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2010年7月 8日 (木)

フィデルの25年前の指摘

フィデル・カストロ前議長の25年前の指摘

キューバ共産党中央機関紙「グランマ紙」(電子版)の6月5日付から、第1ページのフィデルの「省察録」のタブが掲載されなくなった。つまり、グランマ紙では、これまでの省察録の一覧表から、過去の省察を読むことはできなくなった。もっともキューバ共産主義青年同盟中央機関紙「フベントゥ・レベルデ」紙(電子版)、政府系のウエブ・サイト「クーバ・デバーテ」には、省察録タブは、引き続き掲載されている。

グランマ紙には、代わりに、6月7日からフィデルの過去の重要な言説が、短く引用されて掲載されるようになった。それらの内容は、労働組合指導者のあるべき姿(1960年)、政治指導者の資質(1963年)、生産上の無駄をはぶく必要性(1986年)、農産物流通過程での投機業者の排除(1959年)、革命幹部は、労働でも革命的でなければならない(1962年)、市民の第一の義務は働き、生産すること(1986年)、なによりも経済効率をあげなければならない(1976年)などである。

それらの中で注目されるのは、1986年の第3回キューバ共産党続開大会におけるフィデルの発言の引用である(6月27日付グランマ紙)。彼は、こう述べている。

社会主義国家は、もっているもの以上をあたえることはできない。
恐らく、思想について話すときには、このテーマにも触れなければならないだろう。というのは、この問題は、思想的な問題であり、社会主義国家にしても、いかなる国家にしても、いかなる制度にしても、もっている以上のものを、いわんやもしかすれば生産されないものを、生産による裏付けのないお金を与えることはできないということを多くの人が理解していないからである。また、過剰雇用問題、人びとに供給された過剰通貨、無駄な在庫、浪費が、わが国にある多くの不採算企業と密接に関係があると、私は確信している。1986年12月1日。」

グランマ紙の編集部は、この引用に何らのコメントも付していないが、フィデルが指摘したこれらの問題は、25年経過した今でもキューバ社会が抱えている深刻な問題である。この発言に対し、フィデルの先見性を称賛する人もいるであろうし、あるいは、彼が最高指導者であった25年間に、なぜ、かなり改善したり、解決できなかったのかと疑問に思う人もいるであろう。これらの問題は、思想的なたたかいで解決できる問題ではなく、これらを生みだしている経済制度そのものを改革しなければならない問題であった。これらの問題は、当時、「各種の誤りと否定的な傾向」と指摘され、それらを矯正しなければならないと強調されていたことである。

不幸なことに、この矯正の過程の推進時期に、80年代末、90年代初めにソ連・東欧の旧体制が崩壊し、貿易の85%をこれらの国々に依存していたキューバは、未曽有の経済困難に陥った。矯正過程を進めるどころではなくなり、キューバは「平和時の非常時」を宣言し、生き残り政策に取り組むことになった。また、90年代には米国の対キューバ敵視政策が一層強化された。そうした歴史的経過に、この問題が克服されなかった理由を指摘する人もいる。

しかし、一方では、過渡期社会であるキューバで、市場の問題、所有と経営の分離の問題、計画のあり方、企業の会計などの過渡期社会の理論問題を根本から検討し、取り組まなかったことも影響しているようにも思われる。

筆者は、かつてこの矯正の過程について論文を書いたことがある。論文の中で、ソ連・東欧諸国を社会主義国と規定している誤りはあるが(現在では、筆者は、社会主義国から逸脱した社会であったとみなしている)、キューバ社会の現状分析に大きな誤りはない。参考までにお読みいただければ幸いである。

(2010年6月7日、岡知和)
「87.05 歴史的転換に取り組むキューバ.pdf」をダウンロード

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