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2010年10月17日 (日)

キューバ考古学の貢献者、アメリカ人ハーリントン

キューバの考古学にはアメリカ人達が貢献した。その一人は、ハーリントンである。
Cuba Now, Miércoles, 22 de septiembre de 2010
ヤネリス・アブレウ(浦野保範訳)

 マーク・レイモンド・ハーリントン(米国生れ1882~1971年)は、何度もキューバを訪れ、先住民達の遺跡を調査した。ハーリントンは、アメリカ・インディアン博物館館長のジョージ・G・ヘイエの要請で1915年2月にキューバを訪問した。彼の使命は、キューバのテオドロ・デ・ボーイによって始められた東部諸県での考古学調査を引き続き行うことであった。

 ハーリントンは、調査の報告で文化的用語を繰り返し使用して、20世紀初頭のアメリカ人類学の流れに傾倒していることを示した。こうして19世紀のキューバにおける考古学の分析傾向は変わった。ハーリントンの研究は、その後、キューバの考古学と人類学の専門研究にとって、必須の参考文献となった。

 アメリカによるキューバの占領期間(1898-1902)に幾つかの研究機関が設立され、キューバの知識人達の協力によって、人類学教育がある程度制度化されたことを明らかにしなければならない。この学問の研究がアメリカで盛んになる機運も、アメリカに干渉されたキューバ政府が、制度化を受け入れるにあたって幸いしたのであった。

 キューバの最東部に位置する都市の一つである、グアンタナモ県のバラコアは、ハーリントンの主要な調査目的地であった。先住民の重要な定住地であるルイス・ラソの考古学的遺跡のひとつにおいて、彼は、石製及び土製の道具類を発見した。

 ハーリントンが1918年から1919年にかけて実施した調査は、より広範囲に渡り、グアンタナモ地域にあるサン・カルロス渓谷とエル・ペスケーロ渓谷にある幾つかの洞穴を調査した。

 この調査経験による彼の印象は、著書「コロンブス以前のキューバ(1921)」という形で結実し、ヘイエ財団とアメリカ・インディアン博物館によりニューヨークで出版された。

 キューバでは1922年に同著が普及され、その後1935年にキューバ人のアントニオ・メストゥレとフェルナンド・オルティスによってスペイン語に翻訳され、出版された。

編集では、キューバ先住民についての数人の研究家による成果が盛り込まれた。遺物のレプリカ製作を含め、歴史的、言語的、考古学的分析が行なわれた。この目的は、先住民に関するキューバに存在する文献を集大成して、キューバ考古学研究の発展に寄与することであった。

いくつかの地点でハーリントンにより指揮されて行われた詳細な発掘調査では、良質な図録が作成された。調査官の報告においては、貝殻や石製及び土製のような遺物の目録とリストの作成が優先され、キューバの先住民の年代別の特徴が明らかにされて、そのことによって先住民の文化の発展段階が特定された。

考古学者のハーリントンは、アメリカのミシガン州で生まれ、キューバでの考古学調査を発展させ、先住民の多くの遺物を発見した。彼は、ピナール・デル・リオでは木製の棒及び容器、木葉型斧を発見し、これらの何点かは形状分類から丸鑿(のみ)と判断した。彼のおかげで、スワロー・ピル(舌圧子)と呼ばれる遺物が発見された。また、彼は、ピナール・デル・リオの「ロス・インディオス洞穴」で赤く色付けされた骨製品を発見した。キューバで2例目の岩面画と絵文字の発見も彼に負うものである。
 
1915年にグアンタナモのマイシに位置するラ・パターナ洞穴内で発見された、高さが最大1メートルを超える石筍に線画が施された遺物は、最も脚光を浴びた。この線画は、形状が葉巻に似ていることから、「タバコの偶像」と呼ばれている。この遺物は、キューバ先住民考古学上の最大の発見のひとつとされている。

ここで明らかにしなければならないことは、純粋な科学的関心とともに、ハーリントンにおいても、それまでの研究者達と同様に、略奪行為が行なわれたことである。遺跡現場周辺とともに、愛好家や、収集物の拡大に興味をもっている人びとや考古学博物館に遺物を販売する業者によって、遺跡が破壊されたのであった。

 何点もの遺物がキューバから持ち出され、現在アメリカのスミソニアン博物館で展示されている。
 
このような問題にも係わらず、遺物の中には、ハバナ大学の「ルイス・モンタネ博士」人類学博物館に寄贈されたものもあり、現在も保管されている。

以上

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