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2009年1月 2日 (金)

キューバ医療最新事情

はじめに

 日本において、連日のように、「医療費の値上げ」、「緊急患者の病院たらいまわし」、「医師の過重労働」、「医師・看護師不足」、「医療格差」、はては「医療崩壊」までが語られ、報道されている。こうした実情からは、2000年のWHO(世界保健機構)のワールド・ヘルス・レポート(1997年時点の実態)で、医療制度の達成で世界第一と日本が指定されているが、何かの間違いではないかと思わされる。

 こうした日本社会にいる私たちにとって、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「シッコ」や、吉田太郎氏の『世界がキューバ医療を手本にするわけ』(築地書館、2007年)で、いわば理想的な対極の世界として描かれているキューバの医療事情は、大きな関心を呼び起こすものであった。

医療サービスを実現する条件

 筆者は、各国の医療サービスは、①すべての国民が医療サービスを受ける普遍性に基づく国民の高いヒューマンな医療理念があるかどうか、②その理念の実現を可能とする経済・財政・インフラ環境が社会にあるかどうかによって決まってくると考えている。上記の①、②のどちらが不足しても、医療サービスは満足すべきものとはならない。現在、米国や日本は新自由主義思想により①が破壊されているし、キューバは②が不足している。もっとも、①があるということは高く評価されなければならないが、経済・社会全体の困難な中で、国民の意識自体も①に少なからず影響を受けていることも事実である。

ところで、キューバの医療を報告する場合、善意によるものであれ、あやまった事実認識や、主観的評価が、少なからず見られるのは残念である。しかし、そうした認識は、変革の真の力とはならないのではないだろうか。それでは、現在の歴史的時点で、キューバの医療事情はどうであろうか、キューバ社会全体の中に位置づけて報告したい。

 キューバ革命のヒューマンな理念は、歴史的に見れば、1953年7月26日、当時のバチスタ独裁政権の打倒に立ち上がり、その後逮捕され、みずからの弁護を行った若きフィデル・カストロの陳述に凝縮されている。

このようなひどい悲惨な状態から解放されうるのは死でもってだけである。農民が死ぬことを助けているのは国である。農村の90%の子供は、はだしの足の爪を通って土地から入ってくる寄生虫により蝕まれている。社会は、一人の子供の誘拐や殺害のニュースに驚くが、このような何万何千という子供たちが、ものがないため、死の苦痛に苦しみながら毎年死んで行くという大量の殺害という罪には、許しがたいことに無関心である。無実な子供たちの目は、既に死が光り輝いており、人間の利己主義にたいして許しをこうているように、また、神の罰が人々の上に下されないように願って、無限のかなたを見つめているように見える。そして、一家の父が一年に4ヶ月のみ仕事をえるとき、どのようにして息子たちに衣服や薬を買うことができるであろうか。子供たちは、くる病患者のようにしか成長できず、30歳になっても口の中には一本たりとも健康な歯はない。何百万回という演説を聴くかもしれないが、結局は悲惨な状態で絶望して死んでいく。国の病院はあっても、常に満員で治療を受けられず、大物政治家の推薦でもってのみ、それは可能である。その政治家は、彼や彼の家族全員の投票を要求するが、キューバは常にこれまでどおりだし、あるいは悪くなるだけである。」(フィデル・カストロ『歴史は私に無罪を宣告するであろう』)

キューバの医療制度の確立

 この理念は、反バチスタ独裁ゲリラ戦争中に、実行され、ゲリラの解放区では、農民、捕虜に対し、無料で治療が施された。さらに1959年1月1日の革命勝利直後の223日、法律第100号により、農民技術、物資、文化支援庁が設立され、ほぼ無きに等しかった農村住民への医療活動が行われることとなった。同年、6000人の医師のうち、3000人が米国に亡命するという大きな痛手を受ける中で、19601月、法律第723号、地方社会医療サービス法を制定し、医学部卒業生に1年間(その後2年間となる)の地方勤務を義務付けるとともに、農村の医療サービスを無料とした。さらに同年5月にはすべての公共医療サービスを無料とした。その後、個人開業医は国有化せず、民間診療所の国営化をはかり、最終的には、1967年個人開業医を除き、医療サービスは国の管理に一本化された。

その後、革命の医療理念は、1976年に制定された憲法(1992年の改正)に、何よりも明確に現れされた。第50条には、「すべての国民は、医療を受け、健康を守る権利を有する。国は、この権利を保障する。医療、入院は無料とする」と述べられている。この権利の保障は、公共衛生法(法律第41号、1983713日制定)に規程されており、いかなる社会的差別も排除もない。さらに医療制度を支える医師、看護師、医療技術者の教育は、憲法第39条で「教育は、国の役目であり、無料とする」と制定されており、人的供給の持続性が保障されている。

キューバの医療制度の特色

 キューバの医療制度の特色は、①誰でも医療サービスを受けられる普遍性、②いつでも、どこでも医療サービスを受けられるアプローチ性、③地域の実情に根ざした地域性、④すべての経済的・社会的側面をカバーする総合性、⑤無料性にある、⑥発展途上国の医療サービスの発展に協力する国際性の6つの原則にある。根本の考え方は、予防医療にあり、これは、個人にとっても、国にとっても望ましい方法である。個人にとっては、まずは病気にかからないようにすることが第一であり、さらに病気になった場合でも病気が悪化する前に、適切な治療を受けられるし、国にとっては、それだけ治療費も安くつくからである。

国-県-基礎行政区の3段階に厚生省の医療機関があり、県は全国病院と総合診療所を、最小行政区は、総合診療所と家庭医診療所を指導している。これらの医療機関とともにこの予防医療を支えているのは、革命防衛委員会、キューバ労働者センター、小農協会、女性連盟などの大衆組織であり、これらの大衆組織の協力のもとで、キューバでは3日もあれば、全国民へのワクチン接種が可能だという。

医療理念を推進する財政的努力と医療体制の確立

 こうした原則的理念のもとで、発展途上国の財政困難なキューバではあるが、国内総生産(GDP)にしめる医療費・社会福祉の割合は24.1%で、医療費の割合は13.6%で、ヨーロッパの先進国並みか、それ以上である。国家予算における医療費の割合は、10%余で、革命勝利前の1958年の2倍となっている。

 このような財政的配慮のもとで、家庭医-総合診療所-全国病院という医療体制が確立されている。その基礎は、初期診療に携わる家庭医制度である。全国には、1万4千余の家庭医診療所があり、各家庭医は、約120140家族、500800人の地域住民の初期治療を担当している。一般には、1名の医師と看護師が勤務し、聴診器、注射器、血圧計など以外の医療機器は装備されていない。家庭医診療所で治療できない場合は、患者は近隣の総合診療所に紹介される。総合診療所は、一般に、内科、外科、眼科、耳鼻咽喉科、産婦人科、歯科などを抱えている。レントゲン、超音波診断装置、脳波計、心電計などの医療機器をそなえている。しかし、緊急の23日用のベッド以外には入院ベッドはない。入院の必要がある場合、患者は、上級の全国病院に送られる。もちろん、患者は、直接総合診療所や全国病院にいってもよい。ただし、総合診療所の場合は、各住民は診療所が指定されている。

総合診療所は、全国に498あり、平均2030の家庭医診療所を対象としている。総合診療所で対応できない難病は、213の全国病院に送られ治療される。こうしたピラミッド型の医療制度の中で、71千人余の医師(そのうち家庭医は33千人余)、1万人余の歯科医、94千人余の看護師・准看護師が働いている。人口10万人当たり、医師の数は636人、看護師の数は833人で、それぞれ日本のほぼ2倍に当たる。

 診察を受けるには、IDカード(身分証明書)見せればよく、診察料、治療費、食事代を含む入院費、入院中の薬代は国民すべて無料である。ただし、外来患者の薬代は有料である。もっとも、この医薬品には政府の補助金が出ており、薬にもよるが1週間分の薬で50円程度である(1ヶ月分賃金の3%程度)。なお、外国人はすべて、救急の場合の診察は無料であるが、容態が安定した後は、指定病院に移され、有料となるし、一般の診療の場合も有料である。

優れた医療指数

 以上のような医療制度のもとで、キューバは、優れた医療指数を達成している。千人当たりの乳児死亡率は5.3人(07年)で米国よりも低く、平均寿命は男性75歳、女性79歳で中南米でも有数の地位にある。小児麻痺、マラリア、ジフテリアは一掃されている。

 教育、医療に国が力を入れていることから、80年代からインターフェロン、バイオ・テクノロジーの研究も進んでいる。髄膜炎ワクチン、B型肝炎ワクチンなどは国際的にも商業化され輸出品目となっている。

 国際協力の面では、現在、81カ国で4万人以上の医療関係者(多くは医師)が海外で働いている。視覚障害者の手術を行う「奇跡計画」では、31カ国、100万人の患者を手術し、視力を回復している。199911月に開校したラテンアメリカ医学校では、現在米国やアフリカの国々も含む28カ国から1万人の学生が学んでいる。もっともすべてが無償協力ということではなく、ベネズエラ、南アなど、3分の2はバーター方式などで有償となっている。現在キューバの貿易収入の50%以上が、医療サービスの輸出となっている。派遣されている医師も国内で月200ドル程度積み立て預金されており、相応の報酬を受けている。

社会・経済の困難な中で

 しかし、現在、キューバの社会・経済は、90年代に入ってからの経済困難とその解決策としての経済改革の中で、かなり複雑な歪んだ状況となっている。医療インフラは、劣化しており、2001年から集中投資が行われ、全国病院、総合診療所の建物の改修、医療機器の更新が進められているが、資金の問題から、すべての病院、診療所を一斉に対象とすることはできない。少なからずの医療施設、機器が老朽化したり、故障したりしている。硬直化した輸入制度・流通制度から、医療資材の供給は、不安定で、不足するものも少なくない。

医師の賃金は、比較的恵まれたほうであるが、それでも月の必要な生活費の4分の1程度しか満たせない。そうしたことから、薬の横流し、診察・手術に伴う金品の受領や仲間主義の横行、闇歯科医の存在など、医療倫理・モラルの低下も見られる。設備と人的な面での医療サービスの質の低下が、国民の中で厳しく批判されている。

 医療制度の基盤となっている家庭医制度も、海外に3万人余の医師が派遣された結果、各家庭医は、かつての3倍の1500名から2000名を担当としなければならなくなっており、過重労働となっていたり、閉鎖されている診療所も少なからず見られる。そこで、最近、4月になって政府は、家庭医診療所の半数以上を閉鎖し、現状の医師の数に相応して、初期診療体制を再編成することを決定した。

 人の命を守り、救う行為は、もっとも民主主義的な行為ではないかと筆者は考えている。生きていれば、良いことも期待できるが、死んでしまえば、表現や、結社の自由など享受できないからである。そうした意味では、キューバ革命が国民すべてに医療を保障する政策を、いろいろな困難を抱えているものの、高い評価に値するであろう。

3月以降、ラウル・カストロ政権は、積年の深刻な社会・経済問題を解決するために、通貨、農業、市民生活の分野で矢継ぎ早に改革を進めている。社会福祉政策も、国民すべてが恩恵を受ける従来の生活物資への補助でなく、個人への補助に切り替える方針を打ち出している。そうした中で、キューバ国民は、これまでの高いヒューマンな意識、つまり連帯的で民主主義的な意識、平等性や普遍性、無料制度を維持しつつ、医療制度をどう再編成するか、革命勝利後の2度目の大きな課題に直面している。

2008412日)

帰国者の治療。患者は亡命キューバ人で、マイアミに居住。家族にあうため一時帰国中に心臓の調子が悪くなり、近所から緊急に来て応急処置を受けた。ここまでは無料。容態は安定したので、その後外国人専用のシラ・ガルシア病院に送られる。そこでは有料。 0803_10

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