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2009年7月 7日 (火)

ホンジュラスにおけるクーデターの真実 (1) 加筆版

 中米のホンジュラスで、6月28日早朝、軍部によるクーデターが起き、マヌエル・セラヤ大統領を拉致し、コスタリカに追放した。ラテンアメリカの多くの国々で民主主義的な選挙により左翼的な政権が出現し、それに反対する勢力との陰に陽における熾烈なたたかいが行われている中でのことである。しかし、進歩と反動の対立は、表面では少なくとも議会や選挙、合法的なデモ、マスコミにおける言論戦の形で行われている。その意味でいかにも古典的な時代錯誤的なクーデターである。
 
 したがって、このクーデターは、国際世論から一斉に非難を浴びている。6月30日第63回国連総会でも、7月1日米州機構(OAS)総会(米州大陸34カ国出席、キューバは未復帰)でも、満場一致でセラヤ大統領の追放を明確にクーデターと規定し、その違法性とセラヤ大統領の合法性、ミチェレッティ「暫定大統領」の違法性、セラヤ大統領の即時・無条件の復帰、違法政権の非承認を決議した。その後もヨーロッパ、米州各国首脳も在ホンジュラス大使を召還したり、セラヤ大統領の復帰の承認を「暫定」政権に強く要求している。国連総会の決議案の共同提案国となった米国は、援助の凍結、合同軍事演習の中止を発表している。また、世界銀行、米州開発銀行(BID)、中米経済統合銀行(BCIE)もホンジュラスへの援助を停止した。

 しかしながら、国際的にまったく孤立した格好となっているミチェレッティ「暫定」政権だが、3日の米州事務総長ミゲル・インスルサによる直接の話し合いでもセラヤ大統領の復帰を頑強に拒否し、4日には米州機構から資格停止を通告された。さらに、5日には、セラヤ大統領の帰国も、空港を閉鎖して阻止した。一方国内では、人民抵抗戦線を中心に抗議運動は日に日に高まっている。

 それでは、なぜミチェレッティ暫定政権は、自らのクーデターに頑強にしがみついているのであろうか。事件は、一見、セラヤ大統領が、11月29日の総選挙の際に制憲議会の設立を問う投票を行うかどうかを、6月28日に国民投票で国民に意見を聞くことが違憲であるとして、国会が国民投票の禁止を決定したことから始まったように見える。本当にそうであろうか。まずは、事件を整理して、時間を追って点検してみよう。その中から、クーデター派の真意が見えてくるであろう。

 本年3月14日、セラヤ大統領や、憲法制定議会の招集について国民投票を行うことを発表した。新憲法の目的は、社会改革を可能とする条文の制定、大統領の再選規定の導入などである。

 本年6月20日過ぎになると、6月28日の国民投票の準備が進められた。今年の11月29日の総選挙の際に制憲議会の制定について国民投票にかけるべきかどうかを、6月28日の国民投票で聞くためである。セラヤ大統領は全国1万5000か所で国民投票の準備を進めていた。それは、一層の社会改革を進めるためには、現行憲法では適応できないこと、あるいは現行憲法の修正、特に大統領の再選禁止条項の改正をはかるためではないかと指摘されていた。
 
 ところが、6月23日、国会は、6月28日の国民投票の実施を禁止した。企業経営者、軍部上層部、予備役兵、カトリック教会、自由党、国民党の二大政党、最高裁判事などが国民投票に反対であった。この国会決議にもとづき最高選挙裁判所及び最高裁判所は、国民投票を違憲だとした。

 これに対し24日、セラヤ大統領は、ロメオ・バスケス統合総合参謀総長を国民投票の準備命令に不服従のかどで解任した。陸海空三軍司令官、エドムンド・オレヤーノ国防大臣は、バスケス将軍に「連帯して」辞任を発表した。バスケス参謀総長は、米国の米州軍事学校の卒業生で、80年代にホンジュラス大使を務め、コントラのニカラグア侵攻で腕をふるった、ネグロポンテ・ブッシュ政権前国務次官とのつながりが指摘されている人物で、反共意識の強い人物である。

 翌25日、最高裁は、セラヤ大統領の最高軍事指揮権を否定してバスケス参謀総長の復権を承認した。司法権が、行政権に従属する軍部の人事に介入するのも妙なことであった。バスケス将軍は、国民投票は違憲との最高裁の決定に従い、独断で一部の軍隊を治安維持の口実で市内に出動させた。これはクーデターの前兆とのうわさが広まった。一方国会は、バスケス将軍解任非難特別委員会を設置した。セラヤ大統領は、これを「技術的クーデター」と批判した。セラヤ大統領は、国民投票の支持者とともに、アコスタ・メヒア空軍基地に入り、投票資材を持ち出した。

 26日、バスケス将軍の指令で軍隊は基地にもどった。セラヤ大統領は、軍部によるクーデターの準備は整っているが、米国大使館が同意していないので、軍部はクーデターを起こせないでいると言明。一方、米国政府高官は、ホンジュラス軍部高官と会談をしていた。26日、27日と一端事態は静まったように見えた。クーデターのうわさに対して、OAS諸国をはじめ、ヨーロッパ連合諸国が、セラヤ大統領の支持を表明した。クローリィ米国務次官補は、予想されるクーデターへの米国の態度を明確にせず、単にセラヤ大統領に対する反対の立場は取らないという不明確な立場を述べた。27日、セラヤ大統領は、大統領府から大統領公邸に移って宿泊した。

 しかし、28日早朝5時半、200名の軍隊が、大統領公邸を襲撃し、セラヤ大統領をパジャマ姿のまま拉致し、基地に連行して、軍用機でコスタリカに追放した。市内上空を戦闘機が威嚇飛行し、戦車、軍用トラック、装甲車が動員され、同時に市内の要所には軍隊が配置された。ラジオ・テレビは放送を停止。市内の電気が遮断された。市内バスも運行を停止した。また、軍隊は、午前10時過ぎキューバ、ニカラグア、ベネズエラの大使を一時拘留した。パトリシア・ロダス外相、サンペドロスーラ市長も逮捕された。最高裁は、軍隊にセラヤ大統領の追放を指令した。

 午後、国会は、セラヤ大統領の辞任の偽手紙を代読、セラヤ大統領を憲法違反として解任し、ロベルト・ミチェレッティを1月27日までの暫定大統領に多数決(128票のうち124票)で任命した。民主統一党の4名の議員は欠席した。国会の討議では、これはクーデターでないと規定し、ミチェレッティは、大統領追放と新大統領任命は、クーデターでなく、合法的な移行の過程の結果であると強弁した。ミチェレッティは、11月の大統領選挙の自由党候補選定選挙で、現行のエルビン・サントスに敗れていた人物であった。

 セラヤ大統領は、コスタリカで、アリアス・コスタリカ大統領同席のもとで、民主主義と人権を擁護するため非暴力的手段で抗議するように国民に要請した。セラヤ大統領は、辞任の手紙を否定するとともに、このクーデターは民主主義の蹂躙と強く非難し、米国にクーデターに関与しているかどうか質問した。米国国務省は、クーデターに関与していないと言明した。誰が書いたのかわからないが、良く練られたほぼ完璧な古典的なクーデターのシナリオであった。(続く)

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