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2009年1月18日 (日)

フィデル・カストロの誕生日は、1926年? 1927年?

フィデルは、健在で、執務したり、執筆したりしていると、チャベス大統領が、16日AFP通信の記者に語って、今回の健康不安説は一段落したようである。

それはともかく、フィデルは、いったい1926年生まれなのか、1927年生まれなのか。
フィデル・カストロの成年月日については、二通りある。公式には、1926年8月13日ということになっているが、どうやら、史料からすると、1927年8月13日のようである。


1926年8月13日説
Fidel Castro, Fidel y Religión: Conversación con Frei Betto, Oficina de Publicaciones del Consejo de Estado, La Habana, 1985..
「私は、1926年の8月、8月13日に生まれました。もし時間が知りたいのなら、朝の2時ごろでした」。
「1926年に生まれたのは事実です。武装闘争を開始したときは26歳でした。13日に生まれましたが、それは26の半数です。バチスタがクーデターを起こしたのが1952年で26の倍数です。なにか26の周りに不思議なものがあるのかも知れません」。

Katiuska Blanco, Todo el tiempo de los cedros: paisaje familiar de Fidel Castro, Casa Editorial Abril, La Habana, 2003. Katiuska Blanco Castiñeira, Ángel: la Raíz Gallega de Fidel, Casa Editora Abril, La Habana, 2008.
「フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルスは、1926年8月13日の早朝2時丁度に生まれた。12ポンドの元気な男の子であった。」
その前、1923年4月2日、長女アンヘラ・マリア・カストロ・ルスAngela María Castro Ruzが誕生。14ポンド。
その後、1924年10月14日午前7時、長兄ラモン・エウセビオRamón Eusebio誕生。13ポンド。
1931年6月3日午後1時、ラウル・カストロ(Raúl Modesto Castro Ruz)誕生。
その他に妹として、エンマEmma, フアナJuanaがいる。

しかし、フィデルの自伝的インタビューといわれているラモネーとのインタビューでは、「言われているところでは」と慎重な言い回しになっていることが注目される。

Iganacio Ramonet, Fidel Castro: Biografía a dos voces, Debate, Barcelona, 2006.
「私は、言われているところでは、1926年8月13日早朝2時に生まれました」

Hugh Thomas, Cuba: The Pursuit of Freedom, Harper & Row, Publishers, New York, 1971. 「カストロは、一年後の1927年に生まれたといううわさがあるが、1926年8月13日に生まれた」。しかし、別なページでは1927年生まれとしている。

06.07.15 キューバ共産党のHP: 「キューバの旧オリエンテ県のビランで1926年8月13日に生まれる」。

06.04.19 グアヤサミン財団のHP、フィデル生誕80周年を記念した公式HP.
「フィデル・カストロの経歴:キューバの旧オリエンテ県のビランで1926年8月13日生まれる」。


しかし、実際は、1927年生まれという説もある。この説は革命勝利当初の本、史料をよく分析した本に見られる。
1927年8月13日説
Pensamiento Político, Económico y Social de Fidel Castro, Editorial Lex, La Habana, 1959.
「フィデル・カストロは、マジャリのビラン地区の『マナカス』農場で1927年8月13日に生まれた。両親は、母親リナ・ルス・ゴンサーレス(Lina Ruz González)と父親アンヘル・カストロ・アルヒス(Angel Castro Argiz)である」。

Gerardo Rodríguez Morejón, Fidel Castro: Biografía, P. Fernández y Cía, La Habana, 1959.
「1927年8月13日、母親リナ・ルス・ゴンサーレス(Lina Ruz González)と父親アンヘル・カストロ・アルヒス(Angel Castro Argiz)は、マジャリのビラン地区の『マナカス』農場で、長女アンヘラと長男ラモンに続いて、次男をもうけた。そこには、アンヘルの最初の結婚の子供たち、リディア、ペドロ・エミリオ・カストロ・アルゴタも住んでいた。10ポンドであった。洗礼を受け、Fidel Castro Ruzと名づけられた」。

Lionel Martín, The Early Fidel: Roots of Castro’s Communism, Lyle Stuart Inc., 1978.
「兄のラモンによれば、フィデルはマルカネの公立学校からイエズス会の学校に送られたとき、彼の入学を適格とするために、彼の記録の誕生日が一年早くされて1926年とされた」。
「私が、ラモン・カストロにフィデル・カストロの誕生日について特別に訪ねたところ、彼は1927年と言った(1972年12月12日ピカドゥーラ渓谷でのインタビュー)」。

Peter Bourne, Castro, Macmillan, London, 1986.
「フィデルは、1927年8月13日午前2時、オリエンテ州のマジャリ町から遠くないビラン村の近くの父親のラス・マナカス農場で生まれた。12ポンドあった」。

レイセスター・コルトマン『カストロ』岡部広治監訳(大月書店、2005年)、6ページ。「アンヘラとラモンのあと、3人目の子フィデルが生まれた。1927年8月13日であった」。

Claudia Furiati, Fidel Castro: La historia me absolverá, Plaza Janés, Barcelona, 2003.
「1941年5月10日の証明書Fidel Alejandro Castro Ruzの名前:ここで一年早く生まれた証明が作られた。フィデルが学校を終えたとき、アンヘルは地区の裁判所の書記に100ペソ与えて、以前の文書のデータを書き直し、誕生日を1926年にするように依頼した」。

それは、ベレンの学校に入学することができるようにするためであった。『別におかしいことではありませんでした。行政の中では、付き合い、お金、融通のしあいでよくある措置でした』と姉のアンヘリータは説明している。

こうして公式には1926年が公表された。しかし、アンヘリータは、母親が、『26年生まれだとすると、ラモンとフィデルの間には10ヶ月しかないことになり、それは不可能だわ。ラモンのお産は麻酔を使わなかったし、その後長い休養が必要でした。それに母や、一年以上も母乳を与えていました』(フリアティ、アンヘリータとのインタビュー)

「ラモン・カストロはフィデルとは22ヶ月以上違うとのべている(フリアティ、ラモン・カストロとのインタビュー)」。

このことから、結論は、フィデルは1927年8月13日に生まれたことになる。しかし、すでにキューバ国民は26年という数字に慣れている。史料を検討した限りでは1927年説となるであろう。

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