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2009年1月 3日 (土)

ラテンアメリカ文化の系譜

多様な人種・言語
アメリカ合衆国(以下米国)とメキシコ合衆国の間を、リオ・グランデという川が流れ、国境をなしています。ここから最南端のアルゼンチン・チリ領のフエゴ島まで、約1万1000キロメートルあまり、日本の九州の南端から、ニュージーランドの遥か南に及ぶ広大な、この地域は、正式には「ラテンアメリカ・カリブ海地域(以下中南米)」と呼ばれています。この地域は、亜熱帯、熱帯、温帯、寒帯を含む、約2042万平方キロ、日本の54倍の面積です。ここには、33カ国と14の未独立地域があり、スペイン語、ポルトガル語、先住民インディオの言語、英語、フランス語などを話す様々な人種、5億3400万人が生活しています。
 
米国との圧倒的な経済力の差
今、憲法9条を守る運動などの市民運動で大活躍をされた作家の小田実さんは、50年以上も前、リオ・グランデ川の橋を渡って米国からメキシコに国境を越えたとき、生活水準の余りの格差に絶句した様子を、青春の著書「何でも見てやろう」に生き生きと書いています。しかし、この圧倒的な経済力の差、米国の南の「裏庭」への支配は基本的には変わっていません。
 
栄えた先住民文明
インディオと呼ばれる先住民の祖先は、約2万1000年前から1万8000年前にかけて、北東アジアから凍結したベーリング陸橋を渡ってアラスカに到着、約1万2000年前に南進し、紀元前8000年ごろ、アメリカ大陸の各地で定住を開始しました。彼らは、とうもろこし、まめ、トマト、かぼちゃなどを栽培し、農耕生活を営みながら文明を発展させ、メキシコ地域では、紀元300年から900年ごろマヤ文化を、11世紀から16世紀初頭にかけてアステカ王国を建設しました。またアンデス地域では、15世紀後半には、中央アンデス全域にまたがるインカ帝国を建設しました。

ラテンアメリカの「発見」と先住民・黒人文化との融合
 1492年、クリストバル・コロンが、ヨーロッパの地理的・領土的拡大ブームにのってカリブ海の島々に到着したとき、インディオをみて彼は、東洋の黄金の国シパング(日本)に到着したことを疑いませんでした。しかし、その後イタリアのアメリゴ・ヴェスプッチは、自らのこの地域の探検の結果から、この地域は「新大陸」という見解を発表しました。そこで1507年ドイツの地図製作家マルティン・ヴァルドゼーミューラーが世界地図で大陸として扱い、アメリカと名づけました。そして、1856年、南北アメリカの地域がほぼ独立を達成したあと、コロンビア人のホセ・マリア・トレス・カイセドが、北の強国、アングロサクソンの系譜を引く米国と対比して、ラテン語から発生したスペイン語、ポルトガル語、フランス語を使用する独立国の地域をラテンアメリカと呼びました。

15世紀末、中南米地域には、約4000万人の先住民が住んでいました。しかし、先住民は、征服者たちの過酷な奴隷使役によって半世紀の間に10分の1に激減しました。そこで、広大な植民地経営の労働力を補うためにアフリカから、4世紀にわたり1000万人にのぼる黒人が、故郷を奪われ奴隷として強制的に「新」大陸に連行されました。
その結果、中南米には、大きく分けて、黒人奴隷がもたらしたアフリカ文化とイベリア半島の文化が融合した地域(アフロ・アメリカ文化、キューバ、ブラジル、ベネズエラ沿岸地域、カリブ海地域)、先住民のインディオとスペイン人・ポルトガル人の混血が進み、イベリア文化と融合した地域(メスティーソ・アメリカ文化、メキシコ、中米、コロンビア、ペルー、ボリビアなど)、インディオ住民が比較的希薄は地域(ユーロ・アメリカ文化、アルゼンチン、ウルグアイ、チリなど)、インディオの人口が稠密な地域(インディオ・アメリカ文化、メキシコ、グアテマラ、アンデス地域の山間部)の4つの文化が見られます。

各地の個性豊かな文化
こうした歴史から、中南米文化においては、歴史的には否定的な要素が、かえって文化に多様性を与え、文化の発展を豊かにしています。音楽では、いずれもヨーロッパ音楽を基調としつつ、アフロ・アメリカ文化のカリブ海地域では、黒人文化のパーカッションの強烈なリズムが魅力的な音楽が支配的ですし、メスティーソ・アメリカ文化のメキシコやアンデス地域では、哀愁を帯びた甘いメロディーが親しまれています。インディオ・アメリカ文化のエクアドル、ペルーや、ボリビアなどでは、先住民の系譜を引く木管楽器による短調の哀調の曲が好まれます。アルゼンチンでは、ドイツで発明されたバンドネオンの音が胸にしみるタンゴに国民的な人気があります。文学でも絵画でも、イベリアやヨーロッパの影響を強く受けながら、近年は複雑な政治・社会・経済・文化構造を反映して、リアリズムを超えたシュルリアリズム的傾向が強く見られます。

独自の文化と共通文化
19世紀の初頭から半世紀にわたって、ほとんどの中南米の国々は独立を達成し、1870年代から資本主義の発展の道を歩み始めますが、その後、大土地所有制(ラティフンディオ)や、少数の家族による寡頭制支配(オリガルキア)、極端な貧富の差、少数の一次産品(農産物・鉱産物)に依存するモノカルチャー経済、カトリック教会と結びついた保守層の政治支配、イギリスやアメリカの資本や干渉政策による帝国主義支配に苦しみます。

1960年代からは、国内の専制政治と米国の支配と決別し、社会主義社会の建設をめざしているキューバに続いて、ブラジル、ペルー、パナマ、ボリビア、チリ、ニカラグア、グレナダ、エルサルバドルなどで、社会変革の試みが行われましたが、キューバを除いてアメリカ帝国主義と結託した国内の反動層の巻き返しにより、いずれも失敗しました。

しかし、90年代末以降、ベネズエラを初めとして、再び、米国の支配に別れを告げて、自主的により公正な社会を作る動きが各国で強まっています。その中で、各国で独自の文化の再発見とその育成がはかられています。独自性と共通性をもった豊かなラテンアメリカ・カリブ海文化が育ちつつあります。

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