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2009年4月10日 (金)

チャベス、選挙、国民投票16戦の結果

チャベス、選挙、国民投票16戦の結果

先ごろ、チャベス・ベネズエラ大統領が訪日した。世界の注目を集めている大統領だけに、テレビ、新聞で少なからずの報道がなされた。テレビなどで、視聴者にわかりやすくニュースを伝えようという姿勢は評価されるが、それは噛み砕いて紹介することであって、巷間の俗語で表現することではない。4月5日、親友から、フジテレビのサキヨミLIVEという番組で、大要このように紹介されたと聞いた。

「中南米の番長、チャベス大統領は、高騰した石油価格を利用して、まわりの国の子分を集め、アメリカに反抗する反米勢力を結集している。また、日本には石油開発をちらつかせて対日接近をはかっている。しかしその石油は重質油で魅力はない・・・」

ここには、これまで歴史的に、特に近年米国の新自由主義政策に従属し、国民生活を痛めつけられてきた中南米の国々が、自らの国民の福祉と安寧を自らが決めようという自立化への動きをまったく理解していない考えがうかがわれる。ラテンアメリカを、「反米大陸」、「反米主義」とみては、理解できない。「自主外交大陸」とみてはじめて、現在の左派政権の続出を理解できるのである。

この地域をみずからの「裏庭」、勢力圏と考えてきた(それこそ番長)アメリカは、ラテンアメリカの自主的な態度が受け入れ難く、自主的な政策を探求する国々に、「人権問題」、「民主主義」、「テロ国家容疑」、「麻薬問題」、「ソ連の代理人」といって難癖をつけ、非難、干渉政策をとってきた。昨年、米国のゲーツ前国防長官が、ジョビン・ブラジル国防相に対中南米政策についてサジェッションを聞いた際、「手を出さないことだ」と答えたのは、本質をついたものである。(ラテンアメリカの自主的な動きについては、好論文、菅原啓「米国いいなり拒否するラテンアメリカ」『前衛』2009年4月号、参照)

チャベス大統領が行っている、ペトロ・カリブ政策などは、参加国の思惑は別として、その原理は、「子分集め」ではなく非産油国に産油国が協力しようという国際的大義に沿ったものであることを理解しなければならない。なぜなら、一番の「親米国」といわれるコスタリカも最近加盟したのであるから。ベネズエラの石油開発に対しては、大統領滞日中に日本企業との間に合意書が結ばれたことをもってしても、双方に利益のある商談であったことがわかる。

チャベス大統領は、この10年、実に16回の選挙、国民投票、1回の軍事クーデターの試練をくぐりぬけながら、政治、経済、社会改革について、国民にそのつど、信を問いながら改革を進めていることを、その政策への賛否は別として、あらためて確認しておきたい。

参考までに、1998年のチャベス大統領選出後、2009年の今日までの16の投票を振り返ってみると、次の通りである。

1998年
① 12月6日、チャベス、得票率56.20%を確保して、大統領に選出される。対立候補「ベネズエラ計画」のサラス・ローメル(COPEI、ADなど4党支持)は得票率39.97%。1958年体制の崩壊。しかし、国会では少数。最高裁は前政権やエリート層が握っている。制憲議会召集の是非を問う国民投票を実施する政令を公布。

1999年
② 4月25日、チャベス、制憲議会召集是非の国民投票で得票率88%を獲得し、信任される。
③ 7月25日、チャベス派、制憲議会国会議員選挙で131議席中126議席獲得し、勝利。AD20議席、COPEI実質上消滅。
④ 12月15日、憲法賛否国民投票で得票率86%の賛成、圧倒的多数で新憲法が採択され、ベネズエラ・ボリバール共和国と国名を変更。

2000年
⑤ 7月30日、新憲法下での大統領選挙で(総投票数663万票)、チャベス、得票率60.3%を獲得し、アリアス・カルデナス候補(Causa Rなどの統一候補)得票率37.5%を破り、大統領に再選出される。
⑥ 同時に国会議員選挙で、165議席中、与党MVR、76議席を獲得し、第一党、MAS21議席を獲得。それまでの2大政党、民主行動党は29議席、キリスト教社会党は5議席で大幅に後退。
⑦ 同時に行われた県知事選挙、県議会選挙、市長選挙でもチャベス派勝利。
⑧ 12月3日、地方選挙(市議会、最小行政区議会)でチャベス派圧勝。

2004年
⑨ 8月15日 大統領信任国民投票実施。2002年クーデター失敗に業をにやした反対派が大統領の不信任を求めたもの。投票総数9,815,631票のうち、チャベス大統領5,800,629票、得票率59.09%獲得、反政府勢力CD3,989,008, 得票率40.63%を獲得、チャベス圧勝して信任を得る。
⑩ 10月31日 地方選挙でチャベス派、22県のうち20県で勝利、首都知事、カラカス市長選挙で勝利。また市長選では、335市のうち270市でチャベス派勝利。チャベス派の圧勝。

2005年
⑪ 8月7日 地方行政区議会選挙、実施される。選挙人登録は、14,363,690人、69.1%が棄権、チャベス派候補者、5596議会で80%が当選。チャベス派圧勝。
⑫ 12月4日 国会議員選挙、反対派の民主行動党(AD)、キリスト教社会党(CEPEI)、ベネズエラ計画党、正義第一党、世論調査の選挙予測でチャベス派が71%以上獲得し、大敗することが明白となり、選挙寸前で謀略的に候補者を取り下げ、選挙に参加せず。チャベス派、全議席を占める。

2006年
⑬ 12月3日 大統領選挙。チャベス、社会主義の建設をスローガンに掲げ、選挙戦をたたかい(総投票数1163万票)、730万票、得票率62.84%を獲得し、反対派ロサーレス候補、429万票、得票率36.9%に大勝。勝利後、ベネズエラ社会主義統一党の創設を提起。

2007年
⑭ 12月2日 チャベス大統領、憲法改正案を国民に提出し、国民投票の結果(総投票数900万票)、440万票、得票率49.29%を獲得するも、反対派452万票、得票率50.70%を獲得し、僅差で敗れる。憲法草案では、社会主義をめざすなど詳細な修正案提起するも、国民は受け入れず、僅差で否決。投票14回目にして、初めて敗北。

2008年
⑮ 11月23日 一斉地方選挙が行われ(総投票数1102万票)、チャベス派候補、590万票、得票率53.52%、18県知事(77%)、277の市長(81%)を獲得し、反対派(471万票、得票率41.65%)に圧勝。前回得票数を150万票余回復。

2009年
⑯ 2月15日 チャベス大統領、大統領、各種首長の三期以降の選出を認める憲法修正案を提出し、国民投票の結果(総投票数1171万票)、631万票、得票率54.85%を獲得し、反対派519万票、得票率45.14%に10ポイント近い差をつけて承認された。投票キャンペーンの中で、チャベス大統領、自分の三選の可能性を開いて、社会主義をめざすと述べる。

上記のように、2月、憲法修正が承認されたが、これをどう見るかは、いろいろな意見がある。筆者は、これによりチャベス大統領の三選が認められ、独裁体制がしかれたという理解はしていない。むしろ単に、3期以降の立候補が認められただけであり、それ以上でも以下でもない。

大統領、各種首長を選出するのはあくまで国民であることを強調したい。善政の政治家も、悪政の政治家も3選の可能性が認められたのであり、国民にとって選択肢が増えたといえよう。多選を悪とするのは、性悪説にもとづく個人の考えであり、国民自身がその都度、候補者の適否を判断して票を投じればよいことである。2012年には、各種首長、大統領の選挙が行われ、4年間の施政の真価を国民が決めることになる。

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