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2009年10月 2日 (金)

重箱の隅か、知的誠実さか?

ある知人から、「キューバ革命における神話」について、このようなメールをいただいた。
「ブログでジャーナリストのミスを叩いておられましたが、何やら重箱の隅をつっつくような話のような気も・・・」

この感想に対して、私は次のように答えました。

モンカダ兵営襲撃、グランマ号上陸は、革命勝利前の重大なエポックメイキングな出来事であり、史実をきちんと理解するところからキューバ革命の理解は始まります。実は、他の点を書きませんでしたが、このジャーナリストの講演には、実は下記のような点が多々あり、それで基本的な点から指摘したわけです。別に「叩く」意図はありません。そうした次元でなく、史実を明確にするという観点です。こうした不正確な講演をそのまま機関紙で紹介する友好団体も、キューバとの友好を掲げる限りは、一定の知的水準を維持してほしいものです。

その他にも、このジャーナリストの講演には次のような間違いがあります。

1)グアテマラで、改革派の大統領は政権を投げ出してしまう。⇒
アルベンス大統領は、投げ出したのではなく、CIAの支援する反革命軍により倒壊される。よく知られた史実です。

2)カストロは国外追放となってメキシコに亡命した。⇒
国外追放でなく、自らの意思でメキシコに行き革命を準備した。国外で準備、キューバ侵攻、これは、マルティ以来のキューバ革命の伝統です。

3)その革命軍の先頭に立ったのが、ゲバラだった。サンタ・クララの戦いで、カストロ軍の勝利は、決定的になる。これが1959年1月1日だった。⇒サンタ・クララは、12月30日に大部分が制圧され、最終的な開放は12月31日。しかし、それまでにカストロが指揮する反乱軍主力部隊が、キューバの第二の都市、サンティアゴへの最終攻撃を準備しており、サンティアゴ軍司令官カンティージョ将軍とバチスタ追放条件を最終的に交渉しており、サンティアゴは、12月31日陥落寸前であった。サンタクララ攻撃は、ドラマチックであったが、ゲバラを賛美するあまり、各戦闘の重要性を混同してはならない。

4)フィデル・カストロは、個人崇拝を認めない。⇒
と単純にはいえません。集会の演説の終わりに、「フィデル万歳」と叫び、子供たちは学校で、「カストロ司令官の指令に従います」と唱和し、公的な施設の中にはフィデルの写真が普通掲げてあります。キューバ共産党の機関紙には、8ページの中に、カストロ関係記事が4ページということも珍しくありません。事実を冷静にみることが必要です。

5)キューバに記者として、入国する時でも、「取材ビザ」でなく、「観光ビザ」でいっこうかまわない。⇒
これは不正規で、全員、入国後、ジャーナリスト・ビザに切り替えています。観光ビザで入れば、当局から文句を言われたり、取材できずに国外に去らなければならなかった例もあります(たとえば読売記者)。

9)反政府の人々は、選挙の結果から全有権者の6%位と推定できる。⇒
反対派は、反政府の徒党を組まないからといって、単純に、集計できません。
昨年1月の選挙では、棄権+白票+無効+一部支持=1,370,165人。16.1%が反対票。
ハバナ市:棄権+白票+無効+一部支持:18%程度が反対票。
つまり、公式な選挙結果でも、20%ていど反対があるが、その上、投票用紙の独特の仕組みをさらに考慮しなければなりません。市民の本音を聞くとさらに増します。

10)ゲバラがやったことで、一番力を入れたのは農地改革で、肝心要の力となった。その中心にいたのが、ゲバラだった。⇒
ゲバラが最も力をいれたのは、やはり工業化の問題、工業発展の問題でした。農業改革でもっとも力を入れたのは、フィデルです。1959年2月からの改革法の制定のとき、ゲバラは一員ではあったが、終始あまり語らなかったと、制定の議論に参加したピノ・サントスは述べています(Oscar Pino Santos, Los Tiempos de Fidel, El Che y Mao, Editorial Nuestro Tiempo, México, 1997, p.194)。

11)革命闘争でなにが必要かとなり、いろいろの工場、武器の工場、病院、靴の工場、食料工場などを作り、才覚を発揮し何とかしてしまう。それが、認められて工業大臣になり⇒
解放区での工場は、特にゲバラの貢献ではありません。むしろ一般的にはラウルの功績といわれています。

12)エルサルバドルは20年前は内戦をしていた国で、米国べったり政権であり、それに対して左翼ゲリラが強くなり革命寸前だといわれていた。⇒ファラブンド・マルティ民族解放戦線は、革命を行っていました。国土の3分の1まで解放しました。

13)エルサルバドルでは、4月の選挙で、昔の左翼ゲリラ組織が政党化し政権をにぎり⇒
すでに1992年の合意でFMLNは、政党活動をおこなうようになっていました。

14)今や米国にべったりなのは、コロンビアだけとなっている。⇒
一般には、コスタリカ、コロンビアといわれています。ジャーナリストは、コスタリカ賛美者でしょうが、客観的にみる必要があります。

などなどあります。この程度の認識と知的創造活動で良ければ、楽なものです。重箱の隅ととるか、事実に対する正確さを期す誠実な態度と見るか、その方の史実を取り扱う態度で決まるでしょう。

私は、こうしたいい加減な認識からは、100時間講演を重ねても真実の姿は浮かび上がってこないと考えています。

私も、講演でも、書くものでも受け取り側に理解してもらうことを重視していますが、事実を正確に伝えることを不可欠の基盤として考えています。聞き手の気分をその場で高揚させる政治演説やアジ演説ではありませんので。たとえば、講演者は、グランマ号上陸後のことでは、最低限、下記のことは読んでおいてほしいと思います。

Thelma Bornot Pubillones ed., Testimonio, De México a la Sierra Maestra, Editorial Nuestro Tiempo, México, 1979.
Heinz Dieterich Steffan ed., La conquista de la esperanza: Diarios inéditos de la guerrilla cubana diciembre de 1956-febrero de 1957, Casa Editora Abril, La Habana, 1996
Carlos Franqui, el libro de los doce, Ediciones Huracán, La Habana, 1968.
Jules Dubois, Fidel Castro: Rebel-Liberator or Dictator? ,Bobbs-Merrill, New York, 1959.
Andrés Castillo Bernal, Cuando esta Guerra se acabe: De las montanas al llano, Editorial Linotipia Bolívar, Santa fe de Bogotá, 2000.
Claudia Furiati, Fidel Castro: La historia me absolverá, Plaza Janes, Barcelona, 2003.
Ignacio Ramonet, Cien Horas con Fidel: Segunda Edición, Revisada y enriquecida con nuevos datos, Oficina de Publicaciones del Consejo de Estado, La Habana, 2006

ジャーナリストと歴史研究者の姿勢の違いでしょうか。私は、結局読者、聴衆者への責任感の違いと思っています。

これまでのいろいろな誤ったキューバ像、歴史叙述、現代叙述を集めて、一度キューバを描いてみたいと思っています。どういうキューバ像となるでしょうか。

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