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2009年1月21日 (水)

「歴史は私に無罪を宣告するであろう」の形成過程

フィデル・カストロ著「歴史は私に無罪を宣告するであろう」の形成過程

キューバ革命の原点を知るためには最も重要といわれる文献、フィデル・カストロの法廷陳述(「歴史は私に無罪を宣告するであろう」と後に題された)は、どのように作られたのでしょうか。実は、現在私たちが読めるものは、最初の版とはかなり違ったものです。その形成過程をたどって見ましょう。

 1953年7月26日にサンティアゴのモンカダ兵営とバヤモのカルロス・マヌエル・デ・セスペデス兵営をフィデルたち153人の青年が襲撃しました。しかし、襲撃は失敗し、山中に逃げ込んだカストロは8月1日早朝、逮捕され投獄されました。10月16日、サンティアゴの市民病院の看護婦学校の一室に臨時に設けられた法廷で、フィデルだけ個別に裁判が行われました。

フィデル・カストロは、この裁判の際、自らが弁護士の役割を果たすことを主張しました。この時同志であるアベラルド・クレスポ被告の弁護士、バウディリオ・カステヤーノス、プール・カブレーラ被告の弁護士、マルシアル・ロドリゲスの弁護士二名が同席していました。裁判長が、カストロの主張を受け入れるが、再度弁護士をつける意思がないことを確認すると、カストロは、自らが弁護することを再度主張しました。結局、フィデルは自らの弁護を行いました。

この裁判の6人の記録係の中に、マルタ・ロハスがいました。彼女は、新聞記者養成学校を卒業したばかりで、雑誌「ボヘミア」の専属記者ではなく、内容が良ければ掲載するという契約記者でした。彼女は、自ら志願して、裁判傍聴の地方新聞記者のリストに入れてもらっていました。しかし、彼女がこの陳述を最初に発表したのではありません。彼女は、この裁判の経緯を1965年に「モンカダ裁判における不朽の世代」という題で出版しています。

「歴史は私に無罪を宣告するであろう」の陳述は、発表されたものは、カストロがピノス島の監獄に移されたあと、監獄の中で裁判の陳述をもとに手をいれ、次第に現在の形にして、それが少しずつ持ち出され、1954年6月には文書の編集が終了しました。10月11日にはハバナ市の小さな印刷所が警察に察知されていることがわかりましたが、すでに印刷は終わっていました。そして1954年の11月出版されました。

 初版は27,500部出版されたといいますから、人口600万人のキューバでは大ベストセラーの部類に入るでしょう。初版には、短い序文がついており、本文の題は「たたかいの理由」というものでした。翌55年、釈放されたフィデルは、ニューヨークで校閲し、加筆して新版を「歴史は私に無罪を宣告するであろう」という題で出版しました。その後数回、版が重ねられ、その都度フィデルは加筆・修正を行い、最終的に完成したのは1975年版でした。1993年に出版された”Fidel Castro, La historia me absolverá, edición anotada, Oficina de Publicaciones del Consejo de Estado, La Habana, 1993”には、その都度、加筆された箇所が注釈されていて、とても興味深いものとなっています。

 日本語訳では、池上幹徳訳「わがキューバ革命」(理論者、1961年)、「カストロ演説集」(新日本出版社、1965年)に収録されています。しかい、残念ながら英訳からの重訳です。スペイン語の原文を添付しましたので、興味のある方は、お読みください。なお、青色箇所は筆者のマークしたもので、原文にはありません。

「53.10.06 La Historia me absolvera texto completo.doc」をダウンロード


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