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2009年1月 2日 (金)

ヘミングウェイとキューバ

ノーベル賞作家ヘミングウェイは、一九三八年から六〇年までキューバに二十二年間住んだ。四〇年からは、ハバナ市郊外に「フィンカ・ビヒア」を購入し、釣りに、ハバナ市の散策を楽しむかたわら、創作に、専念した。この間世界の文学史の残る傑作、『誰がために鐘はなる』、『河を渡って木立のなかへ』、『老人と海』、『海流の中の島々』などを書いた。
 
 彼が第二の祖国と考えたキューバの何が、彼を魅了したのか。直接明確にそれを語ったものはない。一九二八年四月に最初にキューバを訪問したり、三二年に再度キューバを訪問したりした時は、釣りが目的だったと述べている。また、ヘミングウェイは、釣りの他にも、五七匹の猫、四頭の犬を可愛がり、ハイ・アライ(壁にボールを打ちつけて競うテニス)、闘鶏、射撃なども楽しんだ。しかし、キューバでの生活が深まるにつれて、キューバの風景、市民の生活、友人、ラム酒、食事の中で、キューバ全体を気に入って、創作に励んだのであった。
 
 ハバナでの生活では、シーフードのレストラン「フロリディディータ」やキューバ料理の「ボデギータ・デル・メディオ」を頻繁に訪れ、ラム酒のカクテルである前者の「フローズン・ダイキリ」と後者の「モヒート」をこよなく愛した。「ダイキリならフロディディータ、モヒートならボデギータ・デル・メディオ」とは、ヘミングウェイの言葉である。但し、彼のダイキリは、砂糖抜きであった。また彼は、中華料理店の「エル・パシフィコ」にもよく行った。現在これらのレストランは、維持されており、観光客が好んで訪れる場所となっている。
 
 ちなみに「フロディディータ」で発祥したのは、氷をかき氷じょうに粉砕し、ラム酒とカクテルにした「フローズン・ダイキリ」であり、ダイキリそのものは、前世紀末に東部のサンチャゴ・デ・クーバの「ダイキリ」鉱山の技師によって作られたものである。ヘミングウェイは、『海流のなかの島々』のなかで、このフローズン・ダイキリについて見事に描写している。

 「ハドソンは、フローズン・ダイキリをダブルで飲んでいた。バーテンのコンスタンテが作るこの酒は逸品で、アルコールの味が殺してあり、飲むほどに粉雪蹴散らしながら氷河をスキーで滑降する心地。六、七、八杯目にはザイル・パーティも組まずに氷河を急降下する心地」(沼澤洽治訳、新潮文庫)。
 
 ヘミングウェイが住んだ頃のキューバは、旧市街が手狭になり、西にベダード地区が発展し、美しい海岸通りマレコンが建設され、さらに西にアルメンダレス川を越えて新たな高級住宅街ミラマール地区まで延びていった時期であった。つまり、美しいハバナ市が活発に発展していた時期である。

 ノーベル文学賞の受賞の対象となった『老人と海』は、ハバナより二〇キロ東にある人口五〇〇〇人弱の小さな漁村、コヒーマルを舞台としている。小さな入り江が天然の良好となって、カリブ海の波風を防いでいる。ハイウェーが通っている高台から、海辺までなだらかな下り坂となっており、茶色の屋根と白い壁の綺麗な家屋がちらばっている。入り江の向こう側には小さな鮫処理工場があり、緑の木々が先端にまで延びて海に落ちている。昼間には波止場では子供たちが泳いだり、漁師が、漁具の手入れなどをしていたりする。夕暮れ時には、村人が子供を連れたりして散歩する。そこでは、時の流れさえ、緩やかなように思われる。ヘミングウェイの愛艇「ピラール号」の船長であった、グレゴリオ爺さんは、いまでも健在で、かつてヘミングウェイが良く立ち寄った、レストラン「テラサ」で今でも見かけることができる。
 
 ヘミングウェイは、革命前のキューバ共産党に最も多額のカンパをした外国人だったし、独裁者のバチスタの再三の食事の招待には決して応じなかった。キューバ革命については、「この革命が、人民にとってよい革命だ」として、当初から好意的な態度を示し、それを支持していた。六〇年ハバナに帰ってきた時、空港で、アルゼンチン人の記者に対し、「われわれは勝利するだろう。われわれキューバ人は、勝利するだろう」とスペイン語で述べ、さらに「私は、ヤンキーではないんだよ」と英語で付け加えた。
 
 ところでヘミングウェイは、フィデル・カストロ首相(当時)に一度だけ会っている。六〇年五月にハバナのフィッシング・コンペティションでのことで、それが最初で最後のことであった。カストロ議長は、後年、「ヘミングウェイは、最も好きな作家の一人で、『誰がために鐘は鳴る』は三回以上も読んだ」と述べている。そして、『人間は、破壊されることがあっても、屈伏させられることはないのだ』というヘミングウェイの言葉は、キューバ革命へのメッセージでもあると述べている。

参考文献
1.ノルベルト・フエンテス『ヘミングウェイ、キューバの日々』宮下嶺夫訳(晶文社、1988年
2.『海流のなかの島々』上下沼澤洽治訳(新潮文庫、1977年)
3.柴山哲也『ヘミングウェイはなぜ死んだか』(朝日ソノラマ、1994年)
4.G.ヘミングウェイ『パパ、父ヘミングウェイの想い出』森川展男訳(あぽろん社、1986年)
(2004年2月)


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