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2009年7月11日 (土)

ホンジュラスにおけるクーダターの真実 (3)

 5日、セラヤ大統領は、デスコト国連総会議長、ロダス外相とともに、ベネズエラ機でテグシガルパ空港に着陸を試みたが、「暫定政府」は、滑走路にトラックや兵士を配置し着陸を妨害、セラヤ大統領は、ニカラグアに向かった。その後、大統領一行は、エルサルバドルに向かい、そこでフネス・エルサルバドル大統領、フェルナンデス・アルゼンチン大統領、コレア・エクアドル大統領、ルーゴ・パラグアイ大統領、インスルサ米州機構事務総長と会談した。

 反クーデター国民戦線は、セラヤ大統領帰国支持者をこれまでの最高の数万人(十数万人という報道もあり)を組織し、空港周辺につめかけ、警官隊・軍隊と衝突した。軍隊は、デモ隊に発砲し、2名の死亡者、2名の重傷者がでた。反クーデター国民戦線は、翌日の抗議行動も提唱した。090705_honduras_aeropuerto_efe 抗議する市民


 暫定政府は、夜間外出禁止時間を拡大し、午後6時半から午前5時までとした。一方、リカルド・マドゥーロ、ラファエル・フェラーリ、カルロス・フローレス・ファクセなど一部の重要な企業家が、クーデター派への支持を取り下げ、外交的な解決をミチェレッティに要求した。クーデターの立案者と見なされるカルロス・フローレス・ファクセは、家族とともに米国に出国した。クーデター派内部の分裂である。

 事態が深刻化したので、ミチェレッティは、米政府に仲介を要請するとともに、またアリアス・コスタリカ大統領と接触した。ミチェレッティは、ニカラグアがホンジュラスとの国境に部隊を移動していると非難し、国民の批判の目を国外に向けようとした。しかし、オルテガ・ニカラグア大統領は、事実無根と否定した。

 6日、アリアス大統領は、インスルサOAS事務総長と電話で会談し、セラヤ大統領とクーデター派の双方の仲介の用意があると述べた。ミチェレッティは、米国とコスタリカに代表団を派遣し、仲介の要請をした。アリアス大統領は、米政府に自分の仲介を支持するかどうかを問い合わせた。一般には、翌日にクリントン国務長官が、仲介をアリアス大統領に依頼して、仲介の動きが始まったように報道されているが、実際はすでに5日から水面下でミチェレッティ=米国=アリアスの線でいろいろな動きがあったのである。090705_honduras_aeropuerto


 7日、セラヤ大統領は、クリントン米国務長官と会談した。クリントン国務長官は、アリアス・コスタリカ大統領の仲介で、民主主義の回復のためにクーデター派との対話を提案した。双方ともこれを受け入れた。その際、クリントン長官は、ミチェレッティと電話で直接話し合った。インスルサOAS事務総長が、ホンジュラスを訪問した際に、違法な「暫定大統領」と会談しなかったのと対照的であった。

 セラヤ大統領は、9日に会談の際に、「ミチェレッティとの会談を拒否する。彼らの国外退去の条件を聞くのみである。自分はミチェレッティを許しても、歴史は許さない。自分の任期は2010年1月27日までであり、それ以上とどまるつもりはない」と述べた。
 
 仲介者となるアリアス大統領は、「両者の会談は対等のものではない、世界各国はミチェレッティ政権を認めておらず、セラヤ氏を大統領と認めている。ただし双方とも譲歩しなければならない」と述べた。アリアス大統領は、80年代半ばに中米紛争の解決に貢献し、ノーベル平和賞を受賞したとされているが、トニー・アビルガンによれば、「(サンディニスタ政権は、)アリアス大統領をはじめとする中米の大統領が企んだ詐欺にはまり、1990年2月の選挙で敗北したのであった」。そして、苦節16年後に、2006年11月、再びオルテガ大統領が政権に返り咲いた過去がある。国際的には、アリアス大統領の仲介をいぶかる首脳もいる。

 アリアス大統領は、インスルサOAS事務総長と電話で会談し、仲介の用意があるが、OASの支持を受けるときのみと述べた。OASは非公開会議を開催し、仲介を容認した。反クーデター国民戦線は、首都の公共省前で数千名規模で集会を行った。国民戦線には自由党のいろいろな支部、シオマラ・カストロ、セラヤ大統領夫人も参加し、ますます反対運動は強化された。

 8日
、セラヤ大統領は、コスタリカに到着した。同大統領は、「クーデター派とは交渉はしない、街頭でたたかっている人びとを裏切ることはしない、これはすべてのラテンアメリカ国民の名誉にかかわることである」と言明した。ミチェレッティは、ニカラグア上空を飛行するのが安全かどうか調査中であり、ニカラグア政府は上空飛行を拒否していると述べた。同氏、一流のデマであり、ニカラグア政府は、またも明確にそれを否定した。G-8サミットでもルーラ、カルデロン大統領は、ホンジュラスの政変をクーデターとして非難し、ラテンアメリカの団結を強化する形での出口を見出すよう提唱した。スペインのサパテーロ首相は、アリアス大統領の仲介に協力を申し出た。

 米国政府は、1650万ドルにのぼるホンジュラスへの軍事援助を正式に凍結した。さらに2億2300万ドルの経済援助も検討される予定と発表した(米国はホンジュラスの輸出の60%を占め、年間8億ドルの投資を行っている)。しかし、食料、エイズ、医療などの人道援助は継続される見込みである。ホンジュラスの国際的孤立が、経済に与える影響についての懸念が、経済界に広まった。

 ベネズエラは、ホンジュラスへの原油の供給を停止した。キューバは、143名の医師、インストラクターの帰国を決定した。

 ホンジュラス東部各地で反クーデター国民戦線は、数千人がセラヤ大統領の復帰を要求して幹線道路を閉鎖した。国民戦線は、クーデター派との会議には憲法制定を含めるよう要求した。また、同戦線は、10日に50万人規模のデモを計画していると発表した。暫定政府は、夜間外出禁止令を、依然として10日連続継続している。

 9日、サン・ホセ市で、アリアス大統領は、セラヤ大統領と会談した。セラヤ大統領は、会談の実現と、ホンジュラスの先住民、労働組合などの各界の意見を聴取したことに感謝を述べた。

 ミチェレッティは、サン・ホセ空港に到着後、身の安全の保障を依頼し、3時間空港に滞在した。その後、アリアス大統領は、ミチェレッティと3時間会談した。ミチェレッティは、会談の努力に感謝しつつも、会談継続の意図はないとして、その後「対話委員会」を会談の継続の任に当たらせるとして、完全に満足したと述べて帰国した。総選挙を11月29日に実施することを確認し、ホンジュラスの内部問題は、ホンジュラス人で解決すると述べた。当初からセラヤ大統領は立候補しない総選挙であり、有力候補者2名がクーデター派であってみれば、事態はミチェレッティにとって同じことである。しかし、一時選挙の前倒し実施を述べていたことからすれば、発言に首尾一貫性がないことが注目された。

 両者の会談は実現せず。双方の立場は、閉鎖的で非常に非妥協的であったと報道される。インスルサOAS事務総長は、セラヤ大統領の復帰を暫定政府が受け入れるかどうかが試金石であり、それ以外はOASにとってなんら障害とはならないと述べた。アリアス大統領は、会談の詳細は語らず、セラヤ大統領の復帰を除き、選挙を早めるかどうか、刑罰を無効とするか、国民団結政府を創設するか、特定の人物を裁判にかけるか、すべては議論可能であるとのみ述べた。

 反クーデター国民戦線も代表をコスタリカに派遣。また、同戦線は、全国銀行保険委員会がセラヤ大統領派の政治家、ジャーナリスト、大衆運動活動家の銀行口座を凍結したことに抗議した。人権擁護委員会は、国際刑事裁判所に提訴すると述べる。(続く)

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