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2009年2月 1日 (日)

「非常時」とは何か

「非常時」とは何か。

 キューバの指導者の演説を読むと、「非常時」という表現が良く出てくる。一体、非常時とはどういう意味であろうか。

 スペイン語では、”Período Especial en Tiempo de Paz”、英語では”Special Period in Peace Time”である。「平和時の非常時」の意味である。これを「特別な期間」とか「特別な時期」と訳している人もいるが、なぜ特別な時期かを理解していないようである

「平和時の非常時」は、90年8月29日、宣言された。その概念については、フィデル・カストロ議長(当時)は、すでに同年1月28日の第16回キューバ労働者センター(CTC)大会閉会演説で次のように述べていた。

「われわれは、十年前から防衛力を強化してき、全人民の戦争という概念を適用してきた。わが国の全面的軍事封鎖を始めとするあらゆる可能性に対する計画を作成した。・・・彼らは全面的封鎖を課すことができるが、われわれは全面的封鎖に耐えるための計画を作成した。・・・われわれは、この全面的封鎖の時期を『戦時の非常時』と呼んでいるが、現在、『平和時の非常時』のための計画を作成しなければならない。
 『平和時の非常時』とはどういう意味であろうか。東欧諸国との関係において、またソ連における状況において、経済的問題は極めて深刻であるので、わが国に対するこれらの国々からの供給が極めて厳しいものとならざるをえない。全ての石油はソ連から来ており、これが三分の一に、あるいは半分に、あるいはゼロとなった場合、これは戦時の非常時に等しい。もちろん『平和時の非常時』は、ある程度の輸出入の可能性があるので、最悪というものではない。『平和時の非常時』の最悪の事態を予測して、その対策を立っておかねばならない」。

 つまり、「平和時の非常時」とは、アメリカの軍事侵略・封鎖によって作り出される「戦時の非常時」とは違って、通常の時期、平和時において、キューバは、異常な経済困難により非常時体制をとっているという意味である。

 80年代末、ソ連・東欧諸国の経済困難は、輸入依存度が高いキューバ経済に直接重大な影響を及ぼすこととなった。キューバは、貿易の70%をソ連と、15%を東欧諸国と行っていたからであった。90年8月、ソ連からの原油が同年には従来の1300万トンから300万トンも減少することが確実となり、『平和時の非常時』の第一段階が宣言されたのである。現在でも(2009年2月)『平和時の非常時』は続いている。

 フィデルが、この『非常時』をひき起こすことになるソ連の崩壊を、極めて早い時期に予見していたのは、驚くべきことである。1989年7月26日、カマグエイにおいて、彼は、次のように述べている。

 「もしも、明日、あるいはある日、ソ連で大きな内戦が勃発したというニュースで目を覚ますことがあっても、あるいは、ソ連が解体したというニュース、それは決して起こらないようにわれわれは望んでいるが、そういうニュースで目を覚ますことがあっても、そういう状況にあってもなお、キューバ及びキューバ革命は闘い続け、抵抗し続けるであろう」。

 では、なぜ、80年代初め、「戦時の非常時」が、「ゼロ作戦」として考えられたのであろうか。93年ラウルが、その経緯を率直に語っている。

「80年代の当初、ソ連を訪問し、ソ連最高会議議長・ソ連共産党書記長ブレジネフ、国防相、ソ連共産党中央委員会国際部書記の出席のもとに公式の会談をもった。理由は、レーガン政権が成立するや、キューバ侵略政策を露骨に示したので、キューバを軍事的に攻撃しようとするレーガン政権にブレーキをかけるべく政治的・外交的行動を取るようソ連政府の指導部に要請する必要があったからである。
 キューバ側は、ソ連がアメリカのキューバ侵略を容認しない、また、ミサイル危機当時の約束を守るようアメリカの書簡を送付するよう、ソ連に要請した。
 しかし、ブレジネフの回答は、硬直したものだった。つまり「アメリカが、キューバを侵略した場合、われわれは、キューバで戦うことができない。なぜなら、われわれから1万1000キロも離れているし、そこでわれわれがひどい目にあえというのか」というものだった。
 われわれは、ずっと以前から、ソ連がキューバのために戦争に参加することはないとは考えていたが、またわれわれ自身の力で防衛しなければならないことは知ってはいたが、アメリカのキューバ侵攻があった場合に、キューバ一国となると、明確に、公式にソ連の指導者が述べたのは、まさに最大の危険が迫っている時であった。
 アメリカがこのことを知ったならば、しかるべき反撃を受けることがなく侵略を行うことができると考えたことであろう。
 したがって、われわれは、このことを厳密に秘密にする必要があったし、敵を刺激せず、もし帝国主義者が戦争をしかけるなら、全人民の戦争を行うために準備をしなければならなかった。
 内部的には、フィデルと私、及びこのことを仕事上知った同士達は、このことを「パンドラの箱」というコード名で呼んだ。われわれは、沈黙を守りながら、苦い事実をがまんし、最大限に努力をしてわれわれの歴史的使命を達成すべく準備を行った」。

「非常時」という概念の中には、東西対決の中で大国の思惑と利害に翻弄されながらも、主権を守り続けたキューバの苦悩があるのである。

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