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2009年1月 4日 (日)

キューバ革命勝利50周年を迎えて

キューバ革命勝利50周年を迎えて

ラウルがしばしば引用するように、キューバ解放のたたかいは、1953年7月26日にサンティアゴとバヤモの兵営をフィデルたち青年が襲撃してから、ちょうど5年、5カ月、5日後の1959年1月1日に勝利を収めた。キューバ革命の歴史を、ラウルが気にいっている5の数字を重視して、5 x 5 =25 周年と5 x 5 x 2 =50 周年でどう発展したか、簡単に振り返ってみよう。なお、フィデルは、13、26、52という倍数が気にいっている。8月13日は誕生日、1926年(実は27年生まれ)は誕生年、1952年にバチスタがクーデターを起こし、決定的なたたかいを開始する。

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Aniversario50


50年前の1959年1月1日、フィデル・カストロ(32歳)は、サンティアゴのセスペデス広場で感動の中で述べた。
「ついにサンティアコに着いた。厳しく、長い道のりであった。しかし、われわれは着いたのだ。今、革命が始まる。革命は、容易な課題ではないだろう。革命は、困難な危険に満ち溢れた事業となろう」。
「われわれは、すべての問題が簡単に解決されるだろうとは思っていない。道は、障害で一杯であろう。しかし、われわれは、未来を信頼している人間であり、未来を信頼して常に大きな困難と立ち向かっていこう」。

Aniversario250


5年x5年、25年後の1984年1月1日、フィデル(57歳)は、サンティアゴの同じ広場で、25年を回顧して述べた。
「あの日の基本的な考えは、また1953年7月26日の前の年月にわれわれが抱いていた考えは、今も、将来も常に生きている」。
「生産と国防は、今日のわれわれの基本的なスローガンである。生産とサービスが発展し、われわれが同胞の福祉、未来と幸福のために、たたかえばたたかうほど、わが国民は祖国と革命を守るであろう」。
「サンティアゴ・デ・クーバよ、25周年が経過して革命を実現し、すべての約束を果たして、あなたの前に戻ってきたのだ」。

さらに25年経過して、50年が経過した本年1月1日、ラウル議長は、同じサンティアゴの広場で記念演説を行った。
「1959年1月1日、キューバ国民は、初めて政治権力を掌握した。その時、60年にわたるアメリカ帝国主義の絶対的な支配を打ち破ったのである」。
「われわれは、二度と貧窮、恥辱、酷使、不正義をわが国に戻すことはない。二度と母親の心を痛ませたり、また正直なキューバ国民の魂が恥ずかしく感じさせたりはしない」。Raul_santiago

「わが国民は、自らの腕で立ち上げて、生命の危険を冒して守った事業が不完全であることを知っている。われわれは、弱点や誤りを公然と明らかにすることをためらったことはない。そうした例は、過去にも最近でも沢山ある」。
「『われわれは、すべての問題が、簡単に解決されるとは思わない。道は、障害で一杯であると知っている』というフィデルの言葉を思い出そう」。
 
最近、ブラジルのルーラ大統領の政治顧問、マルコ・アウレリオ・ガルシアが、簡潔に、キューバ革命の歴史的役割について、次のように述べている。
「いくつもの世代のブラジル人は、キューバのモデルを参考にして政治活動に入った。そのモデルとは、主権を擁護し、社会改革の成果である」。
 
このキューバ革命の評価は、だれも否定できないものであろう。

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