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2009年4月16日 (木)

キューバ人と噂

 20世紀の優れたキューバ人歴史家の一人に、エミリオ・ロイグ・デ・レウチセンリング(1889-1964)という歴史家がいる。ハバナ市史の専門家で、ハバナ市歴史家事務所長を1964年まで務め、キューバ文化・史跡の保存に尽力した人物である。主著として、「キューバの独立は米国に左右されない」、「米国対キューバ共和国」などがあり、キューバ国民性の発展とキューバへの米国の干渉政策を批判したものが多い。同時に、彼は、ジャーナリストでもあり、鋭い筆致でキューバ社会を描いている。その中のひとつの論文に、「噂および噂好きな男女」という論文(1935年)がある。1935年といえば、キューバでは、独裁者であるバチスタ大佐が、政界の黒幕として、陰で次々と傀儡大統領を擁立していた時期である。

 エミリオは、大要、以下のようにキューバ人の噂好きの習慣を風刺して見事に描写している。

 「数年前にキューバ人の習慣についての論文を書き、キューバでは噂好きの悪習が広がっていることを指摘したことがある。しかし、その後、時とともに、この悪習はいよいよ増大し、あらゆる階層に蔓延し、ついては政府や政治分野まで及び、噂によって閣僚や政府上層部が危機に陥ることもあるようになった。その結果、キューバでは、若干の例外はあるが、男性はすべて雄弁家であり、女性はすべて噂好きとなっている。

 したがって、男性の場合、言語障害者や寡黙な人もいるが、政治家で最大の才能は、ロダンの彫刻のように考えるふりをして、しゃべらないこととなった。まさに沈黙は金となったのである。

 女性の場合は、噂好きでない女性を見つけるのは極めて困難となっている。噂をすることこそ、女性の唯一の雄弁術である。女性は、男性と違って、説得、納得させるためには、決して言葉を使用せず、黙って行動に出る。女性は、言葉を使わず、しぐさや、態度で説得する。

 女性の雄弁はどんなときに発揮されるか。それは、噂をするときである。彼女たちの観察は鋭く、人間の心理を深く知っており、人やものごとを詳細に定義する。皮肉と風刺の大家である。

 こうした噂は、ハバナ市では、完全に組織的に行われている。デパートや、特定の女性が集まる場所がその中心地であるが、現在では、電話が主要な役割を果たしている。誇張せずにいって、キューバ共和国は、一大、噂の家となっているのだ。

 一方、政治的噂には、あまたの方法がある。政敵を打倒するためにほめ殺しの手まである。

もうひとつのキューバ特有の噂の形態は、流言である。これは起きてもいないことをまことしやかに広めるとともに、実際起きることを望むものである。政治家や官僚の失墜、国内外の危機、政治家のボスと子分の確執などが流言で広められる。

 こうした噂や流言は、独裁制、専制政治、検閲制のもとで、いっそう数と大きさが増大している。したがって、キューバにおいてニュースを最も迅速に伝えることは、新聞やラジオで伝えないことである。噂や流言は、稲妻のように人から人に、グループからグループに伝わり、その都度話す人により拡大され、噂となり、流言のニュースとなるからである」。

 この論文は、本年2月,ハバナ市で発行されている雑誌、OPUS Habanaに再録されたものである。奇しくも、その後、3月2日に大量の閣僚の交代が報道されたが、その内容については、本ブログ3月31日付で紹介したとおりである。ともかく、4月16日現在、発表された政府報道は8点しかない。そのため、エミリオが指摘したとおり、キューバ市民は、伝統的な特技を発揮して、実に驚くような噂や流言が闊歩している。筆者の経験からも、キューバ人から話を聞くときは、まず、「その出所は?」と聞き、それを吟味してでないと、報道や研究には使えない。

 しかも、実際、キューバ社会は、極めて情報が少ない社会である。日本のように新聞が広告も含め数十ページになる必要があるかどうかは別として、流通している新聞はすくない。あるのは、すべてタブロイド版で、最大発行部数の日刊紙ではグランマ(キューバ共産党中央委員会機関紙、日曜日は発刊せず。発行部数40万部)、「フベントゥ・レベルデ(反乱する青年、キューバ青年共産同盟機関紙)」、週刊版で「トラバハドーレス(労働者たち、キューバ労働者センター機関紙)」、他に地方紙がある。しかし、ハバナ市でグランマを入手することはまず困難で、市民で購読している人は決して多いとはいえない。むしろ少ない方である。しかもグランマでも、金曜日をのぞいて全部で8ページ。現在は、1ページは、各ニュースの見出し。フィデル・カストロの省察論文でほぼ半分から1ページ。1959年のフィデルの演説が1ページ。文化・スポーツ欄が2ページ。したがって3ページの間に国内と国際ニュースをつめこまねばならない。限られた読者数、限られた紙面ということを考えると極めて少ない情報量といえる。

 それではTVではどうか?ここも国営テレビのニュースは昼間と夜の2回、各30分である。常にフィデルの省察論文が全文5-10分読み上げられる。つまり、TVでも新聞同様、情報量が極めて少ない。少ない情報量と国民は知っており、ニュースを見ないひとも少なくない。

 さらに、インターネットにアクセスできる市民は極めて少数である。

 民主主義の存在を云々して、議論するよりも、まずは内外のニュース量を新聞、TVで飛躍的に増やすことが、重要な課題と筆者には思われる。
                                               (岡 知和)

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