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2010年8月

2010年8月30日 (月)

フアン・カルロス・タビオ、映画監督を引退宣言!?

フアン・カルロス・タビオ、映画監督を引退宣言!?

社会派風刺喜劇映画の名匠、ファン・カルロス・タビオ監督が、もう映画を監督しなくなるかも・・・
(前田恵理子訳)
ホルへ・スミス    Cubanow 16 de agosto del 2010

キューバの著名なファン・カルロス・タビオ監督が、キューバ・ナウ誌との独占インタビューで、今後は映画を監督しないと述べた。タビオ監督は、トマス・グティエレス・アレアとの共同監督作品、「苺とチョコレート」でアカデミー賞候補作品に指名された名匠だ。

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「これ以上監督はしない。なぜなら、監督することにあきたし、実際、本当のところ、カメラの後ろに立つことが一度も好きだったわけではなかったからだ」と、ハバナの自宅の近所を犬と散歩しながら、記者に語った。

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「しかし、映画を辞めるわけではない。脚本に専念するつもりだ」と、彼は、付け加えた。

タビオ監督が、4年前に映画「豊穣の角」というタイトルの企画を発表して以来、記者は、この素晴らしい監督と話したことがなかった。

自分の頭のなかに企画があるのだと、その時、タビオ監督は、そのニュースを発表するよう記者にすすめ、制作会社と資金が現れるといいなと口元に笑みを浮かべて付け加えた。

「豊穣の角」は制作され、ホルへ・ペルゴリーア、ブラディミール・クルス、ミルタ・イバーラという、あの傑作「苺とチョコレート」の3人の優れた主役が出演した。そして、ハバナ映画祭で劇映画部門第3位と最優秀脚本賞を受賞しただけでなく、2008年コロンビアでの第49回カルタヘナ国際映画祭の審査員特別賞を受賞したのである。1008_el_cuerno_de_la_abundancia


さらに、この映画は、アルゼンチンの第24回マール・デル・プラタ国際映画祭でアストル・ピアソラ銀賞、出演者と観客に対する審査員特別賞を、また2009年ペルーでの第13回リマ・フェスティバル:ラテンアメリカ映画の集いにおいての観客賞を受賞した。

評論家たちは、この映画に賞賛を惜しまず、さらにはガルシア・マルケスの小説『100年の孤独』の「マコンド」村やスペインのルイス・ガルシア・ベルランガ監督の喜劇映画の傑作「ようこそ、マーシャルさん」との類似性を評価するものもいた。

グティエレス・アレア監督との共同作品映画「グアンタナメラ」の監督でもある俊才、タビオ監督が引退するというニュースに、記者は愕然とした。しかし、メキシコのポール・ルデュック監督(ジョン・リードの『反乱するメキシコ』を1970年に映画化)が、1993年に「ダラー・マンボ」を監督後、同じような発言をしたが、2006年に「集金人」でカムバックしたことを考えて、記者は、自分を慰めた。

ファン・カルロス・タビオ(1943年ハバナ生まれ)の映画技術は、面白さとユーモアが特徴である。

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彼の「空席待ち」(本邦公開タイトル:バスを待ちながら)は、スペインの年間最優秀作品賞「ゴヤ賞」にノミネートされ、また、コロンビアのカルタヘナ国際映画祭では、俳優ホルヘ・ペルゴリアに演技賞が与えられた。「苺とチョコレート」は、1995年ニューヨークで映画記者協会による最優秀外国映画賞を受賞した。

タビオは、トマス・グティエレス・アレアの忠実な協力者であるが、最初の単独作品は、長編劇映画「交換」であった。この映画は、素晴らしい女優イサベル・サントスを世に送りだした。彼女は、最近亡くなった俳優・監督のデニス・ホッパーから(「理由なき反抗」、「ジャイアンツ」、「イージーライダー」)からブラジルで、直々に演技賞を受けとったのである。

タビオ監督は、劇映画「プラフ」では、神秘的な女優、デイシ・グラナードスに輝かしい演技歴のなかでも最も素晴らしい演技をさせた。「豊穣の角」は、「空席待ち」に勝るとも劣らない魅力的な掛け合い喜劇作品となった。

もし、「空席待ち」が人々の善意を賛美していたとすれば、「豊穣の角」は悪い人びとを描いたのである。
(終わり)

以下、ご参考までに、訳者が作成した資料を掲載します。
フアン・カルロス・タビオ
1943年ハバナ市生まれ。
1961年ICAIC(キューバ芸術・映画産業公社)で制作助手として活動を開始。
1963年最初のドキュメンタリー「危険」を制作、その後30本以上のいろいろな映画で共同脚本家として活動。
1983年劇映画「交換」を監督。
1988年劇映画「プラフ」を監督。
1989年-1990年キューバの国際映画・TV学校などで脚本・監督部門の教授を務める。また国際的にも、メキシコ、コスタリカ、パナマなどで脚本、監督、ドラマトゥルギーでワークショップを開催。
1993年「苺とチョコレート」をトマス・グティエレス・アレアと共同監督
1994年「象と自転車」を監督。
1995年「グアンタナメラ」をトマス・グティエレス・アレアと共同監督
1999年「空席待ち」、を監督。「ティトン」トマス・グティエレス・アレアに捧げる
2003年「たとえ遠くにいても」(Aunque estés lejos)コメディーを監督
2005年「風車」(Molino de viento)短編劇映画、主演:ホルヘ・ペルゴリア
2008年「豊饒の角」、長編劇映画コメディーを監督。

主要受賞歴
1970年ドキュメンタリー「バガソ」1970年キューバ映画最優秀作品
1973年ドキュメンタリー「ミリアム・マケバ」最優秀映画批評家賞
1984年劇映画「交換」、第6回ラテンアメリカ新映画祭第3位受賞
1988年「プラフ」、第10回ラテンアメリカ新映画祭最優秀脚本賞受賞
1992年「苺とチョコレート」、第14回ラテンアメリカ新映画祭最優秀脚本賞受賞
1994年「苺とチョコレート」、ベルリン映画祭で、特別審査員賞受賞
1995年「苺とチョコレート」、アカデミー賞、外国映画部門でノミネートされる
1995年「グアンタナメラ」、第18回ラテンアメリカ新映画祭で第2位受賞
2000年「空席待ち」、キューバ作家・芸術家同盟(UNEAC)映画コンクールで最優秀監督賞受賞

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2010年8月26日 (木)

ビルダーバーグ・グループと小型核爆弾

ビルダーバーグ・グループと小型核爆弾
フィデルが、今度は、ダニエル・エスチューリンの「ビルダーバーグ・グループ」論に取りつかれている。8月17日、18日と省察『世界政府Ⅰ、Ⅱ』を書いて、エスチューリンの著書『ビルダーバーグ・クラブの真の歴史』を「歴史の再検討のために素晴らしい叙述」と称賛し、A4で各14ページ、タブロイド版のグランマ紙8ページのうち、2日とも3ページを占めて、本の内容を詳細に紹介した。ちなみに国内ニュース欄、国際ニュース欄、文化欄、スポーツ欄はそれぞれ1ページである。

さらに、フィデルは、8月23日のテレビ番組『メサ・レドンダ』で、「エスチューリンと話しをすると、われわれが説得力とよんでいるものを増強するのに役立つかもしれないので」、キューバに彼を招待したことを明らかにした。もっとも、この招待は、24日には省察『近著の重要な章』で、エスチューリンがフィデルに会いたいと要請してきたものであると述べられている。

その後、エスチューリンの刊行予定の本の主要な章がフィデルに彼から送付され、それを読んだフィデルは、24日、省察『近著の重要な章』で、「その内容は、劇的で、重要部分を検討するに値する」と評価して、A4、10ページにわたり詳細に紹介した。

このビルダーバーグ・クラブとは、1954年に創設された、欧米の皇室関係者、政治家、大企業経営者130名程度が参加する秘密組織で、毎年非公開で会議を開催し、国際問題について意見を交換している組織である。しかし、エスチューリンは、この組織は、世界制覇をめざし、実際に国際政治を動かしている「影の世界政府」であると主張している。この秘密組織についての評価は、政治的な立場を異にする左右で評価が分かれているだけでなく、一般にもほとんどは報道されず、知られていない。国連総会、国連安保理、G-8、G-20、WTO、EU、ASEAN、UNASURなどよりも、実際に現実政治を動かしている「世界政府」であるかどうかには多くの人が異論を唱えるであろう。

さらに、エスチューリンは、『近著の重要な章』において、「1995年のオクラホマ・シティー連邦政府ビル爆破事件、2001年の9・11世界貿易センタービル爆破事件、2002年のバリ島爆破事件、2007年のスペインのバラハス空港爆破事件などは、この『影の政府』が関与した小型核爆弾による爆破事件である」と決めつけている。しかし、一般には、これらの爆弾が核爆弾であったという科学的な証明を欠いていることから、これらの事件は核兵器の使用という重大な問題とは見なされていない。二つの省察とも、エスチューリンの所説に対するフィデルの批判はまったく述べられていない。フィデルは、こうした特異な主張にどこまで賛同しているのであろうか。
(2010年8月26日 新藤通弘)

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2010年8月22日 (日)

マルティとマルクス

マルティとマルクス

キューバ独立の父と慕われるホセ・マルティが、マルクス(1818-1883)について述べたところを紹介します。マルティは、1853年1月28日にハバナで生まれ、1895年5月19日、サンティアゴデクーバの北東40キロほどのドスリオスでスペイン軍の凶弾を受けて死亡しました(マルティについての詳細は、2009年1月25日(日)の記事を参照ください)。

マルティがマルクスについて述べたことには、日本では、マルティがマルクスを「性急すぎた」と批判したとか、「マルクス主義、あるいは、階級闘争理論」を否定していた」とかなど、いろいろ誤解があるようです。しかし、以下の文章からは、とてもそのようには読めません。

マルティは、社会主義を理解してキューバで推進しようとしたことはありませんが、社会主義の基礎となる社会正義及び公正を強調しています。だからこそ、マルティの思想を基盤とし⇒社会主義へと発展するキューバ革命の思想的基盤があるのです。フィデル・カストロは、モンカダ兵営の襲撃(1953年)が失敗に終わり、逮捕され、その後の裁判で、自分たちの正義と無罪を主張して、「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との言葉で終わる自己弁論で自分たちの正義と無罪を主張しました。カストロは、その中で、モンカダ兵営襲撃の精神的指導者としてホセ・マルティをあげました。

マルティの思想とキューバ革命については、「民族独立、反帝国主義、ラテンアメリカ主義、社会正義及び公正という、ホセ・マルティの理想を実現し、彼が考えたより公正で、より人道的で、より合理的な社会、つまり社会主義社会に向かって前進するという歴史的必要性にたいする革命的、科学的回答として、われわれは、その道を選んだのであった」と簡潔に述べられています(『グランマ』1991年8月29日論説)。なお、マルクスについての言及は、邦訳のマルティ選集でも第②巻194-197ページに訳があります。

ホセ・マルティ、1883年3月29日の書簡、全集第9巻、388-389ページ。
岡部廣治訳

【José Martí, Carta de Martí, Nueva York, 29 de marzo de 1883, Obras completas, tomo 9, págs. 388-389】

この大ホールに目を向けよう。カール・マルクスが死んだ(1883年3月14日)。彼は弱者の側に身を置いた。敬意に値する。しかし、被害を指摘し、その対策を立てようと躍起になるのはよくない。そうではなくて、穏当な対策を示すことが必要だ。人間の上に人間を積み重ねる仕事など、驚きだ。何人かの人間を他の人間の利益のために家畜のようにあつかうなど、憤怒のいたりだ。だが、憤りに出口をみつけて、家畜あつかいをやめさせ、憤りが暴発することのないようにしなければならない。このホールを見よう。あの燃えるような改革者、いくつかの異なった国の人びとの結集者、疲れを知らず活力にあふれた組織者の肖像が、その正面に掲げられている。〈インターナショナル〉は彼の作品だ。諸民族すべての人びとがやってきて、彼に敬意を表している。勇敢な人夫たちの姿は感動的で元気づけるものだが、彼らの大集団は宝石よりも筋肉を、絹まがいのネッカチーフよりも誠実な顔をみせている。労働が人間を美しくするのだ。農民や蹄鉄工や漁夫を見ると、心が洗われる。自然の力を使うので、彼らは自然の力とおなじように美しくなるのだ。

ニューヨークは渦巻きさながらだ。世界で煮えたぎるものすべてが、ここに落ちてくる。こちらで逃亡者が笑われ、あちらで彼は逃がされる。この寛容さから、この力がこの町の住民にもたらされる。カール・マルクスは、世界を新しい基礎のうえに置く方法を研究し、眠れる者たちを目覚めさせ、朽ちた柱を地面に倒す方法を彼らにしめした。しかし、足早に、そして早々と陰に行ってしまった。歴史のなかで人びとの内奥からも、家庭のなかで女性の胎内からも、骨の折れる自然の発育を経たことのない子どもが、すこやかに生まれてくるのを見ることはなかった。カール・マルクスのすばらしい友人たちが、ここにいる。彼は、たんにヨーロッパ労働者たちの激怒を燃えあがらせた巨人だっただけでなく、人類の悲惨の根源、人類の未来を洞察した探求者だった。適確に行動したいという熱望にとりつかれた人だった。彼は、すべてのなかに、彼自身持ちあわせていたもの、すなわち、反乱、高きにいたる道、闘争を見ていた。

ここにはレコビッチという新聞人がいる。彼がどのように話すかをみよう。あの優しく眼光鋭いバクーニンの面影が彼の脳裏を横切る。英語で話しはじめる。他の人たちにはドイツ語で話すようになる。ロシア語で話すと、彼と同国の連中の席から「ダー! ダー!」という興奮した声がこたえる。ロシア人は改革の鞭だ。だが違う。これらの連中は活発で生産的でない。憤怒の染みがついていない。新しい世界の礎石を置く者たちでない。彼らは拍車であり、眠り込むかもしれない良心の声としてぴったりやって来る。しかし、拍車の鋼鉄は創建のための鉄槌の役割を果たすことはない。

ここには、不公正に憤った老スウィントンがいる。彼は、カール・マルクスの中に、ソクラテスの山と光の雄姿を見た。ここには、ドイツ人のヨハネス・モストがいる。しつっこくて優しくない大声の火付け役だ。左手に口を開ける傷をいやすべき芳香油を右手に持ってはいない。多くの人が、彼らの話を聞きに行ったが、ホールが一杯で、道路にあふれ出る。コーラス・グループは歌う。大勢の男性のあいだに、多くの女性もいる。壁に掛けた厚紙に書かれたカール・マルクスの言葉が、一斉に賛嘆の声で朗読される。フランス人のミヨーは、すばらしい言葉を発する。「自由はフランスで何度も転んだ。しかし、転落するごとに、いっそう美しくなって立ち上がってきた」。ヨハネス・モストは熱狂的に話す。「私は、英国の牢獄でマルクスの書を読んで以来、人類の吸血鬼にたいして剣をとった」。マギュールという人は語る。「あらゆる国のこんなにも多くの人びとと、いまや憎悪の念なく、合いまみえることは嬉しい。地球上の労働者はみんな、いまや単一の民族に属する。そして、たがいに争うことはなく、みんな一緒になって、自分たちを抑圧する者たちにたいしてたたかうのだ。パリの忌まわしいバスティーユのあったところの近くで、フランスとイギリスから6千人の労働者が集まっているのを見て、嬉しく思う」。ボヘミア人が話す。有名な新しい経済学者、苦しむ者たちの友で、人びとに愛されているヘンリー・ジョージの手紙が読みあげられる。彼は、ここでもイギリスでも有名だ。耳をつんざく喝采と、熱烈な歓声に包まれるなか、広い額でトレードの葉のような目をした二人が、主宰委員会が仕上げたばかりの決議文を読み上げるや、熱狂した集会は一斉に起立する。それらの文で、カール・マルクスはもっとも高貴な英雄で、労働界でもっとも強力な思想家と称されている。音楽が演奏される。コーラスが響くが、平和のコーラスでないことがわかる。
【José Martí, Carta de Martí, Nueva York, 29 de marzo de 1883, Obras completas, tomo 9, págs. 388-389】


では、農民組合が集まり、全員が北米の社会主義者である労働者の連合とは? 司教である金持ちのハンティントンの使命とは? 彼は、ロシアのトルストイのように、貧民たちのあいだで生活し、彼らにクラブを開放している。彼らは、今日の社会を礎石ごと突き崩して、家屋を壊さないでもっと安全確実な礎石を置く方法について、まったく自由に話し合いに、そこへ行くのだ。われわれが欲するのは、われわれの薬でわれわれの問題を解決することだ、彼らは言う。それぞれの国民は、それぞれの性格にしたがって癒される。当該の病気や異なる薬剤のなかのあれこれの要因の欠如にしたがって、それぞれ異なる度合いの薬剤が必要とされる。サン=シモンでも、カール・マルクスでも、マルローでも、バクーニンでもなく。われわれの体にあうような諸改革だ。
【José Martí, Desde el Hudson, Nueva York, Enero 9 de 1890, Obras completas, tomo 12, pág. 378】


『ラナシオン』社長殿

今月の出来事を束にしようとすると、それらを持ち上げる巨人キュクロプスの腕が必要とされるでしょう。そこでは、石製の熾天子セラフィムを頂き、アヤメで敷きつめられた、光り輝く門をくぐって、すでに飾りつけたおしゃべりな淑女たちが、はや美の光に酔いしれ、きらびやかに輝く紳士たちの腕に抱かれて、登場します。そこでは、暗い道路に面し広く陰になった門をくぐって、日雇労働者たちが、ざわめいた群れをなして去っていきます。彼らの腕は苦しい労働でつかれきっていたり、はだけた胸は恨みで一杯であったり、寛大な精神は貧者にたいする待ちきれない愛情で満たされたりしています。彼らの使い古したフェルトはよじれ、荒荒しいこぶしは落ち着きなく、気は怒りっぽく、目つきには険しいものがあります。そして、そこでは、骸を見ないように喪服を纏うべきなのに、真昼の光のもと、木の上によじ登り、電柱や街灯にまたがり、スキンヘッドと不吉な目つきで持ち上げられた屋根を縁取って、群衆の英雄、喧嘩早く頑健な大闘士の骸が月桂樹とバラに覆われて通り過ぎて行くのを見るのです。それらの暗闇の息子たちはみんな、人体内の細菌のように、血にまみれ、凄みを帯び、乾きに襲われて、大都市の中で繁殖します。つねに、もっとも美しい木の根元にうじ虫は深い洞穴を掘りました! 剣闘士の葬儀に参列した人は2万を数えました。アメリカのこの部分のロスチャイルドにあたるヴァンダービルトなる人物の舞踏に参加した紳士淑女は千人でした。そして、1万人もの人は、手をせわしなく動かせ、粗野な衣服を身に着け、みっともない帽子をかぶり、心を燃えあがらせて、労働の子たちを戦争に駆り立てる複数の言語を話す熱心な弁士たちに拍手を送りました。彼らは、絹のような心と鉄のような手を持つ、あのドイツ人、かの有名この上ないカール・マルクスを追想しました。彼は、最近の死によって、尊敬の的となったのです。この町では、すでに叙事詩的に壮大なものが現実となっていて、大きさがしばしば偉大さを反映し、魂は揺さぶられ、自由に包まれています。この都会の喧騒には、自由の中でたたかわれるので、たぶん血塗られることはないと思われるつぎの戦闘の歌も混ざっています。神秘主義者たちは、身に油を塗り、高貴な使節団が、ニューヨークの町の敬虔なしきたりにしたがって、埋葬する祖国への途にある、チュニジアから運ばれてきた北米人の魂を甘く揺り動かす歌の作者の遺体に付き添っているのに、まったく柔らかく調和を保っています。剣闘士というよりも詩人が行きました。しかし、大きな行列を見ることはできません。喧騒な都市が一人の詩人をたたえるのは美しいものです。【José Martí, Cartas de Martí, Nueva York, 29 de marzo de 1883, Obras completas, tomo 13, pág. 245】


ロシア
「ニヒリストたちは、今日、共通の目的に向かって一体となって動いている。そうだ。しかし、彼らが望んでいる大破局を彼らにとって有利なものと決めていることを知らない。ロシアは、バクーニンの無政府的集団主義論、フーリエの完全なる結社論、コントの父権的庇護国論、マルクスの共産主義論、あるいは、プルードンの交換銀行論にしたがって構築されるかもしれない……」。M. L.ガギュール。

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2010年8月20日 (金)

米=キューバ関係の複雑さ

米=キューバ関係の複雑さ

米玖関係には、複雑なものがある。両政府が声高に非難合戦を繰り広げている一方、水面下では移民、麻薬取締問題などで実務交渉が静かに行われていたり、あるいは関係改善に向かっての探り合いや、重要な交渉が行われたりしている。

1961年1月3日、米国がアイゼンハワー政権の末期にキューバとの国交を断絶したので、現在、両国間に正式な国交はないが、1977年5月30日カーター政権のもとで双方が利益代表部を置くことが合意され、実質的な大使館業務を行っている。

貿易面では、1962年2月7日ケネディ政権が、対キューバ経済制裁を決定し、金融・貿易関係も断絶したが、実際上は、キューバは、パナマなどを通じて、あるいは米企業の海外子会社などを通じて米国製品を買い付けてきた。その額は90年代半ばにはキューバの輸入総額の5%強に上った。2001年12月からは、ブッシュ政権のもとで、米国の農産物もキューバは輸入できるようになり、キューバの農産物輸入の4分の1程度を占め、米国は、農産物の最大の輸入相手国であり、キューバの貿易相手国としては第5位を占めている。一般米国人のキューバ訪問が制限されている中で、米国からの里帰りキューバ人は、年間20万人を超え、カナダ人に次ぐ観光客数ともなっている。

文化面でも、米国の映画は、版権を払わずにキューバで上映されたり、テレビでは年間200本以上も放映されたりしている。いろいろ困難や障害があるものの、ポピュラー音楽のアーチストが米国でコンサート行ったり、美術家が米国で個展を開いたりもしている。高くない水準ではあるが、学術交流ももちろん行われている。米国のポピュラー音楽は、キューバでも人気が高く、頻繁にテレビ・ラジオでも流されている。

米国が、1966年にジョンソン政権のもとで、キューバ人地位調整法(米国領に体の一部でも触れたキューバ人に、移住権を与えるという法律。キューバ人の違法出国の原因のひとつとなっているもの。他のラテンアメリカ国にはない)を制定した一方、両国には、1973年にニクソン政権のもとで結ばれたハイジャック協定(ハイジャック犯を相手側に送還する)、1987年にレーガン政権との間に結ばれた移民協定(米国は年間2万人以上のキューバ人移民を受け入れる)があり、麻薬取締では、米国の麻薬取締局(DEA)と協力活動も行っている。

米玖関係が緊迫した時期での重大な交渉は、しばしば両国で報道されることなく、秘密に行われ、その後文書の公開が解禁されたり、個人の回想録で明らかにされたりすることがある。これまでに次の4回の秘密交渉が明らかにされている。

1975年1月フォード政権のもとで、キッシンジャーは、キューバとの関係修復を図ろうとし、両国の間で交渉が始まったが、最終的に決裂した。アンゴラ戦争時。

1981年11月、アレクサンダー・ヘイグ米国務長官とキューバのカルロス・ラファエル・ロドリゲス副議長が、メキシコで中米紛争に関連して両国の関係改善について話し合ったが、結局合意に達しなかった。中米紛争時。

1994年8月、メキシコのサリーナスを仲介して、クリントン、カストロ両大統領が、キューバ人の大量出国事件について交渉したが、関係改善に至らず。米国への大量出国事件時。

1997年にガルシア・マルケスが、カストロとクリントンとの間に入り、テロ問題で米玖協力に動くも、米国当局の反対で進展しなかった。ヘルムズ=バートン発効後の険悪時。

一方で、アイゼンハワー以来の歴代の米国政府は、カストロ政権を、自由がない全体主義の独裁政権と決めつけて、637件以上に上るカストロの暗殺計画、1961年4月のプラヤ・ヒロンへの傭兵侵攻事件、1976年10月のバルバドス上空でのキューバ航空機爆破事件、1997年のハバナ市での一連のホテル爆破事件などの破壊活動を行ってきた。また、米政府は、キューバを、悪の枢軸国、圧政の砦、テロ支援国家と決めつけてきた。

こうした複雑な問題のひとつが、米国で収監中の5名のキューバ人諜報員とキューバに収監中の米国人諜報員の問題である(5人の問題の詳細については、2009年1月31日付拙稿参照)。キューバは、5人が1998年5月マイアミで逮捕されて以来、逮捕が不当として、これまで海外の友好・連帯組織にも協同行動を呼びかけて、5人の釈放を米国に要求してきた。しかし、法的に全く不当な判決であるとするキューバ側の主張は、米国の司法や一般世論が受け入れる余地は少ないものであった。というのは、5人はあくまで米国の法体系のもとで逮捕されたのであり、量刑や、裁判指揮に問題があるものの、冤罪事件ではなく、米国の法制度、法文化で裁かれているのであり、特に反逆罪は、憲法第3節〔反逆罪〕で厳しい規定が設けられているからである。

そこで、局面を打開するため、キューバ政府は、2008年12月より、現実的な対策として、米国政府に呼びかけて、政府間交渉で釈放を交渉するようになった。ラウル議長が、ブラジルでの第1回ラテンアメリカ・カリブ統合・開発会議サミットに出席した際、記者会見で、オバマ次期政権との関係改善のための行動として、キューバの国内の政治囚とマイアミ収監中の5名のキューバ人との交換を申し出たのである。しかし、米国政府は、これを拒否した。この時点で、キューバとしても、服役中の政治囚は、キューバの国内法に違反して国内法に従って判決を受けたものであり、それを超法規的に釈放することは、法的側面よりも政治的判断を優先させることであり、政策の一大転換であった。また同時に、それは、5人の問題の本質が政治的解決にあることを浮き彫りにするものであった。

翌年3月には、米誌『カウンターパンチ』が、5人の問題では、米玖政府双方の行動が必要と論文で述べた。そうした世論を背景に、同年4月ラウル議長は、クマナで開催のALBA首脳会議の閉会式で、米国とあらゆるテーマで対話する準備があり、5人のキューバ人についてキューバの政治囚との交換を再度提案した。

今年に入って、2月にハバナで開催された両国の移民問題協議会談で、キューバ政府は、いろいろな議題とともに、5人のキューバ人の釈放の要請を行った。一方、米国側は、アラン・グロスの即時釈放をキューバ政府に要求した。アラン・グロスとは、米政府の開発政策社(DAI)のキューバ担当請負社員で、キューバの反体制勢力に資金・物資の支援を行っていることから、昨年12月4日キューバ当局により、CIAの諜報員として、スパイ罪で逮捕された人物である。米政府は、単に一般市民への支援と述べているが、キューバ側は、衛星通信機器を支給するなど、スパイ活動とみなしている。

こうして、事態は、双方の諜報員同士の交換という高度の政治的交渉の形を取り始めた。3月、ラウル議長は、5人及びキューバの政治囚75人、グロスとの交換釈放を米政府に提案した。すると、7月15日、クリントン国務長官が、ユダヤ人協会の集会で、キューバにスパイ罪で収監中のアラン・グロスの釈放を求めると述べた。事態は動き始めた。7月23日、キューバのアラルコン国会議長が、パリで、「オバマ大統領が5人のキューバ人の釈放を決定することもありうる」と述べた。水面下で交渉が進んでいることを伺わせる発言であった。

しかし、7月26日のサンタ・クララ市での7・26記念集会で演説したマチャード・ベントゥーラ国家評議会副議長は、このことについて、まったく触れなかった。一方、同日、フィデルが、ハバナでキューバ人アーチスト、米国人友好運動活動家たちとの対話で、「5人の同志は、近い時期に、釈放されると思う、年末よりもはるか前に釈放される。これを家族に責任をもっていう」と、5人の釈放について米国と合意ができていることを暗示する発言をした。しかし、奇妙にも、この箇所は、政府系ウエブの「クーバ・デバーテ」、及び共産党機関紙の「グランマ」では、「5人の釈放についての動きは何もない」とだけ報道された。

すると、7月30日、今度は、米国務省のアルトゥーロ・バレンスエラ国務次官補が、「アラン・グラスは、体重が6カ月間で36kgも減り、健康状態が悪い」と指摘し、彼の釈放をキューバ政府に要請した。

8月1日、ラウルは、国会の閉会演説で、「米玖関係について、本質では何ら変わっていない。つまり、われわれの大事な5人の英雄は不当に収監され、過酷な取り扱いを受けている」と述べて、フィデルの発言の打ち消しに努めた。

8月5日には、52名の政治囚釈放の仲介役を務めたハイメ・オルテガ枢機卿が、米国を訪問し、国家安全保障問題担当補佐官ジェームズ・ジョーンズ及びバレンスエラ国務次官補と会談した。この問題の仲介についての打ち合わせではないかと指摘されている。

8月7日、またまた、フィデルが、キューバ国会への「メッセージ」で、「些細な前進だが、ヘラルド(米国に収監中の5人のキューバ人諜報員の一人)の拷問が停止された。これは、12年間も起きなかったことだ。次は、妻のアドリアーナの面会が認められるか、あるいは即時の釈放があるだろう」と、釈放が近いことを示唆した。

引き続き、8日、フィデルは、ベネズエラ人記者団とのインタビューで、「5人の釈放は、1週間は短いが、12月までも長くかからない。普通よりも3倍の時間がかかる。ただ、26日に釈放時期について発言したことが、米政府を困惑させることになったので、釈放の時期はいわない」と述べ、7月26日の発言に米政府から不満が述べられたことを示唆している。ともあれ、両国で基本的にグロスと5名の交換が合意されていることを事実上示すものであった。

では、なぜ、フィデルの勇み足気味な発言に、米政府は困惑をしたのであろうか。また、ラウルは打ち消したのであろうか。それは、オバマ政権とて、超法規的に5人を釈放することを是とする世論を国内で時間をかけて喚起しなければならないからである。したがって、盛んにグロスの釈放を要求しているのである。マチャードやラウルもこの点を考慮しての沈黙であろう。しかし、12月まで長くはかからないとフィデルが述べているのは、11月1日に米国で中間選挙があり、それ以前にフロリダなどの反キューバ勢力を刺激することは得策でないから、米国政府は、交換は、中間選挙の後にしてほしいという意向を述べているからであろう。

キューバ政府が、7月に52名の政治囚を釈放し(実際はそれ以外も釈放しつつある)、米国の要求していた国内政治囚の釈放にキューバ政府は応えた形となっている。その次のボールは米国から投げ返す番であるが、この交換は、その有力な材料となろう。米玖関係は水面下で動いているのである。
(2010年8月19日 新藤通弘)

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2010年8月17日 (火)

キューバ映画祭、米国ミシガン州で開催

キューバ映画祭、米国ミシガン州で開催
ラシエル・デル・トロ
Cubanow, 10 de agosto de 2010
(前田恵理子訳)

キューバ映画関係者の代表団が米国を訪問、米国人ドキュメンタリー監督であるマイケル・ムーアが設立したトラヴァース・シティー映画祭に参加した。

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第6回映画祭開会式では、マイケル・ムーア自身が、観客にキューバ映画の上映会に出席することを勧め、キューバの女優のミルタ・イバーラとイアン・パドロン監督を紹介し、その作品に感謝して彼らにトラヴァース市の鍵を渡した。映画祭に参加したもう一人のキューバ人監督は、著名なファン・カルロス・クレマータ監督で、イライダ・マルベルティとの共同監督の長編劇映画「ビーバ・クーバ!(キューバ万歳)」(劇映画、2006年)が映画祭で上映される予定である。

また、その他の上映予定のキューバ映画は、ファン・カルロス・タビオの「豊穣の角」(劇映画、2008年)、イアン・パドロンの「最強野球チーム」(長編記録映画、2008年)とトマス・グティエレス・アレアとファン・カルロス・タビオの「苺とチョコレート」(劇映画、1993年)である。さらに、キューバ代表団のメンバー全員が、「われわれはキューバで生活している」と題されたパネルディスカッションに参加し、映画も製作される予定である。

マイケル・ムーア監督は、彼の出身地でもあるミシガン州北部の観光地、トラヴァースでこの映画祭を開催した。なぜなら、そこは彼が、大手映画会社に対抗して、彼の活動を開始した場所だったからである。この映画祭の特徴は、7月末と8月初めに開催され、屋外での無料上映も含まれていることである。

オープンエアで上映される映画のほかに、有料で市内各地のホールで国内外の映画が上映される。それは、映画祭の15万ドル近い費用を、入場券収入とさまざまな個人の寄付でまかなうためである。ムーアは、政治映画の達人であるが、この映画祭は政治的性格を持たず、本質的に芸術・文化の振興に尽くすものだと述べている。

(訳者補注)
「ビーバ・クーバ!(原題キューバ万歳)」(邦題「ビバ・キューバ!」)
長編劇映画、2005年、80分、言語:スペイン語
監督:フアン・カルロス・クレマータ、イライダ・マルベルティ
撮影:アレハンドロ・ペレス・ゴメス
音楽:アマウリ・ラミレス、スリム・ペシン
日本では、2008年9月第5回スペイン・ラテンアメリカ映画祭で上映、劇場未公開)
出演者:マルー・タラウ(マルー)、ホルへ・ミロ(ホルヒート)、ラリサ・ベガ(マルーの母親)、ルイサ・マリア・ヒメネス(ホルヒートの母親)。

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あらすじ:女の子のマルーと男の子のホルヒートは、一生の友情を誓い合った幼友達。しかし、それぞれの家は政治信条が違い、仲たがいしている。マルーの祖母が亡くなって、母親がキューバ国外へ移住することを決めた時に、マルーとホルヒートは、キューバ各地を自分たちの愛にとっての希望を探して、旅に出ることになる。
クレマータ監督は、以下のように強調している。「この作品の第一の意図は、親が他国に移住するというようなとても重要な決断をする時には、子供の意見を十分に考慮して、考えるよう、親たちに呼びかけていることである。『ビーバ・クーバ!』は、そこから生まれ、この映画は、子供にだけではなく家族全体に捧げられている。このためにすべての年齢向けの映画として考えてほしい」。

「豊穣の角」
劇映画、2008年、107分(本邦未公開)、言語:スペイン語
監督:ファン・カルロス・タビオ
撮影:ハンス・ブルマン
音楽:ルシオ・ゴドイ
出演者:ホルへ・ペルゴリーア、ラウラ・デ・ラ・ウス、エンリケ・モリーナ、ミルタ・イバーラ、ブラディミール・クルス

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あらすじ:ヤラゲイというキューバの架空の小さな村でのお話。ある日、カスティニェイラス一族の家族は、莫大な遺産相続の知らせを受けた。それは18世紀に英国の銀行に修道女が預金していたというもの。この知らせ以来、一族と村中の生活が一変。とりわけベルナルディートと妻のマルティーカは、すっかり落ち着きを失った。一族のみんな、遺産請求の手続きに専念しなければならず、また中には、見境なく借金をする者もいる。遺産を受け取るまでのさまざまな障害をのりきるドタバタコメディー。果たして、お宝を手にすることは・・。

「最強野球チーム」
長編記録映画、2008年、68分(本邦未公開)、言語:スペイン語
監督:イアン・パドロン
撮影:エルネスト・グラナード
出演者:レイ・ビセンテ・アングラーダ、ラサロ・ヴァルガス、アグスティン・マルケティ、ヘルマン・メサ、ハビエル・メンデス、オルランド・エルナンデス(エル・ドゥーケ)、アローチャ

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あらすじ:キューバの国技は、野球である。米国のヤンキースやスペインのレアル・マドリードのように、キューバ野球の象徴的なチーム、ハバナをフランチャイズとするインドゥストリアレスを扱ったドキュメンタリー。このチームは、全国優勝の10回の記録を持ち、熱狂的なファンが多い。その45年の歴史が、初めてキューバの国内外に住む選手やファンにより語られている。
生活すること、野球をすることの困難、例えば、ブロマイドや宣伝ポスター、野球雑誌がないことや、鼻ひげ、口ひげ、長髪、ネックレスや腕輪などの禁止という厳格な規律なども議論されている。そして、選手がプロとしてプレーするために国外へ出て行くという現実も率直に隠すことなく記録されている。
この作品は、この5年間のキューバ映画の中で最も議論を呼び、問題提起をし、批判もされた作品のひとつで、映画館では上映されていないが、作品のコピーがハバナ市内で人から人へと回されている、人気の衝撃ドキュメンタリーである。

「苺とチョコレート」(劇映画、1993年)は、本邦でも公開されましたので、割愛します。

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2010年8月12日 (木)

キューバ野球、自国のユニフォームへの誇り、母国・故郷の人びとのために頑張る

あるジャーナリストに、キューバ野球について心温まる話を寄せていただいた。これもキューバ社会の一環である。

自国のユニフォームへの誇り、母国・故郷の人びとのために頑張るキューバ野球

 8月7日、大学野球の世界大会決勝戦で、キューバ代表が米国代表を延長戦の末、4対3でくだし、堂々と優勝した。米国には将来大リーグ・ヤンキースのドラフト一位指名されそうな投手までいたが、四つに組んで戦い、圧倒的な打撃力で勝った。言い古されたことだが、「人口たった1100万人のスポーツ大国」には、改めて驚かされた。

 経済的に苦しいなかで、これだけのレベルを維持している「秘密」は何か。

 米国では、大リーグに行けば年俸何百万ドル。優秀な大学生選手はさぞや厚遇されていることだろう。

 私は、神宮球場に通い詰めて、キューバの選手団長、選手たちに接する機会があった。球場横で、日本人ファンにサインを求められるとサクまで歩み寄ってきて、どんどん書く。人なつこい笑顔。各国選手団で一番あいきょうを振りまいて、フレンドリーだったのが彼らだった。

 野球が骨の髄まで好きで、しかし、日本のスポ根モノ(それはそれでいいところはあるのだと思うが・・・)のような悲壮感はなく、底抜けに明るい。ありとあらゆるベクトルが前向きなのである。

 キューバに帰ったら、もしかしたらスパルタ式の鍛錬が待っているのかもしれないが、「秘密」はやはり彼らの人間性のすばらしさ、そして彼らのコミュニティーの持つ生命力ではないかと思う。彼らの家族思い、コミュニティーの団結力の強靱さは有名だ。

 やっぱりスポーツは札束だけではない。自国のユニフォームへの誇り、母国・故郷の人びとのために頑張るといったことが大きいのだ。

 小耳にはさんだ話だが、彼らがハバナ空港を出発するとき、押し寄せてきた一族郎党と、一時の別れを惜しんで抱擁するのに忙しく、飛行機に乗り遅れそうになった選手が複数いたそうだ。

 米国との決勝戦、どういうわけか、キューバでは急きょナマ中継されたときく。早朝の時間帯だったが、きっと驚異的な視聴率だったに違いない。

 7月31日の予選リーグで、野球強国・韓国には18-0(5回コールド)で圧勝。

 決勝トーナメントの初戦では、野球の発展途上国・スリランカと対戦。7回コールドで14-0。

 スリランカ打線は手も足も出ず、完全試合(参考記録)。しかし、特筆すべきは、キューバ打線が1本も本塁打を打たなかったことだ。発展途上のスリランカの学生たちがケガをしないように、フルスイングをしなかったのではと推察する次第。

 こんな人間味あふれる彼らの参加するスポーツ大会や試合が、これからもたびたび日本であればいいのに、と願っている。(匿名希望)

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2010年8月11日 (水)

情勢の進展か、認識の変化か?

情勢の進展か、認識の変化か?
フィデルの立論が変化してきているようである。フィデルは、これまでイスラエルが、米国に相談しないでイランを攻撃すると指摘してきた。たとえば、次の省察がある。

6月8日 省察「悲劇の瀬戸際で」
イスラエルが米国の意見も聞かず、独自に核攻撃を行うことを疑うのは非現実的(具体的証拠示さず)。イランの核施設を攻撃することは明白である。

6月10日 省察「待伏せの一撃」
イスラエルは、米国によって核武装され、中東の憲兵となっているが、米国の意見も聞かずに狂信的に行動するものである。

しかし、8月8日以降は、イスラエルは、独自に行動せず、米国の指示まちと、フィデルは述べるようになっている。

8月8日 ベネズエラの記者とのインタビュー
イスラエルは、米国から供給された核兵器をもっている。しかし、イスラエルは米国が指令を出すのを待っている。彼らは、米国から説得されていると思っている。イスラエルは、今、オバマが核戦争の引き金を引くように期待している。しかし、オバマは引き金を引かない。というのは世界の世論、すべての大国が戦争をしてはならないという意見があるからである。だから、イスラエル人たちは、あえて勝手にミサイルを発射することはしないであろう。

8月10日 省察「イスラエルは最初の攻撃者とはならないだろう」
安保理決議1929により、イスラエルは、最初の攻撃を行う国を米国とすることに成功した。ネタニヤフは、最初の攻撃国となって、核保有諸国と対決することを好まないからだ。彼はバカではない。
オバマには無実の数億人を殺害する核戦争を命じるより他の政策はなくなっているが、彼は殺人者ではない。
最悪なのは、だれかが忌まわしい誤りを冒し、事態が展開することである。

ここには、明白にイスラエルの独自行動を否定するに至っている。

それだけではない。オバマ大統領への評価も変わってきている。

7月11日の省察「戦争の起源」においては、「本質において、オバマは、核兵器のない人類を語りながら世界をだまそうとしている。一方では、核兵器に代わる甚大な破壊兵器を用いるからだ」と述べていた。

8月8日の「ベネズエラの記者とのインタビュー」
しかし、ここでは、「オバマは、厚顔無知なニクソンとは違うし、レーガンのような恐るべき無知でもないし、ブッシュ氏のような頭の狂った馬鹿でもないし、ブッシュ氏の父のような、いかんともしがたい二重人格者でもない。オバマは、殺人者ではなく、他人の不幸を望んでいる人物でもなく、政治家で、教育があり、教養もあり、優れた演説家であり、多くの共感を得ている」と肯定的に評価し、さらに逆に記者に「あなた方に聞くが、あなた方は、良識あるオバマが、数億人の死者をだすことを決定しつつあると思うか」と質問するに至っている。さらに、世界の世論から、オバマは、核戦争の引き金をひかないだろうとも述べている。

これまで、イスラエルの独自の無謀なイラン核攻撃⇒米国の北朝鮮核攻撃を誘発⇒核戦争勃発というのが、フィデルの立論の基本であった。しかし、イスラエルの独自行動の否定、オバマの常識の肯定、世界の反核世論の存在の認識は、この論理の展開を否定するものである。

結局、フィデルの8月10日の論調は、「われわれが(フィデルが)説得すれば」という限定つきだが、核戦争は起こりそうもないという、常識的な認識に近づきつつある。その後、イスラエルも、米国も政策を変えたというニュースはないし、フィデルもその説明を行っていない。フィデルの分析、立論が変わってきているように思われてならない。
(2010年8月11日 新藤通弘)

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2010年8月10日 (火)

国際情勢が変わったのか? それとも・・・

国際情勢が変わったのか? それとも・・・

8月7日、フィデルの要請により、国際問題を討議するために特別国会が開催された。フィデルは、階級章のない上下オリーブ・グリーンの軍服姿で現れた。国会では一国会議員に過ぎないフィデルは、空白のまま維持されていた従来の席には、さすがに座らず、演台での発言のあと、アラルコン国会議長の横に座り、質問に答えた。
フィデルは、約12分間、用意してきたメッセージを読みあげ、自由討論に付した。国会議員の発言は、フィデルの指導力を賛美するもの、国際問題を述べるもの、原爆問題を述べるものなど、いろいろ相次いだ。しかし、フィデル、国会議員とも国内問題についての発言はなかった。1時間半に及ぶ国会の間、国家評議会議長のラウルは一言も発言しなかった。

フィデルは、「8週間前の当初、差し迫った核戦争の危険は、解決不可能だと考えた。
しかし、つい最近まで夢にも思わなかった解決の条件が現在作られつつある」と切り出した。以下にみるように、フィデルは、6月1日からはトーンダウンしてきたものの、一貫して米国による北朝鮮への核攻撃、イスラエルによるイランへの核攻撃の可能性を主張してきた。一体、本当に新しい条件が作られつつあるのか、それはどういう国際条件なのか。国際条件が変わったのか、それともフィデルの主張が変わったのか。以下、検討してみたい。

フィデルは、6月1日の省察で唐突に核戦争の危険を提起するが、それまで、今年のその他の省察では、核戦争は、まったく述べられていなかった。海外の国際ニュースでは、その後も核戦争の危険については、小生の知る限り報道されていない。キューバのメディアでもそれ以前は、報道されていない。

それでは、なぜ、フィデルが6月1日から唐突な形で核戦争の危険を提起するようになったのか。以下の事件がフィデルの頭脳に強く焼き付いたからではないだろうか。

3月26日、天安艦事件(韓国海軍哨戒艦沈没)勃発。
5月23日、1975年3月イスラエルが南ア向けに14発の核弾頭を売却契約したことが暴露される。アンゴラ派遣の4万人のキューバ軍はこれを知らずに戦闘。
5月下旬、国連安保、イラン追加制裁決議を討議。
5月31日、イスラエル特殊部隊、公海上でガザ支援船を強襲、15名を殺害。

では、次に、6月1日以降の「省察」の中の核戦争に関するフィデルの主張箇所を抜き出してみよう。

6月1日 省察「帝国と戦争」
天安艦事件(3月26日韓国海軍哨戒艦沈没)は、米国の仕組んだもの(具体的証拠提示せず)。米国の北朝鮮核攻撃を必至とみる(具体的論拠提示せず)。
イスラエルは、米国の決定を無視してイランへの核攻撃を行う(具体的論拠言及せず)。
イスラエル特殊部隊、5月31日、公海上でガザ支援船を強襲、15名を殺害したことを非難。

6月3日 省察「帝国とウソ」
米国による北朝鮮とイランへの核攻撃は、差し迫った危険である。
米国の仕組んだ天安事件は、日本の「国民統一政府である鳩山政権」を放逐することにも役立った。
しかし、代償もあり、中国の胡錦濤国家主席は、日本の明仁天皇、首相、重要人物と話しあうために重要な指導者を派遣しなければならなかった。

6月8日 省察「悲劇の瀬戸際で」
天安事件は、米国の工作であることは明白。
イスラエルが米国の意見も聞かず、独自に核攻撃を行うことを疑うのは非現実的(具体的証拠示さず)。イランの核施設を攻撃することは明白。
イランは、イスラエルの脅迫には屈しない。

6月10日 省察「待伏せの一撃」
イスラエルのガザ支援船攻撃は、世界でのサッカーのワールドカップ熱を利用したもの。
国連安保理のイラン追加制裁措置についてのオバマ演説は、昨年のカイロ演説と矛盾する。イスラエルは、米国によって核武装され、中東の憲兵となっているが、米国の意見も聞かずに狂信的に行動するものである。

6月16日 省察「避けがたい小衝突」
北朝鮮は、天安を沈没させるような兵器はもっていない。
米国は、口には出さないが、イランの民族主義政権を打倒したいのだ。
米国は、サウジアラビアに、イスラエルの最新爆撃機がイラン攻撃用に空路を使用することを承認させた。これは、イスラエルが米国により供給された核兵器を使用することを可能にするものである。

6月24日 省察「私が間違っていてほしいものだ」
天安艦は、北朝鮮でなく、米国の諜報機関による爆薬で沈没された。
6月20日、空母ハリー・S・トルーマンを旗艦とする原潜、戦艦などが、スエズ運河を通りイラン海域に向かった。同時にイスラエル軍艦も貨物検問のため、イラン海域に向かっている。
当初、朝鮮で小戦闘が始まり、それが第二次朝鮮戦争、核戦争となり、それが、イラン核攻撃を誘発すると私は考えたが、現在は状況が変わり、逆で、イランへの核攻撃が最初で、それがすぐさま朝鮮戦争を引き起こすと考えている。

6月27日 省察「十分に前もって真実を知ること」
現在は、26日前より、より落ち着いている。もし米国チームが勝てば、オバマは、ワールドカップの準決勝戦に出席すると述べた。戦争が起きていたら、出席できないからだ。
6月26日、イラン軍司令官が、米国あるいはその同盟国が公海でイランの船舶を検問するなら、ペルシャ湾、ホルムズ海峡で反撃を受けるであろうと述べた。つまり、船舶の検問が行われるなら、イランから雨のようなミサイル攻撃を受けるであろう。
1975年3月イスラエルが南ア向けに14発の核弾頭を売却契約したことが暴露された。アンゴラ派遣のキューバ軍はこれを知らずに戦闘していた。イスラエルはそういう国だ。

7月4日 省察「不可能な祝福」
2010年6月9日の国連安保理1929に従って、イスラエル軍艦は、米航空母艦に守られてイラン船舶の検問を行うであろうか。決議は検問には、イランの同意が必要となっている。イランがそれを否定するならどうなるか、われわれは検討してみなければならない。
われわれは、核戦争の破滅的な結果に直面しなければならないが、その核戦争は極めて近い時期に(7月8日か9日に)勃発するであろう。

7月11日 省察「戦争の起源」
米国、イラン両国とも譲歩しないだろう。双方とも望まないが、戦争が勃発するだろう。
本質において、オバマは、核兵器のない人類を語りながら世界をだまそうとしている。一方では、核兵器に代わる甚大な破壊兵器を用いるからだ。
米国は、イランの屈服が非常に近いと考えているが、EUも7月26日に署名を予定している別な制裁措置を検討している。
イランの外相は、国際制裁に関わらずウランの濃縮を継続すると述べている。
救い難い障害(核戦争)を克服できる可能性は、一日一日と減っている。核戦争が勃発することをほぼ正確に予測できることは明白である。
自己批判しなければならないことは、6月27日木曜日の省察で(フィデルの記憶違い、実際は7月4日の省察)、遅くとも木曜日か金曜日、遅くとも土曜日まで、遅くとも金曜か土曜日には核戦争が勃発すると述べたのは誤りであった。
イスラエルの戦艦が米海軍とともに目的地に向かっており、検問の指令が出されていることを知っていた。しかし、船籍国の同意が必要であるという条件に気がつかなかったのである。
8月8日は、6月9日の安保理決議の実施状況を報告する60日の期限が切れる。しかし、現実には何か残念なことが起きるであろう。
決議の第36項に決議1737(2006)のイランの履行状況についてのIAEA事務総長の報告の提出が90日以内に要求され、第37項でこの報告に基づいてイランへの行動を再検討するとなっていることを見逃していた。
私の目的は、生じていることを国際世論に警告することであった。

7月18日 省察「ネルソン・マンデラ」
人類は、近づきつつある核悲劇の破滅的な衝撃をまだ予防することができる。環境の悲劇は最早、目の前にあるのだ。

7月18日 省察「もう一つの悲劇」
7月13日にキューバ世界経済調査所(CIEM)を訪問した際、現在、目にしているもう一つの悲劇、環境破壊について述べた。この問題では、現存していることをみんなが協力して変えていくことが必要だ。
私が6月1日から省察で述べている人類最後の戦争となる戦争の差し迫った危険は、一日一日、悪化している。99.9%の人が基本的な常識が勝利すると期待している。しかし不幸なことに私が見ている現実からは、そういう可能性はまったくない。世界の人びとがこうした現実に対処するよう準備することがはるかに現実的だ。

8月3日 省察「米国大統領への要請」
天安艦沈没事件後に核戦争の危険が生じた。これは韓国政府の主張である北朝鮮の旧式ソ連製潜水艦の魚雷によるものではなく、米国の諜報部隊が天安艦の船体に爆薬を仕掛けたことによる。
8月1日、マイケル・ミューレン米軍統合参謀本部長は、イランが核武装する計画を持っているので、それを止めさせるイラン攻撃計画があることを認めた。
8月2日、アフマディネジャド大統領は、9月にニューヨークでオバマと会い、直接、対等平等の立場で話し合いたいと述べた。イラン政府は、米国とイスラエルがイランを封鎖し、イランの商船が検査を受けるやいなや、検問した船舶にミサイルを発射すると通告した。
したがって、オバマが安保理決議の実行を命令するならば、同地域のすべての米国軍艦が沈没させられることになる。
現在の最悪の可能性は、核戦争であり、それはすでに実際上避けられないものとなっている。それを避けるように。

8月7日 フィデルの「メッセージ」
8週間前の当初、差し迫った核戦争の危険は、解決不可能だと考えた。
幸いに、まもなく希望があると分かった。さらにその機会が失われるなら、最悪の結果となり、人類は救われない。しかし、そうならず、逆に、つい最近まで夢にも思わなかった解決の条件が現在作られつつある。
米国大統領が一人で決定を下さなければならないだろう。彼の補佐官たちはこのことを理解し始めた。些細な前進だが、ヘラルド(米国に収監中の5人のキューバ人諜報員の一人)の拷問が停止されたことである。これは、12年間も起きなかったことだ。次は、妻のアドリアーナの面会が認められか、あるいは即時の釈放があるだろう。
イランが米国とイスラエルの要請に一歩も譲歩せず、米国とイスラエルは戦争手段を動員しているので、2010年6月9日の安保理の合意期限が終了するやいなやイランを攻撃しなければならない。
その指令は、オバマ大統領が行うことになるが、膨大な核兵器により米国も含め世界で数億人の死者を出すことになる。同時に、近東、極東、ユーラシアでも核戦争が勃発するであろう。
オバマ大統領は、アフリカ人と白人の、イスラム教徒とキリスト教徒の子孫である。その指令を出さないであろう。もし、彼がこのことについて良識的に考えるならば、である。イスラエルを除き、世界の大国、同盟国、敵対国も、そうしないように呼びかけるであろう。

メッセージを読み上げた後、国会議員の質問に答えて。そのうちのいくつかを記す。
(問):オバマは、攻撃指令を出すことができるか?
(答フィデル):いや。もしわれわれが彼を説得するならば。
(問):あなたは、オバマが二つの文化の遺伝子をもっているとのべたが、文化的対話についてもう少し詳しく話してほしい。
(答):時間がないが、中国もこの方向で動いている。ソ連人(ママ)もこの方向で動いている。この二つの大国のうち、ソ連(ママ)は、異常な気候変動に苦しんでいるところである。オバマの有利な点は、ニクソンでないこと。ニクソンは厚顔無知だった。レーガンも無知だった。ルーズベルトは、彼なら広島と長崎に原爆を落とさなかったであろう。落としたのは無知で無責任なトルーマンだった。落とす必要はなかった。日本は敗北しており、天皇はすでに終戦を決定していたからだ。
(問):あなたは、イスラエルがイランに攻撃しないように説得されうると思うか。
(答):思わない。

こうして、まとめて読んで見ると、筆者には次のような、いろいろな問題点が感じられる。
事実認識についての誤解が見られないだろか。6月8日付の省察では、「日本の『国民統一政府である鳩山政権』を放逐することにも役立った」とあるが、鳩山政権が「国民統一政府」とはだれが規定したのか。新自由主義政策の誤りの修正を期待された過渡的政権である鳩山政権の性格をしっかりと把握してほしいものである。鳩山政権の退陣は、金権問題が大きな比重を占めていた。また、民主党の総選挙の敗北の主要な原因に天安事件を挙げる人は少数であろう。選挙の敗北の最大の要因が、菅首相の唐突な消費税論議であったことは、衆目の一致するところである。普天間基地の問題は、天安事件以前から、実際はすでに鳩山内閣は、県外移転をあきらめていた。鳩山内閣の倒壊と天安事件の関連は薄いといわなければならない。

さらに「中国の胡錦濤国家主席は、日本の明仁天皇、首相、重要人物と話しあうために重要な指導者を派遣しなければならなかった」とあるが、日本の天皇が海外の要人に接見するのは単なる儀礼行為であり、何らかの政治的な説明をするものではない。

「日本は敗北しており、天皇はすでに終戦を決定していた」という点については、広島原爆の投下が8月6日、長崎原爆投下が9日、9日夜御前会議で天皇の最終決断でポツダム宣言受諾決定というのが、時間的経過である。

一面的すぎる評価が見られないだろうか。「本質において、オバマは、核兵器のない人類を語りながら世界をだまそうとしている」とオバマのプラハ演説を批判している。全面的に一路オバマが核廃絶の措置を取るとは思えないが、核廃絶の道に進む姿勢を示したことは評価しなければならないであろう。「世界をだまそうとしている人物なら」、どうして核戦争のボタンを押さないように期待することができるであろうか。

また、天安事件を口実とした米国の北朝鮮攻撃があれば、通常兵器であっても、38度線で対峙する韓国への反撃は必至であり、韓国の経済・生産施設は壊滅的となり、ひいては国際経済全体が大混乱となる。朝鮮半島の地理的条件から、現在はこの地域での本格的戦争は不可能であることを、北朝鮮も含めて東アジアの国々の政府指導者は良く知っていることである。核戦争となれば、もはや大惨劇となり、それはオバマ政権の足元自体を大きく揺るがせるものとなろう。オバマ大統領は、あるいは米国支配層は、そうした馬鹿げたことをするほど愚かであろうか。通常兵器勃発の必然性の主張でも論理の飛躍があるが、核兵器使用の必然性となれば、いかなる具体的資料でも説明されていない。

主観的な判断が見られないだろうか。イランの制裁の実施をめぐって、米国、イスラエルがイラン向けの貨物の検問を行うことになっているが、船籍国の了解事項で制限されており、それを見落として、一気に衝突、核戦争というのは、論理の飛躍ではないだろうか。その後、気がついたにせよ、問題の核心部分だけに慎重な資料の読み込みが望まれるところであった。

7月4日の省察で、「われわれは、核戦争の破滅的な結果に直面しなければならないが、その核戦争は極めて近い時期に(4日か5日に)勃発するであろう」と大変重大な予測をしていながら、7日後の7月11日に「自己批判しなければならないことは、6月27日木曜日の省察で、遅くとも金曜か土曜日には核戦争が勃発すると述べたのは誤りであった」と自己批判されている。理由は、「船籍国の同意が必要であるという条件に気がつかなかった」ということであるが、大きな影響力のある指導者が、小競り合いの紛争の予測ならともかく、核戦争の緊迫した予測を行い、すぐさまそれを打ち消すとはどういうことであろうか。このような重要な問題が、集団的に討議されたのであろうか。もし、それを信じていたなら、どういう対策を国民全体が取っていたであろうか。

8月7日のフィデルの「メッセージ」で、「8週間前の当初、差し迫った核戦争の危険は、解決不可能だと考えた。しかし、そうならず、逆に、つい最近まで夢にも思わなかった解決の条件が現在作られつつある」とある。解決の条件とは何であろうか。「メッセージ」には、米国で収監中の5人のキューバ人の一人に対する米国側の処置が変わったことを挙げているだけである。もしそれを作られつつある条件と考えているのであれば、このことは米国とキューバの二国間の問題で、対イラン、対北朝鮮との国際関係についての米国やイスラエルの政策の変更を示すものではない。そもそも、天安事件、イランの制裁措置をめぐって、通常戦争の危険がどの程度あるのか、またそれが核戦争で行われる論理的な必要性があるのか、具体的な資料を使っての慎重な作業が必要であろう。

なお、5人のキューバ人諜報部員の米国での長期収監問題について触れれば、最近水面下で米玖間で秘密裏に交渉が行われているようである。恐らくは、この5名と昨年12月にキューバで逮捕された米国人諜報部員のグロスとの交換釈放があるのではないかと言われている。こうした諜報関係の問題は、優れて二国間問題であり、第三国の政府や民間組織が関与できる問題ではないことを、最近の米玖間の交渉は示している。このことについては、別稿を記したい。

ある国会議員が、「オバマは、攻撃指令を出すことができるか?」と質問したことに対して、フィデルは、しばし考えた上で「できない。もしわれわれが彼を説得するならば」と答えた。巧妙なレトリックとも指摘されている。もともと、今回は核戦争の可能性は、考慮に値しない程度と筆者は考えているが、もし、核戦争が行われなかったら、フィデルやキューバ国民が今回説得したから、オバマは核のボタンを押さなかったとなるであろうか。近年、核兵器使用禁止には、これまで米国の外交政策を担ってきた、キッシンジャー、シュルツ、パウエルなども連名で意見広告を出している。オバマやキューバ政府、国連も含めて、世界の反核運動は、最近大きな高まりを示している。こうした世界の世論形成こそ、ブッシュに対しても、イスラエルに対しても核使用の手を抑えてきたのでないだろうか。

かつて、フィデルが、卓越した洞察力を示した二つの逸話がある。一つは、1958年6月、フィデルが率いる7・26運動は、シエラマエストラの山中で300名程度で、2万人バチスタ軍に包囲され、熾烈なたたかいを行っており、未だ勝利が明らかでなかった。その時、フィデルは、同志のセリア手紙を書いた。そこで、今後の真のたたかいが米国との長い戦争であることを述べていることである。
「シエラマエストラ 58年6月5日
セリア:
マリオの家にロケット砲が打ち込まれるのを見たとき、アメリカ人に、彼らが行っていることに高い代償を払わせてやると私は誓った。この戦争が終わった時、私にとって、はるかに長期にわたる大きな戦争が始まるであろう。その戦争を、私は彼らに対して行うつもりだ。それが、私の真の運命となることが私にはわかっている。
フィデル」

また、1989年7月、ソ連の困難が報道されてはいたが、ソ連の崩壊まではほとんどの人が考えていなかった。その時、フィデルは、ソ連の崩壊をこのように予測していた。
「もし明日、あるいはいつの日か、ソ連において激しい内戦が起きたというニュースで目を覚ますことがあるかもしれないし、あるいはソ連が解体したというニュースで目を覚ますことがあるかもしれない」

今回は、この洞察力は、発揮されるであろうか。

(2010年8月9日 新藤通弘)

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2010年8月 5日 (木)

はたして核戦争は迫っているのか?

キューバ国家評議会は、8月7日に臨時国会を召集することを決定した。議題は、いろいろな国際問題と報じている。これは、7月26日、フィデルが、キューバ人芸術家、知識人、米国人友好運動活動家たちとの対話で、独自の見解である、米国のイランと北朝鮮への核兵器攻撃の可能性、核戦争の危険を強調し、この問題で近々特別国会を開催するように要請すると述べたことからきている。フィデルは、現在も国会議員であり、党第一書記であるので、その要請となれば、国家評議会も開催に同意したのであろう。

この臨時国会では、今回の通常国会でも空席となっていたフィデルの席に、フィデルは座り、議論を展開するものと思われる。

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ラウルの左側が空席となっているフィデルの席

では、国際問題とは、何が議論されるのであろうか。フィデルは、8月3日、オバマ大統領に回答を求めた省察『米国大統領への要求』を発表し、現在の国際問題について所見を述べた。フィデルは、AFP、EFE、DPAなど外電を駆使して引用しつつ、時系列で持論を展開している。したがって、テーマと論理が飛躍しているところが散見されるように思われる。その大要は下記の通りである。

BPの石油漏出事件の背景には、オバマ大統領が、中東への石油依存から脱却するために深海石油掘削技術を過信して、開発を許可したことがある。環境擁護の科学者や市民がこの米国の消費主義社会を批判していたものである。

第一の緊急の問題は、天安艦沈没事件後の核戦争の危険である。これは韓国政府の主張である北朝鮮の旧式ソ連製潜水艦の魚雷によるものではなく、米国の諜報部隊が天安艦の船体に爆薬を仕掛けたことによるが、即座に北朝鮮政府の仕業とした。

この事件の数日後、国連安保理決議第1929号が採択され、90日間以内のイラン船籍の商船の検問を命じた。

第二に気候変動の問題で、破滅的な影響をすでにもたらしつつある。この上、メキシコ湾で石油の大量漏出事件が起きているのである。現在メキシコ湾の海底に27000の放置された由井があるとのことである。米国政府が、生産を停止している油井から石油が漏出する危険を公式に述べたのは初めてである。油田の地下構造が損傷されており、岩盤の間から原油が漏出する危険を米国政府は指摘している。この問題はどうなのか。

アフガン戦争関連の24万点という大量の秘密文書がウイキリークスによって漏出されたことである。その文書には、米軍によって犯された戦争犯罪の証拠がある。オサマ・ビン・ラディンは、米国の諜報員だったことがこの文書の中に出てくる。ソ連のアフガン占領反対のたたかいの中で、ビン・ラディンは、米国と協力した。しかし、彼は、ソ連のアフガン占領が終わると外国の干渉を拒否し、米国とたたかうためにアルカイダ組織を作った。アルカイダは、米国との戦いの中で生まれたものである。アルカイダは、アフガン政府が作ったものであった。

イスラエル国防相は、「国連の制裁は、イランに原爆製造用のウランの濃縮作業を停止させるにいたっていない」と述べた。一方イラン軍の高官は、「米国のイランに対する攻撃に反対する。イスラエルはイランの核武装計画を停止させるため、イランへの軍事行動を否定していないと」警告した。

米国をはじめ国際社会は、最近イランに対する圧力を強化し、民生用核開発計画に偽装して核兵器開発しようとしていると非難している。8月1日マイケル・ミューレン米軍統合参謀本部長は、イランが核武装する計画を持っているので、それを止めさせるイラン攻撃計画があることを認めた。

8月2日、アフマディネジャド大統領は、9月にニューヨークでオバマと会い、直接、対等平等の立場で話し合いたいと述べた。イラン政府は、米国とイスラエルがイランを封鎖し、イランの商船が検査を受けるやいなや、それらの船舶にミサイルを発射すると通告した。

したがって、オバマが安保理決議の実行を命令するならば、同地域のすべての米国軍艦が沈没させられることになる。いかなる米国の大統領もこうした劇的な決定をする場面におかれたことはない。彼は、それを予見すべきだった。

この機会に米国のバラク・オバマ大統領にいう。あなたの手のみが、人類に平和という現実性を与える。あなたには、発射する命令を行う権限の行使は、ただ一度だけであろう。

貴下に、キューバ国民の名前において送るこうした抗議に耳を貸すようにお願いする。これまでと同じく、貴下の回答は期待できないと思う。良く思慮され、専門家と相談し、同盟国や敵対国の意見を聞いてほしい。

現在の最悪の可能性は、核戦争であり、それはすでに実際上避けられないものとなっている。それを避けるように。

以上が省察の論旨である。フィデルは、6月1日の省察「帝国と戦争」以来、独自の見解である米国・イスラエルによるイラン核攻撃、また同時に米国による北朝鮮核攻撃を、その他の省察や、テレビ・インタビュー、世界経済調査所や外務省でのキューバ大使会議での講演、キューバ人知識人との対話において、繰り返し論じている。今回の省察では、断定的な表現は弱まっているが、中心の論理と結論は、「現在の最悪の可能性は、核戦争であり、それはすでに実際上避けられないものとなっている」という点にある。

果たして、その主張の妥当性はどうであろうか。

フィデルが、天安艦事件を米国の諜報活動によるものとして断定して、イランの核開発疑惑とその制裁措置を結びつけ、米国とイスラエルのイラン攻撃、また北朝鮮への攻撃を予測するのは、その可能性について異論はかなりあるであろうが、ありうる議論かもしれない。しかし、いずれの側からの応酬にも核兵器による攻撃は述べられていない。あくまで通常兵器の問題としての応酬だ。ここに論理の飛躍が見られないであろうか。

ペルシヤ湾、ホルムズ海峡、あるいは朝鮮半島における戦争は、通常兵器であっても、この地域の国々のみならず、世界のエネルギー事情、経済事情全体に破滅的な被害をもたらすであろう。イラク戦争とは比較にならない戦争である。いわんや核兵器を使用した攻撃となれば、米国やイスラエルの海外施設、国内の重要施設は、過激派による無差別の報復目標となるであろうし、核の使用は、世界の膨大な人びとによる厳しい非難を受けるであろう。これは、世界支配を目的として米国指導者が誤った政策を行うとしても、国の内外で自らの支配を失ってしまいかねない蛮行であろう。筆者には、そこまでイスラエルと米国の指導者が愚かとは思えない。

フィデルが、現実政治の立場、核戦争を非難する立場から、核戦争に触れることは悪いことではない。しかし、現在の世界の趨勢は、オバマ大統領自身による昨年4月の核廃絶希求宣言、今年の核不拡散条約(NPT)再検討会議での「核兵器のない世界の実現」の決議、核兵器廃絶条約交渉の開始を求めるパン・ギムン国連総長の提唱、2012年の中東非核化会議の決定など、紆余曲折はあっても核不使用、核廃絶に向かって国際世論は、着実に前進している。本年度の原水禁世界大会の国際会議宣言は、核戦争が差し迫っている危険を論じてはいない。今年の広島平和記念式典には、初めて駐日米大使ジョン・ルース氏も出席する。米国を代表しての同大使の出席にはいろいろな見方があるが、核兵器使用を推進する立場からでないことは明らかである。

核兵器使用反対、核廃絶はいくら声高に叫んでもよい。しかし、核の現実的な使用の可能性についての批判は、事実に基づいた冷静かつ慎重な発言が必要だ。オバマ大統領が現実に核兵器の使用を考えているのであれば、ルース大使を平和記念式典に派遣することは、二重人格者となるであろう。

もうひとつ心配なことは、7日開催のキューバの特別国会では、フィデルの歴史的権威、国民一般の尊敬、もっている情報量の差、説得力などで、フィデルの議論が支配的となろう。国会では、上記のフィデルの主張の線で特別決議が行われるかもしれない。しかし、それは国際的な核廃絶の取り組みからすれば、かなりの乖離があるものとなるであろう。
(2010年8月5日 新藤通弘)

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2010年8月 3日 (火)

キューバのサッカー、発展に必要なもの

キューバのサッカー、発展に必要なもの
ダビッド・E・ブラゲッテ
Cubanow, Julio 30, 2010
(前田恵理子訳)

南アフリカでブブゼラが鳴り止んだ。スペインが世界チャンピオンになった。今でもハバナ市のラウトン地区の公園で、9才のカルリートは、アルゼンチンのリオネル・メッシのTシャツを着て、サーカーのフェイントをしてみたり、左足でにわか仕立てのゴールに向かってボールを蹴ったりしている。

サッカー熱は、キューバでも冷めやらず、国技である野球は、最も世界で人気のあるスポーツのサッカーから、国民的娯楽の栄光を奪い返せないままでいるのだ。

「いつかは、ユリエスキ・グリエル(有名なキューバ人野球選手)のようになりたいけど、まだ僕はメッシ(バルセロナ・クラブチームのスター)にハマってるんだよ」とカルリートは言う。彼は、ハバナで最も交通量があるランパ通りの角にあるヤラ映画館で、父親と一緒にワールドカップの決勝戦を生中継で、しかも大型スクリーンで観戦したことを興奮して語る。

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これは、キューバでは初めての経験で、ハバナの映画館で、デジタル画像と高品質音響技術を利用できたからであると、キューバ映画芸術産業庁(ICAIC)の副会長であるロベルト・スミスは述べた。確かに「サッカーの大きな魅力のひとつは、共有する感動」であり、大型スクリーンで可能な放送の技術的諸条件によって、最高の放映ができたのであると、スミス副会長は語る。

キューバ人は、他のスポーツ競技においてオリンピックや世界大会のチャンピオンであることに誇りをもっているので、サッカーでの不十分水準と結果には不満を表す。

「われわれはスポーツの遺伝子とDNA をもっているのに、ワールドカップに出場できないのはなぜか、私は理解できない」と大学でスポーツ学を専攻した47才のアダルベルト・ラミレスと疑問を述べる。大変奇妙なことは、現在、われわれがギネスブックでボールの支配、接触、操作でいろいろな記録を持っていることだと、アダベルトは指摘する。

その点では、エリック・エルナンデスが際立っている。彼は、最近、ハバナのホテルで、座ったままでワールドカップ公式試合球のジャブラニを3時間3分14秒間リフティングし続けるという世界記録を打ち立てたのだ。この新記録とともに、43歳のエルナンデスは、全身での19時間10分のボール・リフティングと、7時間17分ボールをリフティングしながら42キロマラソンを走るという別の記録ももっている。

キューバ人は、1938年フランスにおけるワールドカップに参加したのが唯一の参加だと覚えている。キューバは、その選抜試合に招待チームとして参加し、初戦はルーマニアと3対3で引分け、次は2対1で勝ったが、準々決勝でスウェーデンに8対0で敗れた。

「群衆の熱狂」というサッカーの健全な理念から、熱狂的なファンの狂熱だけが残った。というのは、過去のリーグとクラブは、選手の売買に何百万ドルも動かす強大な営利追求の企業に転換したからである。4年ごとに世界が狂ってしまうようだ。サッカーを話し、サッカーで休息し、サッカーを夢見るのだ。

国際サッカー連盟(FIFA)には、2億4000万人の選手が登録し、150万の連盟加入チームに所属し、約3000万の人々がFIFAに関係して働いている。合計で2億7000万人が積極的にFIFAに関係し、これは世界人口の4%にあたる。サッカー・ファイナンス年間報告書のために実施された調査によると、サッカーは5500億ドルの国内総生産で、世界経済で第17位を占めている。

こうした圧倒的な趨勢の下で、インテル・ミラノは、キューバでのインター・キャンプ計画を通して子供たちのサッカー人気を盛り上げようとした。25カ国においてこのインテル・ミラノによって行われた支援活動によって、この計画は、4月にハバナに到着し、数日間240名の子供及び80名のコーチらとともに実施された。

それに関して、キューバ・サッカー協会副会長のビクトル・アラゴンが、大事な点は、「われわれの指導者が、サッカーの素晴らしい側面を5~7才の子供たちに見せることが重要だと気付いたことだ。サッカーが好きになって成長した時、習い始め、その後試合をするためにトレーニングを受ける。段階を追って前進しなければならないのだ」と述べた。

著名なサッカー監督であるアルゼンチン人のセサル・ルイス・メノッティは、2005年10月にキューバを訪問した際、「キューバ人コーチの能力を向上させ、理論と実践の授業を行い、コーチの疑問に答えるためのクリニックを開く。なぜなら、キューバ人コーチは、サッカーの国際試合を十分経験していないからである」と述べた。

メノッティは、1978年にワールドタイトルをアルゼンチンにもたらした監督であり、競争力のあるチームを作り出すことは、下から上に向かって始める作業であると意見を述べた。

「野球の国で、サッカーの社会的発展を達成しなければならない。サッカーが若者をひきつける文化的事実となるためには、子供の頃から始めることが必要不可欠である。しかしはっきりしていることは、キューバには並外れた育成の可能性があることである。ナショナルチームの代表選手だけではなく、各種の代表選手となる感動を育てなければならない」と伝説の監督は指摘している。

メノッティは、キューバ人選手には、もっと高いレベルでプレーする可能性を引き出すことを求めた。なぜなら試合こそは、サッカー選手にピッチで権威をもって成長することを助けるものであるからである。

「キューバのサッカーが、国際的に大きな成果を収めることは、キューバのサッカーに大きな衝撃を与えるであろう」とメノッティは言った。

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2010年8月 2日 (月)

キューバ、世代交代は進められているか

友人の研究者から、「キューバで最近行われている閣僚の交代(農業省、軽工業省、保健省など)で就任した新大臣は、経歴からいずれも40代(?)くらいの実務専門家と思います。これは、一方で若手への世代交代を図っていると考えていいのでしょうか?」という相談を受けた。

そこで、ラウル政権の閣僚更迭を時系列で見てみよう。昨年3月の大幅な交代劇は、ラヘ、フェリーペの辞任問題もあり、参考にならないので、その後の更迭を列記しよう。

09.05.08 フアン・ベラ・バルデス高等教育大臣解任され、後任にキューバ共産党政治局員、前オルギン県党第一書記、ミゲル・ディアス・カネル49歳任命される。

09.06.04 フランシスコ・ソベロン中央銀行総裁辞任、後任に国際金融銀行(BFI)総裁のエルネスト・メディーナ・ビジャベイラン54歳任命される。

09.08.01国会でグラディス・マリア・ベヘラーノ(62歳)、国会議員、新設の全国監査長官に任命される。

09.12.21 ラミーロ・バルデス78歳、グラディス・マリア・ベヘラーノ62歳、国家評議会副議長に任命される。
新たな国家評議会議長、副議長
議長(1名) ラウル・カストロ・ルス(78)閣僚評議会議長、革命軍将軍
第一副議長(1名) ホセ・ラモン・マチャド・ベントゥーラ(78)政治局員、党中央委員会組織局長、党中央委員会書記局員、閣僚評議会第一副議長
副議長(5名)

アベラルド・コロメ・イバーラ(69)政治局員、内務大臣、軍団将軍
エステバン・ラソ・エルナンデス(65)政治局員、党中央委員会書記局員
フリオ・カサス・レゲイロ(73)政治局員、革命軍大臣、軍団将軍
ラミーロ・バルデス・メネンデス(78)、閣僚評議会副議長、情報通信大臣
グラディス・マリア・ベヘラーノ・ポルテラ(62)、会計検査院長官

10.03.22フアン・エスカローナ・レゲーラ検事総長78歳、健康上の理由で解任され、後任に現副検事総長ダリオ・デルガード・クーラを任命。

10.03.08 キューバ民間航空庁長官、ロヘリオ・アセベド68歳解任され、副長官、旅団将軍、ラモン・マルティネスが就任。

10.05.03 ホルヘ・ルイス・シエラ閣僚評議会副議長、運輸相を執務上の誤りにより解任、後任の副議長としてアントニオ・エンリケ・ルソン・バトル共産党中央委員、師団将軍、革命軍特殊部隊長 共和国英雄受賞(80歳)を任命。
また、運輸大臣に同省傘下の現一般食料輸送公団総裁セサル・イグナシオ・アロチャ・マシド51歳を任命。
ルイス・マヌエル・アビラ・ゴンサーレス砂糖産業相を活動の弱点を認め、辞任を申請したことで解任。オルランド・セルソ・ガルシア・ラミレス現第一副大臣53歳を任命。

10.06.12 ウリセス・ロサーレス・デル・トロ閣僚評議会副議長、農業大臣を解任され、現第一副大臣のグスタボ・ロドリゲス・ロジェーロ46歳が任命される。

10.06.30 ホセ・エルナンデス・ベルナルデス軽工業省解任され、後任にダマール・マセオ・クルス第一国内商業省第一副大臣47歳が就任。

10.07.22 国家評議会、バラゲール保健相を解任し、後任に43歳の同第一副大臣のロベルト・モラーレスを任命。

以上を見ると、ラウルの人事は、実務の継続性を重視して次官を任命することが多い。手堅い人事ともいえよう。それらの次官は、これまで若い人びとが任命されているので、昇進して大臣になれば、比較的若い第三世代の大臣となる。しかし、これらの第三世代の閣僚は、ほとんどは比較的短期間に更迭されているので、強く意識的に世代交代を図っているとまではいえないかもしれない。

一方、権力の最高水準である、国家評議会副議長、閣僚評議会副議長の任命は、実務面よりも現在の路線への忠誠度、革命への歴史的貢献度が考慮され、ほとんどは高年齢の古参幹部が登用されている。

なお、これらの人事は、「事前に党政治局と相談し、国家評議会議長(ラウル)の提案で国家評議会が決定する」仕組みとなっている。いうまでもなく、すべて事前にフィデル(党第一書記)と相談し、了承を得ているものである。
(2010年8月2日 新藤通弘)

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