せず、日本からの収入で暮らしを支えており、Bさんはキューバで仕事に従事して、その収入で一家を支えている。その収入のあり方の違いも、二人の受け取り方の違いにあるかもしれない。しかし、二人とも、外貨ショップで食料、生活物資の大半を買わなければならないのは、同じ条件である。事実を事実として、どれだけ客観的に述べるかの問題ではなかろうか。あるキューバ人新聞記者に、Aさんの主張を聞いたところ、「フィデルは、彼女のキューバ宣伝に感謝しなければならないね」とのことであった。

実は、Aさんのメールでもうひとつ気になることがあった。「9月3日にハバナ大学でのフィデルの演説に参加した」と感動して述べていることである。フィデルは、この演説で、「世界の政治家の中で、自分だけがアメリカとイスラエルによる北朝鮮、イランの核攻撃、それから誘発される世界核戦争が近日中に起きる可能性を世界に警告してきた。9月7日、9日、15日、20日に核戦争が起きるかもしれないので、それぞれが対処の計画を立てておかなければならない」と述べているのである。しかし、その後何も起きていないことは、周知のとおりである。

私の友人が、一時帰国しているAさんに先日会った際に、「9月7日のイラン攻撃と核戦争の話、どうなりましたか」と聞いたところ、Aさんは、「フィデルの努力で延期されたのです」と答えたとのことである。もし、そうであれば、フィデルが、「オバマを説得した結果、オバマは核の引き金を引くことを思いとどまり、核戦争にならなかった」ということになる。しかも、彼はこれまで4度核戦争勃発の日を予測し、いずれも「延期させた」ことになる。であれば、フィデルは、この人類を世界核戦争による絶滅の淵から救った快挙により、ノーベル平和賞に値するであろう。実際、キューバ人の中には、フィデルの行動の中に、そうした意図を推測する人びともいる。しかし、世界ではノーベル賞に値するという声は聞かれない。

実は、キューバと友好を進める日本のある友好組織も、正確に言えば組織の現執行部も、Aさんと同じようにフィデルの世界核戦争緊迫論を支持している。同組織は、機関紙9月号(9月8日発行)で、8月7日のフィデルの国会へのメッセージ(演説)を肯定的なものとして掲載したのである。折しも、キューバ諸国民友好協会(ICAP)が、8月12日(8月7日の国会演説)、9月7日(ハバナ大学での演説)とフィデルの主張を宣伝日本で宣伝するように、日本の友好諸団体、個人に要請してきていた時期である。

その演説で、フィデルは、
「イランが米国とイスラエルの要請に一歩も譲歩せず、米国とイスラエルは戦争手段を動員しているので、2010年6月9日の安保理の合意期限が終了する (9月7日)やいなやイランを攻撃するはずである。・・・その指令は、オバマ大統領が行うことになるが、膨大な核兵器により米国も含め世界で数億人の死者を出すことになる。同時に、近東、極東、ユーラシアでも核戦争が勃発するであろう」。
と述べているのである。筆者は、即日、キューバ諸国民友好協会に演説の内容に同意できないこと、日本で宣伝を呼び掛けることは正しくないことを回答した。

また、上記の日本の友好組織の会員でもある筆者は、この非現実的なフィデルの主張を主観主義的なものとして、同機関紙に掲載すべきではなかったと抗議のメールを送った。すると、「フィデルの久しぶりの国会演説であり掲載した。フィデルの主張は主観主義的なものではない。内容に問題はない」との回答であった。筆者が、フィデルの最近の議論が主観主義的と考える理由は、添付の「フィデルの立論の展開」を参照こう。そこには、論理の飛躍、論拠の変遷、核戦争近日勃発の予言日の失敗(すでに4度)、客観的資料抜きの断定、他国指導者への不必要な罵倒など、少なからず見られる。一般にはこれを主観主義と述べるのであるが、読者自ら判断してほしい。

恐らくは一般の人にとっても、人や時期よりも、大切なのは、その内容である。しかし、この人びとにとっては、「フィデルが久しぶりに」演説したことが、敢えていえば、「フィデル」が演説したことが重要なのであろう。内容を真に検討したうえでの掲載であれば、9月7日以降の近日に(1週間以内)に、あるいは現在までも「世界核戦争が起きて、数億人が死んで」いない事実を、どう説明するのであろうか。その後、その事実が全く起きなかったことの説明を、筆者は同組織から回答を受けていない。しかし、もっと重要なことは、少なくとも、会員に対し、あるいは公的にも、世界核戦争の予測が外れた記事を是として掲載したことについて、釈明があってしかるべきであろう。それとも、Aさんがいうように「延期された」のであり、3-4回の予測の期日の外れは、たいしたことではないと考えているのであろうか。そうであれば、フィデルがいうのであれば、何事も真実であるとの盲目的な信心があると思われる。

ただ、少しだけAさんや同組織を弁護しておけば、8月7日の演説の中で、フィデルは、メッセージを読み上げた後、国会議員の質問に答えて、このように述べている。
(問):オバマは、(核)攻撃指令を出すことができるか?
(答フィデル):(少し考えて)、いやできない。もしわれわれが(自分が)彼を説得するならば。
ここには、ベテラン政治家の、実に巧妙なロジックがある。つまり(ありもしない)核戦争が起きなければフィデルがオバマを説得したからであり、(万万が一)核戦争が起きたら、フィデルの予言通りだったということになる。いずれにせよ、彼の主張が的中することになるのである。このロジックに陥れば、Aさんの「延期された」意見になるのである。すでに筆者は、8月9日の論評「国際情勢が変わったのか? それとも・・・」で、「もし、核戦争が行われなかったら、フィデルやキューバ国民が今回説得したから、オバマは核のボタンを押さなかったとなるであろうか」と疑問を提示しておいたが、少なくとも一部の人びとは、その通りになったようである。しかし、筆者と交流があるキューバ人たちは、このことをまともには信じていないことを付け加えておこう。

筆者は、つくづく、相手国の名前がつく友好組織の活動は難しいと思う。日本には、日ソ、日中、日朝友好協会などがある。相手側の組織は、いずれも日本のような民間の大衆組織でなく、政府資金で運営されている政府系の対外友好機関である。相手側の政府の国益にそった方針が、まともに出てくる。歴史的には、60年代日ソは、部分核停をめぐってソ連の方針を日ソ友好協会に押し付けてきた。日中では、文化大革命のとき、毛沢東路線を日中友好協会に押し付けてきた。70年代には、キム・イルソンのチュチェ思想の日本での学習運動を押しつけてきた。いずれも、一部の人びとは、盲従して相手国のお先棒を担いだが、主張に正当性がなかったことから、その活動は長くは続かず、自主的な立場をとる人びとの活動により歴史的には破綻した。

こうした経験から、われわれは、友好や連帯とは、相手側を美化したり、理想化したりしてはならず、日本国民のよりよい社会の建設の方向にどのように資するか、世界平和、世界のよりよい社会の建設にどのように資するかという立場に立って、相手の主張を判断しなければならないということを学んだと思う。1992年を境に、「それまでキューバ革命の伝統的な外交政策であった国際主義、反帝国際主義的連帯は、二義的なものとなり、キューバに接近するものはすべて歓迎する政策が最優先となっている」(キューバ政府のシンクタンクである米州研究所のルイス・スワレス所長)。キューバ側のスタンスが変わっていること承知したうえで、友好運動を進めなければならないのである。

筆者も、キューバ国民との友好関係を進めることに賛成である。しかし、それは、対等、平等、互恵、内部問題不干渉という原則にたって、自主的な立場から、友好・連帯運動を進めたいと思う。そして、現在では、特に共通の課題において、お互いに利益がある「互恵」ということを改めて認識する必要があると感じている。そうでないとキューバ側の課題で、キューバの利益のためだけの活動では、相手の宣伝組織、下請け活動組織となってしまいかねないからである。
「10.08.10 フィデルの立論の展開.pdf」をダウンロード


(2010年10月6日 新藤通弘)

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