« キューバ10大ニュース(4)2006年度 | トップページ | キューバ10大ニュース(5) 2007年度 »

2009年1月17日 (土)

フィデル・カストロ前議長の健康と米玖関係

フィデル・カストロ前議長の健康と米玖関係

 先週の9日頃からカストロ前議長(以下フィデルと略称)の健康状態についていろいろ取りざたされ、いろいろな憶測が流れている。筆者にも新聞社やテレビ局から質問が来ている。関心が大きく広がった発端は、11日のAP電が同日のチャベスの「こんにちは、大統領」での発言を報道してからであるが、いわゆる「西側外交筋」では、その2-3日前から、カストロ前議長の病状悪化説が流れていたようである。
チャベスの言及はこういうものであった。
「あのフィデル、街路や国民の間を早朝であっても制服を着て、人々と抱擁していた彼は、再び戻らないであろう。記憶の中に残っていくであろう。フィデルは、肉体的な生命を越えて永遠に生きているであろう。フィデルは、飛行機の入口までわれわれを連れて行ってくれ、抱擁を交わした。なんという思い出だろう。それが最後であった」。

 この発言から、フィデルは、死亡したのではないかとの風説まで各国に流れていった。筆者は、この種のいわゆる流布説に加わって憶測を表明する習慣はもっていないが、問題が広く関心を呼んでいるので、ここでは憶測による見解ではなく、この問題を分析する筆者のポイントを紹介しておきたい。

① 先ず、キューバ政府は、重大なことは長期間は隠さず、最小限度の事実のみを発表するということである。
② 第二に、キューバ政府は、指導者の健康状態を、対米関係から、恒常的には発表しないということである。

 ①の点では、2006年7月31日、キューバ政府は、フィデルが腸の手術を受け、手術の結果から職務の継続が無理となり、ラウル・カストロ(以下ラウルと略称)副議長に(1)党書記長、(2)軍最高司令官、(3)国家評議会議長・閣僚評議会議長の権限を一時的に委譲したと発表した。この声明では手術の日は発表されていなかったが、実際は7月27日にフィデルは、腸の手術を受けていたことが翌年の1月になって外電で判明した(AP, AFP, 07.01.17, Reuters, Xinhua 07.01.31)。

 手術の詳細は、翌年の07年1月15日、議長を診察したスペイン人医師が、スペインの有力紙「エル・パイス」に語って始めて明らかとなった。それによると、「フィデルは、少なくとも3度の手術の失敗で、腹部の合併症を起こしており、病状の見通しは『極めて深刻』と報じた。また、「フィデルは06年の夏前から憩室炎と呼ばれる腹部の持病が悪化し、腸内の炎症と大量出血を招いた。1回目の手術では、腸の一部を摘出し、大腸と直腸を結合する方法が取られたが失敗し、炎症が拡大。新たに人工肛門をつける手術を行った。しかし、その後、炎症は胆のう部分にも及び、人工器官を埋め込む手術を行ったが失敗し、別の人工器官に交換した。議長は現在、点滴で栄養を取っている」というものであった(El País, 07.01.15)。
 フィデル自身が、手術について初めて語ったのは、手術後10カ月経過した翌07年の5月23日のことであった。彼は、第21回「省察」『耳を傾けないものに対して』において、健康状態について、「最初の手術は成功せず、数回の手術を行った。そのため回復が遅れた」と簡略に述べた。そして、手術後の1年半後の08年1月22日に、第68回「省察」『ルーラ1』において「7月26日夜から27日の早朝に出血し、死ぬかと思った。医師たちが私の生命を取りとめようと手を尽くす一方、議長室長のバレンシアーガに声明を読むように頼み、それに適切に手を入れた」と具体的に述べた。これが、初めて公式に27日に手術したことを認めたものであった(Granma 08.01.24)。 

 ②の点では、フィデルは、手術発表後の翌日、8月1日、「最高司令官からキューバ国民および世界の友人へのメッセージ」を発表し、その中で、「キューバの特別な状況において、帝国の計画のために私の健康状態は国家機密となってしまい、恒常的に報道することはできない。同胞のみなさんはそれを理解してほしい」と述べて、今後は、容態を逐一発表することはないと釘をさした。実際、その後その時折の容態は、上記の本人自身の説明を除くと、チャベス大統領やモラーレス大統領など、フィデルと会見した外国人指導者、アラルコン国会議長、ペレス外相、ラウルなどキューバ政府幹部が記者会見の中でコメントする中でうかがわれるだけで、政府の公式の発表は一切されていない。

 こうしたキューバ政府の発表政策からすれば、内外の重大なことは最小限の事実は必ず発表される。そして、1月16日午後10時(現地時間)現在、フィデルに関して重大な発表はされていない。影武者説や、「省察」の替え玉執筆者説があるが、そうした姑息な手段は、フィデルのこれまでの思考・行動様式からは考えられない。

 替え玉執筆説は、フィデルの最近の「省察」を読めば、彼の文章であることは、専門家であれば理解できることである。

 影武者説は、次期オバマ政権発足の前に重大事件を知らせるのは得策でないと推測して出される解釈である。しかし、これは、キューバ国民が、歴史的にもっている対米観を理解していないものである。キューバ国民の自国の主権の尊重について、その代表的なものを3つ挙げておこう。

 1884年,独立闘争の闘士、アントニオ・マセオは、スペインとの独立戦争の勝利後のことを考え、米国の支配がキューバに伸びてくることを警戒し、キューバの独立と主権は譲歩できないと最後まで抗戦する意志を友人に宛てた手紙で述べた。
「米国は、軍事力ではキューバを灰燼にすることができるが、血にまみれた灰燼を拾うか、たたかいの中で命を失うだけであろう」。

 1895年5月18日、キューバ独立の父といわれるホセ・マルティは、彼の死の前日にメキシコの友人マヌエル・メルカドあてに次の未完の書簡を書いている。 
「米国が、アンティル諸島に手をのばし、さらにより強大な力で、アメリカのわれらの国ぐにを支配しようとすることを、キューバの独立でもって適時に阻止するのが、私の義務です。そして、わが国とその義務のために、私は、生命をささげる危険に連日さらされているのです。
・・・私は怪物の中に住んだことがありますので、その胎内を知っています。私の投石器はダビデと同じものです」。

 1958年6月、フィデル・カストロは、バチスタ独裁政治とのたたかいが、まだ決定的な勝利の光明が見えないとき、キューバ東部のシエラ・マエストラ山中で、ゲリラを支援していた農民のマリオ・サリオルの家がアメリカ空軍の飛行機で爆撃されたことに怒りを示し、次の手紙を同志のセリア・サンチェスに送っている。
「シエラ・マエストラ 58年6月5日
セリア:
マリオの家にロケット砲が打ち込まれるのを見たとき、アメリカ人に、彼らが行っていることに高い代償を払わせてやると私は誓った。この戦争が終わった時、私にとって、はるかに長期にわたる大きな戦争が始まるであろう。その戦争を、私は彼らに対して行うつもりだ。それが、私の真の運命となることが私にはわかっている。
フィデル」
 
 こうしたキューバ人の歴史的に培われてきた強靭な対米自立の考えを見誤ると、オバマ政権に対して、キューバが過度の期待をもっているとか、何らかの行動をキューバ側から取る必要があるという見解が出てくる。

 しかし、ラウルは、昨年12月31日のインタビューで、米国のキューバ干渉の歴史をたどりつつ、オバマ次期政権に対して原則的な立場を述べている。
 「われわれの立場ははっきりしている。米国が議論したいときに、対等の条件で、キューバの主権になんらの陰をさすことなく議論しよう。われわれが、何らかの行動を起こすように、しばしば進言されてきたが、一方的な行動の時代は終わった。相互の行動が必要だ。米国が、第三者の仲介なく直接行動をとることを決定したとき、われわれも行動を取る用意がある。われわれは、棍棒と人参でもって議論はしない」。
 こうした原則的な立場からすれば、影武者を立てる必要もないのである。

 12月31日、フィデルは、「革命勝利50周年を数時間内に迎えるに当たり、英雄的な国民にお祝いを申し上げる」という、革命50周年にしては、ごく簡単なメッセージを発表した。12月28日、ラウル議長は、国会の閉会演説で「皆さん、革命勝利50周年を、フィデル最高司令官にお祝い申し上げよう。フィデルは、これまでも、今も、われわれを導いてきたし、これからも常に導くであろう」と結んだが、国会の会期中にフィデルからのメッセージはなかった。

 1月6日パナマのマルティン・トリホス大統領がキューバを訪問、8日はエクアドルのコレア大統領が訪問した。いずれもキューバにとって重要な国家元首であったが、フィデルが会見したとの報道は、キューバの報道には一切出ていない。しかし、フィデルが会見しても発表されない例もある。昨年10月20日、 フィデルは、ロシア正教のキリル大司教と会見したが、キューバでは報道されず、11月10日にロシア正教のインターネットに写真が掲載されてその事実がわかった。したがって、外国要人との会見は、判断の材料にはならない。

 フィデルは、別添の昨年2月18日の国民への退任のメッセージで、「皆さんに、お別れをいわない。思想の一兵士としてたたかうことだけを望んでいる。『同志フィデルの省察』という題のもとで引き続き執筆を続けるであろう」と文筆活動が今後の重要な活動であることを述べている。それでは、フィデルの「省察」あるいはメッセージは、昨年08年1月からどのように書かれたであろうか。下記の通りである。
1月 10件
2月 13件
3月 16件
4月  9件
5月  5件
6月  6件
7月 13件
8月  6件
9月 13件
10月 13件
11月 10件
12月  3件 15日が最新版。
 1月  0件
明らかに12月15日以降は普通ではない。健康状態が、執筆をしたいというフィデルの強い意思を許さないのであろうか。
 フィデルの「省察」は、彼の該博な知識を駆使して述べられた大変興味深いものが少なくない。多くの人々が新たな執筆を待っていることであろう。
「08.02.18 カストロ議長、退任のメッセージ全文.pdf」をダウンロード


|

« キューバ10大ニュース(4)2006年度 | トップページ | キューバ10大ニュース(5) 2007年度 »

国内政治」カテゴリの記事