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2010年10月23日 (土)

親の七光り?

ある友人が、「不破さんは、『キューバは、ゲバラ主義を卒業した』、あるいはメキシコの民主革命党の指導者は、『ラテンアメリカでは”ゲバラ主義”が克服されつつある』といっているが、日本では、少なからずのゲバラ信奉者が、学習もせず、実習もせず、卒業もしていないのではないか、と筆者に語ってくれました。

最近、ゲバラの娘さんの、アレイダ・ゲバラさんが、再度、訪日し、各地で、キューバの国内情勢、国際情勢について、父の思い出について講演会を行っています。アレイダさんは、小児科医ですが、医師として特に業績があるわけではありません。またキューバの国内情勢の研究家でも、国際情勢の専門家でもありません。「売り」は、父、ゲバラの娘ということ以外にはありません。でも、ゲバラ信奉者にとっては、あの父の思い出を聞くだけでも・・・という気持ちがあるかもしれません。敢えていえば、国際親善活動家ともいえるでしょうか。あるいは、親の七光りということでしょうか。

いうまでもありませんが、アレイダさんとチェ・ゲバラは親子で、別人格です。アレイダさんの評価は、アレイダさんの活動の業績のみで評価されるべきでしょう。フィデルの娘のアリーナ・フェルナンデスさんは、1993年スペイン経由で米国に亡命し、現在、キューバの現政権に対し、厳しい批判活動を展開しています。また、革命の元勲のひとりであるフアン・アルメイダ・ボスケ革命軍司令官の息子、フアン・フアン・アルメイダさんは、反体制派として、今年8月にスペイン経由米国に亡命しました。しかし、アリーナさんも、フアンさんも、日本に来た場合、フィデルの娘、アルメイダの息子として、彼らの言動を抜きにして、肯定的に評価するのでしょうか。右の立場からすれば、フィデル、アルメイダの子息が、体制批判を!と評価するのでしょうか。

あるいは、ラウルの娘さん、マリエラ・カストロさんは、性社会学者として、国内外で活動しています。マリエラさんは、ラウルの娘さんとして評価されているのではなく、彼女の学者としての研究業績そのものが、内外で評価されているからです。

問題は、その人、個人の業績であることは、こうした革命の元勲たちのファミリーの現状を見てもわかります。親の七光りの見かたは、どこかの国にまかせましょう。

参考までに、今少し、ゲバラ評価の資料を追加しておきましょう。

60年代のゲバラのラテンアメリカでの武装闘争、キューバの支援について、当時キューバ共産党中央委員会の国際部で指揮していた、マヌエロ・ピネイロは、次のように、計画の全容を、内政干渉の問題、民族自決権の無視の問題など、なんの反省もなく語っています。
「先ずはボリビアに南米のいろいろな国籍をもつ戦闘員からなる本隊を創り、その後アルゼンチンを初めとする南米地域にゲリラ部隊を派遣して、武装闘争を拡大する。これは帝国主義に支援された近隣の政府や軍隊の反撃を呼び、そのことはまた南米の武装闘争を拡大し、同時に凄惨な、長期の、困難なたたかいをもたらし、アメリカ帝国主義の介入をまねくこととなる。それは、とりもなおさずもう一つのベトナムとなるものであった(Manuel Piñeiro 1997, p.19)。

1966年12月31日の会談でのモンヘの主張、党への報告。
「ゲバラは、アメリカ帝国主義に対する社会主義のたたかいである。アメリカのすべての国は彼の国であるので、いかなる所でも戦うつもりだと述べた。ボリビア革命の問題は、ボリビアの内情をよく理解しているボリビア人の手によって行われなければならないと自分は反論した。私は、ボリビア共産党は、武装闘争路線を支持していないと述べた」。

「チェのゲリラは、キューバのボリビアへの内政干渉であった。ボリビア共産党(PCB)は一度も武装闘争を決議したことはない。キューバは、チェが、アルゼンチンでゲリラ闘争を行うためにボリビアを通過するので、協力してほしいと最初はいってきたが、チェがボリビア来て、ボリビアでゲリラ闘争を行うといったので驚いた。ゲリラ闘争の条件はなかったからだ。PCBは、大衆が蜂起する考えをもっていた。
フィデルは、モンヘが裏切ったといっているが、その後ミナとのインタビュー(1991)で、PCBに責任はないといっている。しかし、ボリビアでのチェの日記の序文ではきびしく批判している。大きな間違いだ。モンヘはPCB書記長で、勝手に行動したのではないので、PCBを批判したことになる」。マルコス・ドミニチ、ボリビア共産党前書記長、「マルクス主義党員」編集委員、2009年2月、筆者とのインタビューで。

1965年、ベネズエラ共産党の国際問題責任者エドゥアルド・ガジェーゴは、カストロの依頼で中国にゲバラと一緒に訪問するためアルジェリアに向かいます。そこでゲバラと会い、激烈な議論を交わしました。その中で、ゲバラは、「ベネズエラのゲリラ戦に参加したい」と述べます。ガジェーゴは、「それはキューバの干渉と主張する口実をアメリカに与え、アメリカがベネズエラに干渉することになるだけ。受諾かどうかは、政治局が決定する」と回答しました。ガジェーゴは、アルジェでこのことをベネズエラの民族解放軍全国指令部FALNの代表団にも報告しました。彼らも同意見でした。客観的・主観的現実の条件がないことから、武装闘争が消滅していたことがその理由でした。(Eduardo Gallegos Mancera, Revista Internacional, No.10 de 1987)

「ラテンアメリカ情勢のもう一つの大きな特徴ですが、「ラテンアメリカでは”ゲバラ主義”が克服されつつある」(わが党の大会に出席したメキシコの代表言葉)ところに、現在進んでいる変革の過程の非常に重要な点かあります。
"ゲバラ主義“とは何か。チェ・ゲバラは、アルゼンチン生まれの革命家で、一九五六年には、カストロの片腕となってキューバ革命にくわわり、一九五九年の革命勝利のときには、革命軍の一司令官として首都ハバナに入った人物です。政権の成立後は、政府の要職をつとめ、軍事面でも経済面でも力を発揮しましたが、一九六五年、新しい革命の地を求めてキューバを去りました。
その時、別れの手紙として、三大陸人民連帯機構の組織に、かなり長文のメッセージが送られてきました。そのなかに、ラテンアメリカの革命についてのゲバラの考えがかなり詳しく説明されていたのです。
その一つは、ラテンアメリカ革命は一つであって、この大陸の革命には国境はない、といった考え方です。ゲバラ自身、この立場から、南アメリカのボリビアを新たな革命の地として選び、独自にそこでゲリラ闘争を起こそうとして失敗し、政府車に殺されました。
もう一つは、ラテンアメリカでは、革命の道は武装闘争――革命的ゲリラ闘争しかない、という立場です。この点は、ある時期までは、ラテンアメリカの国ぐにには、この立場を正当化する情勢がたしかにありました。チリのように、選挙で選ばれた大統領が軍部のクーデターで殺されるといった事態は、アメリカの政治支配を背景に、多くの国ぐにで、ごく普通の状況となっていたからです。
この二つの点は、ゲバラ一人の方針ではありませんでした。ゲバラがボリビアで殺されたあと、キューバは残されたゲバラの日記(「ボリビアでのチェの日記」)を公刊し(一九六八年)、カストロ首相が「どうしても必要な序文」と題した一文を添えました。それを読むと、さきのゲバラの主張が、同時にカストロ首相の主張でもあったことが分かります」。(不破哲三『新・日本共産党綱領を読む』(新日本出版社、2004年)28-239ページ)。

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