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2010年7月

2010年7月30日 (金)

ラプソディア・クバーナ

ラプソディア・クバーナ

最近読んだ、二つの記事を紹介しよう。いずれも、キューバのどこかで、毎日のように起こっている、あるいは話題にされている、キューバの市井を良くあらわしているものである。一つは、キューバ共産党中央機関紙『グランマ』に掲載された読者の投稿、もうひとつはキューバ青年共産同盟中央機関紙『フベントゥ・レベルデ』に掲載された評論家のホセ・アレハンドロ・ロドリゲスの記事である。それぞれ要約であることを、ご了承いただきたい。

(1)二つの問題についての意見。
私は、本紙でわれわれの社会の困難についていろいろな意見が交わされているのを読んでいる。また、わが国が直面している問題は、大変解決が困難なものであるが、少しずつ解決しなければならないという意見が交わされているのを耳にする。

問題は、最近少し改善してきたものの、これまでメディアが、勝利主義で良いところだけを報道してところにある。

私は、1959年(革命勝利の年)13歳で、働き始めた。マタンサス県の小さなマナグア町には、当時製靴工場が三つあった。当時キューバの人口は、6-700万人だった。その上、民間の製靴工場があった。私は、工場労働者として働き、幸運にも23年して工場の保守責任者までになった。80年代には、これらの工場は、最新の技術と設備を装備した最新の工場であった。今日でも最新の設備といえよう。

しかし、どうなったか。マナグアには製靴工場はひとつもなくなった。あまり品質も良くない輸入品に席を譲ったからだ。輸入された靴は、キューバで生産するよりも安いからだという。中国からの運賃、労賃はどうなのか、失われた雇用、靴作りの誇りは?と考えてしまう。こうした結論を出したのは、軽工業省及び製靴企業連合の重大な間違いだと思う。今や前に述べた最新工場は廃墟となっており、キューバの他の県で手芸品として完全に手作業で非生産的に靴が作られている。わが町では、手作業でさえ、工業的に靴は作られなくなったのだ。

私は、キューバでどのくらい工場が閉鎖されたかという数字をもっていない。しかし、サンアントニオ・デロスバーニョス、キビカン、サン・ニコラス、カラバサールなどで閉鎖されたことを知っている。いつの日か、われわれが履く靴の多くが、キューバ製であるというニュースを聞くことができるだろうか。

もう一つの問題は、行政上の決定権の中央集権化である。これは米国の経済制裁と同じ程度にわが国に弊害を与えている。私が、ハバナ市での企業で働いていた時、私の企業が銀行口座に多くの外貨ペソ(CUC)をもっていても、電線を被覆するためにビニール・テープを買うにも、その金がビニール・テープ用に割り当てられていなかったので、買うことはできなかった。

さらに銀行口座は、架空のものだった。というのは、小切手さえも銀行が作らなければならず、問題を解決するには、次のように時間がかかったからだ。

① 買付公団は、ハバナ市まで契約書をもらいに行かなければならない。
② 外貨委員会の会議の開催を待たなければならない。
③ その後、銀行が企業を応対する日を待たなければならない。
④ その後、小切手を受け取り、品物を受け取りに行かなければならない。
⑤ もし、企業の契約書に不備があればどうなるか。銀行は、書類を突き返し、再度契約書をもらいに行かなければならない。

最終的に、銀行は小切手を発行することになるが、その小切手にタイプミスがあれば、供給公団は、それを受け取らず、銀行に小切手の再発行を依頼しなければならない。こうして、いろいろ面倒なことが終わったとき、品物は売り切れとなっている。ガソリンを何リッター使ったのだろうか。しかし、こうした問題は、依然として続いているのだ。

その他の多くの例をしっている。企業にはもっと迅速性が与えられなければならず、企業長にはもっと強い権限を与えなければならない。またもっと人を信用することも必要である。
R・ペレス・ベラ

(2)価格がないので販売できない
ハバナ市の革命広場地区に住むフアン・ロペスは、まったく期待もせずに、プラヤ地区の総合技術サービス公団に電話をした。サンヨーの洗濯機のタイマーが壊れていたからだ。

驚いたことに、そこにはLG社が提供する問題の部品があるではないか。しかし、修繕できない、もう数カ月も前からLG社から部品の価格が連絡されていないからだという。

ロペスは、これにくじけず、LGサービス社と話したところ、財政・価格省が、同社に公式価格を連絡してきていないのが原因だとのこと。

ロペスは、ひるまず、同省の住民担当の法務部に電話をしたところ、文書で問題を出すようにと言われた。そこでロペスは、メールで連絡。しかし、1週間あまり過ぎても何ら回答も、メールを受け取ったとの連絡もなかった。そこで、ロペスは、再度法務部に電話をしたところ、専門担当員が出たが、名前も言いたがらず、回答ももらえなかった。そこでロペスは法務部局長に電話をしたところ、彼女は秘書に問題を説明し、秘書は担当部長に回し、彼女もまた名前を言いたがらず、未回答の件が多くあり、順番を60日待たなければならないという。

ロペスは、洗濯機の部品があるのに、官僚機構の遅れのために、故障を解決できないというのは理解できない。ロペスは、また法的には国営公団は、60日以内にユーザーのクレームや提案を回答しなければならないことを知っている。しかし、だからといって、60日間待ってほしいとはどういうことか。そのことは、公式価格の承認の遅れの弁解にはならない。それとも、価格の決定は、それほど複雑なものであろうか。
ホセ・アレハンドロ・ロドリゲス

この(1)(2)の事例とも、似たような事例は、キューバで普段に聞くことである。(1)の外貨小切手取得は、まだ単純化されている。供給公団は、輸入のための外貨予算割り当ての申請をまずはしなければならない。そのためには、県の上級の省の許可、スーパーバイザーの点検、省全国会議での許可、スーパーバイザーの点検、そして、そのあと輸入、契約、販売となるのである(実際はさらに複雑であるが、あまりに煩雑となるのでここでは省略する)。少額なら実務者外貨委員会は、週に一度開催されるが、多額の場合1カ月に一度開催される閣僚レベルの外貨委員会まで待たなければならない。ユーザーが輸入の要請から商品の受け取りまで約6カ月かかる。

(2)の場合は、そもそも交換部品があることが珍しい。輸入公団や、外貨販売店は、交換部品を保証していない。ここでは、サンヨーの洗濯機の部品でLGの部品と交換性があったのが奇跡的である。洗濯機のみならず、自動車、テレビ、ビデオ、パソコン、クーラー、扇風機など、交換部品がないので、海外に出る友人に頼むか、海外の親戚、友人に頼むことになる。

さて、こういう社会を社会科学的にどう規定したらよいだろうか。いずれにせよ、どこかの過程で疲れてあきらめたら希望は実現しない。

(2010年7月30日 新藤通弘)

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2010年7月27日 (火)

フィデル・ラウルと7・26記念集会

フィデル・ラウルと7・26記念集会
7月26日、モンカダ兵営襲撃57周年記念中央集会が、キューバ中央部にあるサンタ・クララ市で開催された。出席が予定されていたベネズエラのチャベス大統領は、コロンビアからの軍事侵攻の可能性があるとして急遽出席を取りやめ、予測されていたラウル議長も演説を行わなかった。一部で噂されていたフィデルの姿もそこにはなかった。演説を行ったのは、国家評議会副議長のホセ・ラモン・マチャード・ベントゥーラであった。

これまで、この7月26日記念集会は、キューバ革命の発端となった重要な事件として、1959年のバチスタ専制独裁政権打倒以来、大規模な集会が催されてきた。最初に開催されたのは、1959年7月26日で、それ以来これまでに開催されなかった年は次の4回である。それぞれ重要な理由があった年であった。

1968年 1970年に砂糖1000万トン生産をめざし、物的人的資源を砂糖収穫に集中。
1969年 1000万トン砂糖収穫期の真最中。
1992年 スペインで第2回イベロアメリカ会議が開催され、出席中。
2001年 前月の6月23日、フィデル、演説中に一瞬気を失う。
なお、1994年はカリブ諸国連合(AEC)が結成され、フィデルが調印式に出席のため、コロンビアを訪問、ラウルが中央集会で演説を行った。1997年も、中央集会も開催されたが、ラウルが演説を行った。また、2007年以降はラウルがすべて演説を行っている。フィデル、ラウル以外の指導者がメイン演説を行ったのは今回が初めてである。

マチャード副議長は、20分の短い演説で、「経済面でのたたかいは、今日キューバでかつてないほど、重要な課題となっている。キューバは、欠陥を抱えており、変えるべきことを変えて、それを克服しなければならない。そのため引き続き、研究し、分析し、政策を決定していくが、しかし、それは外国からの圧力によるものでなく、国民の人気取りの形でなく、ウソをつく形でもなく、あるいは思いつきでなく、また急ぎ過ぎず、一歩一歩行い、誤りを犯さないようにしなければならない」と述べた。

マチャード副議長の演説は、今年4月のラウルの青年共産同盟(UJC)での演説を引用したり
フィデルの過去の言辞を引用したり、5月のキューバ小農協会(ANAP)総会での討議結果を引用したりして、目新しいものがなく、具体的な政策を提起するものではなかった。多くの国民は、経済困難、社会生活の閉塞感の中で、これまでもあったように、7・26という重要な革命記念の日に、なんらかの重要な経済改革が発表されると期待していた。しかし、「引き続き検討し、一歩一歩政策決定を行う」というのは、政策の決定面での賢明さではあるが、国民の生産意欲を刺激し、生産力を解放し、生産を増大して、二重通貨制度問題を解決する、賃金の購買力を回復するなど、改革へのいろいろな具体的政策を提起するものではなく、国民を、特に若い世代を満足させるものではなかったと、広く指摘されている。

このことから、今回ラウルが演説を行わなかったことは、いろいろな憶測を生んでいる。しかし、ラウルは、組織的運営を重視する指導スタイルをもっており、昨年度からは、共産党中央委員会総会での議論、国会での議論を通じて、改革の政策を決定して、これらの会議で発表している。昨年ラウルは、7・26集会の後にこれらの重要会議を開催し、7・26演説は、これらの会議の重要政策発表の前であったので、ほとんど具体的な政策は発表されなかった。党の会議、国会の意味からすれば、当然の順序と位置付けであろう。

すでに、7月21日、「第7期第5回通常国会が8月1日に開催され、経済、政治、社会生活の重要な問題が討議される」予定であると発表されている。その前の28日、29日は、国会の各委員会が開催され、30日、31日は、当該各省の報告が行われることになっている。ラウルは、これらの討議をふまえて、1日の国会の閉会演説で、国民が待望している重要な政策を提起するものと予想されている。

一方、フィデルは、7月26日ハバナの革命広場のホセ・マルティ記念碑に献花した。上半身は、オリーブ・グリーンの緑の軍服(ただし階級章なし)、ズボンはダーク・ブルー、靴は革靴。同日、国営テレビは、フィデルがボディガードに腕を支えられゆっくりと歩いて献花台に向かう姿を報道した。
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その後、フィデルは、ホセ・マルティ記念塔の中の劇場に準備されていたメサ・レドンダのテレビ番組で演壇に座り、キューバ人アーティスト、米国人友好運動活動家たちと対話、国際問題について質疑応答を行った。血色も良く、質問にもよどみなく、明晰に回答した。フィデルは、独自の見解である、米国のイラン侵略の可能性とそれによる核戦争の危険を強調し、この問題で近々特別国会を開催するように要請すると述べた。8月1日の国会の続開となるか、別な日の特別国会となるかはわからないが、フィデルの国会再登場は、遠くないことであろう。
(2010年7月27日 新藤通弘)


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2010年7月25日 (日)

軍服姿のフィデル

フィデルが、7月23日、公衆の前に再び現れた。ハバナ市西部50キロのところにあるアルテミサ行政区の霊廟を訪問し、7・26モンカダ兵営襲撃で倒れた20名の同志に献花した。今月7日の全国科学調査センター(CNIC)の訪問以来6回目の出現である。しかし、今回は、7・26の同志への献花ということもあってか、上半身に革命軍の軍服を着用。ズボンはダーク・ブルーであった。

フィデルの軍服姿は、2006年7月26日、オルギンで行われた7・26記念集会でフィデルが軍服を着て演説をして以来のことである。しかし、フィデルはその時すでに腸の大量の出血を病んでいた。このときの制服には、肩に「最高司令官の肩章」が輝いているのが見られる。

(写真) (2006年7月26日の行事でのフィデル)

(写真)最高司令官、革命軍将軍の肩章


キューバ革命軍で、最高司令官の次は、革命軍将軍で4つ星の肩章である。従来は、ラウルが着用していた。

参考までに、それ以下は、
革命司令官(名誉称号):
フアン・アルメイダ、 キューバ革命戦士全国協会会長(09年9月死去)
ギジェルモ・ガルシア、元運輸相
ラミーロ・バルデス、情報・通信相、国家評議会副議長、党政治局員、
軍団将軍:
アベラルド・コロメ、 内務相、党政治局員
ウリセス・ロサーレス・デル・トロ、閣僚評議会副議長、党政治局員
フリオ・カーサス・レゲイロ、 国防相、党政治局員
と続く。

しかし、今回のフィデルの軍服姿を見ると、ズボンが民間服ということもあるが、何か寂しい印象がある。何の肩章も見られないからである。
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というのは、キューバ憲法によると、第93条g)項で、「武力諸機関の最高指揮権は、国家評議会議長がもつ」と明記してあるからである。つまり、2008年2月24日の国会で新たに国家評議会議長が選出された後、現国家評議会議長のラウルが最高指揮権をもっている。しかし、ラウルが公開の席で革命軍最高司令官の制服で現れたことは一度もない。フィデルへの尊重からかもしれない。


昨年7月26日の演説では、ラウルは、革命軍将軍の4つ星の肩章の軍服を着用している。

(写真)フィデルとラウルの軍服姿

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これは、かつてのフィデル、ラウルの写真であり、両者の階級章がはっきり見られる写真である。


それでは、フィデルは、まったくの一平卒であろうか。単に歴史的な革命指導者としての尊厳、威信、尊敬のみであろうか。

前にも述べたように、キューバ憲法では、第5条で「キューバ共産党は、キューバ国民の前衛組織であり、社会と国家の最高指導勢力である」と規定されている*。そして、その最高指導勢力であるキューバ共産党規約では、第1章で「キューバ共産党は、社会の最高の指導勢力」とあり、さらに第56条で「党は、革命軍及び内務省内に組織され、その活動を行う」、第57条で「革命軍および内務省における党活動は、キューバ共産党第一書記によって指導される」と規定されている。つまり、革命軍及び内務省(警察)は、党第一書記のフィデルの指導下にあるのである。
*中国の憲法、ベトナムの憲法にも同様の規定があるが、民主主義の観点からは好ましくないと指摘する意見も少なくない。

フィデルの公開の場での出現は、戦略的に、段階的に行われているように思われる。あるいは、ラテンアメリカの人びとが難しい目標を攻略するとき、ポコアポコ(少しずつ)アプローチするという文化の中で行われているのかしれない。

(写真)

受け入れ人数が10数名の少ない全国科学調査センター(CNIC)でのジャージーのスポーティな長そで姿から、国営テレビでの中東、北朝鮮問題で国民に語りかける少し公式じみたジャンバー姿、世界経済研究所(CIEM)での明るい半そで姿、外務省での200名余を相手に講演した半袖の姿での講演、そして今回の制服姿。国民の眼には、フィデルのプレゼンスは、ほとんど過去の地位に復帰しつつあるであろう。

7月26日のモンカダ兵営襲撃57周年記念集会は、サンタクララで開催されることになっており、チャベス、ベネズエラ大統領も「ラウルの要請で出席し、演説する、フィデルとも会うことになっていうる」という。さて、フィデルは?
(2010年7月25日、新藤通弘)

すべての写真付きで本文を読みたい方は、添付のPDFをご覧ください。
「10.07.23 フィデル、制服姿で霊廟を訪問.pdf」をダウンロード

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2010年7月20日 (火)

米海兵隊7000人が、「軍隊のない平和・中立国家」、コスタリカに6カ月間駐留

米海兵隊7000人が、「軍隊のない平和・中立国家」、コスタリカに6カ月間駐留することになり、ラテンアメリカで物議をかもしている。7月1日コスタリカ国会は、チンチージャ政権が提出した、米海兵隊駐留許可案を賛成31、反対8の多数決で承認した。賛成は、与党の国民解放党(PLN)、自由運動党、コスタリカ革新党で、反対は、野党の市民行動党(PAC)、キリスト教社会統一党(PUSC)、拡大戦線(FA)であった。

これまでに明らかにされたところによると、米海兵隊7000人の駐留の実態は、まさに恥ずべき、コスタリカの主権に関わる内容である。駐留の目的は、米軍が常套手段で使う、「麻薬対策」である。しかし、コスタリカが麻薬の主要な栽培地でないことは、だれも否定しない。したがって論理上は、コスタリカ領内、コスタリカ近海を通過する麻薬を取り締まることになる。

期間は、本年7月1日から6カ月間で12月末までとなっている。しかし、この駐留協定は、長期計画の「コロンビア計画」*の一環として行われており、6カ月間で海兵隊が撤退すると信じる人は少ない。これは、オスカル・アリアス前政権が米国との自由貿易協定を結んだ際に、安全保障について約束したものに沿ったものであり、同じ国民解放党のチンチージャ政権が右旋回したものではない。このことによって、コスタリカは、「米国の保護国」となったと指摘する研究者もいる。あるいは、「アリアスは、平和を裏切った」と批判する新聞もある。
*1999年クリントン政権が、コロンビアの麻薬対策とゲリラ対策という名目で打ち出した計画。現在でも続けられている。

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派遣される兵力は、最新空母メーキン・アイランド(4万1000トン、乗員、将校102人、海兵隊1449人、輸送用ヘリ42機、戦闘機5機、攻撃用ヘリ6機搭載)を始め、艦船46隻、戦闘用ヘリ・戦闘機200機、病院船となっている。艦船の中には、攻撃型潜水艦、フリーダム・タイプの対潜水艦駆逐艦も含まれている。麻薬マフィアが小型潜水艦を麻薬輸送に利用しているということもいわれているが、確かではない。ましてや船積み地(コロンビアなど)や陸揚げ地(米国)でなく、公海でこれを捕捉するのは技術的に困難であろう。むしろ、果たして、「麻薬対策」にこれだけの強力な攻撃用兵力7000人の大部隊が必要であろうか。チンチージャ大統領は、「麻薬対策の名目でコスタリカを軍事化するつもりはなく、あくまで太平洋とカリブ海での両国の沿岸警備隊の共同演習だ」と述べている。しかし、真摯に中米の平和秩序を願う人は、この言葉を信じることができるであろうか。

また、これら海兵隊7000名のコスタリカへの入国、出国はまったく自由で、コスタリカのイミグレーションの管理下にはない。さらに、これらの海兵隊は、コスタリカ領内での犯罪の罪は問われず、海兵隊の制服を着て、コスタリカ領内を自由に移動し、いかなる行動も取ることができるという協定となっている。

このコスタリカへの長期的な海兵隊大部隊の配備は、昨年来続いている、ラテンアメリカにおける米国の反転攻勢政策、米軍の再配備の文脈の中で考えられなければならない。昨年米国は、ホンジュラスでクーデターを起こして、自主的なセラヤ政権を放逐し、コロンビアに新たに6つの軍事基地を、パナマに新たに11の軍事基地を認めさせ、今年になるとハイチ大地震を利用して国連軍に代わってハイチの軍事支配権を再確立し、ホンジュラスに新たに2つの軍事基地を認めさせている(詳細は、拙稿「ラテンアメリカでせめぎあう進歩と反動」雑誌『経済』2010年4月号参照)。

これらは、左翼政権といわれるベネズエラ、ボリビア、エクアドル、キューバ、ニカラグアに軍事的ににらみを聞かすとともに、緊急の場合にはこれらの国々への攻撃も可能となる配置となっていることは明白である。また対米関係で自主的な立場をとる中道左派政権に対して対米批判を弱めさせ、右派政権といわれるチリ、ペルー、コロンビア、パナマ、コスタリカ、ホンジュラス、メキシコの太平洋枢軸ラインを強化するものと、アルゼンチンの左翼理論家、アティリオ・ボロンは指摘している。

こうした事実によって、「軍隊のない平和・中立国家」コスタリカの真の姿を冷静に考えるのも良い機会であろう。
(2010年7月20日 新藤通弘)

コスタリカの実態については、参考までに拙稿下記参照。
「02.11 コスタリカ評価についての若干の問題.pdf」をダウンロード

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2010年7月19日 (月)

「現代キューバ研究所」第3回講演会のお知らせ

「現代キューバ研究所」第3回講演会のお知らせ
~せめぎあい、響きあうふたつの「世界」~

20世紀初頭、複製メディア技術とエンタテインメント産業の発展にともない、ジャズをはじめとする米国の音楽はキューバ音楽に影響を与えてきました。また、逆に、キューバ音楽も米国の音楽に少なからず影響を与えてきました。この講演では、サルサを中心とした北米ラティーノ音楽ならびにキューバ音楽の専門家をそれぞれお招きし、ふたつの音楽大国が相互に影響を与えつつ、21世紀にいたる民衆音楽・ポピュラー音楽のサウンドを創りあげた過程をたどります。とりわけ、キューバ革命後、両国の国交が断絶して以降、キューバ本国、亡命キューバ人、北米ラティーノそれぞれが継承した「アフロキューバン」音楽のせめぎあいに焦点をあてます。

○講演者プロフィール
岡本郁生(おかもと・いくお)氏/音楽評論家・プロデューサー
書籍『中南米の音楽』(東京堂出版、2010年)で、サルサ~北米ラティーノ音楽の章を担当。さまざまな音楽番組を手がけるほか、CD解説など幅広く活動。ラテン音楽愛好集団「マンボラマTokyo」幹事長をつとめる。共著に『米国ラテン音楽ディスク・ガイド50’s‐80’s~LATIN DANCE MANIA』(リットーミュージック)など。

倉田量介(くらた・りょうすけ)氏/東京大学非常勤講師
書籍『中南米の音楽』で、キューバの章を担当。東京外国語大学大学院、東工大大学院で文化人類学・ポピュラー音楽研究を専攻。現在はカリブ海地域に加え、日本文化にも目を向けた比較文化論を模索中。主要論文に『順応か競争か:キューバの演奏家をめぐる創造的環境の重層性』(「文化人類学研究」2004年)など。

○コーディネーター/司会
石橋 純(いしばしじゅん)氏/東京大学教員
書籍『中南米の音楽』編者。ベネズエラを中心にスペイン語圏カリブの民衆文化を研究。


日 時:2010年8月10日(火) 19:00~21:00(受付 18:30~)
場 所:東京大学 駒場Ⅰキャンパス 18号館1階メディアラボ2
東京都目黒区駒場3-8-1(最寄り駅/京王井の頭線・駒場東大前駅、徒歩10分)
会場までの地図:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/map02_02_j.html
参加費・申込み:参加費無料、事前申込み不要。


主催/現代キューバ研究所  共催/東京大学教養学部ラテンアメリカ分科
お問い合わせ/ワークショップ内「現代キューバ研究所」(担当・早川幸子)
TEL03‐5226‐7718  E-mail: rq9y-hykw@asahi-net.or.jp

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2010年7月18日 (日)

フィデル、職務に復帰?

フィデル、職務に復帰?

7月15日、フィデル前国家評議会議長、現キューバ共産党第一書記(共産党内の最高の地位、ラウルは第二書記)が、ハバナ市の国立水族館を1時間半にわたり訪問。20分間3匹のイルカショーを観覧し、水族館の勤務員、観覧中の市民と会話した。さらに翌16日正午、キューバ外務省を訪問、外務省幹部及び115人のキューバ大使を前に、イラン、北朝鮮問題を1時間半にわたり説明した。また各大使、外務省幹部にイラン・北朝鮮問題について個人的な書簡を渡した。フィデルは、すでに、12日に国営テレビの時局討論番組「メサ・レドンダ」で1時間にわたりイラン・北朝鮮における核戦争の危険を論じていた。7日の全国科学調査センター(CNIC)、13日の世界経済研究所(CIEM)を合せて10日間で5回も公共の場所に姿を現したことになる。

テレビなどでフィデルを見た市民の印象は、「少しやせたが、快活、意欲的で、身動きも迅速で、頻繁に会話をする、議論の場面でも適切に質問に答えている」というものである。フィデルの姿がテレビで放映されたのは、昨年8月23日にベネズエラ人青年たちとの会見の様子が7分間TVで放映されて以来である。しかし、12日のテレビ会見は、約1時間に及び、直接、国民にイラン・北朝鮮情勢を説明するものであり、一年前と意味がまったく違う。

では、なぜ、この時期にフィデルは、このように集中的に公共の場に姿を現しているのであろうか。いつものことだが、キューバのメディアは、この10日間に5回のフィデルの活動の動機をなんら説明してはいない。したがって、いろいろ状況を分析して推測するほかはないのである。彼は、2008年2月18日、国家評議会・閣僚評議会議長の席をラウルにまかせ、自らは退任するにあたり、今後の活動について、次のように述べている。

「肉体的条件がないところで、機動力と全面的な献身を必要とする責務に就くことは、私の良心に反することである。・・・思想の一兵士としてたたかうことだけを望んでいる。『同志フィデルの省察』という題のもとで引き続き執筆を続けるであろう。武器庫に頼りになるもう一つの武器があるということである。」

つまり、健康が許さないので、今後は思想面で執筆により貢献したいということである。もちろん、その後もラウル議長とは密接に連絡をとり、必要に応じて政府幹部を自宅に呼んで、重要問題では指示を出してきた。議長引退後に執筆する「省察」では、国際問題、国際経済、地球環境にテーマを絞り、国内問題には触れることはなかった。

フィデルは、本年1月以降、7月4日までの6カ月余で23件の省察を執筆している。3、4,5月各3件、6月7件のペースであった。内容は、4月9日付のキューバ青年共産同盟の大会の印象を述べた「省察」を除きすべて国際問題である。この5回の公共の場でも、国内問題にはまったく触れていないことが注目される。したがって、フィデルが、国際問題で指導を再開したと考えるのは当たらない。ラウルと、取り組む課題の区分けができているのである。

それでは、他に何の動機があるのであろうか。現在、キューバは、大変な経済困難な中にある。ほとんどの国民は、何を改革すべきかについて異論はない。問題は、ではいつ改革を始めるかということである。国民の不満は小さくはなく、もはや、経済改革は、一刻の猶予も許されないことは、政府指導者も認識している。たとえば、ラウルの娘で、父親とも良く話しあっている性社会学者のマリエラ・カストロも、「経済的観点から若者がキューバに留まる意味があるように、もっと若者に魅力的な政策が必要である」と最近述べている。

しかし、さまざまな本格的な構造改革の具体的政策、その深さと広さについては、国民的合意が必要である。そのためには、現在の権力機構のもとでは、憲法第5条で「キューバ共産党は、キューバ国民の前衛組織であり、社会と国家の最高指導勢力である」と規定されている以上*、党大会で決定することが望ましい。
*本来こうした規定は、国民主権の立場からは正しくないことが広く指摘されている(たとえば、杉原泰男『憲法の歴史』(岩波書店、1996年)237ページ)。

実際、各組織の民主的な運営を重視するラウルは、2008年4月、1997年以来開催されていないキューバ共産党第6回党大会を2009年下半期に開催することを決定した。党規約では、「党大会は、通常5年に1回開催される」となっているからである。しかし、一年後の2009年7月31日、ラウルは、悪化した経済状況が良くなるまで第6回党大会を延期することを発表した。また翌日、新たな中央委員、政治局員、書記局員の選出などのために、党全国会議を近く開催することを決定した。

しかし、党全国会議は、9か月間開催されず、本年4月、ラウルは、「すべての国民の生活のための戦略的な課題においては、感情的に指導してはならず、必要な総合的政策で行動しなければならない。そのことから、党大会、全国会議の開催を数カ月延期した」と会議が開催されない理由を述べた。その上、本年5月には、「非常時」体制の中で20年間作成されなかった経済5カ年計画、「経済計画2010-2015」が閣僚評議会で承認された。しかし、このような重要な経済方針は、現在に至るも発表されていない。一般には、こうした重要な経済政策は、党大会で議論されるものである。また、年1回以上開催されなければならない党中央委員会総会も8月までには開催しなければならない。さらに、次回党大会開催期日は、中央委員会総会で6カ月以上前に決定しなければならない。

こうして見ると次回中央委員会総会が、大変重要な意味をもっていることがわかる。憲法と党規約からすれば、キューバの権力構造で最高の地位は、キューバ共産党第一書記だからである。フィデルは、大変な戦略家でもある。フィデル共産党第一書記の頻繁な公的活動は、党大会、党全国会議の文脈の中で考えるべきものであろう。

前にも(7月7日付)本ブログで紹介されているが、キューバ共産党中央機関紙『グランマ』には、6月5日付から、第1ページのフィデルの「省察録」のタブが掲載されなくなった。代わりに、6月7日からフィデルの過去の重要な言説が、掲載されている。それらの内容は、国内問題に限っており、生産上の無駄をはぶく必要性(1986年)、市民の第一の義務は働き、生産すること(1986年)、なによりも経済効率をあげなければならない(1976年)、社会主義国家は、もっているもの以上をあたえることはできない(1986)、社会主義は人間がつくる事業である(1986)、一日4時間程度働いていては生活は向上しない(1986)などである。これらは、キューバ社会でいずれも現在でも深刻な問題で、克服しなければならない課題となっている。

いみじくもガルシア・マルケスが述べているように、「キューバを説明すれば、フィデルが政府首班であると同時に、反対のリーダーでもある」のである。ラウルが改革しようとしていることは、フィデルの政府首班時代に蓄積された問題である。論理上、もはやフィデルが、「反対派のリーダー」にはなりえないであろうが、いずれにせよ、ラウルの改革を側面から、あるいは背景から指導しつつ支援していくであろう。

(2010年7月18日 新藤通弘)

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2010年7月12日 (月)

キューバ、反体制派52人の釈放をどう見るか

キューバ、反体制派52人の釈放をどう見るか

7月7日、キューバ政府は、反体制派52人の釈放を決定した。同日の国営テレビ・ニュースでは、ラウル国家評議会議長、ミゲル・アンヘル・モラティーノ、スペイン外相、ハイメ・オルテガ、ハバナ・カトリック教会枢機卿の3者会談が開催されたことのみが報道され、52名の釈放については触れられなかった。

釈放の決定は、翌日の『グランマ』紙上で異例の形で、キューバ政府の発表としてではなく、ハバナ大司教区の新聞発表を引用して報道された。それらによると、6日に、モラティーノ外相は、オルテガ枢機卿、ブルーノ・ロドリゲス、キューバ外相と個別に会談した。翌7日、まずモラティーノ外相、オルテガ枢機卿、ロドリゲス外相の間に実務者会談が開催され、さらに、モラティーノ外相とラウル議長の会談も持たれ、その後、3者会談が開かれた。3者会談は、W-杯サッカーのスペイン=ドイツ戦をみながらも、昼食をはさんで6時間に及び、かなり突っ込んだ討議がなされ、最終的に釈放について合意するに至った。

発表された合意によれば、この合意は、本年5月19日にラウル議長、ハイメ・オルテガ枢機卿(ハバナ大司教区)、ディオニシオ・ガルシア、キューバ・カトリック司教会議議長との会談の結果を引き継ぐものであった。会談後、オルテガ枢機卿は、「非常に積極的な成果があった。政府は、反体制派問題の解決になんらかの措置をとるものと信じている」と述べていた。

スペイン政府側も、6月10日、モラティーノ外相が、ロドリゲス外相とパリで会談、同日、モラティーノ外相は、サパテーロ、スペイン首相とバチカンのマンベルティ外相を訪問し、マンベルティ外相から、ハバナの教会の仲介活動を支援するとの確約を得た。また、同外相は、ベルルスコーニ、イタリア首相とも会談し、両国は、釈放されたキューバ人反体制派を自国に受け入れることを確認した。

さらに、詳細は明らかにされていないが、ルーラ、ブラジル大統領もこの和解を後押しした。ルーラ大統領は、本年2月24日、キューバを訪問し、フィデル・ラウルと会談した際、釈放問題を話し合い、協力することを申し出たということである。

続きは添付のPDFをご覧ください。
「10.07.11 キューバ反体制派52人の釈放をどう見るか.pdf」をダウンロード

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2010年7月10日 (土)

日本政府の対キューバODA政策

日本政府の対キューバODA政策

先日、日本とキューバの友好活動に携わっているある友人から、「日本政府は、米国政府の顔色を伺って、対キューバ政府開発援助(ODA)を積極的には行っていないのが実情だ」という意見があるが、実際はどうなのかという質問を受けた。日本政府の一般的な対米従属的な態度からすれば、さもありなんと思われる見解である。

単にキューバと仲良くしたいという程度の友好であれば、この程度の認識でもいいかもしれないが、相互の国民にとって共通の課題に取り組み、課題を解決して進歩と繁栄を実現するという友好であれば、今少し現実を科学的に分析しなければならない。実際はどうであろうか。

まず、日本の対ラテンアメリカODA政策はどうであろうか。これについては、前田恵理子さんの優れた論文、「日本のODAの現状とラテンアメリカ」(雑誌『経済』2010年1月号掲載)があるので、参照こう。

日本のODA全体をみると、1997年をピークに近年、財政困難を理由に減少している。2008年度は、日本のODAは、供与純額が93億6200万ドルで経済協力開発機構(OECD)開発援助委員会(DAC、22カ国加盟)において米国、ドイツ、フランス、イギリスについで第5位であった。日本の国民総所得(GNI=GNP)に占める割合は、0.18%で(国連の目標値、GNIの0.7%には程遠い)、DAC中、不名誉なことに米国と並んで最下位であった。しかも、日本は返してもらうことに重点を置き、贈与比率(無償援助・技術協力)は、52.2%(DAC全体では90.2%)で最下位であった。

こうした日本のODA供与の政策は、「わが国ODAの目的は、わが国の安全と繁栄に資する、・・・国民の利益の増進」という国益優先の政策から来るものであり、国際的に少なからず批判されている点である。

その中で、ラテンアメリカ諸国は、5.6 億人に及ぶ人口(世界の8.5%)をかかえ、わが国にとって輸出の4.2%、輸入の3.1%を占める地域である。2006年ラテンアメリカが受け取ったODA総額のうちで日本のODAのシェアは、米国、スペイン、ドイツに次いでわずか8%を占めるにすぎない。2007年、日本のODA全体(総額57億7,815万ドル)の中で、ラテンアメリカ向けODAの総額は、2億2,558万ドル 3.9%であった。ほぼ貿易が占める位置に相当するものであったともいえる。

さて、そうした全般的な文脈の中で、日本政府の対キューバODAの現状はどうであろうか。外務省の資料によれば、90年代半ばまで、日本の対キューバODAは、年間1億円は超えず、一般に毎年3,000万円止まりであった。上記の発言が言う通りであったかもしれない。

しかし、92年対キューバ経済封鎖を強化するトリセリ法が制定され、同年11月に行われた第47回国連総会における米国の対キューバ経済封鎖解除の決議において日本は棄権に回った。米国の重要な対キューバ政策において、日本は米国に追随しなかったのである。さらに、97年3月ペルー大使館人質事件において、キューバ政府が「人道的見地」から武装勢力の受入れを表明して、日本政府との関係も改善し始めた。同年の国連総会で、前年に施行された経済封鎖を一層強化したヘルムズ=バートン法に日本政府は同調せず、経済封鎖解除決議において、賛成に転じた。98年4月にはキューバと日本の大手企業との間に約1,000億円の累積債務の繰り延べについて基本合意が成立した。

そうした両国の関係改善の中で、98年には無償経済協力787万ドルがキューバに供与され、技術援助とあわせて援助総額は870万ドルとなった(対中南米ODA総額の1.6%)。その後、日本の対キューバODAは、2000年に200万ドル(0.3%)と下がったが、2003年には579万ドル(1.2%)と回復し、2005年581万ドル(1.4%、ラテンアメリカ33カ国中で受取上位13位)、2006年339万ドル(0.8%、上位16位)、2009年401万ドル(1.5%、上位14位)となっている。キューバは、人口1,100万人で、ラテンアメリカで第10位の国である。人口比からすれば、今少し、供与額が増え、3-4番程度位置が上昇してもよいかもしれない。しかし、とても「米国の顔色を伺い、積極的ではない」、というような単純なものではない。

問題はそこにはない。なんとなれば、実は、キューバが受け取っているODAの供給国の中で、米国は常に2~3位を占めているのである。たとえば、OECDのデータによれば、2008年度最大の供給国はスペインで3,500万ドル、続いて米国1,200万ドル、カナダ800万ドル。日本は300万ドルで第9位である。米国自身が、日本を上回る4倍の額のODAをキューバに供与しているのであるから、別に日本が米国の顔色を伺う必要はない。

問題は、日本政府が「我が国は、キューバにおける民主化及び経済自由化の促進、人権状況の改善を支援することを目的としてODAを実施している」として、ODAの供与をキューバの内政問題と絡めていることである。また、政府は、「2003年にヨーロッパ連合(EU)がキューバの政治犯大量逮捕を著しい人権侵害として、ハイレベルの交流の自粛等の制裁措置を講じたことにも留意してODAを実施する」としている。こうした自分たちの価値観・民主主義の基準を一方的に押し付けて、経済援助をちらつかせている日本政府の態度は、さもしいものと言わなければならない。このことこそ、問題とされなければならないのである。
(2010年7月10日 新藤通弘)

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2010年7月 8日 (木)

フィデルの25年前の指摘

フィデル・カストロ前議長の25年前の指摘

キューバ共産党中央機関紙「グランマ紙」(電子版)の6月5日付から、第1ページのフィデルの「省察録」のタブが掲載されなくなった。つまり、グランマ紙では、これまでの省察録の一覧表から、過去の省察を読むことはできなくなった。もっともキューバ共産主義青年同盟中央機関紙「フベントゥ・レベルデ」紙(電子版)、政府系のウエブ・サイト「クーバ・デバーテ」には、省察録タブは、引き続き掲載されている。

グランマ紙には、代わりに、6月7日からフィデルの過去の重要な言説が、短く引用されて掲載されるようになった。それらの内容は、労働組合指導者のあるべき姿(1960年)、政治指導者の資質(1963年)、生産上の無駄をはぶく必要性(1986年)、農産物流通過程での投機業者の排除(1959年)、革命幹部は、労働でも革命的でなければならない(1962年)、市民の第一の義務は働き、生産すること(1986年)、なによりも経済効率をあげなければならない(1976年)などである。

それらの中で注目されるのは、1986年の第3回キューバ共産党続開大会におけるフィデルの発言の引用である(6月27日付グランマ紙)。彼は、こう述べている。

社会主義国家は、もっているもの以上をあたえることはできない。
恐らく、思想について話すときには、このテーマにも触れなければならないだろう。というのは、この問題は、思想的な問題であり、社会主義国家にしても、いかなる国家にしても、いかなる制度にしても、もっている以上のものを、いわんやもしかすれば生産されないものを、生産による裏付けのないお金を与えることはできないということを多くの人が理解していないからである。また、過剰雇用問題、人びとに供給された過剰通貨、無駄な在庫、浪費が、わが国にある多くの不採算企業と密接に関係があると、私は確信している。1986年12月1日。」

グランマ紙の編集部は、この引用に何らのコメントも付していないが、フィデルが指摘したこれらの問題は、25年経過した今でもキューバ社会が抱えている深刻な問題である。この発言に対し、フィデルの先見性を称賛する人もいるであろうし、あるいは、彼が最高指導者であった25年間に、なぜ、かなり改善したり、解決できなかったのかと疑問に思う人もいるであろう。これらの問題は、思想的なたたかいで解決できる問題ではなく、これらを生みだしている経済制度そのものを改革しなければならない問題であった。これらの問題は、当時、「各種の誤りと否定的な傾向」と指摘され、それらを矯正しなければならないと強調されていたことである。

不幸なことに、この矯正の過程の推進時期に、80年代末、90年代初めにソ連・東欧の旧体制が崩壊し、貿易の85%をこれらの国々に依存していたキューバは、未曽有の経済困難に陥った。矯正過程を進めるどころではなくなり、キューバは「平和時の非常時」を宣言し、生き残り政策に取り組むことになった。また、90年代には米国の対キューバ敵視政策が一層強化された。そうした歴史的経過に、この問題が克服されなかった理由を指摘する人もいる。

しかし、一方では、過渡期社会であるキューバで、市場の問題、所有と経営の分離の問題、計画のあり方、企業の会計などの過渡期社会の理論問題を根本から検討し、取り組まなかったことも影響しているようにも思われる。

筆者は、かつてこの矯正の過程について論文を書いたことがある。論文の中で、ソ連・東欧諸国を社会主義国と規定している誤りはあるが(現在では、筆者は、社会主義国から逸脱した社会であったとみなしている)、キューバ社会の現状分析に大きな誤りはない。参考までにお読みいただければ幸いである。

(2010年6月7日、岡知和)
「87.05 歴史的転換に取り組むキューバ.pdf」をダウンロード

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2010年7月 5日 (月)

エルネスト・チェ・ゲバラ「原爆の悲劇から立ち直る日本」(本邦初訳)

エルネスト・チェ・ゲバラ「原爆の悲劇から立ち直る日本」
雑誌『べルデ・オリーボ』1959年10月19日発表 本邦初訳
西尾幸治訳
(短い解説:ゲバラ一行の使節団の派遣は、1959年4月18日にフィデルによりテレビで発表された。使節団の目的は、日本などの新興工業国と非同盟諸国との外交・通商関係の強化であった。6月12日にハバナを出発して、エジプト、シリア、インド、ビルマ、日本、インドネシア、セイロン、パキスタン、ユーゴスラビア、スーダン、モロッコを訪問し、9月8日帰国した。

ゲバラは、使節団の派遣を、フィデルのテレビ発表前に知っていたようで、2月からの少数グループによる第一次農業改革法案の討議の途中、砂糖工業省のアルフレド・メネンデスにエジプト、インド、インドネシア、日本との貿易事情を聞き、メネンデスが資料を作成し渡したとのことである。ゲバラらしく、短期間に日本の経済・社会構造を勉強したうえでの旅行であった。なお、同年5月17日に発表された第一次農業改革法の作成にゲバラも参加していたためか、日本の農地改革にも関心をもっており、その社会・経済的な意味を正確に指摘している。また、革命当初、キューバの工業化を進めようとしたゲバラの端緒の考えも見られて興味深い。

農業改革法案作成グループは、フィデル、ラウル、チェ・ゲバラ、アントニオ・ヌーネェス・ヒメネス、ビルマ・エスピン、アルフレド・ゲバラ、セグンド・カベージョ、オスカル・ピノサントスであった。ピノサントスによれば、会は、フィデルが終始リードし、ゲバラはほとんど発言しなかったという。

ゲバラの日本での滞在期間、訪問の目的からして、日本政府の内政・外交には慎重に発言したゲバラであったが、本報告には、日本に主権の問題、資本の労働者搾取の問題など適切に指摘している。)


ビルマに短期間 、滞在したのち、われわれは日本に到着した 。かつて繁栄した日出ずる帝国は、山が多く、火山も存在する自然をもった一群の島嶼からなり、面積37万平方キロメートルで8千万の人口を養っている。「養っている」と述べたが、この国にとって、またわれわれが知っているすべてのアジアの国々にとって、これは楽観的な表現かもしれない。日本という工業の巨人は、その内部に激しい社会的矛盾を抱えている。その矛盾は、古い封建的な階級の存在から来たものだが、現在、この階級は、工業の要求を取り入れ、新しい時代にその構造を適応させ、自らの政治的特権を失わないままでいる。

日本の耕地5万ヘクタールは、キューバの8万ヘクタールと比べてかなり少ない。キューバは、人口600万人の生活のためにこれだけの面積の土地に頼っているが、日本は、キューバの3分の2の土地で人口8千万余りが食料を生産しなければならない。

この記事を読みたい方は、添付の文書をダウンロードしてお読みください。
「guevara_visita_a_japon.doc」をダウンロード

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2010年7月 2日 (金)

アルゼンチンタンゴ映画「CAFÉ DE LOS MAESTROS(伝説のマエストロたち)」

親友の淡谷さんから、アルゼンチンタンゴ映画「CAFÉ DE LOS MAESTROS(伝説のマエストロたち)」についての感動的な文章を寄せていただいた。ラテンアメリカには、サルサ、タンゴなどいろいろな歌と踊りがあり、それらは、人びとの人生そのものでもある。以下、ご紹介する。

友人の皆様

新着アルゼンチンタンゴ映画「CAFÉ DE LOS MAESTROS(伝説のマエストロたち)」について

6月18日付朝日新聞夕刊の半面に大きな広告が掲載されたアルゼンチンタンゴ映画、「CAFÉ DE LOS MAESTROS(伝説のマエストロたち)」、情熱と感動のライブ映画の初日、初回を観てきました。館内は満員、マテ茶プレゼント付で、2回目もチケット売り切れの大盛況でした。
Cafe_de_los_maestros


まさに、「タンゴ」の醍醐味を心行くまで味わいました。戦後最高の音楽映画の一つといわれた、「BUENA VISTA SOIAL CLUB」を月刊『HIFI』誌は、そのDVDを一家に一枚と推奨し、ボクの映画評・採点は120点ですが、今日のこの映画は、感動、誇り、勇気、感涙に加えてBVSCの最終場面がニューヨークのカーネギーホールであったのに対し、日本から最も遠いブエノス・アイレスのコロン劇場(ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座と並び世界三大劇場の一つ、1908年開所l)であったこと、そして情熱のほとばしるサロンダンスであったことを上乗せして、採点は140点でした。タンゴ・ファンならずとも、感動に巻き込まれる2006年ラテン・グラミー最優秀賞にも輝いた秀逸のシネマでした。
Teatro_colon_2


渋谷ル・シネマではLAND’END製のロゴ付きT-シャツ3,300円(ちょっと高すぎました)、タンゴのイメージと重なる赤バラ「情熱の花言葉」オリジナル・リザーブド・フラワー1,680円、そしてタンゴの踊る姿のラベルのアルゼンチン・メンドーサ産、NORTON社のマルベック・ワイン「ロ・タンゴ」(フルボディですが3,300円)、CDなども販売されています。

では、拙文が、この優秀映画を観る機会になればと期待します。
¡Viva el cinema, Venceremos!

2010年6月26日 東京・練馬、淡谷真一郎

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