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2009年5月

2009年5月17日 (日)

キューバにおけるスペイン語訳『蟹工船』出版の時代的背景

キューバにおける蟹工船の出版の時代的背景

私は、キューバ研究が専門ですので、この翻訳が当時のどういう社会背景で出版されたか説明したいと思います。出版活動は、一般的には、4つの要素、つまり、①購買の可能性を示す人口数、②教育水準、③経済状況、④国の出版政策により異なります。これらの要素から、ラテンアメリカでのスペイン語の出版活動には4極あります。人口1億600万人のメキシコ、人口4600万人のコロンビア、人口3800万人のアルゼンチン、それに人口1100万人のキューバです。キューバは、人口ではラテンアメリカ33カ国の中で9番目ですが、1987年には、キューバは、出版活動では、書籍発行点数は2,315点で、コロンビアの15,041点についで第二位でした。

革命勝利前の1958年、キューバでは出版は年間100万冊程度でしたが、30年後の1989年には、4400万冊で44倍に伸びています。これは、①1961年にキューバ政府が識字運動を展開し、人口の3分の1を数えていた非識字者100万人、準非識字者100万人を一掃したこと、②1961年に教育を国の運営のもとにおき、無料制度とし、国民すべてが大学教育まで進める制度を作ったこと(高等教育進学率は82%)、③1962年に出版社を国有化し、キューバ国立出版社を設立し、社会の変革に応じた出版を始めたこと、④国家予算によって出版活動は、必要に応じて補助金が支出され、国民だれでもが購買可能な価格で販売されたことなどによります。ご参考までに、教育、文化・芸術、科学技術を含めると国家予算の20%を占めます。ちなみに日本は、7%程度です。
 
 スペイン語訳蟹工船が企画され、出版された1981-1983年は、キューバ社会の黄金時代でした。経済発展も60年代、70年代の困難をかなり克服して順調に展開し、音楽、文学、絵画などでも、1980年12月、カストロ議長が第二回党大会で述べたように、「文化の分野では大きな成果があがっており、高度の創造的雰囲気が見られる」時期でした。すぐれた医療・教育制度による高い社会福祉の恩恵を国民は受け、社会においてかなりの平等性が確立され、国民の間に連帯の意識が広く見られました。
 
 また、国際的にはキューバは、1979-81年138カ国が加盟する非同盟諸国運動の議長国として、発展途上国の団結と統一に奮闘していました。国民の間でも社会主義への信頼と確信が存在した時期でした。こうした内外の時代的背景の中で、世界の、アジアのプロレタリア文学への関心が、国民の中に広く見られ、この国民意識を基礎に、世界のプロレタリア文学の翻訳出版が進められたのです。1983年、出版点数は1672点、そのうち文学書は224点で、蟹工船はそのうちの1冊です。出版物発行総数は3500万冊でした。

 しかし、こうしたキューバ社会の黄金時代は、1989年をもって終わります。1990年になると、キューバが85%にのぼる密接な経済・貿易関係をもっていたソ連・東欧諸国が崩壊したり、経済困難に陥り、貿易量が激減して、かつての4分の1となって、「非常時」が宣言されました。経済は、80年代の60%の水準まで落ち込みました。1993年には出版点数も273点、発行部数も114万部と革命後最低の水準に後退しました。

 そこで、経済を活性化するため、観光、外国投資が進められ、外貨所有が合法化され、農産物・工業製品の自由市場が認められ、飲食業、美容院、民宿などの自営業が許可されました。同時にインフレが進み、実質賃金は、80年代の4分の1にまで落ち込みました。国民の間の連帯意識は失われ、それぞれが自分の生活を守るために生活費の不足分4分の3を稼がなければならず、合法的・非合法的な方法で必死になって収入源を求めるようになりました。収入格差が拡大し、利己心が一般的となり、資本主義による搾取、社会主義への確信も少なからずの人が表面的となったり、薄れたりしました。それでも、2006年までには経済も、かなり回復し、出版点数は、2,330点、発行部数は3900万部と回復しました。しかし、そうした中で、近年キューバで出版された日本に関係する本は、江戸時代の兵法家の大道寺友山の『武道初心集』という本とか、俳句についての本です。これらは、社会的発展の観点からみると限られた資源の中で、今のキューバにどれだけ必要かと首をかしげさせるものです。

 しかし、世界的な新自由主義の破綻から、資本主義への批判、マルクス主義への期待が復活する中で、社会科学の面では、キューバでもこの1-2年マルクス主義の立場に根ざした書籍が少なからず出版されるようになってきています。こうした時代状況の中で、資本による労働者の搾取を赤裸々に描いた蟹工船について、キューバで話をおこなったことは、キューバ人の間でも少なからずの関心を呼び起こすものでした。

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2009年5月11日 (月)

米国・キューバ関係改善の条件は?

米国にウエイン・スミスというキューバ研究者がいる。1959年1月8日、フィデル達、7・26運動の勝利者たちがハバナに入城してきたとき、若き外交官としてハバナでそれを見ていた。米玖関係が61年1月断絶したとき、キューバを去った。そして、ケネディ政権のもとでラテンアメリカ政策を立案する要職に任命された。

その後、1977年カーター政権が、キューバとの関係改善をめざして、ワシントンとハバナに双方が利益代表部を設置したあと、彼は、1979年ハバナの利益代表部首席を任じられた。彼は、その後レーガン政権の対キューバ政策と合わず、1982年に国務省を退官した。以後、豊富なキューバとの外交経験を生かして、米国きってのキューバ外交通として健筆をふるっている。
 
この彼が、最近、アルゼンチンの新聞とのインタビューで、オバマ政権の対キューバ政策について、次のように厳しい批判を行っている。
「オバマ政権が、キューバへの旅行制限と送金について若干、緩和したが、それをもって、今度は、キューバがなんらかの行動を取るべきだといっているのは、間違いである。オバマ大統領は、ブッシュ前政権のような敵対的行動は継続していないが、彼の演説は硬派のトーンをもっている。しかし、経済封鎖を行っているのは米国であり、キューバではない。キューバにたいして「制裁」をおこなっているのは米国であり、その逆ではない。したがって、私がキューバについて知っている少ないことからしても、このような少しの譲歩で、キューバ側に妥協の行動を要求するのは現実的ではない」。
 
事実、オバマ政権は、最近でも、4月30日には、国務省が「2008年テロリズムに関する国別報告書」で、キューバをテロ支援国家リストに継続して指定している。キューバ側にも、60年代のラテンアメリカの武装闘争への介入についての公式の自己批判がないこと、ペルーのセンデーロ・ルミノーソ、コロンビアのコロンビア革命軍(FARC)という反政府武装勢力への一時期の支持という弱点はあるが、現在のキューバがテロ支援国家とは到底いえないことは、ラテンアメリカ 諸国がこぞって認める事実である。さらにオバマ政権は、5月4日は、キューバの国民的シンガーソング・ライターのシルビオ・ロドリゲスへのビザを発給しないという間違った態度をとっている。
 
キューバ側は、当然のことながら、米国との対話は、無条件で、あらゆるテーマを話し合うことを繰り返し提案している。

さらに、この機会に、米国とキューバの関係改善の基本的な原則を再確認しておくことも有意義であろう。それは、米国の経済封鎖の解除、グアンタナモ海軍基地の返還、キューバの内政問題への不干渉、対等・平等・相互尊重であろう。これらは、二国間で関係を回復し、良好な関係を築くためには不可欠の条件である。
 
キューバには、米国国民の優れた国民性、文化を高く評価しつつも、「米国は、ちょっと指を突っ込むと肩まで引き込むから、いささかの妥協も危険だ」という認識が国民の中に広くある。これをウエイン・スミスも知っていれば、「米国の譲歩は、未だ少しである」という量的な問題に限定することはなかったであろう。米玖関係の改善は、包括的・全面的なものでなければならいが、そのカギは米国が握っており、キューバ側にはない。

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2009年5月 9日 (土)

グアヒーラ・グアンタナメラは、どのようにつくられたか。

グアヒーラ・グアンタナメラは、どのようにつくられたか。
エミール・ガルシア・メラーヤ
Cuba Now January 28, 2009より。
前田恵理子訳

「グアヒーラ・グアンタナメラ」は、世界においてキューバを代表する音楽のイメージであり、その曲の存在の功績は、ホセイート・フェルナンデスが担っています。

グアヒーラ・グアンタナメラは、この40年間で最も演奏されたキューバの歌で、現在50近いバージョンが知られていますが、その裏には、曲の生みの親を争う長い歴史が隠されています。

いくつかの調査によると、グワヒーラ・グアンタナメラの最初の公の演奏は1929年に遡り、ハバナのパラティーノ公園のダンス・フィエスタでの演奏でした。その公園では毎週日曜日、特に代表的な流行のバンダ・ティピカ が人気を博していました。 このダンス・フィエスタには、当時の代表的楽団の中で一番人気があり、歌手のパブロ・ケベド(1907-1936)がいたアントニオ・マリーア・ロメロ楽団、チェオ・ベレン・プイグ楽団、ライムンド・バレンスエラ楽団と、ファクンド・リベロがピアノ担当のライムンド・ピア楽団が、出演していました。

詳細は、添付PDFを参照ください。

「09.05.10 「グアヒラ・グアンタナメラ」は、どのようにつくられたか。.pdf」をダウンロード


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2009年5月 1日 (金)

フィデルと「省察」

 フィデルは、2008年2月18日の国民への退任のメッセージで、「皆さんに、お別れをいわない。思想の一兵士としてたたかうことだけを望んでいる。『同志フィデルの省察』という題のもとで引き続き執筆を続けるであろう」と文筆活動が今後の重要な活動であることを述べた。

 そして、本年1月22日、フィデルは、省察『第11番目の米国大統領について』で、こう述べた。
「私は、本年、私に勧められたように『省察』の本数を減らした。それは、党と国の同志たちが、世界的な経済危機から発生する客観的な困難に対して時宜を失せずに決定を行わなければならない時、彼らに干渉したり、邪魔にならないようにするためである」。
 これは、実際、組織的には、賢明な判断だったと思われる。
 
 しかし、最近の、執筆量は、下記に見られるように、飛びぬけて多くなっている。それも3月2日の内閣の大幅な改造以降である。4月に入ると、オバマ大統領などの米国の対キューバ政策の発表があると、真っ先にコメントするのは、フィデルの「省察」であり、米国側の政策の詳細は、グランマ紙にも報告されないことが少なくない。それは、いったい何を意味するのであろうか。上記の1月22日の配慮はどうなっているのであろうか。

フィデルの「省察」あるいはメッセージは、昨年08年1月以降、下記の通りである。

2008年
1月 10件
2月 13件
3月 16件
4月  9件
5月  5件
6月  6件
7月 13件
8月  6件
9月 13件
10月 13件
11月 10件
12月  3件 12月15日が最終

2009年
 1月  2件 1月21日執筆再開
 2月  8件
 3月 17件
 4月 26件

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