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2009年1月23日 (金)

キューバ革命を理解するための3つの表現

キューバ革命を理解するための3つの表現

キューバ史、キューバ革命、キューバ社会、キューバ人を理解するために、外国人が述べたキューバ社会・文化についての表現の中で、筆者が言い当てて妙と感じているものを3つ紹介しよう。それらは、次のものである。キューバ問題を考える際のご参考になればと思う。

キューバ人は、届かないとすれば、行き過ぎてしまう
―マキシモ・ゴメス・バエス将軍

キューバを説明すれば、フィデルが政府首班であると同時に、反対のリーダーでもあるということだ
―ガブリエル・ガルシア・マルケス (Intervención de Felipe Pérez Loque, Granma, Diciembre 30, 2005)

キューバの経済政策は、常に試行錯誤=対症療法的に行われてきた
―岡部廣治教授 (1929-)(「キューバ社会主義は生き残れるか」『週刊東洋経済』臨時増刊号、1991年3月29日号)

①のマキシモ・ゴメス・バエス将軍(1836-1905)は、ドミニカ共和国出身。ドミニカでスペインの植民地支配に反対して戦い、1865年キューバのサンチャゴに移住、そこでスペインの過酷な植民地支配、奴隷制の搾取をみて、1868年キューバ人とともにスペイン支配に反対して第一次独立闘争に参加した。独立運動が一時的に退潮した1878年、ゴメスはキューバを去ってジャマイカに移った。その後、1892年ホセ・マルティから新たな独立闘争への協力を要請され、軍最高司令官に任命されて、第二次独立戦争にも参加。マルティやアントニオ・マセオの死後も戦いを継続した。キューバで最も人気の高かった人物であったが、1901年の初代大統領選には出馬せず、一市民としてキューバで家族と共に生活し、生涯を終えた。

②のガブリエル・ガルシア・マルケス(1927-)は、コロンビア生まれ。コロンビアで新聞記者として働いていたが、キューバ革命勝利直後の1960年、キューバに渡り、新設された通信社、プレンサ・ラティーナの記者となる。1961年にメキシコに移住し、1967年「百年の孤独」(新潮社より翻訳刊行)を出版、ラテンアメリカを初め、世界的な大ベストセラーとなった。1960年代初めよりキューバ映画の脚本なども執筆、1986年よりハバナを本部とする新ラテンアメリカ映画協会会長を務める。1982年ノーベル文学賞を受賞。フィデル・カストロとも親交を結び、訪玖のたびに交友を温めている。

③の岡部廣治教授は、キューバを初め、ラテンアメリカ史を幅広く研究している歴史家の泰斗。史的唯物論の立場にたった分析は客観的で正確、かつ包括的で、その研究は高く評価されている。元津田塾大教授。日本キューバ友好協会元理事長。著書に『ラテンアメリカ経済発展論』(アジア経済研究所)、『たたかうニカラグア』(新日本出版社)、『ラテンアメリカの世界』(大月書店)、翻訳書にフィデル・カストロ著『カストロの提言』(ほるぷ出版)、コルトマン著『フィデル・カストロ』(大月書店)他あり、論文はキューバ、ラテンアメリカについて多数。

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