« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009年9月

2009年9月26日 (土)

キューバ革命における神話

 最近、キューバとの友好を進めているある団体主催の講演会の報告内容を見て、不正確な内容が多いことに驚いた。講師は、著名なジャーナリストである。しかし、その内容には、少なからずの誤りが見られる。そのほんの一部を見てみよう。重要な箇所2か所を取り出してみる。1953年のモンカダ兵営襲撃と1956年のグランマ号による上陸作戦についての箇所である。読者はいくつの誤りを指摘できるであろうか。

講師は次のように述べている。

「モンカダ兵営襲撃事件が起きる。その頃、サンチャゴ・デ・クーバには政府軍の兵舎があり、2000人の兵士がいる所を、165人の若者がずさんな計画の下襲撃をしたが、失敗しその半分は殺されてしまう」。

「カストロは、はじめはキューバ革命だから、キューバ人以外は参加させないとしていたが、ゲバラが医者であることから軍医にと思ったか事情はわからないが、参加させることになった。そして、メキシコからキューバへ『グランマ号』で渡ることになったが、無謀にも、12人乗りのクルーザーに82人が乗船。目的地に着いたのは、銃撃等で12人になったが、シエラ・マエストラに着いた時カストロは、『これで成功した』と言った」。

ジャーナリストらしく手慣れた表現で、さもありなんと思わせる。しかし、キューバの各種資料を検討すれば、事実は次のとおりである。

モンカダ兵営の駐屯兵力:
将校88人、兵士288人、農村警備隊26人、合計402名が駐屯していた。2000人の兵力であれば、2000対133人の兵力の差は、15対1で、それも奇襲攻撃を行うゲリラ戦でなく、兵営を襲撃する正面作戦である。いくらカストロが若気の至りとはいえ、こうした兵力の差を無視して戦うことはしない。一般には城攻めは、3倍以上の兵力を要するといわれている。兵営は城とは違うが、兵力は3対1であり、それならば、戦闘になりうるものであった。カストロも後年、偶然の事故で不利となり退却したが、それがなければ勝利の可能性はあったと述べている。

襲撃参加人数
最初の計画では、カストロは、合計165名に参加を呼びかけた。サンティアゴに138名、バヤモに27名の予定であった。サンティアゴ郊外のシボネイ農場には、135名が集結。しかし、7月26日の早朝、21名が脱落。早朝5時15分、第二の都市サンチャゴ・デ・クーバで、フィデルが指揮する90名の青年たちがモンカダ兵営を襲撃、同時にアベル・サンタマリアが指揮する21名が「サトゥリーノ・ローラ」市民病院を、ラウルが指揮する10名が裁判所広場を襲撃した。また、サンチャゴから80キロ離れたバヤモでもカストロの指示によりニコ・ロペスが指揮する22名(5名不参加)がバヤモ兵営を襲撃した。したがって、実際に襲撃に参加した若者は、合計143名であった。

革命側の死亡者数
165名の半分、82名ではない。戦闘で5名が死亡、その後56名が逮捕され、殺害された。つまり、戦闘員143名のうち、61名、43%である。

グランマ号遠征隊には外国人はゲバラ一人であったか?
グランマ号にはアルゼンチン、ドミニカ、メキシコ、イタリア人の4名の外国人がいた。キューバ革命は、キューバ人が組織し、開始した革命であり、キューバ革命指導部とゲバラが組織し、実行したボリビアでの反乱と違っている。7・26運動は、とくにキューバ人と限らなくても、キューバ人が進める革命であり、外国人でも革命の目的に賛成する人びとは受け入れたのである。

グランマ号の定員数
12名でなく、7人。

上陸作戦での生存者数:
82名のうち、12月5日の戦闘で、3名が死亡、21名が、戦闘後2-3日以内に逮捕され、処刑、22名が逮捕され、拘禁された。19名が、行方不明となる。したがって、30数名が生存者であった。しかし、その後、シエラ・マエストラでカストロ軍に再集結し、戦闘を継続したのは、20名であった。12名のみが生存したということはない。

カストロが、革命が勝利したと述べた事実:
12月18日、ラウルのグループ5名と再会し、フィデルは、感動して、
「君たちは、戦闘服を着て、弾薬、銃5丁をもって来たのか!銃は、私たちの2丁と合せて7丁だ。今日こそ、圧制者バチスタの命運はつきたのだ」
と述べた。

シエラ・マエストラの最高峰、ピコ・トルキーノの山頂で、12人がクリスマスの日に、われわれは勝利したというのは、劇的で感動的であるが、そういう事実はない。このクリスマスの日、18名の生存者は、協力者モンゴ・ペレスの家で、ささやかな食事とワインを飲んでいるだけである。12人のこの神話は、L.ヒューバーマン/P.M.スウィージー『キューバ―一つの革命の解剖―』池上幹徳訳(岩波新書、1960年)にも出てくると反論する方がいるかもしれないが、70年代以降キューバで書かれた戦史書には、まったく出てこない。フィデルは、ラウルと会ったとき、カルロス・マヌエル・デ・セスペデスが独立戦争のときに、困難な状況の中で、「まだ12人いるではないか。これで十分、独立戦争を戦うことができる」と叫んだいわれにちなんで、述べたのであると自ら後年語っている。12人の神話の原点をたどると、ジュール・デュボアの本にあるようである(Jules Dubois, Fidel Castro: Rebel-Liberator or Dictator? Bobbs-Merrill, New York, 1959, pp.144-145)。

(岡 知和)


|

2009年9月23日 (水)

それからのホンジュラス(3)

それからのホンジュラス(3)
2009年9月23日午後12時現在

ホンジュラス情勢が緊迫しています。情勢をどうみたらよいのか、この1週間の動きを整理しました。

ホンジュラス問題を分析する場合、次の5点がキイ・ポイントと考えます。
① 軍事クーデターによる民主的に選出されたセラヤ大統領の国外追放は認められない。
② したがって、セラヤ大統領の無条件の復帰が必要。
③ クーデター首謀者たちと打倒された合法政権を同等に扱い、喧嘩両成敗とすることは正しくない。
④ 問題の解決は、平和的に行われなければならない。
⑤ 問題の解決は、あくまでホンジュラス国民が行うもので、国際社会の協力は①-④の支援を行うことである。

しかし、現実政治は、各国の思惑、いろいろな指導者の思惑で様々な行動、発言が行われます。しかし、長い目でみると、時々の情勢でどういう勢力が政権につこうと、この5点の論理は、国民の力によって必ず実現されるものです。

そうした意味からは、筆者は、セラヤ大統領と、ルーラ代大統領の次の発言が、もっとも妥当と考えます。
9月22日、セラヤ大統領、「クーデター派は、国際社会は対話による平和的解決を求めているのに、国民に対し、暴力と弾圧で応えている」。
9月22日、ルーラ大統領、「ブラジルは仲介役を果たすつもりはなく、インスルサOAS事務総長の仲介を支持する。60年代と違い、指導者の好き嫌いは、選挙で決めればいいことだ。したがって民主的に選出されたセラヤ大統領を支持するのである」。

9月22日、インスルサ事務総長、「セラヤ大統領の帰国は、平和的解決の良い機会である、クーデター後3カ月経過したが、暫定政府を承認した国は一国もないことを銘記すべきだ」。

これらの発言は、次のクリントン国務長官、アリアス大統領の発言と対照的です。
9月21日、クリントン国務長官、「セラヤ大統領の帰国を歓迎し、双方が話しあいで平和的に解決することを望む、アリアス大統領の仲介を推奨する」。
9月22日、アリアス大統領、「双方がホンジュラス以外のサン・ホセで会談するよう提案する。合意は修正可能である。双方が交渉することを望まないなら、暴力が増大するだけで、流血をまねくであろう」。

続きは、添付書類を参照。「09.09.23 それからのホンジュラス (3).pdf」をダウンロード

|

2009年9月14日 (月)

キューバの葉巻

キューバの葉巻                                浦野保範 フラメンコ・キューバ文化研究家

 たばこは砂糖と共にキューバを代表する農産物の一つで、キューバ、ドミニカ、ホンジュラスが世界3大葉巻生産国として知られている。その中でもキューバ産葉巻の品質が最も優れていることは世界的に知れ渡っている。

 1492年にクリストバル・コロン(コロンブス)が新大陸を発見した際、コロンの使者でスペイン特使のルイス・デ・トーレスがキューバ島に上陸し、先住民のタイノ族が、植物の葉を燃やした煙で体を焚きこんでいる情景を報告している。この植物こそがナス科・たばこ属の一年草の植物である「たばこ(Tabaco)」で、彼等はスペインにたばこ葉を持帰っている。また、1519年にエルナン・コルテスがメキシコに上陸した際、アステカ族がパイプで喫煙する習慣のあることを見ており、喫煙の風習はかなり古くから行われていたといえる。

 キューバ西部のピナール・デル・リオ県はたばこ栽培に適した土壌と気候で、同県の大部分を占めるVueltabajo(ブエルタバホ)地方で高品質のたばこ葉が栽培されている。その中でもSan Juan(サンフアン)、Martínez(マルティネス)、San Luis(サンルイス)の三地域で最高品質のたばこが栽培されている。たばこ栽培には、湿度79%、平均気温25℃、適度な降雨、砂質で若干の酸性土壌が最も適している。同県以外のキューバ国内、また世界的に見ても多くの国でたばこは栽培されているが、ブエルタバホに軍配が上がる。同じ種を蒔いても土地によって収穫される品質に大きな差が出ることは周知の事実で、世界地図の中では極めて狭い土地で、世界に誇れる最高級の作物が栽培されていることは興味深い。

続きは添付ドキュメントを参照こう。「09.09.13 キューバの葉巻 .pdf」をダウンロード

|

2009年9月12日 (土)

「キューバ社会のいま」を読む

石橋正さんの論文「キューバ社会のいま」を読むを紹介します。

本稿は、
「アジェンダ―未来への課題―」第25号(2009年夏号)特集「格差社会のオルタナティブ」
発行アジェンダ・プロジェクト

に掲載されたものですが、著書のご許可をえて掲載いたします。

●キューバ革命50年のいま

「あと数時間で革命勝利50周年を迎えるにあたり、英雄的なわが国民を祝福する。」(フィデル・カストロ・ルス 2008年12月31日午後7時)

今年はキューバ革命が勝利して50年になる。また東欧「社会主義」体制が崩壊し、ソ連が消滅していく時期に、キューバ政府が宣言した「平和時の非常時」(90年)から20年近くが経とうとしている。

日本でも、革命家チェ・ゲバラの映画がヒットしたり、キューバ関連の催しが数多く開かれたりしている。書籍では「有機農業」や「医療・教育の充実ぶり」をテーマとしたものが目につく。その一方で、キューバ国民の日常生活は厳しいという情報も入ってくる。

ここでは、キューバの内外で公表されている最近の報道記事や専門家による考察を読みながら、キューバ社会が直面する課題(主に経済面)について考えてみることにしたい。

詳細は別添ファイルを参照こう。「cuba_now_document.pdf」をダウンロード

|

2009年9月 3日 (木)

キューバ経済の現状と課題

現在、キューバ経済は、困難を極めています。本年の経済成長の見通しは、昨年末国会で承認された6.5%から、五月には2.5%に大幅に下方修正されましたが、七月の共産党中央委員会総会ではさらに1.7%に修正されました。しかし、キューバ人エコノミストたちはそれも危ぶんで1%を切るのではないかと憂慮しています。

一体、キューバ経済をどう見ればよいのでしょうか。キューバ経済を歴史的に分析した新藤通弘氏の論文を紹介しましょう。なお、詳細は、アジ研 ワールド・トレンド、2009 9月号、第168号を参照。
その導入部を紹介します。
「09.09.01 キューバ経済の現状 p.1.pdf」をダウンロード

|

2009年9月 2日 (水)

それからのホンジュラス(1)

クーデターの勃発以後、2か月が過ぎた。8月25日のOAS(米州機構)の調停も不調に終わり、セラヤ大統領派、クーデター派双方のせめぎあいは、持久戦模様である。その一番の原因は、アリアス・コスタリカ大統領の奇妙な和解案にあるようである。この和解案を、アリアス大統領自ら、「サン・ホセ合意」と呼んでいるが、肝心のその内容はあまり、吟味されていないようである。

和解案をめぐって、合法政権のセラヤ派、無法のクーデター派、それと影では連携する米国、OAS諸国の意向を背景に解決を図るインスルサOAS事務総長、クーデター事件をラテンアメリカの民主主義の根幹と考えるセラヤ支持の国々、表面的にはセラヤを支持するものの、本心はセラヤ政権の消滅を願う国々の間で、虚々実々の駆け引きが行われている。

一方、国内では、クーデター事件と、その後のクーデター派による反対派への弾圧に対抗して反クーデター国民戦線、ホンジュラス反クーデター自由党調整委員会(自由党の70%が支持)、反クーデター女性全国戦線が結成され、国民の抵抗運動はこれまでホンジュラスに見られなかった強力なものに成長し、連日、数千人から、二万人の抗議運動が展開されている。

クーデター派は、アリアス和解案に接近したり、離れたり、新たな提案をしたりしながら時間を稼ぎ、セラヤ勢力が財政的に疲弊して、抗議行動が退潮するのを待っているように見える。また、なんとか、総選挙を実施すれば、その時点に限っては「民主的な体裁」をとることができ、主役をミチェレッティから新「大統領」に変えれば、クーデターのみそぎもできると考えている。クーデター派内部で「民主的に」総選挙を行えば、当選はだれでもよく、ALBA(米州ボリーバル的統合構想)に加盟し、将来は多国籍企業と寡頭制支配の体制を覆されることはなんとしても避けて、これまでの支配体制を維持することが大切なのだ。

しかし、クーデター派には、海外世論の圧力と少なからずの国々との断交、EUをはじめとする国々の援助停止が、ボディブローのように効いて経済を次第に悪化させており、公立病院で医薬品不足、8月分公務員、教師の賃金支払われないという事態が生じている。米国が援助を停止さえしてくれなければ困難な事態を乗り切れると思っているようである。

そして、クーデター派は、和解案への強硬な反対を続けられるだけ続ければ、妥協線はそれにつられて右寄りに移動し、最後に受諾すれば、和解が成立したことが評価され、和解の内容が非民主的なものであるとの非難をかわすことができるというシナリオがあるのかもしれない。それは、意外と米国=アリアス=ミチェレッティの合意ラインかもしれないのだ。

続きは、添付のPDFを参照ください。
「09.08.31 それからのホンジュラス (1).pdf」をダウンロード

|

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »