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2009年1月 1日 (木)

キューバで出版されたスペイン語初訳の蟹工船

 いつ頃ハバナで買ったのか記憶にないが、今、日本で話題になっている小林多喜二の『蟹工船』のスペイン語版が、私の本棚にあるのが、ある日目についた。キューバについての論文の執筆のため、資料を調べていたときのことだ。スペイン語初訳と表紙にはうたってある。翻訳者は、リディア・ペレデイラとある。一体、彼女は、どういう人だろう、どういうことからこの本を翻訳したのか、など想像が次々と沸いてくる。

このスペイン語訳は、今から25年前の1983年にキューバのウラカン社から出版されている。中にはやはり多喜二の傑作『不在地主』も納められている。しかし、原本の書名、発行所も、著作権取得の表示もない。米国の経済封鎖で米国とキューバの間には著作権協定がないからだ。

内容を見ると、フランク・モトフジという人による日本のプロレタリア文学について、実に詳細で正確な序文が34ページ掲載されている。読者にとって親切な編集である。翻訳は、モトフジ訳の英語版からの重訳に違いないと推測して調べてみると、モトフジ氏の訳は、『加工船(Factory Ship)』というタイトルで1973年にワシントン大学出版から出版されていた。モトフジ氏は、太宰治、大江健三郎の短編を翻訳している日本の現代文学研究者である。

リディアさんの本は、『缶詰加工船(Barco Conservero)』というタイトルで、より原題に近い。重訳ではあるが、有名な冒頭部の『おい、地獄さ行(え)ぐんだで!』も、終結部の『そして、彼等は、立ち上がった。―もう一度!』も、方言のニュアンスまでは無理であり、訳されてはいないが、的確に読みやすく訳されており、訳者の並々ならぬ力量が伺われる。

今度、キューバに調査旅行に行ったときに会って、翻訳、出版の経緯、訳者やキューバ人読者の感想などを聞いてみたいと思って、日本語の新潮文庫の『蟹工船』や資料を準備してキューバに出かけた。 9月初め、夏の日差しが強い午後のひととき、ハバナの新市街にあるマンションに住む翻訳家のリディアさんを訪れた。

数日前に、数十年に一度といわれる大きな被害を及ぼしたハリケーン・アイクがキューバの西部地方を襲い、ハバナ市も直撃はされなかったものの停電地区が目立つ。リディアさんは、「電気もつけられないので申し訳ありません」といいながら、筆者を迎えてくれた。小柄で快活な知識人である。 

リビング・ルームの三方の壁には、リディアさんの好みのいろいろな絵が飾ってある。知的雰囲気を感じさせる瀟洒な空間だ。その奥には、書斎があり、リディアさんの仕事場である。リディアさんは、1939年にハバナ市で生まれ、革命前、ハバナ・ビジネス・アカデミーで英語を学んだ。革命勝利後、1960年9月、フィデル・カストロ首相(当時)が最初に国連総会に出席し、演説を行った際、代表団の通訳の一人として同行した。カストロをはじめ代表団が宿泊したハーレムのテレサ・ホテルでは、カストロへの電話の取次ぎ役を担ったということである。この折、カストロが初めてフルシチョフに会ったときにも同席していた。彼女は、同年12月、キューバ諸国民友好協会(ICAP)の創立にも参加した。国際活動が豊富な翻訳家である。

リディアさんは、1973年からキューバ国立出版公社で翻訳に従事し、1994年に定年退職するまで21年間勤務した。90年代に入り、最大の貿易相手のソ連圏の崩壊で、キューバが未曾有の経済困難に陥り、非常時が宣言され、出版事情は困難を極めるようになった。翻訳の仕事も激減したので、退職したとのことであった。その間、15冊にのぼる翻訳を出版している。その中には、『日本短編小説集』、ジョン・リードの『叛乱するメキシコ』、『マルコムX演説集』、ディー・ブラウンの『わが魂を聖地に埋めよ』、ローゼンバーグ夫妻の『歴史は私たちの名誉を回復するであろう(日本語題名、愛は死をこえて―ローゼンバーグの手紙)』などがある。

現在は、「ハバナ市歴史家事務所」の雑誌『OPUSアバナ』に編集委員として参加している。 早速、出版の経緯を聞いてみた。すると、1980年当初、キューバ国立出版公社でアジアのプロレタリア文学を出版しようという話が持ち上がり、美術・文学出版部責任者のマリア・テレサ・オルテガさんが、いろいろ読んだ中で、多喜二の『蟹工船』を選択した。彼女もまた英語の翻訳者であるが、翻訳部の友人のリディアさんに翻訳を依頼してきたという。悲惨な内容に引き込まれ、2ヶ月で翻訳したとか。しかし、印刷して出版されたのは2年後の83年だった。 

リディアさんは、出版責任者のマリア・テレサさんに出版経緯を聞くようにと電話をかけてくださった。テレサさんによると、「アジア、日本のプロレタリア文学の出版のため、いろいろ読んでみたが、多喜二の『蟹工船』は、中心人物がなく、集団が主人公という新しい文学を試みたもので、蟹工船内の海の男たちの生活は、感動的な自然主義文学であった。資本主義の残酷な現実を描いた素晴らしい作品で傑出していた。そこで編集会議にかけて認められた。5000部印刷したが完売した」という。

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読者の印象は、「蟹工船の資本家は、奴隷の主人よりももっと過酷に労働者を収奪するものだ」というものだった。 最後に彼女は、日本の若い読者へのメッセージを次のように送ってくれた。「新しい世代の人々が、この素晴らしい小説を読んで、より良い未来の建設のためにたたかうという多喜二の精神を引き継いでいただくよう願っています」。 

翻訳本の裏表紙には、本の紹介として次のように的確に述べられている。『蟹工船』は雑誌『戦旗』1929年5・6月号で発表されたが、単行本はほぼ即時に発禁となった。しかし、処女小説『1928年3月15日』で注目を集めていた小林多喜二(1903-1933)は、この作品により名声を高めた。著者は、中心人物がなく、集団が主人公という新しい文学を試みようとした。日本の蟹工船内の海の男たちの生活は、今世紀初頭のものである。感動的な自然主義文学となっている。小林多喜二は、日本のプロレタリア文学運動の最高峰である。その旺盛な創作、農民と労働者の解放への情熱的な献身、戦前の警察の手による若年の死は、そのことを示している。1947年以来、毎年日本全国でその死の記念活動が行われている。その他の作品として、『オルグ』、『安子』、『工場細胞』、『党生活者』がある。

2008年11月

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