« アルゼンチンタンゴ映画「CAFÉ DE LOS MAESTROS(伝説のマエストロたち)」 | トップページ | フィデルの25年前の指摘 »

2010年7月 5日 (月)

エルネスト・チェ・ゲバラ「原爆の悲劇から立ち直る日本」(本邦初訳)

エルネスト・チェ・ゲバラ「原爆の悲劇から立ち直る日本」
雑誌『べルデ・オリーボ』1959年10月19日発表 本邦初訳
西尾幸治訳
(短い解説:ゲバラ一行の使節団の派遣は、1959年4月18日にフィデルによりテレビで発表された。使節団の目的は、日本などの新興工業国と非同盟諸国との外交・通商関係の強化であった。6月12日にハバナを出発して、エジプト、シリア、インド、ビルマ、日本、インドネシア、セイロン、パキスタン、ユーゴスラビア、スーダン、モロッコを訪問し、9月8日帰国した。

ゲバラは、使節団の派遣を、フィデルのテレビ発表前に知っていたようで、2月からの少数グループによる第一次農業改革法案の討議の途中、砂糖工業省のアルフレド・メネンデスにエジプト、インド、インドネシア、日本との貿易事情を聞き、メネンデスが資料を作成し渡したとのことである。ゲバラらしく、短期間に日本の経済・社会構造を勉強したうえでの旅行であった。なお、同年5月17日に発表された第一次農業改革法の作成にゲバラも参加していたためか、日本の農地改革にも関心をもっており、その社会・経済的な意味を正確に指摘している。また、革命当初、キューバの工業化を進めようとしたゲバラの端緒の考えも見られて興味深い。

農業改革法案作成グループは、フィデル、ラウル、チェ・ゲバラ、アントニオ・ヌーネェス・ヒメネス、ビルマ・エスピン、アルフレド・ゲバラ、セグンド・カベージョ、オスカル・ピノサントスであった。ピノサントスによれば、会は、フィデルが終始リードし、ゲバラはほとんど発言しなかったという。

ゲバラの日本での滞在期間、訪問の目的からして、日本政府の内政・外交には慎重に発言したゲバラであったが、本報告には、日本に主権の問題、資本の労働者搾取の問題など適切に指摘している。)


ビルマに短期間 、滞在したのち、われわれは日本に到着した 。かつて繁栄した日出ずる帝国は、山が多く、火山も存在する自然をもった一群の島嶼からなり、面積37万平方キロメートルで8千万の人口を養っている。「養っている」と述べたが、この国にとって、またわれわれが知っているすべてのアジアの国々にとって、これは楽観的な表現かもしれない。日本という工業の巨人は、その内部に激しい社会的矛盾を抱えている。その矛盾は、古い封建的な階級の存在から来たものだが、現在、この階級は、工業の要求を取り入れ、新しい時代にその構造を適応させ、自らの政治的特権を失わないままでいる。

日本の耕地5万ヘクタールは、キューバの8万ヘクタールと比べてかなり少ない。キューバは、人口600万人の生活のためにこれだけの面積の土地に頼っているが、日本は、キューバの3分の2の土地で人口8千万余りが食料を生産しなければならない。

この記事を読みたい方は、添付の文書をダウンロードしてお読みください。
「guevara_visita_a_japon.doc」をダウンロード

|

« アルゼンチンタンゴ映画「CAFÉ DE LOS MAESTROS(伝説のマエストロたち)」 | トップページ | フィデルの25年前の指摘 »

歴史」カテゴリの記事