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2010年1月31日 (日)

ある歴史家の死

ある歴史家の死
優れたラテンアメリカ現代史研究家の加茂雄三先生が、1月30日亡くなられた。享年73歳であった。筆者も加茂先生とは、キューバ研究を通じて、友人として交友関係をもっていただき、キューバ史について、90年代、2000年代の困難なキューバの実情について、毎年年末にはなんどか話す機会をえた。

先生には、『ドキュメント現代史11、キューバ革命』(平凡社、1973年)、『世界の歴史23、ラテンアメリカの独立』(講談社、1978年)、『地中海からカリブ海へ』(平凡社、1996年)など、著作が多数あるが、この最後の2点は、叙述の流麗さ、史実の正確さ、史実の客観性などにおいて、日本語になっているラテンアメリカ近現代史においては白眉といってもよいであろう。ここに、『地中海からカリブ海へ』の最後の部分で90年代のキューバを叙述した部分を引用し、みなさんに加茂史学の一部を味わってほしい。心からご冥福をお祈りしたい。

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 さきに述べたように、二〇世紀にはいって以来、米国は中米・カリブ海地域でヘゲモニーを確立し、この地域は自他ともに「米国の裏庭」とみなされてきた。米国がこの地域でヘゲモニーを確立できたのは、一つにはこの地域の反米民族主義の運動や闘争を徹底的に抑え込んだためであり、もう一つは、国際社会がこの地域での米国のヘゲモニーを黙認したためである。しかし、一九五〇年代の後半になり、ソ連、中国がすでに核兵器を所有し、ソ連・東欧社会主義諸国が経済力や技術力を強化していわゆる第三世界への援助を積極的に行なうことが可能となったとき、中米・カリブ海地域でのパクス・アメリカーナは、はじめて大きな脅威に晒されることになった。それまでは、例えば、一九二〇年代末から三〇年代はじめにかけてニカラグアのサンディーノ将軍が指揮した反米武力闘争も、三三年にわずか四カ月で崩壊したキューバの民族主義的な革命政権も、また、五〇年代前半にグアテマラで政権についた民族主義的な改革派の政権のいずれも、米国政府やニカラグアのソモサのようなその手先となった者による圧迫や弾圧、さらには実質的な国際的孤立無援によって潰え去った。

 ところが、一九五九年に武力革命で政権についたキューバのカストロ政権は、同じ運命をたどらなかった。それは、のちにカストロ首相がおりにふれ強調したようにソ連の強力な支援があったためである。キューバ革命の成功は「米国の裏庭」の一つの大きな転機となった。

 ・・・しかし、冷戦の終結やソ連の消滅という予想を超えた事態の展開で、もはやこの地域で米国に対抗できるような外部勢力は存在しなくなった。それによって、この地域の小国が米国のヘゲモニーに挑戦できる国際的条件が急速に失われてしまった。

・・・冷戦の終結やソ連の崩壊でもっとも大きな打撃を被ったのはキューバである。ソ連・東欧の社会主義諸国が崩壊する以前、キューバとこれらの国々との間の貿易は、キューバの対外貿易全体のじつに八五%(一九八九年)を占めていた。しかもこの貿易関係はキューバにとって恩恵的なものであって、ソ連は通常の国際市場価格よりも高い価格でキューバ糖を買い付け、その一方で、国際市場よりも安い価格でキューバに原油を供給していた。その差額がキューバに対する実質的な援助となっていたのだが、その額は年間、二〇~四〇億ドルであったと見積もられている。ソ連・東欧社会主義諸国の崩壊で、キューバはこれらの市場や援助をいっきょに失った。そのうえ、先述したように、米国の経済封鎖強化という追撃を受けたのである。

 このような未曽有の深刻な事態にキューバの政府も国民も積極的に、ほぼ一丸となって対応した。一九九〇年八月に「平和時の非常時」が宣言され、空前の経済困難から脱却し、経済的自立をめざすさまざまな対策が打ち出された。食料の増産、石油の自給化、さらにキューバの新しい戦略産業である観光業、バイオテクノロジー、医療工学、薬品工業の開発をすすめた。とくに観光業は急速な伸びを示して、外貨獲得では砂糖と並ぶほどにまで成長した。さらに、一九九一年七月には、憲法を改正して外資の保証を明確に定めるなど、本格的な開放経済に踏み切り、またドル所有の自由化、自営サーヴィス業の一定の自由化、農産物や一部工業製品の自由市場化など、一連の自由化政策をとって、市場メカニズムや競争原理の導人による経済の活性化をはかった。これらの改革はしだいに効果を示し、一時は、経済危機前の一九八九年の約半分にまで低下した国内総生産も九四年にははじめてプラスに転じ、九五年には成長率五%を記録した。しかし、その一方で、一九九四年夏には米国に向け約三万二〇○○人が亡命し、それも民衆の騒乱やシージャックの頻発をともなったものであり、キューバが大きな困難に直面していることを示していた。米国政府は、カストロ議長の退陣、複数政党による政治の民主化などを経済封鎖を解除する条件としている。米国政府の対キユーバ政策の背後には、すでに一〇〇万人を超す在米の亡命キューバ人がいる。彼らがすべて同じようにカストロに敵意をいだいているわけではないが、キューバ民族が二つの国に分断されているという悲劇的な、特殊な状況が、キューバがかかえている問題を複雑にし、その解決を困難にしている。

加茂雄三『地中海からカリブ海へ』(平凡社、一九九六年)260-269頁。

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