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2010年8月20日 (金)

米=キューバ関係の複雑さ

米=キューバ関係の複雑さ

米玖関係には、複雑なものがある。両政府が声高に非難合戦を繰り広げている一方、水面下では移民、麻薬取締問題などで実務交渉が静かに行われていたり、あるいは関係改善に向かっての探り合いや、重要な交渉が行われたりしている。

1961年1月3日、米国がアイゼンハワー政権の末期にキューバとの国交を断絶したので、現在、両国間に正式な国交はないが、1977年5月30日カーター政権のもとで双方が利益代表部を置くことが合意され、実質的な大使館業務を行っている。

貿易面では、1962年2月7日ケネディ政権が、対キューバ経済制裁を決定し、金融・貿易関係も断絶したが、実際上は、キューバは、パナマなどを通じて、あるいは米企業の海外子会社などを通じて米国製品を買い付けてきた。その額は90年代半ばにはキューバの輸入総額の5%強に上った。2001年12月からは、ブッシュ政権のもとで、米国の農産物もキューバは輸入できるようになり、キューバの農産物輸入の4分の1程度を占め、米国は、農産物の最大の輸入相手国であり、キューバの貿易相手国としては第5位を占めている。一般米国人のキューバ訪問が制限されている中で、米国からの里帰りキューバ人は、年間20万人を超え、カナダ人に次ぐ観光客数ともなっている。

文化面でも、米国の映画は、版権を払わずにキューバで上映されたり、テレビでは年間200本以上も放映されたりしている。いろいろ困難や障害があるものの、ポピュラー音楽のアーチストが米国でコンサート行ったり、美術家が米国で個展を開いたりもしている。高くない水準ではあるが、学術交流ももちろん行われている。米国のポピュラー音楽は、キューバでも人気が高く、頻繁にテレビ・ラジオでも流されている。

米国が、1966年にジョンソン政権のもとで、キューバ人地位調整法(米国領に体の一部でも触れたキューバ人に、移住権を与えるという法律。キューバ人の違法出国の原因のひとつとなっているもの。他のラテンアメリカ国にはない)を制定した一方、両国には、1973年にニクソン政権のもとで結ばれたハイジャック協定(ハイジャック犯を相手側に送還する)、1987年にレーガン政権との間に結ばれた移民協定(米国は年間2万人以上のキューバ人移民を受け入れる)があり、麻薬取締では、米国の麻薬取締局(DEA)と協力活動も行っている。

米玖関係が緊迫した時期での重大な交渉は、しばしば両国で報道されることなく、秘密に行われ、その後文書の公開が解禁されたり、個人の回想録で明らかにされたりすることがある。これまでに次の4回の秘密交渉が明らかにされている。

1975年1月フォード政権のもとで、キッシンジャーは、キューバとの関係修復を図ろうとし、両国の間で交渉が始まったが、最終的に決裂した。アンゴラ戦争時。

1981年11月、アレクサンダー・ヘイグ米国務長官とキューバのカルロス・ラファエル・ロドリゲス副議長が、メキシコで中米紛争に関連して両国の関係改善について話し合ったが、結局合意に達しなかった。中米紛争時。

1994年8月、メキシコのサリーナスを仲介して、クリントン、カストロ両大統領が、キューバ人の大量出国事件について交渉したが、関係改善に至らず。米国への大量出国事件時。

1997年にガルシア・マルケスが、カストロとクリントンとの間に入り、テロ問題で米玖協力に動くも、米国当局の反対で進展しなかった。ヘルムズ=バートン発効後の険悪時。

一方で、アイゼンハワー以来の歴代の米国政府は、カストロ政権を、自由がない全体主義の独裁政権と決めつけて、637件以上に上るカストロの暗殺計画、1961年4月のプラヤ・ヒロンへの傭兵侵攻事件、1976年10月のバルバドス上空でのキューバ航空機爆破事件、1997年のハバナ市での一連のホテル爆破事件などの破壊活動を行ってきた。また、米政府は、キューバを、悪の枢軸国、圧政の砦、テロ支援国家と決めつけてきた。

こうした複雑な問題のひとつが、米国で収監中の5名のキューバ人諜報員とキューバに収監中の米国人諜報員の問題である(5人の問題の詳細については、2009年1月31日付拙稿参照)。キューバは、5人が1998年5月マイアミで逮捕されて以来、逮捕が不当として、これまで海外の友好・連帯組織にも協同行動を呼びかけて、5人の釈放を米国に要求してきた。しかし、法的に全く不当な判決であるとするキューバ側の主張は、米国の司法や一般世論が受け入れる余地は少ないものであった。というのは、5人はあくまで米国の法体系のもとで逮捕されたのであり、量刑や、裁判指揮に問題があるものの、冤罪事件ではなく、米国の法制度、法文化で裁かれているのであり、特に反逆罪は、憲法第3節〔反逆罪〕で厳しい規定が設けられているからである。

そこで、局面を打開するため、キューバ政府は、2008年12月より、現実的な対策として、米国政府に呼びかけて、政府間交渉で釈放を交渉するようになった。ラウル議長が、ブラジルでの第1回ラテンアメリカ・カリブ統合・開発会議サミットに出席した際、記者会見で、オバマ次期政権との関係改善のための行動として、キューバの国内の政治囚とマイアミ収監中の5名のキューバ人との交換を申し出たのである。しかし、米国政府は、これを拒否した。この時点で、キューバとしても、服役中の政治囚は、キューバの国内法に違反して国内法に従って判決を受けたものであり、それを超法規的に釈放することは、法的側面よりも政治的判断を優先させることであり、政策の一大転換であった。また同時に、それは、5人の問題の本質が政治的解決にあることを浮き彫りにするものであった。

翌年3月には、米誌『カウンターパンチ』が、5人の問題では、米玖政府双方の行動が必要と論文で述べた。そうした世論を背景に、同年4月ラウル議長は、クマナで開催のALBA首脳会議の閉会式で、米国とあらゆるテーマで対話する準備があり、5人のキューバ人についてキューバの政治囚との交換を再度提案した。

今年に入って、2月にハバナで開催された両国の移民問題協議会談で、キューバ政府は、いろいろな議題とともに、5人のキューバ人の釈放の要請を行った。一方、米国側は、アラン・グロスの即時釈放をキューバ政府に要求した。アラン・グロスとは、米政府の開発政策社(DAI)のキューバ担当請負社員で、キューバの反体制勢力に資金・物資の支援を行っていることから、昨年12月4日キューバ当局により、CIAの諜報員として、スパイ罪で逮捕された人物である。米政府は、単に一般市民への支援と述べているが、キューバ側は、衛星通信機器を支給するなど、スパイ活動とみなしている。

こうして、事態は、双方の諜報員同士の交換という高度の政治的交渉の形を取り始めた。3月、ラウル議長は、5人及びキューバの政治囚75人、グロスとの交換釈放を米政府に提案した。すると、7月15日、クリントン国務長官が、ユダヤ人協会の集会で、キューバにスパイ罪で収監中のアラン・グロスの釈放を求めると述べた。事態は動き始めた。7月23日、キューバのアラルコン国会議長が、パリで、「オバマ大統領が5人のキューバ人の釈放を決定することもありうる」と述べた。水面下で交渉が進んでいることを伺わせる発言であった。

しかし、7月26日のサンタ・クララ市での7・26記念集会で演説したマチャード・ベントゥーラ国家評議会副議長は、このことについて、まったく触れなかった。一方、同日、フィデルが、ハバナでキューバ人アーチスト、米国人友好運動活動家たちとの対話で、「5人の同志は、近い時期に、釈放されると思う、年末よりもはるか前に釈放される。これを家族に責任をもっていう」と、5人の釈放について米国と合意ができていることを暗示する発言をした。しかし、奇妙にも、この箇所は、政府系ウエブの「クーバ・デバーテ」、及び共産党機関紙の「グランマ」では、「5人の釈放についての動きは何もない」とだけ報道された。

すると、7月30日、今度は、米国務省のアルトゥーロ・バレンスエラ国務次官補が、「アラン・グラスは、体重が6カ月間で36kgも減り、健康状態が悪い」と指摘し、彼の釈放をキューバ政府に要請した。

8月1日、ラウルは、国会の閉会演説で、「米玖関係について、本質では何ら変わっていない。つまり、われわれの大事な5人の英雄は不当に収監され、過酷な取り扱いを受けている」と述べて、フィデルの発言の打ち消しに努めた。

8月5日には、52名の政治囚釈放の仲介役を務めたハイメ・オルテガ枢機卿が、米国を訪問し、国家安全保障問題担当補佐官ジェームズ・ジョーンズ及びバレンスエラ国務次官補と会談した。この問題の仲介についての打ち合わせではないかと指摘されている。

8月7日、またまた、フィデルが、キューバ国会への「メッセージ」で、「些細な前進だが、ヘラルド(米国に収監中の5人のキューバ人諜報員の一人)の拷問が停止された。これは、12年間も起きなかったことだ。次は、妻のアドリアーナの面会が認められるか、あるいは即時の釈放があるだろう」と、釈放が近いことを示唆した。

引き続き、8日、フィデルは、ベネズエラ人記者団とのインタビューで、「5人の釈放は、1週間は短いが、12月までも長くかからない。普通よりも3倍の時間がかかる。ただ、26日に釈放時期について発言したことが、米政府を困惑させることになったので、釈放の時期はいわない」と述べ、7月26日の発言に米政府から不満が述べられたことを示唆している。ともあれ、両国で基本的にグロスと5名の交換が合意されていることを事実上示すものであった。

では、なぜ、フィデルの勇み足気味な発言に、米政府は困惑をしたのであろうか。また、ラウルは打ち消したのであろうか。それは、オバマ政権とて、超法規的に5人を釈放することを是とする世論を国内で時間をかけて喚起しなければならないからである。したがって、盛んにグロスの釈放を要求しているのである。マチャードやラウルもこの点を考慮しての沈黙であろう。しかし、12月まで長くはかからないとフィデルが述べているのは、11月1日に米国で中間選挙があり、それ以前にフロリダなどの反キューバ勢力を刺激することは得策でないから、米国政府は、交換は、中間選挙の後にしてほしいという意向を述べているからであろう。

キューバ政府が、7月に52名の政治囚を釈放し(実際はそれ以外も釈放しつつある)、米国の要求していた国内政治囚の釈放にキューバ政府は応えた形となっている。その次のボールは米国から投げ返す番であるが、この交換は、その有力な材料となろう。米玖関係は水面下で動いているのである。
(2010年8月19日 新藤通弘)

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